Buona giornata IF.PASSIONE③
私は油断していたのだ。
決して相手が2人いるということを忘れていた訳では無い。だが、ブチャラティという強敵を倒し慢心していたのだ。
右手に感じる燃えるような鈍い痛みに私は額に汗をうかべる。その手首は突如現れた2人目の刺客、レオーネ・アバッキオによって掴まれたままだ。
武器を奪われ、利き手の負傷、そして2対1のこの状況は絶望的だった。
「アバッキオ、彼女の手を離して距離をとれ。名前のスタンドの射程距離は多く見積っても1メートル程度……しっかり距離を保てばほぼ無力化できる」
そしてそんなブチャラティの言葉と共にレオーネの手が離れる。出口へと続く唯一の道を塞ぐようにして距離をとったレオーネは黒のロングコートを揺らしながら私の背後についた。
「まさか、私みたいなスタンド初心者相手に2人がかりなんて……貴方達よっぽどお暇みたいね?」
「お前の能力は危険だからな、本体が未熟なうちに確実にやるべきだと踏んだのさ……それと、まるで気づいていなかったような口ぶりだが最初から2人で行動していると気づいていただろう。1度逃げるチャンスがあったにもかかわらず敢えて袋小路に引き返した時点でわかってたんじゃあないのか?」
冗談めかして告げた苦し紛れの皮肉はブチャラティによる冷静な言葉にねじ伏せられてしまう。今度こそ本当に絶体絶命である。
私は立ち上がる気力もなく俯いたまま黙りこくってしまった。
「ブチャラティ、結局この女はフィガロを殺したことを認めたのか?」
そんな静寂を打ち砕いたのは私の後方から発せられた低くて渋い声ーーレオーネの言葉だった。その声色からは彼の心情を読み取ることは難しく、それが酷く悲しく恐ろしく感じた。
「それなんだが……どうだ、名前。君はフィガロを殺したのか?もし「君が殺したのなら」俺は君を殺さなくてはならないんだが……」
「え……?」
ブチャラティの言葉に私は口をぽかんとあけると信じられないといったように彼の顔色を伺う。真剣な顔のブチャラティの表情からはなにかを必死に伝えようとしているような、そんな感じがするーー私は右手の痛みも忘れて彼の言わんとしていることに頭を捻るとやがてひとつの結論にたどり着いた。
「わ、私は殺してません……!」
心臓を高鳴らせながらそうハッキリと言い切った私はおそるおそるブチャラティの顔色を伺う。彼はなぜだか分からないが私に生き残るチャンスをくれたのだ。少々強引すぎる気もするが私が組織の人間を殺してなどいないと証言させようとしているのだ。
「そうか、よく分かった……ということだアバッキオ。彼女はフィガロを殺してはいない、いいな?」
「な……っ、アンタ何言ってんだ……?俺の「ムーディー・ブルース」で見ただろ、苗字名前がフィガロの野郎を殺した瞬間を!」
「ほう、お前は「殺した瞬間」を見たのか?俺は見ていないな……彼女がスタンドを使ってフィガロをクリーム状に変化させた所は見たがな」
なんとブチャラティは私のデタラメを二つ返事で聞き入れてしまったのだ。これにはレオーネも、自分で言ったことながら私自身も驚きの表情を浮かべる。まさか、こんな滅茶苦茶な尋問があってたまるだろうか。
「……なるほどな。この女はスタンドで「反撃」はしたが「殺してはいない」と?そう言いてえのかブチャラティ」
「そうだ。彼女がフィガロを殺したという明確な証拠がない限り、名前を犯人として始末するのは違うだろう……お前もそういうのは好ましくないだろうしな」
「……チッ、分かったぜ。アンタのその滅茶苦茶な主張に乗ってやる……命拾いしたな苗字名前」
そしてレオーネのその言葉を皮切りにブチャラティは私のすぐ側に片膝をつくと彼の大きな手で痛む右手を優しく包む。その動きにビクリと肩を揺らしてブチャラティの表情を盗み見ると彼の瞳は出会った時のように逞しくて、それでいて優しく柔らかな雰囲気を纏っていた。
「俺の仲間が乱暴なことをして悪かった。だが、これで分かっただろう……君のような「一般人」が「組織」と関わるべきではないということが。分かったのならすぐに帰国するんだ」
「ブチャラティ……」
しかし、そんなブチャラティの口から発せられた言葉は警告だった。このまま一般人である私がこの国に留まることをーーつまりパッショーネについて調べ回ることを良しとしていないのだ。
「……ごめんなさい、それは出来ないわ。私にはこの国でどうしてもやらなくてはならない事があるの」
だが私自身、最初から危険なことだと割り切って復讐の為にイタリアに残っているのだ。今更ブチャラティに帰れと言われて素直に帰る気になどなれるはずもない。
負傷した右手を優しく包み込んだブチャラティの手を更に覆うように左手を重ねると私は彼のパッツン前髪から覗く青い瞳を見つめながらゆっくりと言葉を紡いだ。
「もちろん貴方には感謝してる……初めて出会った日も今も、いつもブチャラティに助けて貰ってたんだもの!だからこそ恩を仇で返すようで本当に心苦しいけど、私は「とあるギャングの男」を殺す為にイタリアにいる……スタンド使いであるソイツを倒す為に私は……ブチャラティと戦ったんだ……」
勿論、復讐とは無関係なブチャラティの命を奪うつもりはなかったとはいえ、人にぶつけてはならないインクやペン先の金属軸などを顔面目掛けて投げてしまったのは非常にいけないことである。それに実際に発砲こそはしなかったが銃口を向けて脅したのはもっと悪いことだ。
「私にもそれ相応の「覚悟」があって貴方と戦ったのよーーだから友人である貴方に殴られてもレオ……ううん、彼に骨を折られても恨んだり怒ったりなんてしない。貴方を倒すと心に決めた瞬間に、逆に倒されるかもしれないと 「覚悟」していたから……」
ブチャラティの大きな手を握る左手に力が入る。相対的に負傷した自身の右手にも負荷がかかるが私が彼等にした「裏切り行為」に比べれば軽いものだった。
「ひとつ聞いてもいいだろうか。君が追っているその「スタンド使いの男」とはどんな男なのだ……?」
「……3日前にサルディニア島の海岸で出会った3人のギャングのうちの1人よ……誰なのかは明確には分からない」
「話にならねえな……それにどうしてその男を狙ってる?「殺すため」に追っているとか言ってたな……そこまで言うんだ、相当の理由があるんだろうな」
「アバッキオ、よせ」
地面に座り込んだ私達に歩み寄ってきたレオーネが眉間に皺を寄せながら凄む。つい先程の出来事を思い出し、私が怖がるように肩を揺らせばブチャラティがレオーネを叱るように苦言を呈した。
「……祖父母が殺されたのよ……死因は「老化による衰弱死」!その日の夕方頃まで普通に生活していた2人が、同日に老死するなんて有り得ないじゃない」
「……つまり祖父母を殺したのがそのスタンド使いだと言いたいのか?」
「そう、私が狙っているのは「相手を老化させる能力を持つスタンド使い」!そしてそいつはスタンド使いを生み出す矢を持つギャング組織である「パッショーネ」の組員に違いないわ」
「可能性は十二分にあるだろう……だがどうするつもりなのだ?君のような観光客が名前も知らないギャングに辿り着くのは難しい。時間を無駄にするだけだと思うが」
「言い返す言葉もないわね……私も無謀な事をしているという自覚はあるもの」
そう言って力なく自嘲気味に笑みを作った私はゆっくりと立ち上がると、同じくして立ち上がったブチャラティと視線を合わせる。
繋がったままの2人の手に一瞬だけ目を配った私は一呼吸置いたあとに薄く釣りあげた唇の裏でうそぶくように言葉を紡いだ。
「ブチャラティ、もしも私が一般人じゃあなければ……同じ組織の構成員だとすれば……その男に辿り着く事が出来ると思う?」
「なっ……!」
この問いかけの返答次第では私が組織に入団しようと考えているのが分かったのだろう、ブチャラティが少しだけ目を見開く。
その傍らで話を聞いていたレオーネもまた、絶句すると次の瞬間には私の胸ぐらをつかみ無理やり視線を合わせた。
「名前!てめえふざけたこと言ってんじゃねえぞ……おじさんとおばさんがそんなことを望んでると思うのか?ギャングなんかと関わることを望んでるって思ってんのか?」
レオーネと私の身長差といえば20センチ以上はあるだろうかーーそう頭の片隅で考えながら私は彼の言葉にピクリとコメカミを痙攣させる。そんなことはレオーネに言われずとも分かっているのだ。今更何を言おうというのだ、お前にだってそう望んでいる人がいたっていうのに!
「〜〜ッ!うるさいうるさいうるさいうるさい!その手を離せ!レオーネ・アバッキオ!お前だってギャングのクセに!私になんにも言わないでどっかに行っちゃったクセにッ!」
レオーネの正論を快く受け止めるにはまだ心に余裕がない私は頭に血が上って彼の胸板を力いっぱい殴りつける。
私だってレオーネがギャングになると言うなら必死に止めただろう。だが実際彼は1人で勝手に決めて、勝手に文通を辞めてしまったのだ。友達なら本当は頼って欲しかったのに。
「……レオーネが私を頼らなかったように!私は貴方を頼らないッ!ギャングになって、復讐は1人で遂げる!今決めた……絶対に私はギャングになるッ!」
スタンドで自分の身体を分解し、レオーネの拘束から脱出するとすかさずブチャラティの隣に並ぶ。その間も眉を釣りあげて威嚇するようにレオーネを睨みつければ彼は盛大な舌打ちをこぼした。
「ブチャラティ、私いまからポルポの元へ行って試験を受けてくる……場所は知ってるわ。刑務所でしょ?」
「ああ……しかし本当に入団するつもりなのか?日本で仕事に就いているんだろう。国を跨いでの仕事の両立は出来ない、安定した今の仕事を捨てる覚悟は出来ているのか?」
「…… ……帰る場所があるなんて、そんな生半可な世界じゃあないわよね。故郷を捨てて生きていくしかないのよね」
私はブチャラティから視線を外して、レオーネによる奇襲より遠くに投げられてしまった紙袋に視線を向ける。
故郷をーー日本を捨ててイタリアでギャングとして生きていく。当然家族には言えない。職場にも、友人にも言えないだろう。
日本にいる友人だけではない……今私が着ている服の持ち主であるナランチャ君やフーゴ君にミスタ君。トリッシュにドナテラさん。ローマで出会ったドッピオ君。先日別れたばかりの康一君にも言えない。
(そうだよ……言えるわけがないんだ。ギャングになるなんて、友達になら尚更だ!私は、レオーネになんて事を……!!)
そこで私はようやく自分の失言に気づくとバツが悪そうにレオーネの方へ視線を向ける。しかし彼は銀色の髪で顔を隠していてどんな顔をしているのか伺うことは叶わなかった。
「でも……悪くないわ。私イタリア大好きだから。いつかこっちで生活してみたいとも思ってたのよ」
「名前……」
「ごめんなさい……これは大きな「決断」よ。偶然にもスタンドを与えられた瞬間からこうなるのは運命だったのかもしれない。もしそうなら、とにかく前に進まなくちゃ!って……そう思ったの」
だが、私もとうに覚悟は出来ていていた。いまさら意見を変えるつもりはない。
目じりに溜まった涙を指で拭った私はそう言ってブチャラティにほほ笑みかける。これからの人生に不安がないわけではない、むしろ怖いぐらいだ。
「……ポルポの元まで俺も同行しよう。フィガロの持っていた銃はポルポから借りた物だったらしいからな」
「ええ……分かったわ」
遠くに捨てられてしまった紙袋を拾い、肩にかけた私は先を行くブチャラティに倣って路地を抜けていく。そんな自分の後ろについて歩くレオーネに振り返った私は思い切り頭を下げた。
「さっきは本当にごめんなさい……冷静じゃなかった。貴方の立場になって考えれば私に言えないのも無理はないわ」
「……」
「許して欲しいなんて言わない。貴方の忠告を無視してギャングになろうとしているんだもの……怒って当然よ」
ゆっくりと顔を上げた私の視界に飛び込んできたレオーネは無表情。それに胸をじんと痛めた私は喉の奥がグンと締め付けられるような感覚に眉を寄せた。
「でも少し嬉しかった。おじいちゃんのこと覚えててくれてたんだね……私のことを考えて怒ってくれたのも嬉しかった。今も変わらずレオーネは優しいのね……ありがとう」
それでも私が口にした言葉は全て本心だった。私は自然と浮かんだ満面の笑みでレオーネにほほ笑みかけるとそのまま彼に背を向けて先を進むブチャラティを追いかけていく。
レオーネは今も昔も変わらず優しい男だ。荒い言葉遣いの中にも彼の昔と変わらぬ人となりが十二分に伺えた。
(だから……私もしっかりと前に進むんだ!私にしか出来ない事を、やらなくてはならない事を成し遂げるために!)
私は紙袋の中でキラリと光る銀色のチェーンにぶら下げられたシンプルな楕円形のペンダントを取り出すと自身の首元にかけてフックを留める。そして最後にもう一度、別れを惜しむように振り返った私は彼への愛情からとびきりの笑顔を浮かべた。
「Buona giornata(素敵な1日を)レオーネ!……きっと私たち、また会えるわ!」
じわりと燃える「情熱」のようなネアポリスの太陽を受け止めたペンダントは進むべき道を照らすようにその柔らかな光で私を包み込む。
10年前、イタリア語が分からなかった私にレオーネが告げた言葉……いつか私も貴方に伝えたいと思っていた言葉を伝えよう。
「── Ti Amo!!(愛してる)」
だから、泣かないでーーそう続けようとした言葉を飲み込んだ私は彼の元を離れていく。
ネアポリスの雑踏に飲まれるように路地裏を抜けた私はこれから始まる新たな人生への期待に顔を綻ばせた。