サンタルチア地区にある寂れたホテルの一室で私は悲鳴をあげた。
それは窓の向こうで青い海に反射した太陽が柔らかな光を放つ朝のこと。グリーンのカーテンの隙間から入り込んだ淡い光は年季の入った白いフローリングをいつもより素敵に魅せていた。
「に……肉が詰まっているッ!ここは昨日の夜、拳銃についたホイップクリームを拭き取ったタオルを洗った洗面台!!ま……まさか!そんな事が……」
私は洗面所を飛び出すと備え付けのテレビの電源をつける。朝の早い時間ということもあってかすぐに表示されたニュース番組を固唾を呑んで見つめるも、それらしいニュースは流れてこない。
「……つまり私が攻撃した人間は裏社会の人間ということ!!そして「死体」の第一発見者もまたそのお仲間だ……!!警察に知られる前に遺体を「処理」出来るのはそういう奴らに違いない!」
すぐにワンピースに袖を通し、鞄を肩に掛けた私は拳銃をそっと鞄の奥底に仕舞う。
現場を見に行くべきだろうか……?いいや昔から「犯人は現場に戻ってくる」と言うだろう、きっと近くには組織の人間の手がすでに回っている筈だ。
私はホイップクリーム状に変化した「男の身体」を掻き分けて銃を探したのだ。そして僅かに拳銃に付着したホイップが時間経過で血肉へと変化を遂げたというのなら……ここから先は口に出すのも恐ろしい。
「とにかく今は当初の予定通りジョルノの元へ行こう……!二度とこんな悲劇を起こさないためにも……」
場所は変わってーー私は再びネアポリス中等部寮に来ていた。早速我が物顔で敷地内に入り、昨日康一くんが窓から顔を覗かせていた部屋へ向かう。
ジョルノの事だ、入団試験のライターの火を監視する為に学校など休んで部屋にいるのだろう。扉をノックすれば、やはりと言うべきか「なんですか?」と心底嫌そうな返事が返ってくる。
「私よ、苗字 名前。スタンドについて話を聞きたくて来たの」
すると、予想に反してすぐに開かれた扉から金色の髪とターコイズブルーの瞳が美しいジョルノが顔をのぞかせる。少し困惑したような顔のジョルノは渋々といった様子で私を部屋に招き入れるとベッドサイドに置いてあった赤い1人がけのソファを差し出した。
「急にごめんなさい、どうしても聞きたいことがあって……君のことだからこの時間なら部屋にいるかなって」
「……貴方なら構いません。それにスタンドに関することなら尚更だ……」
私はジョルノから缶コーヒーを受け取るとお礼を告げて部屋全体に視線を移す。4.5畳ほどの小さな部屋だが学生寮の部屋としてならば充分だろう。
「あのね、ジョルノ。康一くんにも言ったけど、スタンド使いになった事で嫌な思いとかしてないから……責任感じられても困るわ」
「……だが、貴方が助かったのは偶然と言ってもいい。もしかしたら名前さんもあの清掃夫のじいさんの様に死んでしまうかもしれなかったんですよ」
「それに名前「さん」ってものやめてよね。敬語もいらない」
何か言いたそうなジョルノが私の言葉に口を噤む。私は別にジョルノと口喧嘩しに来た訳では無い。寧ろ逆だ、ここまできたら彼に全てを話すほうが都合がいい。
「私はジョルノを信頼してる。君と私が出会ったのは運命よ……ギャングスターを目指す君と「とあるギャング」を殺すためにイタリアに残った私が出会ったのは!!」
Buona giornata IF. COZMIC TRAVEL②
「今、なんて言った……?」
「私は1人のギャングを殺すためにイタリアにいると言ったのよ。これは康一くんにも話してないトップシークレット……君に話したのは私がスタンドを得て「いい思い」をしていると理解して貰いたかったから」
私はベッドに腰掛けたジョルノの横に置かれた小説に目を向けるーー「レ・ミゼラブル」だ。私も学生時代に読んだものだ……途中で挫折してしまったのだけれど。
「狙っている男は間違いなくスタンド使い!だから私もヤツに対抗する力が必要だったのよ……勿論「矢」の存在なんて知らなかったから全ては偶然だったけど、結果として私は見事対抗する術を身に付けた!それが「全て」なの……だから私はジョルノに感謝しているし、信頼もしてる。君のスタンド使いとしての強さと「正義の心」をね!」
なんといっても康一くんからの受け売りだもの!と続ければジョルノは納得したように肩を落とす。
私の言葉は本心だった。無関係な人間を巻き込みかねない試験を出したのはギャング組織であってジョルノではないのだと分別がついていたのだ。
「ジョルノには私のスタンド能力の全てを教える……だからお願い、私にスタンドバトルの基礎を教えて!『コズミック・トラベル』!」
そう叫ぶと同時に私の隣にスタンドが現れる。ジョルノの視線がヴィジョンを捉えたのを確認してから私は自身の右手を左腕に這わせていくーーすると私の動きに同調するようにコズミック・トラベルは私の左腕に手を這わせるとその手を目に追えぬほどの速さで回転させ、身体中のタンパク質や脂質を分解し泡立て始めていった。
「ストップ!止まれ、コズミック・トラベル……そこまで……ッ!」
指示を飛ばすと同時に回転をやめたスタンドが私の腕だった部位から手を離す。どうやらこのスタンドは私の半径50センチの間でしか活動出来ないようで、常に寄り添うようにして立っている。
「スタンドの腕がハンドミキサーのように回転し、名前の腕をホイップ状に変化させたのか……!回転を始めてから角が立つまでの時間はおよそ30秒!身体を分解し生クリーム状にするまでの時間ならたったの10秒だ!」
そう叫ぶジョルノの視線の先には純白の滑らかなホイップクリームへと変貌した私の左腕が写っている。上手く力加減しなければ全身が生クリーム状になってしまう様だが如何せんスタンドのスピードに私がついていけない。
「ねえ、身体の仕組みが載ってる本とかない?……筋肉や骨の名称が事細やかに書かれてるやつね」
「……保健体育の教科書でよければあるけど」
「十分だわ。グラッツェ……うーん、なるほどね……」
私は教科書の図面を見ながら唸るとスタンドに指示を出していく。昨日の夜、1人で実験した時は左足で試したのだが、腕でも上手くいくだろうか。
「今の私の腕は、この図で言うと「上腕二頭筋」まで泡立てられているの……じゃあまずは肘関節、上腕骨小頭、尺骨神経溝、上腕二頭筋腱膜を滅茶苦茶にしてみましょう……きっと驚くものが見れるわよ……ッ!」
再びコズミック・トラベルが私の左腕部分に手を添える。そしてその白くて長い指で私の指示通りにクリームを掻き乱していき、やがて完了と共にホイップ化を解いた。ホイップクリーム化した身体を元に戻すには、私自身が解くように指示を出すか、時間経過で戻るようだ。昨日の実験の結果通りなら20分程度だろうか。
「私の左腕……おかしな所はないかしら。触ってみれば一目瞭然よ」
「……関節が全く逆の向きについているのか?腕が内向きではなく、外向きに曲がるぞッ!」
「関節近くの骨や筋肉も逆向きになるように調節したからスムーズに動かせるでしょ?まあ、痛みを消すために神経を滅茶苦茶にしたから自分の意思じゃ動かせないんだけどね……」
私はもう一度左腕を泡立て、図面を頼りに筋肉などを修正していく。医学生でもない私には見本がなければ上手く修正できる自信はないが、なんとなくスタンド能力の補助もあってかスムーズに元に戻すことが出来た。
「これが私のスタンドの全て……!見ていて分かるように射程距離はほんの50センチほど。私自身の腕が相手の身体に触れないと能力を発揮することすらできない短所があるスタンドよ」
「……だが名前のスタンドにはそれが霞むほどの長所がある!圧倒的なスピードも然る事ながらやはり特筆すべきはその「能力」だ。1度捕らえることが出来ればほぼ勝利は確実と言ってもいいだろう」
見事に修正できた左腕の動作確認をしながら教科書をジョルノに手渡す。綺麗に使われていて無駄な折り目やヨゴレのひとつ付いていないところが彼らしいなと感心する。
「褒めてくれてありがとう……だけどね、この能力を上手く扱えるようになるのはもちろんのこと、スタンドバトルの基本について知ることも必要だと思うのよ。相手が熟練のスタンド使いであるなら尚更ね」
私は先日の影のスタンドとの戦闘を思い出す。ジョルノと康一くんに迷惑をかけてばかりで何の役にも立てなかったあの戦いだ。
それぞれのタイプのスタンドに適した戦い方を理解しなくては今後の戦いで勝利を得ることは不可能に近いだろう。
「……僕の知っている限りのことは答えよう。だけど話は一旦止めだ……もうすぐ昼食の時間だからな」
「…… ……え?」
しかし不意にジョルノの口から紡がれた予想外の言葉に私は目をまん丸にする。この国では昼休みは本屋だってブティックだって休むというが彼もまたそうだというのだろうか。
「意外そうな顔をしているから教えてあげるけど僕は普段から食事の時間をきっちりと設けるタイプじゃあないぜ」
「あはは……顔に出てた?」
「まあね。昼食の必要性は3つある……健康管理に気持ちの切り替え、そして食事を共にする相手とのコミニュケーション構築に最適なんだ」
ジョルノはチェストの上に置かれたパンを1つ手に取ると私に手渡す。受け取ったパンは一般的なチャバタで小麦の甘い香りが鼻腔をくすぐる。食の好き嫌いが激しそう(偏見だが)なジョルノが買い置きしているほどのチャバタなのだ、きっととびきり美味しいのだろうと勝手な推測をした私はごくりと唾を飲み込んだ。
「あまり気分のいい話ではないだろうが聞かせて欲しい……!名前のようなギャングとは無縁な者がどうして組織の人間に恨みを持っているのか……」
「……!」
やれやれ、どうやら上手く誘導されていたらしいーーと、私は目を伏せた。気持ちの切り替え?コミュニケーション構築の場?そんなのは張りぼてで、質問するのはこちらのはずだったのに自然とジョルノからの質問に答える形に切り替えられている。
(ここで無意味に言葉を濁していても時間を浪費するだけだわ…… 正直に話してスタンドバトルの基礎の話に早急に切り替えていきましょう。それに私はこういう抜け目ない人こそ信頼出来ると考えている節がある。康一くんからの受け売りだからではなく私の意思でジョルノを信頼しようとしているのだ)
カポ、という可愛らしい音を立てたプルタブが私の指に圧されて水平に保たれる。飲み口から僅かに見えた透明度のある焦げ茶の液体から微糖コーヒーであることを見破った私はそれを呷った。
「いいわよ。昨日は君のことをたくさん聞かせてもらったし……」
15時にはポルポのいる刑務所に向かうと聞かされていた私はすぐに話を切り出した。6日目のサルディニア島でのことや祖父母のことーー電話越しに空条承太郎に告げた内容とほぼ同じことを話したと思う。
「ーーそして昨日私はスタンド使いになった……君の「おかげ」でね。ジョルノのおかげでこの普遍的な「旅」は特別で「広大なもの」になったのよ」
私はジョルノの制服のテントウムシのブローチに目を細める。
テントウムシと言われていの一番に思い浮かぶのはその丸い可愛らしいフォルム……の下に隠された羽のメカニズムだ。
あの小さな鞘翅の中に、強くてしなりのある後ろ羽を仕舞う「複雑な折りたたみ」を成し遂げるテントウムシの技術は今現在、ロボット工学や機械工学、宇宙航空の研究者から多くの注目を集めているという。
(彼のおかげで出会えた自分自身のヴィジョン
『
ひとりでにニコリと微笑むとジョルノが怪訝そうに眉を寄せた。それにすかさず、気にしないでと返せば彼は不服そうな顔で食事を再開する。
(きっとジョルノのテントウムシのブローチには『宇宙』へのメカニズムなんて意味は込められていないのだわ。そう、彼のテントウムシは『太陽の象徴』なのだ……彼に与えられた優しい能力を見ればわかる)
私はそこまで考えてからハッと息を飲む。卓上の時計はすでに12時半を回っていた。
こんなことに時間を使っている暇はないーー私は急いでコーヒーで喉を潤すとチャバタに齧り付く。
カリカリとした香ばしい香りの表面と水分を多く含んだもちもちとした食感の中身の生地は、噛み締めれば噛み締めるほどに小麦の旨みと甘みを口内に広めていく。どんな食べ物と合わせても美味しく頂けそうなこのパンはサンドイッチに最適だろう。
「ジョルノ!これすごく美味しいわ!生ハムとチーズを挟んで食べたらもっと美味しくなるんじゃあないかしら」
「……それはよかった。そうだ、昨日返しそびれていた物があったんだ…… 名前宛の手紙とお菓子なんだけど」
「えっ!?ちょっと見せて!」
私は椅子から立ち上がるとジョルノの隣に並ぶ。勉強机の書類ケースに仕舞われていたその見覚えのある便箋と箱に私は心臓を高鳴らせると興奮をそのままにジョルノに抱きつく。
「嬉しい……!良かった!レオーネからの手紙にキャラメル!処分しないでとっておいてくれてたんだあ!」
「ちょっと……!急に抱きつかないでくれます?」
「いーや!抱きつきたくもなるよ!!凄く嬉しいんだもの!」
美味しいものを食べて、嬉しいサプライズがあってーー……ほんの少し前まで当たり前だった出来事に酷く心が洗われていく。
今だけは、この瞬間だけは。今までの普通な私でいてもバチは当たらないだろうとジョルノの左腕をぎゅっと抱き寄せた。