「それじゃあ、私はこれで……康一くんには色々とお世話になったわね。ありがとう」
「こちらこそお世話になりました……!名前さんもお元気で」
中等部を後にした私達は空条承太郎が手配したホテルの前に来ていた。ジョルノと別れた後すぐに携帯電話に着信があったのだ。
「荷物が取り返せなかったのは悔しいけれどパスポートが戻ってきたから日本に帰れるわ。康一くんは?この後もイタリアに残るの?」
「……実はまだ迷ってるんですよね。あのスタンドに会うまでは色んなところに遊びに行こうと思ってたんですけど」
「でも、スタンド使いに出会ったからといって必ず戦闘になるわけではないんでしょう?それに……こんなに広い国だもの、滅多にスタンド使いに会うことなんてあるわけないわよ」
ね?と、念押しするように笑みを浮かべてみるも私が発した気休めの言葉程度では彼の恐怖は払拭出来なかったようで二人の間では沈黙が訪れる。すると突然顔を上げた康一くんはそのまん丸の瞳で私の姿をとらえるとその喉をふるわせた。
「…… 名前さんは、いつ頃帰国する予定なんですか?」
「私……?私は航空券がとれればすぐにでも……」
私は康一くんの問いかけに思わず「嘘」を返す。この期を逃せば次にイタリアに来られるのは来年になるのだ。それまであの「殺人犯」をこの大好きなイタリアの地に野放しにはしておけない。祖父母のような犠牲者がこれ以上増えるのは私が阻止しなくてはならない。
「それならいいんですけど……ぼくから1つ、同じスタンド使いの「仲間」として言っておかなくてはならない事があるんです」
「言っておかなくてはならない事……?」
「……スタンド使いはスタンド使いに引かれ合う!きっと知らず知らずのうちに出会うことになる……!」
たとえば今から乗るホテルへ向かうバスの中とか、なんてことない所で……と、続ける康一くんに私はごくりと喉を鳴らす。
康一くんは脅しを言っているわけでは無いのだろう、実際に日本でスタンド使いとして戦ってきたという経験から「忠告」してくれているのだ……はやく日本に帰った方がいいのだと。
「そっか……ジョルノやきみの様に、全てのスタンド使いが優しい人とは限らないものね。一般人には理解し得ないこんな凄い力だもの、悪いことに力を利用するヤツがいてもおかしくないか」
「本当なら…… 名前さんがスタンド使いになった事は日本にいる信頼出来る人に伝えた方があなたの為にもなるんでしょうけど……それを言うとどうしても「矢」について話をすることになってしまうので……すみません」
「謝らないで康一くん。私は平気だよ……多分。まだ自分のスタンドも見えてないんだよ?これならスタンドが見えるだけの一般人と相違ないし、トラブルになることはないと思うの」
私がスタンド使いになった責任なんて康一くんが感じることではないのに……と、頭を下げた彼に慌てて釈明の言葉を投げかける。
きっと康一くんは正義感溢れる人なのだ。だからこんな背負わなくてもいい責任を背負おうとしてしまう。
「……でも困った事があったらいつでも康一くんを頼るよ。幸い空条さんの電話番号は分かってるし……貴方が私の元に忘れ物をしたとか適当な理由をつけて連絡する……だから責任なんて感じたりしないで欲しいな」
「名前さん……」
「それに……悪くない気分なんだ、私。スタンド使いになって……見えないものが見えるようになって……真実が見えるようになったからかな」
今度こそ、本当の嘘偽りのない笑みでそう告げると康一くんは納得したように頷く。
近くの公園に立つ時計へ目を配ればもう既に時刻は17時を半分も回っているーー……ネアポリスで出会った友人、ブチャラティの教えに従うのなら、もうホテルへ戻らなくてはならない時間だった。
「ねえ康一くん、最後に私からも……友達としてひとつだけ言わせて欲しいんだけど……いいかな」
不思議そうな顔の康一くんが私を見上げている。私よりもふたまわり以上小さいこの少年が、あんなにも頼りになる人だと知れたのもスタンドを身につけられたおかげと言えるだろう。
「イタリアはいい国よ。食べ物も美味しいし街の景観だって素敵だもん!……悪い人も多いけど、その分良い人ともたくさん出会えるよ、きっと。だからこの国を……スタンド使いが居るかもってだけで嫌いになって欲しくない!1日だけでもいいからイタリアを楽しんで帰ってもらいたいの」
堅実的に考えるならスタンド使いとの戦闘の可能性があるこの国に長居は無用だ。だがそれ以上にこの国には価値がある。私にはそれが分かるのだ……この国で出会いや別れを何度も経験した私には。
「実はぼく……承太郎さんに頼まれてた仕事が終わったらパリのディズニーに行こうって思ってたんですけど……。名前さんの話を聞いたらもう少しだけイタリアに残ろうかなって思えてきました」
「……本当!?嬉しいわ康一くん!ありがとう!」
「はは……大袈裟ですよ……」
康一くんの答えに大いに喜んだ私は人目もはばからず声を張り上げて笑う。もしも康一くんがイタリアを嫌いになっていたらどうしようと少し不安だったのだ。
「へへへ……嬉しいな。何か困ったことがあったら連絡してよね!勿論嬉しい事があった時でも構わないし」
「わっ、名刺……ありがとうございます」
すかさず名刺を差し出せば康一くんはそれを両手で受け取ると感慨深そうに見つめる。学生時代に社会人から貰う名刺はなんだか特別感があるのだろう。私も学生時代に通った道だからか、なんとなくよく分かるものだ。
「それじゃあ私も自分のホテルに帰るわ。今日は美味しいものを食べてゆっくり休んで、明日の観光に備えるのよ、康一くん」
「はい!ホテルまで送ってくれてありがとうございました!名前さんも気を付けて、本当に困ったことがあったら迷わず承太郎さんに電話をかけてくださいね」
「ええ、そうするわ。……『Buona giornata(素敵な一日を)』康一くん!」
Buona giornata IF. COZMIC TRAVEL①
康一くんと別れた私は帰路についていた。彼が私に忠告したように、スタンド使いが近くにいるかもしれないという緊張の中歩くネアポリスの夕暮れの街はおどろおどろしい雰囲気があったように思う。
「……それにしても本当に荷物を全部売っぱらっちゃってるなんて信じらんない!ナランチャ君からの借り物の服まで……それだけはどうにかして取り返さなくちゃ」
ネアポリス在住だと話していたナランチャ君が、もしも古着屋で自分が他人に貸した服を見かけたらどう思うだろうかーーそう考えると思わず頭に浮かび上がったナランチャ君の私を軽蔑するような目に背筋を凍らせる。そんなことが現実にあってはならない。
「あと……今のうちに正しい力の使い方を学んでおくべきね……近いうちに訪れるであろうヤツとの戦いの為にも」
そしてもう1つ気がかりなのは私のスタンド能力のこと。私の目には見えてないだけですでに能力が発現している可能性は無きにしも非ずだ。己の力不足のせいで傷付けたくない人が傷付くのは絶対に避けたい。
「気は進まないけど……ジョルノに話を聞いてもらいましょう。康一くんは明日からバカンスだっていうから邪魔しちゃ悪いもの」
私は敢えて言葉に出して決意を固めると先程よりも軽快な足取りで街を進んでいく。
この身に余るほどのおぞましい力を我がものにし祖父母を殺したスタンド使いの男に復讐する……その決意を実行するためには現段階で最も信頼できるあの男に頼るより他はないだろう。
(……物凄く、気は進まないけどね)
少し恨みがましく心の中で毒づいた私は頭の中でジョルノのことを思い出す。彼は決して完全悪という訳では無いのだろう、康一くんが語った「正義の心」とやらもなんとなく分かる。
「……ハハァ、もしもあんな最悪の出会いじゃあなければ仲良くなれたかもしれないのになあ」
苦笑いを浮かべながらそんなことを呟いていると不意に目の前に壁が現れ、避けきれず顔面を強打する。弾みで後ろに下がった私が痛む鼻を抑えながら前を向くと、そこにいたのは屈強な体格の3人の男達。私がぶつかった壁というのはのは真ん中にいる腕に入ったタトゥーが特徴的なスキンヘッドの男の背中のようだった。
「ごめんなさい……前を見ていなかったの。怪我はありませんか?」
「痛てェなァ……本当に痛てーよォ……」
「大丈夫ですかァ〜?兄貴ぃ……どうしますかァ〜?兄貴ぃ……」
私は一瞬「スタンド使い」であることを警戒したがすぐにその線を消した。これはよくあるチンピラの「当たり屋行為」だ。……と、なると要求されるのは金品だろうがそんなものは手元にない。
「これは重症だぜ……嬢ちゃんよォーッ!!どうやって償ってくれるんだよッ」
「どうと言われても……見ての通りお金なんて持ってませんから……」
「へへ……カネがないならするべきことは1つだろ……わからねーとは言わせねェぜ!!」
私はちらりと辺り周辺を見回すーー人通りこそ少ないものの、中々大きな通りである以上派手な真似は出来ないだろう。近くにある路地に連れ込まれなければ逃げるチャンスはいくらでもある!
「そんなに大きな声を出せるってことは元気な証拠よ……それじゃあ私!急ぐから!!」
大きな声でそう叫んだ私は全速力で男たちの間を抜い走り抜ける。不意をつかれた男達が一拍遅れて追いかけてくるも曲がり角を上手く利用し物陰に姿を隠せば、私を見失った男達は舌打ちを零しながらその場を去っていった。
(ふふん。こちとらさっきまで超能力バトルに身を投じていたのよ。アレに比べればこんなもの朝飯前だわ!)
無事に危機を乗りきった私は鼻歌のひとつでも歌いたくなるような浮ついた気持ちを胸に物陰に潜めていた身体を立ち上がらせる。私も今日は早く寝て、明日に備えなくてはーーそう足を持ち上げたその時だった。
「そこで何をしている……」
「……ッ!」
不意に後頭部に押し付けられた冷たい金属が奏でる「カチャリ」という音に私は身体全体を震え上がらせる。実物は見たこともないし触れたこともないが映画や小説、色んな媒体で何度も見てきたから分かる、押し付けられているのは拳銃だ。
「何をしていたのかと聞いているのだがね」
「……わ、私……街の不良に襲われてて、ここに逃げ込んだだけなんです……」
こんな災難の連続なんてあってたまるものか!と、心の中で悪態をつきながらも後ろの男の問いかけに正直に答えていく。正直に答えて解放してくれるような人がすぐに頭に拳銃を押し付けてくるものなのかは分からないが今の私にはこうするしか術はないのだ。
「ほう、そうか。だがね……君が本当に偶然ここに居合わせたという証拠はどこにも無いのだろう?」
「へ……?」
「ならば……疑わしきは罰せよ、という言葉に従って君を始末しなくてはならない」
どくりと心臓が大きな音をたてる。この男は今、なんて言った?この私を始末すると言ったのか。
(それは嫌だ……!まだ死ぬ訳にはいかない!祖父母を殺したヤツへの復讐を遂げるまでは死にたくないぞ……ッ!!とにかくこの場を乗り切らなくては……たとえこの男を殺すことになっても!!)
私は銃を持つ男の指示に従って両腕をあげると体を転回させられる。ようやく見えた男の顔の顔立ちからは先ほどの不良とは違う「本職」の雰囲気が漂っていた。
(もしも本当に私にもスタンドがいるのなら、ここで出てこなくてどうするのよ!!私の生命の危機に現れない自身の分身がいてたまるもんですかッ!)
刹那、右手を掴まれた私はそのまま路地の奥へと誘導されていく。これ以上奥へと連れ込まれては確実に殺されてしまうだろうーーつまり私は「ここ」で男から逃げ切らなくてはならなくてはならない。
「『コズミック・トラベル』……」
「……今、なんと言った?」
これは賭けだったーー康一くんやジョルノがスタンド能力を使うとき、彼らは自分のヴィジョンの名を叫び指示を出していた。ならば私も自身のヴィジョンに名を名付け、明確な指示を出したのなら!
「私の名前……ううん、もう1人の私の名前よ!!「コズミック・トラベル」!この男を攻撃しろッ!」
次の瞬間、私の右手を掴んでいた男の左手がグニャリと溶けるように形をなくしていく。それに驚くのもつかの間、次第にその症状は男の全身に広まりやがてそこに居た屈強な男は白くて滑らかで、甘い香りのホイップクリームへと姿を変えた。
「……え?何これ……?」
足元に広がる成人男性1人分の体積のホイップクリームに私は思わず後ずさると汗を浮かべる。これが私のスタンド能力……?ジョルノや康一くんの能力と比べると些かファンシーすぎやしないだろうか。
「それに……やっと姿を見せてくれたわね、コズミック・トラベル……」
そして私の「傍に寄り添うように立つ」スタンド『コズミック・トラベル』に視線を向ける。彼女はーージョルノのゴールド・エクスペリエンスとは異なり女性のような身体をしていた為にそう呼ぶーー真っ白な身体に頭部や肩、腰の辺りにホイップのような装飾を身につけた比較的人間に近い上半身に、足の付け根から先を泡立て器のような形の銀色の金属調のもので出来た下半身が特徴的な容姿をしていた。
「とにかくここを早く離れなくては!何時までこの男をクリーム化出来るか分からないもの…… …… ……ってあれ、よく見てみると泡立てられてない物もあるみたいね」
私は不意に目に入った物に引き寄せられるようにクリームの傍に座り込むと泡立てられてなかった物を手に取る。キラリと光るそれは男が身につけていたブレスレットのようだった。
「金属類はホイップクリームには出来ないのかしら。でも一見しただけじゃクリームに埋もれて分からないものね……」
その時、とあることを思いついた私はブレスレットを傍らに置きおもむろにホイップクリームの中身を掻き分けていく。金属類は泡立たないというのならアレがこの中に埋まっているはずなのだ。
「……あった!貰っていこう……アシがついたら不味いけど、これがあればかなり心強いわ」
私はホイップが付着した黒光りするそれを鞄の中にしまい込むと路地裏を飛び出していく。
とにかく1秒でも早くここを離れなくてはーーその一心だけでもう完全に暗くなったネアポリスの街を駆ける私はその後ろ姿を白いスーツの友人が見ていたことになんて気づく余裕は無かった。