「わかりません……でも……何か、その……「さわやか」なヤツでした……荷物を盗まれたのに奇妙なんですけれど……」
道路を跨ぎ、公衆電話の側までゆっくりと歩く私の目元はうっすらと赤らんでいる。
そして目の前にいる少年は私の存在に気づいていないのか背中を向けたまま、ありのまま感じた事を言葉を選びながら電話口に向けて告げている。
その言葉遣いにこの電話が「家族」に向けてのものではないと瞬時に理解した私は少しだけ首を傾げつつも、少年の肩をちょん、とつつくとニコリと笑みを浮かべた。
「えっ……あ、いつの間に!?」
「ン……誰かいるのか?康一くん」
私の登場に驚き上擦った声を上げる少年ーー電話口から聞こえてきた言葉から康一という名前のようだーーに「電話を代わってもらえないかな」とお願いしてみる。すると、予想に反しておずおずとした態度で差し出された受話器を受け取った私はそれを耳に当てると「もしもし?」と挨拶を述べる。
「こんにちは、イタリアに旅行で来ている日本人の者ですが……貴方は彼のお父様ですか?」
「いいや……だが、わたしは彼の両親から康一くんの身の安全を託されている者だ」
やはり親族ではなかったのだと納得した私は「突然すみません……お話の最中でしたのに」と謝罪する。電話口の相手の声色はシブく、恐らく30から40代ぐらいの男だろうと予想した私はそのままのかしこまった口調で言葉を続けた。
「……本人から直接お聞きになったとは思いますが彼は今着の身着のままの状態です。ホテルの手配はどうするおつもりなんです?パスポートの原本は疎かコピーもないみたいなんですが」
「……心配はいらない。この電話が終わり次第すぐにホテルの手配と送金の準備に取り掛かる予定だ……彼にも言ったが全てこちらでなんとかする」
ハッキリとそう言い切る男の声色はこちらを突き放すように冷たく、口には出さずとも余計なお節介は無用だと告げているようだった。
「何とかなるのですね……!なら良かった!ははは……私、心配だったんですよ〜未成年の男の子が異国の地で荷物ひとつ持たずフラフラ歩いてて……」
相手の態度は兎も角、安堵からワントーン大きくなる声にすぐ近くにいる康一くんの肩が揺れる。それをばっちり視界の端に捉えた私は「よかったね」と声を出さずにして伝える。
「それじゃあひとつ提案があるんですけど……そちらの「手配」とやらが終わるまで私に彼を「保護」させて貰えませんか?……大人として、未成年の一人歩きを見逃すことは出来ないんです 」
「……きみがか?」
「イタリアなら何度も来ていますからそれなりに詳しいんですよ……彼にとって一人でいるよりかは安全だと思うのです」
「……康一くんに代わってくれ」
受話器の向こうのシブい声がまた一段と低くなる。その様子に強い違和感を覚えつつも懸命に貼り付けた笑みが剥がされないように全神経を集中させた私はそのままのにこやかな表情で康一くんに受話器を差し出す。
「……もしもし、承太郎さん?ぼくですけど……」
受話器を受け取った康一くんはチラチラとこちらの様子を伺いながら電話口の男との会話を始める。会話が漏れるのを警戒しているのか電話口の男の声は小さく、康一くんもまた、会話の内容を探ることが出来ないように「ハイ」や「違います」などのイエスノーの受け答えのみを口に出しているようだ。
「……ぼくは、彼女を信用してもいいと思います。この人は『見えない人』だ」
およそ30秒ほどのやり取りの後、ようやく明確な文章を口にした康一くんはそのまん丸の瞳でこちらを見据えながらそう言い切った。
そしてすぐに再び手渡された受話器を耳元に当てると「康一くんを頼む」とだけハッキリとした口調で告げられる。
「ええ、もちろんです。私の携帯電話を彼に預けておきますから手配が済んだら今から言う番号にかけてあげてください」
私はそう言うと後ろを向いて「個人情報だから耳塞いでて?」と康一くんにお願いする。戸惑いながら了承の意を口にした康一くんが耳を塞ぐのを見届けると私は1度息を飲んだあと電話口の男に一番伝えたかった言葉を紡ぎ始めた。
「……貴方は康一くんに『特殊な能力』があるかもしれないと感じたことはありますか?」
「……!」
私の口から紡がれた予想外の言葉に、電話番号をメモするために準備していたのであろうメモ用紙の上でペンが小さくガリッと音を立てた。
初めて電話越しに感じる男の動揺に、私は「ビンゴだ!」と決定づける。
「先日私の祖父母がサルディニア島で亡くなりました……死因は『老死』です。亡くなったのは2日前の夜から昨日の午前中までの間だと警察や医者は説明したわ。『老死』という死因も間違いないそうよ……司法解剖の結果そうだったみたい……」
私はあえてここで話を切り、相手の様子を伺う。電話口の男からの返答はなく、電話も切れていない……つまり男は真剣に私の話を聞いているのだ。
「でもこの事件……奇妙なんですよ……だって私、ほんの2日前までサルディニア島の彼らの元に帰省していたんですもの。彼らは普通に生活していたし、祖父に至っては山菜採りに出掛けるほどには身体は健康的だった……。それが、まさか私がフェリーに乗ってサルディニア島を離れた後すぐに『老死』したですって?信じられる?……信じられませんよ、フツーは……」
電話口から男の僅かな息遣いに鼓膜を震わせながら今にも叫び出しそうになるほどの憤りを必死に押さえつけながら私は声を絞り出す。ほんの数分前にコウタから聞いた『信じられない』話を、顔も知らない男にぶつけるこの行為が無駄ではないと言い切れる自信は無かった。
「でも私、今日初めて見ちゃったんですよ『超能力』ってやつ……康一くんが怒りをあらわにすると相手の腕が滅茶苦茶な角度に曲がってテーブルにめり込むのを見たんです。あんなものを見たら……いままで信じられなかった事でさえ『信じられちゃう』じゃないですか」
ーーだが逆に無駄だと言い切れる自信も無かったのだ。思い出されるのは数十分ほど前のカフェテラスでのことだ。窃盗犯と康一くんとのいざこざには不可解な現象が多々起こっていた。
「……質問を変えるわ。貴方の知る限りの人物の中で『相手を老化させる能力』を持った男を知らない?この際康一くんが超能力者だろうが何だろうが関係ないのよ……その男の正体だけを私は探しているのッ!」
そしてこの男は私が康一くんを保護することを1度渋っている。その事が意味するのは康一くんと私(もしくは私のような一般人)が一緒にいるのが好ましくないと感じていることに他ならず、その背景には彼の『超能力』が関係しているはずなのだ。つまりこの場合電話口の男の返答はたったひとつ。
「わたしには きみが何を言っているのか理解できない……それが答えだ」
「そう……とてもいい答えだわ、ありがとう」
私は諦めたような声色でその後ろに自身の携帯番号を続けて告げる。しっかりとメモ用紙に筆が走る音を聞いてから私は後ろに振り返ると耳に当てている手を外すように康一くんにジェスチャーした。
「自己紹介をしていませんでしたね……私は苗字 名前と申します。今度直接会う機会があれば改めて詳しいお話を聞きたいものです」
「わたしの名は空条承太郎……康一くんのことを頼んだ……そしてきみも、危険な事に自ら関わることのないように」
「ええ……康一くんのことは任せてください。でも、最後のだけは約束出来かねますがね……それでは」
ガチャン、と音を立てて受話器を置いた私は深くため息をつくと自身の眉間の皺を揉みこみ緩ませるとようやく後ろに振り返る。
「それじゃあ短い間だけどよろしくね。私は苗字名前よ」
「ぼくは広瀬康一といいます……こちらこそよろしくお願いします!……ぼくは名前さんとお呼びしますね」
私が右手を差し出しながらそう挨拶すれば康一くんもすかさず右手を差し出し握手が成立する。
そして次の言葉を紡ごうとした私に静止を呼びかけたのは彼のお腹の音で、少し恥ずかしそうに……それでいてバツが悪そうな顔の康一くんは「あっ……」と蚊の鳴くような声をつぶやく。
「まずは昼食にしましょうか。今ならドルチェもあるし……ね?」
手に持ったケーキの箱をチラつかせながらそう言えば、康一くんは当然断ることも無く、「ハイ……」とだけ声を漏らした。
Buona giornata IF. ALIVE②
場所は変わってーーサンタルチア地区に並ぶ幾つものトラットリアの中から私が選んだのは卵城と周りを取り囲む海を一望できるテラスのあるナポリ料理店だった。
お昼時から少し外れた時間だったからか無事に良い席を確保出来た私達は適当に注文を済ませるとどちらともなくサンタルチアの海を眺め始めた。
「それにしても康一くんってばイタリア語、本当に上手よね。びっくりしちゃった」
「え……そうですか……?」
アイスティーを片手に、対面に座るストローを咥えた康一くんを見つめた私がそうぽつりと呟くのも無理はなかった。思い出されるのはつい先程のことで飲み物を注文する際の「succo d'arancia(オレンジジュース)」の発音がべらぼうによかったのだ。
たとえ同じイタリア人でも住んでいる地域ごとに必ず訛りは生じるもので、私のイタリア語も日本語とサルディニア島訛りのイタリア語だとよく指摘される。
しかし彼のイタリア語はまるで教科書に付属したリスニング用のCDをそのままコピーしたかのような完璧な発音で、それは日本人である私の耳にも、現地の人間である店員にも耳障り良く、すっと飲み込めるものだったのだ。
「どこのスクールで習ったの?1度私の癖も矯正してもらいたいぐらいだよ〜」
「えと……スクールとかじゃあなくて……近所にイタリア語を喋れる人がいて教えてもらったんですよ」
目の前に座る逆立った灰色の髪の毛が特徴的な康一くんのくりくりとした空色の瞳がおよぐ。あまり詮索されたくないのだな、と即座に感じ取った私は「へえ」とだけ相槌をうつ。
「ところで名前さんはどうしてイタリアに?」
「私は普通に観光……あと祖父母がサルディニアにいるから帰省も兼ねてね」
カバンの中からデジカメを取りだし旅の思い出を康一くんにもお裾分けしていく。歴史を感じる建造物にはあまり興味が無いようでポンペイ遺跡やトライアヌス帝のマーケットの写真になると極度に感想が雑になる康一くんにわかりやすい子だなあと破顔した。
「……私も聞いてもいいのかな?康一くんは何をしにイタリアに来たの?」
当然の切り返しに、困ったような笑顔をうかべる康一くんはこちらが心配になるほどわかりやすい。この問いの答えは先程の電話の主ーー空条承太郎と広瀬康一の関係を明確にするものであるはずだからだ。
「……ぼ、ぼくはーー」
そして言葉に詰まりながらも、答えが吐き出されようとしたその瞬間、コトリと小さな音を立ててクロスの上に運ばれてきたのはタコのサラダ。
それを目で追った康一くんは吐き出そうとした言葉を1度飲み込み再び沈黙を貫く。そして最後にいんげん豆とムール貝のパスタが目の前に置かれ店員がその場を去ると、ゆっくりとした動作で唇を震わせはじめた。
「ぼくは承太郎さんの依頼で調査に来ていたんです……あのひと海洋学者でこの辺りの海洋調査にぼくを派遣したんです」
「……へえ、凄いわね。まだ学生なのに学者さんのお手伝いしてるなんて!」
「あー……ははは……そうですかね……」
私は誤魔化すようにマルゲリータを口に運ぶ康一くんを目を細めながらじっと見つめ、その様子から半分は本当でもう半分は嘘だなと予想する。空条承太郎が海洋学者かどうかは後でホテルのパソコンで調べればすぐに分かることだ。
「ねえ康一くん、この後はどうする?お金はなくてもネアポリスには観光できる場所はたくさんあるけど……きみ、あまり古い建物とかに心打たれたりするタイプじゃあないみたいだし」
「あ、わかりますか……」
「ふふ……わかるわ。さっきのアルバムを見せた時の反応でなんとなく」
「私とは真逆ね」と付け加えれば康一くんは何故か申し訳なさそうに「そうなんですね」と呟く。別に悪いことではないのにと思いながらいんげん豆とムール貝のパスタを口に運んでいると、ふと顔を上げた康一くんと目が合う。
「あのっ、ずっと気になってたんですけど名前さんも汐華初流乃……ジョルノ・ジョバァーナに荷物を盗まれたんですよね?」
「……ジョルノ・ジョバァーナ?」
「ぼくと揉み合いになってた金髪の学生服の少年のことですよ。ぼくは空港でヤツに荷物を盗まれちゃって」
不意に現れた初めて聞く「ジョルノ・ジョバァーナ」の名前に戸惑いつつも後に続く康一くんの言葉から頭の中でとある人物を思い浮かべる。金髪で学生服、康一くんと揉み合っていた……そう考えれば該当者は一人しかいない、空港で私のキャリーバッグをふたつも盗んだ窃盗犯のことだ。
「そうよ!間違いないわ!あの男が私のバッグを盗んだんだわ……警察もまともに取り合ってくれなくて私すごく怒ってるんだから!」
「やっぱり!名前さんと彼が話してるのが聞こえてそうなのかなって思ってたんだ」
「それにしてもよく名前を聞き出せたわね……私にも名前が分かっていれば警察も動いてくれたかもしれないのに」
「はは……空港の警備員達がそう呼んでいたのを聞いたんです。それとカフェテラスで彼を囲んでた女の子たちもそう呼んでましたし」
私はうーんと頭を捻る。そういえば空港でジョルノからショバ代を受け取っていた警備員がいたかもしれない。テラス席でのことは……その後のことが印象的すぎてあまり覚えていない。
「承太郎さんはもう何もしないでくれって言ってくれたんですけど……ぼく個人としてはやっぱり荷物を取り返したいんです」
「康一くん……」
「だからぼく……この後彼を探します。だから名前さんとは別行動になるんですけど……」
私はそう言ってポリポリと頬を掻く康一くんの右手首をがっしりと掴むとその丸い瞳をじいっと見つめる。動揺から少しだけ汗ばむ彼は困惑の表情を浮かべている。
「私も連れて行って」
そして私のその一言にさらに1粒の汗が康一くんの皮膚を滑降する……恐らく次に紡がれる彼の答えはノーだ。
「君がジョルノ・ジョバァーナの元へ行くのなら私も行くわ。彼は危険な男よ……康一くん1人に行かせる訳にはいかない。これは私と空条さんとの約束でもあるんだから」
「……でも、」
「それに!……私も自分の荷物を取り返したいの!彼にとってはただの紙きれ同然の物だって私にとっては大切な思い出だから……取り返さなくてはならないのよ」
私は盗まれたキャリーバッグの中にある沢山の思い出に思いを馳せる。
長年愛用しているウォークマンやゲームボーイ、お土産にと勧められたフィレンツェのレターセットやローマの菓子。色んな街を歩いたスニーカーやイタリアの風を存分に受けたスカートやプルオーバーのシャツーーそして、彼から送られた最後の手紙とアーモンドキャラメル。どれ1つ欠けても駄目なのだ、そう語る私の瞳に目の前の少年の空が落ちる。
「ぼくとも……ひとつ約束してくれますか?」
康一くんが次に紡いだ言葉はノーではなかった。私はその事実に胸を撫で下ろすとずっと掴んでいた右手を離す。
「名前さんは絶対にジョルノ・ジョバァーナとは接触しないで下さい……あなたもわかっている通り彼は頭も回るし力もある……ヤツが「もう追ってくるな」と釘を刺してきた以上、偶然だとしても顔を合わすのはマズい」
「……ええ、約束するわ。彼とは顔を合わさないよう気をつける……でも、どうやって顔を合わさずに荷物を取り返すの?」
何とか同行の許可を得たが、まだまだ問題は山積みであった。私はテーブルの上のタコのサラダを口に運びながら冴えた頭で問題を1つずつ提起していく。
サンタルチア地区から逃げたジョルノはどこに向かったのか?空港で使用していた車を使われると彼の移動範囲が徒歩移動と比べると格段に大きくなる。
私の荷物と康一くんの荷物、計3個もの大型キャリーバッグをどこに置いているのか?カフェ前で出会った時の様子からするにすでに康一くんのバッグの中の現金や所持品はは抜き取られて売られてしまっているようだ。(私のも、言わずもがなだろう。)
「侵入するんですよ、彼の寮に」
オリーブオイルとコショウで簡単に和えられたルッコラの葉のなんとも言えない咀嚼感に不規則に並んだタコの吸盤の舌触りが良い。
目の前に座る少年はこんな物騒な事をいう子どもだっただろうかーーなんてどこか他人事のような頭で私は同意の言葉を唱えた。