「……そんなッ!間に合わなかったのか!!」
近くから聞こえてきたのは声変わりしたばかりのような年相応のジョルノの声だった。
いつの間にか地面に身を伏せていた私はゆっくりとした動作で瞼を持ち上げると辺りを見渡していくーー倒れていたのは最後に見えない何かによって身体を拘束されていた場所と同じようで近くでは赤い帽子の清掃夫の遺体が横たわっていた。
「……生きてる?私……生きているのだわ……」
今置かれている状況に頭が追いついた私は勢いよく身体を起こすとぺたぺたと自身の身体を触ってみる。そうしてまだ自分は生きているのだと理解した私は自分を襲った見えない何かを探すように視線を彷徨わせた。そして私のすぐに斜め後ろに居たのは階段手すりの影からニョキっと生えるように立つ黒いトリコーンハットとふくらはぎ辺りまでの長い丈のマントが特徴的な……怪物だった。
「ヒッ!な……なんなの、この化け物は!!」
思わず悲鳴をあげるのも無理は無かった。
怪物は黒い帽子とマントに身を包み、全身は真っ白で屈強な成人男性のような体格をしていた。しかし本来人間であれば鼻がある所にそれがなかったり、常人のものと比べれば2倍以上に開く大きな口。目玉がある場所には金色の装飾が施されていてとてもじゃあないが人間だとは思うことが出来なかった。
「名前!!こっちに来るんだッ!そいつは『スタンド』だ!説明すれば長くなるがヤツは日光の中へは移動できない!」
「ジョルノ・ジョバァーナ……!」
私はジョルノの指示に少しの迷いもなく従うと彼の側まで懸命に走る。その間、ジョルノに『スタンド』と呼ばれていた黒い帽子の怪物は私を追ってくる訳でもなく、そのままそこに鎮座していた。
「きみも再点火を見ていたんだな……コーイチと一緒に僕の寮へ荷物を取り返しに来ていたんだろうけど……すまない、こんな危険なことに巻き込んでしまって……」
「……どうして貴方が謝っているの?貴方もあの怪物に襲われている被害者なんじゃあないの?」
「……」
ジョルノは私の問に対して黙りこくってしまった。ただーー彼は無関係な私や清掃夫のおじいさんが怪物に襲われたという事実に酷く腹を立てているようだった。俯いて陰がかかったジョルノの顔つきは険しい。
「……あのね、私ずっと貴方たちのやり取りを見ていたの……清掃夫のおじいさんはあの怪物に「矢」で刺されて死んでしまったのよね?同じく矢で刺された筈の私はどうして生きているの?身体のどこにも損傷はないし、寧ろ……いままで『見えなかったものが見えるようになった』のだけど……」
「!」
「それに、驚かないで聞いてね?あの黒い帽子の怪物もそうだけど……ジョルノ、貴方の隣にも……寄り添うようにして佇む黄金色の怪人が見えるの……!」
私の言葉に驚いた表情のジョルノは左手にガスライターを握りしめながら「そうか……」とどこか納得したような言葉を紡ぐ。そのすぐ側には彼の改造制服と同じように胸に2つとお腹に1つ、そして太ももと手と足の甲に2つずつくっついたテントウムシのモチーフが印象的なーー……これまた、人間とは呼べない者が寄り添っていた。
「ひとつは『選ばれる者への道』……やはり選ばれる者というのは『スタンド能力』の眠っている者を指していたんだ…… 名前、きみは今、この瞬間!僕らと同じく『スタンド使い』になってしまったんだッ」
「スタンド使い……?スタンドって……」
「きみを攻撃してきた黒いマントの怪物や僕の隣に見える黄金色の存在のことさ……スタンドはスタンド使いにしか見えない。僕のゴールド・エクスペリエンスが見えたなら……きみにも自身の魂のヴィジョンと言われるスタンドが発現しているはずなんだ!」
Buona giornata IF. BLACK SABBATH②
「影の中!こいつが影の中しか伝わって動けないのだとしたら逆に無理矢理こいつを日光の元へ引きずり出したとしたらどうなるのだろう?それがこいつの「弱点」かもしれない!……試す価値はある!だがどうやって引きずり出す?パワーは「ゴールド・E」より明らかに上……!次につかまれば終わりだ!」
突然与えられた能力に理解が追いついていない私を他所に、ジョルノは目の前の敵スタンドへの対策を練っている。ジョルノ曰く、校舎の向こう側に日が暮れてしまえば私達の勝利は絶望的になるらしい。
「君は!何をやっているんだ……ジョルノ・ジョバァーナ!」
その時ーーこの緊迫とした膠着状態に一旦の区切りを付けたのは高校生にしては可愛らしい康一くんの上擦った声だった。しかし、その声色は怒りや疑問、焦りに染まっていて決して心地の良いものではない。
「一体階段の下に倒れている人は何なんだ!?君は荷物やパスポートを盗むだけじゃあなく……その人に何をしたんだッ!!」
寮から飛び出してきた康一くんは回廊の手すりから身を乗り出し階段下の私達に(本当のことをいえばジョルノだけに)声を荒らげる。この状況下ならば誤解するのも無理はない。
「……!!おい、誤解するな……僕じゃあない!そのスタンドが攻……!」
攻撃したんだ……とジョルノの言葉が続かなかった理由が『見えるようになった』私にはよく分かった。先程まで睨み合っていた黒いスタンドが彼が指さした場所から消えていたのだ。
そして、この展開に私は既視感を覚えていた。
「見ていたんだぞッ!あの君の部屋の窓から君がそのおじいさんと話をしていて……そのライターの火をつけるところをぼくは見てたんだからなッ!」
「見てた……だって!?」
あの時……敵スタンドは攻撃対象としていたジョルノが陽の当たる場所から動かないと踏むと遠くで影を踏んでいた私に対象を移した。そして今、私もジョルノも階段下の陽の当たる場所から1歩も動いていない。
校舎と寮の間を窮屈そうに落ちていく夕日は階段の手すりを真正面から照らしているーーつまり手すりの内側にいる康一くんの足元には影が掛かっているのだ。
「康一くんッ!今すぐに階段から離れて!!」
「その手すりの影を踏むなッ!コーイチ君ッ、影から出ろォーッ!!」
私とジョルノが同じタイミングで叫ぶ。しかし、敵スタンドが康一くんの影から彼の『魂のヴィジョン』を取り出すのもそれとほぼ同時だった。
「「再点火」を見たな!チャンスをやろう……おまえには『向かうべき2つの道』がある!!」
「こ……「これ」は一体……!!」
康一くんのヴィジョンは人の形をした小柄なスタンドだった。その身体が、敵スタンドの屈強な身体に押さえつけられると康一くんもスタンドが受けた攻撃に連携するように地面に身体を沈める。どういうメカニズムか私には分からないがこのまま敵スタンドの矢に康一くんのスタンドが刺されては彼の命が危ないのだという事だけは理解した。
「あ、危ない!」
常人の2倍ほど開くと上記した敵スタンドの口がカパッと開き中から金色の装飾が施された「矢じり」が現れる。私やおじいさん、ジョルノに深い傷を追わせていたのはあの綺麗な矢じりだったのだ。
押さえつける相手の凄まじい程のパワーに対し、康一くんのスタンドの抵抗は正に「暖簾に腕押し」と言ったところだろうか。敵の拘束からは逃れられそうもない。
(ど……どうすればいいの……?私にもスタンドがあるというのなら康一くんの窮地を救える筈なのに!!)
そして!今まさに康一くんのスタンドに矢じりが突き刺ささろうとしたその時、割って入ってきたのは黄金色のスタンド……ジョルノのゴールド・エクスペリエンスだった。
ゴールド・Eは自身の手の甲を犠牲にし康一くんへの攻撃を受け止めると、防御していなかった方の手で階段の手すりを「アサガオ」に変化させた。
「ムチャクチャ痛いが……おかげで……おまえを『日光の下』に引きずり出せたようだな……「ゴールド・E」でアサガオに変えて垂れ下がらせた!きさまは手すりの影から出たッ」
ジョルノの言葉通り、階段の手すりはみるみるうちに姿を変え数秒も経てば立派なアサガオへと変化を遂げる。影が急に取り除かれた敵スタンドは日光を直接浴びると「オオアアアーッ」と苦しそうな声を上げるもすぐ近くに出来た影の中に再び潜り込んでしまった。
「い……今のはッ!今のスタンドは!?」
「説明すれば長くなるが見ての通り攻撃されている……ヤツは影の中では無敵だ!この校舎に続く「影の中」には入るな!このライターを点火したじいさんは殺された……それを見てしまったから「僕」も「君」も「彼女」も攻撃の対象になっているってことさ」
「今のは「弓と矢」のあの「矢」だッ!このイタリアに!……君はなんで「矢」を持っているスタンドに攻撃されているんだ!」
初めて見る康一くんの異常なまでの取り乱しぶりに私は発言するタイミングを失う。ジョルノもまた康一くんの話す『弓と矢』とやらには聞き覚えがないのか何も言えずにいるようだ。
「僕は何も知らないんだ……きみは「あいつ」を前に見たことがあるのか?」
「スタンドのことじゃあない……「矢」の事だ!君はあの矢のことを知らないっていうのか!!」
「……知らない……なんなんだあの矢は?」
私達は互いに何を告げずとも影を避けるように移動していく。階段下にから中庭の芝生の上まで逃げてもすぐ近くの影の中で敵のスタンドはこちらをじっと見つめている。
焦る必要はないのだ。時間が経てばやがて太陽は校舎の裏に沈みそこからはヤツのやりたいように出来るのだから。
「なぜ今ぼくを助けた?」
康一くんは弓と矢についての言及をやめるとジョルノにそう問いかける。彼の視線は手元から流れ落ちる大量の出血を捉えていた。
「……そんなことよりもう日が暮れるんだ「矢」のことを答えてくれッ!」
「なぜぼくを助けた!盗っ人のおまえに「恩」が出来たなんて思わないからなッ」
「康一くん……」
康一くんの言葉はごもっともだった。現に今、私と康一くんが危険にさらされている原因を作ったのはジョルノが持っているライターなのだ。それも、彼の発言からして、なんらかの組織に入団するためのテストであるというのだからたまらない。
「ライターの「点火」は僕の行動が原因だ……あのじいさんはどうしようもなかった。彼女も「生きているとはいえ」こんな危険な目に遭わせてしまった……すごくイヤな気分だ……自分の行動は正しいと信じているがとてもドス黒い気分なんだ」
「……」
「このジョルノ・ジョバァーナには正しいと信じる夢がある」
康一くんを庇って出来た彼の傷からはとめどなく血が流れ落ちている。きっと私には想像も出来ないほどに痛むだろうにそう高らかに言い放つジョルノはまっすぐと前を見据えたままの爽やかな表情だった。
「「遠隔自動操縦」だ!あのスタンドは……。2年前、日本のぼくの町にもあの「矢」がーー同一の物じゃあないと思うけどーーあってぼくは……あの「矢」に刺されてスタンド能力を身につけた。「矢」のルーツは知らない……まさかイタリアにもあるなんて」
そんなジョルノに信頼を覚えたのかどうかは定かではないがーー康一くんは矢についての知る限りの情報を答える。
同一の物ではないにせよ、彼もまた自分と同じく矢によってスタンド使いになったのだと知らされた私は未だ姿を現さない自身のスタンドに憤りを覚える。
「ーーだけど、同じようなタイプのスタンドに出会った事がある!本体からの遠隔操作なのにパワーがあるタイプなんだ……それは「自動操縦」だからで追跡して爆破とかの単純な動きしかできないが目的を遂げるまで攻撃は止めないんだ……しかし「本体」は自分のスタンドに何が起こっているのかさえ知らないから1番いいのは「本体」を見つけてたたくことだ!」
「…… ……残念ながら、それは不可能だ。「本体」は牢獄の奥だ!とても行けない!」
自動操縦、遠隔操作……初めて聞く言葉に私は眉を寄せる。いいや正確に言えばその言葉自体は聞いたことがあるがスタンドバトルにおいてのそれらの言葉については全くの無知であった。しかし、スタンドの扱いに慣れているらしい2人の間ではしっかりと会話が成立しているようで無知な私を置き去りにしてどんどん作戦会議は進行していく。
「とにかくもうすぐ校舎の向こう側に日が落ちる……今ヤツは校舎の影から出ることは出来ないから今のうちに校舎の向こう側の太陽のあたる所にまわりこもう。そこでヤツを日の中に引きずり出すことを考える…… 名前、きみも一緒に来るんだ」
「う、うん……わかった」
ジョルノに催促されて私はもつれそうになる足を必死に動かして走る。先頭を走るジョルノを懸命に追いかける私を気遣うように康一くんが後ろに続いた。
(私だってスタンド使いの筈なのに……守られてばっかりだ……)
私は自分はなんて無力なのだろうとぎゅっと爪を立てて拳をにぎりしめる。整えていた爪が皮膚に刺さっても、痛みを感じても、薄情な私のスタンドは現れてはくれない。
そんな私の上を2羽の黒いカラスが何食わぬ顔で通り過ぎていった。