「話はここまで。 僕はもう出るからな…… 名前もホテルに戻るといい」
「うん……ありがとねジョルノ。これだけ知識があれば私もヤツと戦えるはずだわ」
ジョルノはキリのいいところで話をやめると外出の為に準備を開始する。卓上に置かれた時計の針は14時を過ぎ、あと半周もしないうちに15時を指し示そうとしていた。もうタイムオーバーらしい。
「名前はあと何日イタリアに?」
「……観光ビザで来てるから滞在出来るのは長くて2週間かしらね。ちなみに昨日の夜会社に連絡して「パスポートの再発行手続き」で時間がかかって日本に帰れないって嘘ついてきたの。だから仕事についても問題無しよ」
ライターを片手に慎重に歩くジョルノに倣い静かに私も立ち上がり部屋を出る。もしここでライターの火が消えたなら、また例のスタンドと戦闘になってしまうのだから慎重になるのも無理はない。
「僕は名前の目的を否定はしないーーだが君のターゲットが僕の「夢」の実現に必要な人だったなら……その時は容赦は出来ない」
不意に隣を歩くジョルノから紡がれた言葉にどきりとした私はゆっくりとその言葉の意図を噛み砕いていく。
ジョルノの夢ーーギャグスターになる夢……ギャングスターがなんなのかもよく分からないが彼は組織を乗っ取ろうとしているらしいのだ。
「それはお互い様だわ。私の目的を妨げるヤツは誰だろうと許さない……例えジョルノであってもね」
もしもジョルノが組織の長になる為にあの冷酷無比の殺人鬼の力を必要だというのなら私は迷いなくジョルノを倒すだろう。
スタンドという圧倒的な力を利用し、無関係な一般人を殺めるような男の手を借りて成り上がったジョルノが治める組織など有害以外の何ものでもない。
「それじゃあ私はホテルに帰るね……きみに売っぱらわれた服も取り返さなくちゃあならないし……」
「…… ……じゃあ僕もこれで。無事を祈っておくよ、名前」
「ええ!「Buona giornata」ジョルノ!貴方も頑張ってね」
Buona giornata IF. COZMIC TRAVEL③
同日の昼下がりのこと。白いスーツに身を包んだ男ーーブローノ・ブチャラティはサンタルチア地区のとある通りで人を待っていた。
日中はそこそこ人で賑わうこの通りは夕刻頃になれば人通りが減り、あちこちに延びる細い路地の多さから知る人ぞ知る「クスリの取引現場」として名を馳せる場所であった。
「来たかアバッキオ……早速だが時間が無い、歩きながら説明しよう」
そしてそんなブチャラティと待ち合わせていたのは銀色の長い髪を風に靡かせる大男、レオーネ・アバッキオ。アバッキオはその黄昏色の瞳を伏せながら先を歩くブチャラティに続いて1本の路地に足を進めた。
「今日の朝話した通り、サンタルチア地区のこの路地裏で組織の人間が何者かに殺された……この先の袋小路にいた「薬の取引き」をしていた少年は「大きな物音がしたから様子を見に行く」と言ったきり戻ってこなくなったと話していたーー……」
ブチャラティは乱雑に積まれた木箱や辺りに散らばる折れたパイプなどに目もくれず目的地へと機械的に足を運ぶ。後に続くアバッキオの表情は険しい。
「その殺された男の名はフィガロだったか……今朝のミーティングでフーゴの奴が言っていたがそいつは顔と言動だけは一丁前だが心の中はいつも怯えてる「小心者」らしいな」
アバッキオは今朝フーゴが語ったフィガロについてのエピソードをいくつか思い浮かべる。やつが野良猫に向かって吠えたチワワ相手に発砲したという話はかなり有名らしい。
「ああ……以前からこの通りでそいつが麻薬を売り捌いているという情報があってな。フーゴに少し調べてもらっていたんだ……お前が聞いた通りフィガロは小心者で常に「拳銃」を携帯している……だが、遺体発見時の荷物の中にそれは見当たらなかった」
「盗まれた……という風に捉えていいだろうな」
「……銃が盗まれたのも大事だが、そもそも遺体の状態からして異常だった……骨は砕け散乱し、筋肉の繊維もズタズタ……まるで人間を1人まるごと「ミキサーにかけた」ような状態だったのだ」
ブチャラティは言い終わると共に足を止めてアバッキオの方に振り向く。どうやら現場に到着したらしい。
フィガロが殺されたのは例の大通りから脇道に入り、3度ほど屈折した場所にある路地だった。表通りにある大きめのリストランテのダクトの音がよく響く静かな場所だ。
「だが……俺が一番最初にここを通った時、目に飛び込んできたのは散乱した血肉ではなかった」
「なんだって……?ブチャラティが通った時はまだフィガロの野郎は生きていたのか」
「いいや、それも少し違うな……ヤツは確かにこの場所ですでに殺されていた。だが、フィガロはその時その身体を『ホイップクリーム』に変化させられていたんだ!」
アバッキオはほんの一瞬、何を言い出すんだーーと口を衝きそうになりながらもその言葉を飲み込む。目の前の男はこんな時に冗談をいう男ではない。
「異常であることは分かってはいたが俺は「それ」を無視して奥へ進んだ……俺にはそれが本物のクリームにしか見えなかったからな。それよりも奥にいる筈のフィガロの麻薬の取引現場を押さえることのほうが先決だと思ったんだ。」
「そしてそこにいたのがさっき話に出てきたガキか……」
ブチャラティ曰く、この道を進んだ先にある袋小路が麻薬の取引の現場だったようで、フィガロと取引をしていた少年は犯行が起こったと思われる間もそこから1歩も動いていなかったという。また、彼が到着する前も後も、発砲音や言い争う様な声は聞こえなかったとも話していたらしい。
「ああ。それで俺はこの路地を抜けようと大通りに向かう最中に「遺体」を発見した……さっきまでホイップクリームが散らかっていたこの場所が無惨な殺害現場に変わり果てていたんだ」
「……犯人はスタンド使いか?」
「俺はそう考えている」
アバッキオの問に瞬時に答えるブチャラティの表情は険しい。これは組織の人間が殺されたから……というよりかは犯人の側になにか心当たりがあるのだな、とアバッキオは悟った。
「しかしブチャラティ、なぜその死体がフィガロのものだと分かった?骨まで砕けるほど体中を滅茶苦茶にされていたなら所持品のひとつも残っちゃあいないはずだぜ」
「……確かにフィガロの身につけていたスーツや鞄は身体と同じようにバラバラになっていた。だが、その中でとある種類の装飾品だけは傷一つない状態で辺りに打ち捨てられていたんだ」
ブチャラティがそう言って取り出したのは金色のブレスレット。2つの楕円形のリングの間に円形のリングを3つ挟んだ形のそのチェーンブレスレットはまるで新品同様ーー全身がバラバラになった死体と共に転がっていたとは思えないほどに綺麗だった。
「金属……おそらく金属類はホイップ出来ないのだろう。このブレスレットに彫刻されていた名前からフィガロの身元は判明した。他にも鞄についていた金具やヤツの持っていた弾丸……とにかく金属類は全て元の状態のままその場に転がっていた」
「なるほどな……だから犯人は拳銃を奪うことが出来たという訳か」
「そう考えていいだろう。それに弾丸の回収まで行わなかったのは犯人がそこまで頭が回らなかったからだ……突発的な犯行だった筈だからな」
「……?待ちな「突発的な犯行だった筈」だと?」
ブチャラティから紡がれた言葉にアバッキオの眉が顰められた。まるで犯人の人となりや犯行の瞬間を知っているかのようではないかとアバッキオは目の前の男の青い瞳を捉える。
「……アバッキオ「ムーディー・ブルース」で『再生(リプレイ)』してくれ……時刻は昨日の17時50分頃だ……俺はこの数分後にこの路地から逃走する「犯人」を目撃している」
アバッキオは自分の質問に答えないブチャラティにほんの少しの不満を覚えながら彼の指示通りに自身のスタンド『ムーディー・ブルース』をその場に呼び出すと『リプレイ』を開始した。紫色の、のっぺりとした身体が特徴的なそのスタンドの額には日付と時間を表示したディスプレイが取り付けられている。
そしてその時間表示が「今」を表していたのもつかの間、アバッキオの指示を受けた途端に表示されていた時間が巻き戻っていくではなないか。
30秒もかからないうちにディスプレイの時刻が昨日の17時50分頃を指し示すと次の瞬間、ムーディー・ブルースの紫色の身体が形を変え、暗い色の髪を下ろした女の姿に変化していくーーボルドーのパンプス、小さなバッグ、耳元で揺れるレモンと雫を模したイヤリング……黒地に白い水玉が映えるノースリーブのワンピースに首元にちらりと見える銀色のチェーンのペンダント。
「……なッ」
「『コズミック・トラベル』……」
アバッキオが自身のスタンドが変身した女の姿に声を上げそうになったその時、その声はムーディー・ブルースが「再生」した言葉に遮られる。
「私の名前……ううん、もう1人の私の名前よ!!「コズミック・トラベル」!この男を攻撃しろッ!」
何者か(おそらくフィガロだろう)に右腕を引っ張られていたのだろう女がそう叫ぶと、次第にそのピンと張った腕が拘束から逃れられたように曲がっていく。その視線も斜め上から足元へと動き、まるでそこに居た何者かが溶けて足元に崩れ落ちたようではないか。
「……え?何これ……?」
目の前に広がる何かに顔を青ざめた女が足元へ視線を向けたまま後ずさる。顔中に汗を浮かべるその表情は何が起きたのかまだ理解出来ていないようだ。
「それに……やっと姿を見せてくれたわね、コズミック・トラベル……」
そして足元から視線を逸らした女が次に見つめたのは自身の隣の虚空。その口ぶりからしてこの女の「スタンド」なのだろう。アバッキオは何も言わずにブチャラティに目線を合わせると彼もまたこくりと頷いた。
「彼女の名前は苗字 名前。この国には旅行で来ているらしい日本人だ……1週間ほど前にネアポリスで出会って食事をした事もある」
「……「苗字 名前」か。前にナランチャ達がヴェネツィアで会ったと話していた女だな?まさかあんたまでこの女と面識があったとはな」
アバッキオはほんの3日前にナランチャ達が話していた内容を思い出すーー……ヴェネツィアの運河で溺れていた女を保護しただとかそんな話だった。しかも前日フィレンツェ行きの列車でミスタとも会っていたというのでアイツらが騒いでいたのも記憶に新しい。そして勿論、自分もまたその更に前日に偶然の再会をしたこともーー。
「とにかくここを早く離れなくては!何時までこの男をクリーム化出来るか分からないもの…… …… ……ってあれ、よく見てみると泡立てられてない物もあるみたいね」
不意に言葉を発した苗字 名前にアバッキオは思考を中断する。その場を離れようとした名前は「クリーム化」したフィガロのいる位置に何かを見つけたのか近づくとしゃがみこむ。
「金属類はホイップクリームには出来ないのかしら。でも一見しただけじゃクリームに埋もれて分からないものね……」
そして名前が親指と人差し指で摘むように持ち上げたのは何らかの金属。「リプレイ」しているのは「苗字 名前」本人だけの為、その金属が何なのかブチャラティ達には見えなかったが恐らく例のチェーンブレスレットであることが伺えた。
「彼女がスタンド能力を身につけたのはつい最近のことだろう。銃を持った男を撃退できるだけの力があったならヴェネツィアの一件と辻褄が合わないからな」
「ああ……それにこの女の言葉の端々からもそれが伝わってくる。自身のスタンドを見たのも能力を使ったのも初めてのようだ」
ヴェネツィアの一件ーーブチャラティが話すのは先述した運河で溺れかけていた事件のことである。その一件には苗字 名前が街の不良に付け回されていたという背景があるのだ。
確かに彼女が4日前、ヴェネツィアを訪れた際にすでにスタンド使いだったなら街のチンピラ相手に逃げ回る必要は無い。
「……あった!貰っていこう……アシがついたら不味いけど、これがあればかなり心強いわ」
そして、不意に何か思いついたかのように足元に手を伸ばした名前はそこに広がるクリームを素手で掻き分けていく。そして目当てのものを拾い上げた名前はそれを慎重に鞄の中にしまうと共に走り出した。この路地から逃走する気なのだ。
「ここで拳銃を奪ったんだな……アバッキオ、ムーディー・ブルースはそのままだ。このまま追跡するぞ」
がむしゃらに逃げていく苗字 名前を見失わないようにブチャラティとアバッキオはその後に続く。前を走る彼女の長い髪が揺れる姿にアバッキオはその表情に影を落とした。
「あのバカ……なんでこんな事に巻き込まれてんだよ……ッ」
眉間に深い皺を作ったアバッキオが呟いたそんな言葉は、隣を走るブチャラティには届いていなかったのかそのまま空気に溶けていく。
そうーーブチャラティを含むチームのメンバーには話していなかったがこの男、レオーネ・アバッキオもまた苗字 名前とは交流があった。
それも「旅先の列車で隣の席だった」なんてものではなく10年以上前にひょんな事で出会い、そこからずっと数年前までは手紙のやり取りまでしている程の仲だったのだ。
「アバッキオ、彼女がホテルに入るぞ。もしかすると名前が今部屋にいるかも分からねえ、部屋の特定が済んだら1度スタンドを戻すんだ」
「ああ……分かったぜブチャラティ」
そうこう考えているうちに、ムーディー・ブルースがリプレイした苗字 名前は古びた雰囲気のホテルに入っていく。迷いなくその後を追うブチャラティに続いてアバッキオもまたホテルの扉をくぐった。
「……い、今のは……レオーネとブチャラティ……?ううん、それよりも……彼等の前を走っていたのは……私?」
そしてーーそんな彼等の姿に息を飲んだのは近くの建物の影に姿を隠した本物の苗字 名前。ジョルノと別れ、古着屋でナランチャの服を買い戻した彼女は自身の宿泊するホテルに戻ってきていたのだ。
「いいや、きっと違う……あれは私ではなく2人のうちのどちらかのスタンド能力!私を追ってきているんだ……彼等には私を追う理由があるのだわ!!」
スタンド使いとして、急激に知識を身につけた名前は突然現れた「もう一人の自分」にそう結論づけるとホテルとは逆方向へ足を向けて走り出す。そんな彼女の声色は僅かに震えていた。