Buona giornata IF.PASSIONE②
私が自分の体をホイップクリームに変えたそのほんの数秒後、後を追ってきたブチャラティは袋小路へと足を踏み入れた。
今彼の目に写っている光景を代弁するならこうだろうーー右左にひとつづつ、人ひとり分の体積のホイップクリームが転がっている……そんな異常な光景だ。
そしてブチャラティは賢い男だ、片方は始末すべき女でもう一方は先程自分が隠れ蓑にしていた青年が泡立てられた姿だと理解しているのだろう。左右のクリームに視線を向けた彼は何か考え込むように唇を一文字に結んだ。
(ブチャラティの目の前でスタンドを見せたことはない。顔を戻した時も髪の毛で見えないように工夫していたんだから……)
どちらが私かなんて見破れる筈はないーーそう確信していたのに、迷うこと無く私のホイップクリームの前に立ったブチャラティがスタンドを構え拳を振り下ろす。どうしてなの、何故一目散にこっちに来るのだ?
「コズミック・トラベル!能力を解除しろッ!!」
ーーまずい、クリーム化している最中に殴られるのまずい!!
先日のフィガロの死因を思い浮かべた私は真っ青な顔でスタンドを解く。身体のありとあらゆる所を撒き散らして死ぬぐらいならブチャラティのスタンドに殴られてジッパーを取り付けられたほうがマシだ。
「…… …… ……?」
しかし、振り下ろされた拳は私の体に触れることはない。無意識のうちに固く閉じてしまっていた瞳を恐る恐る開いた私がブチャラティの方へ視線を向けると自身の眉間から数ミリのところで寸止めされた拳に目を奪われる。ブチャラティは元から殴り抜けるつもりなどなかったのだ。
「「スタンド」は「スタンド使い」にしか見えねえ……そして、自分のスタンド能力の恐ろしさを知っているお前なら確実に変身を解くと読んでいたぜ」
そう続けたブチャラティから視線を外すことなく、私はしりもちをついた身体を立て直す。ゆっくりとゆっくりと、様子を伺うようにして逃げるチャンスを探した。
「……まるで戦う前から私のスタンド能力を知ってたみたいな言い方をするのね。貴方に能力を見せた覚えはないのだけれど」
「そう感じるのも無理はない、実際に知っているんだからな……お前のスタンドは近距離スピード型だろう。射程距離も1メートル未満か?スタンドを出すのは決まって防御の時か俺に見えない所まで逃げてからのようだからな」
「まさか……本当に知っているなんて」
私は自身の記憶を辿っていくーー私がスタンド能力を使ったのは今の戦いを除いてたったの3回のみ。フィガロを殺害した時とその晩のホテルでの実験、今日の昼頃の中等部寮……この前述したどこかの現場にブチャラティが居合わせていたとでもいうのか?
(いいやそんな訳ない……!もしもブチャラティがフィガロとのやり取りを見ていたなら、きっと私を助けてくれた筈だ。もしくは殺害と同時に有無を言わさず始末していただろう。そしてホテルや何の関係もない中等部寮に潜入しているはずも無い……)
「ならどうやって?」と私は目の前の状況の打開策を練ると共に、彼が如何にして私のスタンド能力を調べあげたのかを考える。
だが真に優先するべきなのは打開策を見出すことである。私は右の手のひらを地面に着け、肘のバネで弾みを付けると勢いそのままに地面を蹴りブチャラティとの距離を取る作戦を決行した。
そして何とか身体を起こすことが出来たのもつかの間、私ではなく、私の傍に佇むヴィジョン目掛けて放たれたブチャラティのスタンドの拳がヘソの少し下の辺りにヒットする。
逃げることばかり考えていて無防備だった私の身体はその衝撃に耐えきれず落ちていた木箱や窓ガラスの破片の元へ吹っ飛んでいく。思いがけないダメージに咳き込んだ私の口から零れ落ちたのは真っ赤な血液。
私は生まれて初めて味わう痛みに恐怖を覚え、目じりに涙をためて身体を震わせる。
ーー怖い。本当に殺される。友人だと思っていたブチャラティに殺されるッ!
「……あっ」
そしてそんな私に追い討ちをかけるようにビキニライン上部に真っ直ぐに付けられたジッパーが開かれていく。胴体と足が切り離されるーーそう理解するも時すでに遅し、完全に分離してしまった両足を見た私は「ヒュ」と喉を鳴らした。
「これでもう逃げられない。観念するんだな」
両足は数センチ先に打ち捨てられ、左腕は今にも外れかけ。内蔵のどこかで出血したのだろう、口から血反吐を吐いた私の横で、私の魂のヴィジョンが同じように右腕だけを支えにブチャラティを見すえていた。
それでもたったの一つだけ、私と彼女には決定的な違いがあったーー目の前の私の分身は諦めてなんていなかったのだ。地面に転がったガラスの破片に反射して映る自分の酷い顔とは似ても似つかないほどの「闘志」に私は胸を打たれた。
「…… ……嫌だ……」
「何……?」
「観念なんて出来るわけない……私の「命」は!お前に奪えるほど安いものじゃあないッ!「コズミック・トラベル」!私を泡立てろ!」
そして啖呵切った私の身体が能力によってグルグルと分解されていく。こうなれば目じりに溜まった涙も何もかも全てが滑らかで甘いクリームに消えていくのだ。恐怖に震わせた肩も、口許を伝う血液も全部全部全部全部!
(思い出せーーインターネットや本で調べた人体解剖図を!分解しながら「組み替え」ろ!)
へそからが下が無い分いつもよりも早く分解を終えたコズミック・トラベルが泡立てながら組み替えていくのは左腕だ。取り付けられたジッパーは分解しても外れることはなかったが外れかけている分、いつもより数センチ腕が伸びていることに気づく。これを利用しない手はないだろう。
そして、左腕の「デコレーション」を完成させたコズミック・トラベルは作り上げたホイップクリームに大きな刺激を加え波を立てていく。それにより泡立てられなかったとある「金属」が流れ流れて右手のとある位置まで流れ着いた。
これでブチャラティを倒す準備は整った!
(分解してから準備の完了までの時間はおよそ8秒!……泡立てる体積の量が時間の短縮に繋がったっていうのもあるけど……)
コズミック・トラベルの本体である私には理由が明確に分かっていた。このスタンドの弱点は気温だ……本物のホイップクリームを作るのと同じように温度が低い方が泡立ちやすいのだ。
(なによりも幸運だったのはここが太陽の日差しが届かない路地裏だったってこと!そして泡立てるのに必要な「空気」の流れが周りを取り囲む飲食店の「ダクト」によって作られていること!そんな好条件が揃った場所だからこそ、ブチャラティに攻撃の隙を与える前に準備を終えることが出来たのだ)
事前に私の能力について学習していたらしいブチャラティも火事場の馬鹿力で発揮されたとんでもない速さの変身に少し驚いたようで「速い……!」と声を漏らす。しかし彼は直ぐにその表情を引き締めるとそのブルーの瞳で私を刺すように睨みつけた。
「何度クリームに変身しても無駄だと分からないのか?お前は俺からの攻撃を防ぐために必ず変身を解く……」
そして私を牽制するように自身のスタンドの拳を構えたブチャラティは確信したように言い放つ。私も今までならそう考えていただろう。だが今の私は違うーー自身のスタンドを、そして自分自身を信じ抜くのだ。
「……ブチャラティ貴方いま「無駄」だと言ったのね?いいわ、殴ってみなさいよ……貴方のスタンドの拳を!この私に向けて振り下ろしてみろォ!!」
それが出来れば決して勝てない相手ではない!ーー心の中でそう続けた私は左右の腕に神経を集中させる。
大量のクリームの中、変身を解除された右手首から上で同じくクリームに埋もれていたペンの金属軸を拾う。解除された外れかけていた左腕は右手首より下の筋肉や骨で補填し動かせる程度まで修復され、分離された自分の下半身のズボンのポケットから拳銃を引き抜いていく。
「スティッキー・フィンガーズッ!」
そしてブチャラティがそう叫んだ刹那、放たれる彼のスタンド「スティッキー・フィンガーズ」の拳に迎え撃つのは四肢欠損状態のコズミック・トラベルだ。
コズミック・トラベルが相手の右ストレートを頭突きで受け止めるもパワー比べとなると分が悪いようで次第に押し負けていく。
(早く勝負を決めなくては……!!)
拳を受け止めた額に亀裂が生じ、そこから左の耳の下まで斜めにジッパーが走る感覚に私は舌打ちを零す。視界まで奪われては勝ち筋がなくなってしまう、完全に見えなくなる訳ではないがやはり切り離された場所から見える景色では平衡感覚が大きくズレてしまう可能性がある。
(……だが、焦ってはいけない!反撃のチャンスは確実に来る!)
私は身体の半分のパワーを額に集中し、スティッキー・フィンガーズの拳を押し返そうと尽力する。そんな予想以上の抵抗にブチャラティはもう一押しというようにもう一方の拳を放つ為に1度右腕を引っ込めた。
「うおおおっ!今だッ!」
自分を鼓舞するようにそう叫んだ私は右手に隠し持っていたペンの金属軸をブチャラティめがけて手首のスナップだけで投げつける。
しかし、ブチャラティは1度くらった攻撃をもういちどくらうほどマヌケではない。飛んできた金属軸を咄嗟に払うと再び私のスタンドめがけて拳を振り下ろしたーー。
「そこまでよ!スタンドをしまいなさいッ!私が引き金を引くのと貴方のスタンドのスピード……どっちが速いでしょうね?」
「なにッ!いつの間に拳銃を……!」
私がそう叫んだ刹那、すんでのところでスティッキー・フィンガーズの拳が止まる。真っ直ぐに切りそろえられたブチャラティの前髪の裏できらりとした汗が1粒流れ落ちた。
「金属軸は貴方の注意を引きつけるためのものだったのよ……私のスタンド能力を知ってる風な口をきいてた割には「組み替える」時より「元に戻す」時の方が何倍も速く形成出来ることを知らなかったみたいね。3秒もあればあちこちに散らばった骨も筋肉も、元に戻すことが出来るのよ」
ブチャラティが金属軸に目を奪われているほんの数秒の間に私は身体の形成を終えていた。左腕に補填していた右腕の筋肉等は元の位置に戻り、その手にはしっかりと拳銃が握られている。そして身体のバランスを保つために胸から下はクリーム状のままだ。
「驚いたな……とても昨日スタンドが発現したばかりの人間とは思えない、スタンド使いとの戦闘の経験もないはずなのに」
ブチャラティはスタンドを戻すとまるで観念したように姿勢を崩した。それに安堵のため息をついた私は銃口をブチャラティに向けたまま木箱の中のクリームをあるべき所へ戻すと帰ってきた自分の長い髪に口の端をつりあげた。
「この外れかけた腕と下半身を元に戻して。このまま貴方を撃ってジッパーを取り外してもいいのよ……私のスタンドならどうにか出来るもの」
私の要求に特になにも答えることも無くただ静かにジッパーを消すとブチャラティは両手をあげた。私の左腕は元に戻り、下半身に取り付けられたジッパーもまるで元から無かったようにまっさら綺麗に消えてしまった。
「グラッツェ、ブチャラティ……でもね、私にはとにかく時間がないの。ここで捕まる訳にはいかないのよ……それと事故だったと言っても信じてもらえないかもしれないけど、私はあの男を殺すつもりなんてこれっぽっちもなかった。そこだけは勘違いしないで欲しいわ」
晴れて五体満足の体に戻れた私は木箱の中の荷物を回収しながらブチャラティに語りかける。勿論その間も銃口はブチャラティを捉えている。そして袋小路の唯一の出口に背を向けた私は1度深呼吸をしてからその暗い色の瞳を釣り上げて彼の瞳を覗き込んだ。
「質問よブチャラティ……貴方はギャングなのよね?貴方の所属する組織「パッショーネ」には何人スタンド使いがいるの?」
「……何故お前がそんなことを聞く?」
「答えになってないわ。質問してるのは私よ」
これは大事な質問だった。今回は運良くブチャラティに辛勝できたが次の刺客との戦いも同じく勝利できるかと言われれば自信はない。組織にとってこの「路地裏虐殺事件」が重大な問題になっているのなら志半ばで一時帰国もやむを得ない状況なのだ。復讐を遂げる前に死んでしまっては元も子もない。
しかし、質問に対するブチャラティの答えは沈黙。だが、外回りを行っているような末端構成員のブチャラティですらスタンド能力を持っているのだ「ポルポ」による矢の試練がすべての入団志願者に行われているのなら全構成員のうちの半数ぐらいがスタンド能力を持っていてもおかしくはない。そう考えれば、彼は「答えない」のではなく、「答えられない」のかもしれないと私は納得した。
「もういいわ。貴方には把握出来ない程存在していると解釈することにするから。それじゃあ質問を変えるわね、「スタンド使い」をつくりだす「矢」が何故パッショーネの手中にあるの?」
そうなれば必然的に気になるのはあの「矢」だ。日本でも同じものを見たと言っていた康一くんは「弓と矢」と呼んでいただろうか。彼曰く、弓と矢は複数本存在しているらしく既に何本かは空条承太郎等が信頼を寄せる「SPW財団」に保管されているらしかった。
スタンド使いをつくりだす危険な道具が危険な組織であるパッショーネの手元にあるのは非常に恐ろしいものである。適性者以外はたった少し矢で傷つけられただけで死んでしまうのだから尚更だ。
「スタンド使いをつくりだす矢……?まさか名前、お前「あいつ」の試験に巻き込まれてスタンド使いになったのか?」
「「あいつ」……?」
最早やはりとも言うべきか、ブチャラティの口から紡がれた言葉は私の求めていた答えではなかった。しかし、それ以上に引っかかる一言に私は思わず彼の言葉をオウム返ししてしまうーー「あいつの試験」?頭に過ぎるのはつい先刻まで一緒にいた彫刻のような美しい顔立ちの少年だ。まさか、彼とブチャラティに接点があったというのか。
「ブチャラティ!それってもしかしてーー」
ジョルノ・ジョバァーナ?そう続けようとした言葉は、右手に鈍く熱を持った痛みに掻き消された。
突如、後ろからやってきた男が銀色の髪を大きく揺らしながら私の手に握られた銃と右手首を掴んだのだ。ハッとしてすぐに抵抗するも、男との力の差で銃も手首も捻られ、銃口はめいっぱい下に向けられる。そして極めつけに私の右手指の骨を折ると、男はーーレオーネ・アバッキオは地面に音を立てて落下した銃をブチャラティの方へ蹴り飛ばした。
「レオーネ……ッ」
レオーネに手首を掴まれたまま、私はその場にへたり込む。突然の出来事に悲鳴を上げる隙もなく、指の骨を折られたことも身体は分かっているのに脳が否定している。
乱れた私の長い髪の隙間から僅かに覗く彼の黄昏色の瞳はいてつくような冷たいものだった。