「どういう能力なのかは分からない……けれどとにかくまずい!!私が誰かに追われる理由といえばたったひとつ!昨日の一件への報復のみ!!つまりブチャラティとレオーネは組織の人間ということ!!」
私は自身が滞在するホテルから数十メートル離れた場所にある雑貨屋のショーウィンドウを眺めるフリをしてチラリと宿泊している部屋の様子を伺う。そしてネアポリスの暖かな陽射しに長いこと晒された遮光性の低いグリーンのカーテンが僅かに揺れたことを確認し、彼等が私の部屋に侵入したことを理解する。
どうやって部屋に入ったのかは分からないが、ブチャラティ達がこの辺りを仕切るギャングならホテルの支配人も簡単に鍵を貸し出してしまうのかもしれない。
「……やはり昨日の「矢」のスタンドがスタンド使いを量産しているのね……ギャング組織『パッショーネ』にはスタンド使いが多すぎる!幹部のポルポにこれから入団するジョルノ、そして今の2人……」
私は雑貨屋を後にすると更にホテルから距離をとる。彼等は時機にホテルを出て再び私を追跡しに来るだろうーーそうなれば戦闘は免れない、少しでも私に有利な状況を作らなくてはならなかった。
(彼等はどうやって私の滞在するホテルを見つけたのだろう?それが分かれば戦闘を回避することも出来るかも……)
私は用心に用心を重ねるように最後にもう一度だけ自分の部屋の窓を見上げる。そして目に飛び込んできた光景にその身を硬直させた。
2階建ての小さなホテルの南向きの窓のカーテンが開かれているーーそこから顔を覗かせているのはブチャラティだーー……!!
「……ッ!」
目が合ったかもしれない、と私は目を伏せた。ブチャラティの青い瞳が私の暗い色の瞳とかち合ったような気がした……いいや、合ったのだと思わなくてはならない。
今のこの状況下で楽観的な思考は『死』に繋がるーー彼等が報復のために私を追ってきているのなら、確実に本気の2人との戦闘になるからだ。
(でも私はきっと2人を殺せない……例え彼等が私を本気で殺そうとしても……私は……)
弱音を飲み込み、あくまで平静を保ったまま私はその場を足早に離れていく。人混みに紛れて逃亡する私は肩にかけたバッグの持ち手をぎゅっと握りしめる。
不安な時、怖い思いをした時、必ず祈るように握りしめるペンダントには縋ることが出来なかった。
Buona giornata IF.PASSIONE①
私はホテルから数百メートル離れた所で振り返る。彼らがホテルから出てきて私を追跡している可能性がある以上、撒くとしたら幾つもの脇道のある「この通り」が最適であったからだ。幸いまだ2人の姿は見えない、脇道を通り、1本向こうの大通りへと逃げるには今がチャンスだろう。
「奇しくもここは昨日3人のチンピラに絡まれた通り……つまり例の現場の路地もすぐ側にあるッ!そこならネアポリスの裏道事情に詳しくない私にも多少は分かるわ」
昨日の記憶を懸命に思い出しながら路地へと足を進めた私は3度ほど屈折した場所にある例の現場を通り抜けていくーーすでに遺体は処理されているのだから当然なのだが、血痕のひとつも残っていないコンクリートの地面にどこかほっとした私はため息をついた。
「嘘……!この先って行き止まりだったの……!?」
そして、走り抜けた先にたどり着いた先の袋小路で私は悲観的な声をあげた。そうだ、私はこの路地の最深部には1度も行ったことが無かったではないか。勝手な思い込みで向かいの通りに続いていると考えるのは危険なことなのだと理解していた筈なのに!
(建物の屋根瓦の上に逃げるにしてもあちこちに打ち捨てられた木箱を組み合わせただけでは高さが足りない……!大通りに戻るべきか?いいや、もしもその瞬間に彼等に鉢合わせたら最悪だ!!)
こんな時ーージョルノならどうするだろうか?
不意に私の頭に過った疑問に私は息を飲む。彼なら……あの時「逆境」を「好機」に変えたジョルノならこの状況をどう乗り切る?
考え込み、腕を組む私の手元でカサリと紙袋が皮膚にこすれる音が響く。古着屋で買い戻したナランチャ君の忘れ物が入った紙袋だ。
「……これだ!この状況を乗切る方法はこれしかない!」
私はそう決意を口にすると早速ワンピースの背面のファスナーを下ろした。そしてすぐにナランチャ君の私服に袖を通した私はイヤリングを外して紙袋にしまうと拳銃とペンを抜き取ったバッグと共に空の木箱の中に隠す。
「……怖いけどやるしかない……ッ!ここを切り抜けられなければ私には明日は無い……!」
片隅に落ちていた窓ガラスの破片を手に取った私は反射して映る自分の強ばった表情にごくりと喉を鳴らす。隣に現れた自身のスタンド、コズミック・トラベルの表情からもなんだかナーバスな雰囲気を受ける。
「慎重にやるのよ……でも時間はない……!覚悟を決めなければ……」
自分を鼓舞するその言葉の後にコズミック・トラベルの手が私の「髪」に触れるーー毛先から順に泡立てられていく髪が、耳たぶの辺りまで白くなったと同時にそれを手で払い落とした。そう、足元に落ちたホイップクリームは先程まで私の髪の毛だったものである。無惨にも地に落ちたそれに物悲しく、じわりと心臓を握りしめられるような苦しみを覚えながらも再びガラスの破片に視線を向けると「ふう」と息を整えた。
そして目を閉じた私の「顔」に触れるのはコズミック・トラベルの両手。ぐにゃりと顔が崩れていくのが分かるーーとにかく今はどんなに醜い姿に変身しても構わない、レオーネにも、ブチャラティにも気づかれない様な顔に生まれ変わる必要があった。
(まさかこの私が女の命である「髪」と「顔」を捨てるとは思わないでしょう……そう、私には明日を生きていかねばならない理由がある!その為なら髪も顔も安いものよ)
再び目を開いた私の目に飛び込んできたのは今までの自分とは似ても似つかない女の顔だった。私のスタンドは精密な動作が苦手なようであまり端麗な容姿とは言えないが変装には充分だった。
そして地面に落ちたホイップクリームもまとめて木箱の中にしまえば私がこの路地にいた痕跡はほぼ消える。
これでブチャラティたちをやり過ごし、戻ってきて荷物を回収する……これで彼等との戦闘は免れられるはずだ。
(あとは堂々と表の通りに戻る……!たとえ2人とすれ違っても反応を見せてはならない!)
最後にガラスの破片をパンプスの踵で砕いた私は平静を装い来た道を戻っていく。一回りほど大きなナランチャ君の服が今は頼もしいーー縋ることの出来ない首元のペンダントよりもずっとずっと。
「わっ…… ……!」
「痛ぇな……気ィつけろ!このクソガキッ」
「…… …… ……」
ーー……一体何の因果なのだろうか、と声をかみ殺した私の頬を汗が滑り落ちる。偶然見知らぬナポリっ子と肩がぶつかったのは表のリストランテのダクトの音がよく響く例の路地だった。
慌てて頭を下げたのが功を奏したのか、特に絡んでくることも無く先に続く袋小路へと足を進める地元の不良に私は安堵から小さく息をつく。
そして先を急ごうと足を前に出したその時、コツリと足元で私のボルドーのパンプスが小高いを音を奏でるーーそのほんのわずか小さな物音がやけに大きく聞こえた私は、ほぼ無意識のうちに身体を転回させスタンドを構えた。それはスタンド使い故に感じる『第六感』のようなものだったのかもしれない。
「なんですって……!?」
そしてそれは結果として大正解だったのだ。
突然現れた青と白を基調としたスタンドの拳に体勢を崩した私はよろめきながらもしっかりと相手を見すえる。その力強さから単純なパワー比べではこちらの劣勢であることは容易にわかった。
「見つけたぜ…… 苗字 名前。髪を切り、顔まで変えるとは見上げた根性だが……詰めが甘いな」
「ブチャラティ……!!」
そして、先程すれ違った地元の不良の背中に不意に現れたジッパーから這い出てきた男の姿に私は盛大に顔を歪めた。
真っ直ぐに切りそろえられた艶のある黒髪から覗く海のように深い青色の瞳が私を鋭くとらえている。1度は食事を共にした彼とこんな再会になろうとは運命とは本当に残酷なものである。
(これは……!さっきの拳を防御したコズミック・トラベルの左腕に何かが……「ジッパー」が取り付けられている!)
しかしそんな悲観的なことばかり考えている場合ではない、すでにスタンドバトルは始まっているのだ。拳を防いだコズミック・トラベルの左肘に取り付けられたジッパーが音を立てて開かれる。
そして当然スタンドが受けた攻撃は本体である私にも返ってくるーーみるみるうちに外れかけてしまった自分の左腕に、私は卒倒しそうになるのを必死にこらえた。
「お互いに知っている仲だが自己紹介しよう……俺の名はブローノ・ブチャラティ。昨日の夕刻、この路地裏で組織の人間がバラバラにされて殺されたんで犯人を探してるんだ……」
「……」
「フィガロという男だ。この先の最深部で麻薬の取引をやってたゲス野郎でな……だが、そんな野郎でも一応は組織の人間だからな。ボスは一日に2人も殺られて相当頭にきてるらしいのさ」
私はブチャラティの話の内容に内心首を傾げたーー「1日に2人」?私以外にも誰か組織に反旗を翻そうとしている者がいるというのだろうか。
私は考え込むように俯くと自身の顔に手を当て顔の形を整えていく。どうやらこのスタンドには多少の「形状記憶」があるようで1から作りかえる時より、戻す方がスムーズに素早く整えられるらしい。
「その通り……ここでその男を殺したのはこの私。それで?ボスの為に私を殺すの?」
そして元に戻った私の顔でブチャラティを睨みつける。見つめた先の彼の表情は最初にあった時のような優しげなものではなく、私は思わず涙が出そうになるのをぐっと堪えた。けれどきっと自分もまた、初めて会った時よりも酷い顔をしているのだろう。
「ううん、やっぱり答えはいらない……聞きたくないもん。聞いてしまえば悲しくなってしまうから……」
私は自嘲気味に笑うと無事に動く右手でポケットの中のペンの蓋を開けブチャラティに向けるーー……鋭く尖った金属軸に彼の眉間には深い皺が刻まれた。
「そんなペン1本でどうするつもりだ……それとも能力を隠し通して勝てるほど自分の腕に自信があるのか?」
ブチャラティの挑発を無視し、心の中で「3秒前ーー……」と、カウントダウンを取り始めた私はゆっくりと息を整える。足はいつでも飛び出せるように前後に開き、構えた右手は決して降ろさず指先でペンを回す。外れかけた左腕はそのままだ。
そして、カウントがゼロになった刹那、私はブチャラティ目掛けて飛び込んでいく。私の体勢から、突っ込んでくるのは予想の範疇だったのだろうーー自身のスタンドを構え、攻撃の姿勢をとったブチャラティに私は口許を釣り上げた。
「うおおおお……ッ!」
無意識のうちに咆哮を上げた私はブチャラティへ向けてペンを振る。しかしそれは彼の皮膚にかすりもしないーー理由は明確、私とブチャラティの間には2メートルほどの感覚があったからだ。
だがーー振るわれたペンから漏れ出た「インク」は彼の顔面を直撃していた。
そう、私は最初から金属軸で彼と渡り合おうとしていた訳ではなく、この尾栓を開けた先に飛び出す真っ黒な「インク」でブチャラティを出し抜こうとしていたのだ。
スタンドはスタンドでしか攻撃できない……言い換えるなら「スタンド」では「インク」を防ぐ事はできない!!つまりブチャラティの前で構えていた青いスタンドは形無しとなったのだ。
(……だがここで慢心してはならないッ!)
私は姿勢を崩したブチャラティの真横を通り抜けると来た道を戻っていくーーつまりあの袋小路へと足を走らせたのだ。大通りへと続く道はひらかれていたというのに。
(ブチャラティは1度として大通りへの道を塞ごうとはしなかった……つまり出口には仲間であるレオーネが待ち伏せている可能性が高い!)
後ろから私を追うブチャラティの革靴が地面を蹴る音が響く。追いつかれる前にブチャラティを倒す算段を練らなければ!彼は2度同じ手が通じる相手ではない。
そうして考え込んでいるうちにたどり着いた袋小路に居たのは先程肩がぶつかった地元の不良。なぜこんな所にこの青年が来たのかは分からないが腕に付けられた幾つもの注射痕から「いまここで暴れられたら不味い」と瞬時に判断した私は男を泡立てていく。
「ホイップクリームに決められた形は存在しない……」
そして物言わぬ真っ白なホイップクリームへと変貌した男を見てとある「打開策」を見出した私はひとりでに頷き決意を固めると自身の胸に手をあててその身体を分解し泡立てていく。
この戦いーーまだ勝機はあるッ!!