レオーネの手紙はいつもサルディニア島に住む祖父母を介して私の元へ届けられていた。
サルディニア島の住所が記されたトリコロールカラーのエアメール便箋の中に添えられた白い封筒には、住所はなく、ただ「レオーネ・アバッキオ」の字と「Dear 苗字 名前」の文字だけ。
そう、お互いの個人情報を守るためにレオーネは学校の住所と名前を使ってサルディニア島に手紙を送り、私は祖父母の家を経由してレオーネの通う学校へ手紙を送っていたのだ。
私は今一度手元にあるオフホワイトの用紙に綴られたレオーネ直筆の文字を視線でなぞる。
そこに記されている言葉だけでは彼がどうして命を落とすことになってしまったのかまでは理解できそうもない。
「だけどーー……」
私は顔を上げると手先の感覚だけで手紙を封筒にしまいながら裏口から庭にでる。
そしてトラットリアの裏庭に設けられた、2人が眠る小さな墓標に花を生け線香をあげた私はその場で合掌した。
「おじいちゃん、おばあちゃん……私、彼の死を理解する為にネアポリスに行くよ。真実を知ることが怖くないと言ったら嘘になっちゃうけど、レオーネが生きてきた道を、知りたいって思うから」
最後にとびきりの笑みを浮かべた私はろうそく立ての火を息をふきかけ鎮火する。……そろそろ迎えが来る頃だろうと急いでトラットリアの2階に駆け上がった私は纏っていたギンガムチェックのカットソーとカラシ色のフレアラインスカートを脱ぎ去ると前日にハンガーに吊るしておいた約束のノースリーブのワンピースに袖を通す。全身鏡を使って背面のジッパーをしめた私は再び鏡に向き直る。
「おはよう。今日も一日、私のことを見守っていてね」
銀色のチェーンにぶら下げられたシンプルな楕円形のペンダントを優しく、それでいて強く右の拳に握る。これは、レオーネからの手紙が途絶えた日から毎日行っていたおまじないのようなものだった。
どこかで生きているのならーーきっと私のことを見守ってくれるだろうとなんとも子供じみた考えの元身についたこの習慣はもう5年ほど続けている。
そして最後にカプリ島の特産物を模したイヤリングで耳元を彩れば着替えは完了だ。
「それじゃあ行ってくるわ!おじいちゃん、おばあちゃん、また来るから待っててね」
最後に鞄を肩にかけ、部屋履きの靴からボルドーのパンプスに履き替えていよいよトラットリアの玄関を抜ける。玄関扉に鍵をかけて迎えを待つ間庭先から海でも眺めていようかと考えた矢先のことだった。
ブロロロンと音を立てて現れた車がトラットリアの前に停車する。
それは黒塗りの、いかにも……といった感じの高級車で、後部座席のウインドウが開き、中からは見知った人物の顔が顕になった。
「おはようございます、名前。待たせてしまいましたか?」
「おはよう、ジョルノ……いいえ、14分前ジャストよ。早すぎて驚いちゃった」
海へ向いていた身体を180度回転させ、ジョルノの乗る車の元に駆け寄った私が躊躇いつつも後部座席の扉に手をかけようとしたその時。私の手を遮るように横から現れて、エスコートするように扉を開けてくれたのは藤色の瞳と全体的に穴が空いた独創的なスーツを着こなす……そう、ヴェネツィアで会ったフーゴ君だった。
「へ……?も、もしかしてフーゴ君?」
「お久しぶりですね、名前さん。1年ぶりでしょうか」
なんで!?と、言わんばかりにジョルノの方へ視線を向けると愉快そうに目を細めた彼は「とりあえず出発しましょう」と自分の隣の座席をぽんと叩く。
それでも立ち尽くす私を再度催促したのは隣のフーゴ君で「詳しいことは車の中で」と耳元で囁くものだから大人しく車に乗らざるを得なくなってしまった。
Buona giornata!! Epilogue one year later②
「……つまり僕とフーゴは同じ会社に勤める仲間なんですよ。ね、フーゴ」
「はい。……それにしてもまさか、ジョジョが言っていた僕も知っている女性というのが貴方のことだったなんて」
「ハハァ……なるほど。なんだか世間は狭いわね」
街の中を走るフーゴ君が運転するこの車はオルビア・コスタ・スメラルダ空港を目指している。そして空港から飛び立ち向かう先は勿論ネアポリスだ。
車窓から見えるオルビアの景色に、顔馴染みの占い師を探していると、ふと私の中に一抹の疑問が浮かび上がった。
「そうだ。ねえジョルノ……ジョジョって?」
「はは、分かりませんか?『ジョルノ・ジョバァーナ』の頭文字をとってジョジョですよ。まあ愛称みたいなものです」
「へえ、ニックネームね」
試しに1度「ジョジョ」と呼んでみると少し迷惑そうな顔をしたジョルノの視線が私の肌に突き刺さる。ははは、とから笑いを浮かべた私は誤魔化すように鞄の中に視線を預けた。
「ところで名前さん。今回は何日間滞在出来るんですか?そう言えば聞いていませんでしたよね」
「7日間よ。昨日のお昼頃にジョルノに会って……残りは今日を含めて2日間だけね」
有名少年サッカーアニメの某ゴールキーパーのマスコットが付いたファスナーを開き、取り出したパステルブルーのカメラからアルバムフォルダを表示した私は隣に座るジョルノに今回の旅の思い出の写真の数々を見せつける。
前回の旅では行けなかった青の洞窟の写真や毎年通うポンペイ遺跡の風景。ローマは真実の口にヴェネツィアはリアルト橋周辺のホテルから見えた日の出にスカルツィ橋からのぞむ夜景など、王道の観光ルートが詰まったフォルダにジョルノは「よく撮れていますね」と静かに笑った。
「ポンペイに行ったってことはネアポリスにも来ていたんじゃあないですか。中等部の方に顔を出してくれても良かったのに」
「そればかりは勘弁して欲しいわね。第一つぎに会うときはカポディキーノ空港のロータリーだと思ってたもの……」
私はそこまで口にしてとある大きな疑問に直面した。
白タクを生業としていたジョルノになぜ仕事仲間がーーそれもフーゴ君が?
「あのさ、ジョルノ……あなた今、なんのお仕事してるワケ……?」
私たちを乗せた車は前日傷だらけのレンタカーを返却した中古車ショップの前を通り抜ける。何年も前の落雷でできたアスファルトの裂け目の段差をものともせずに走り抜ける高級車は走りが滑らかで乗り心地は抜群だ。
「……僕の格好を見て分かりませんか?」
口を緩く釣りあげたジョルノはウインドウのへりを使い頬杖をつくとほんのちょっぴり首を傾げてみせる。その目はやや細められていて、こちらに向けられたトルコ石はどこか寂しそうな印象を放っている。
私はジョルノの言う通りに彼の格好から情報を得ようと服装に視線をずらす。
去年あった時と同じ形の制服のようだ。改造制服なのであろう、一際目を引くのは大きく開かれた胸元と目を引く3つのテントウムシのブローチ。首元の翼のような装飾……そしてその傍で鈍い光を放つこれは……バッジ?
シートに手を着いて身を乗り出した私はジョルノの襟元をじっと見つめる。普通制服に付けられたバッジから思い浮かぶのは学校の校章だろう。しかし、ネアポリス中高等学校のエンブレムとは異なるもののように見える。
「見たことないエンブレムだけど……これが関係してたりする?」
私が指した先にあるのはやはり襟元で鈍く重厚感のある輝きを放つ金色のバッジだ。学が浅いせいか、何を模しているマークなのかは分からないが1本の矢が亀の甲羅のようなゴツゴツとしたものを貫いているもの……と表現すればいいのだろうか。
「へえ、たった1度、たった4時間一緒に過ごしただけなのに。よく覚えているんだな」
「……当たりだったみたいね?」
「ええ、大正解です」
私はジョルノの言葉にほっと胸を撫で下ろすと彼に倣って1度外の景色を眺める。ここ何日も雨が降っていないサルディニア島では地元の人も観光客も皆半袖姿にお洒落なサングラスをかけてセレブリティな雰囲気を醸し出している。
そう、今日ーー4月のイタリアはオンシーズンで基本的に気温、天気共に安定していることが多い。
故に、私もイタリア旅行はオンシーズンである4月と5月のどちらかに赴くことが多く、突然の豪雨などに旅路を阻まれることなんかはほぼ皆無だ。
そんな中、僅かにつけられた車内エアコンと適当な座り心地のシートに腰掛け悠々自適な私を乗せた黒い車はオリビアの交差点を通り抜ける。頭上の道路看板にはすでにオルビア・コスタ・スメラルダ空港の文字が現れはじめていた。
「ジョルノ、教えてくれないかな。なんとなくだけど予想はついているのよ……1年前に一緒にあれだけ探し回ったじゃない。その時の結論から紐解けば分かる……フーゴ君と君を結ぶ職業はアレしかない」
「……本当に、この1年で随分と可愛げがなくなりましたね、名前」
「きっと私はこの国のことを「理解」しようとしているんだわ。去年のあの日から今日までずっと、考えるのはイタリアのことばかり!何度も言うようだけど私はこの国が好きよ。だから理解したいし、受け入れたいの……それは反社会的勢力である『ギャング組織』のことも例外ではないわ」
刹那、ギュルルルとタイヤのゴムの音を響かせて急停止した車に私の体は浮きあがる。急いでフーゴ君の方へ視線を向けると彼もまた驚いた表情でこちらをーージョルノの方を見ていた。
「ジョジョ……ッ!?」
「気にしないで、フーゴ。彼女には元々すべて話すつもりだったんだ」
不服そうな顔をしながらも、そう言われては仕方ないと再び発進した車は緩やかなカーブを曲がっていく。車通りの少ない時間でよかった、と安堵の溜息を零した私は1度周囲を見渡したあと再びジョルノに向き直った。
「否定はしません。そう、僕らはギャングだ。1年前に2人で探していたナランチャ・ギルガも、貴方の友人であるレオーネ・アバッキオも僕らの仲間だったんです。」
「……やっぱり、間違っていなかったのね。あの時の貴方の仮説は」
「ええ。名前は信じたくなかったかもしれませんが」
しかし思わず口からこぼれ落ちたのは「そっかあ」と意味の無い言葉だけであった。
そんな私の様子をジョルノは気に病んだのかシートに放り出されたままの私の手に自身の手を重ねると優しく包み込んだ。それにハッと顔を上げればジョルノの澄んだ瞳と視線がぶつかり合う。
「……ええと、とりあえず話してくれてありがとう。本当は言いたくなかった?」
「本音を言えばそうですね…… 名前はギャングというものに嫌悪感を抱いていると思っていたので」
「ふふ……馬鹿ね。ギャングという肩書き以前に君はジョルノ・ジョバァーナじゃない。それにギャングだからって私がジョルノを嫌いになるとでも?」
私の言葉に面を食らった表情のジョルノはすぐに目元を細めると「それもそうですね」と微笑む。ようやく笑顔が見られたことに安堵した私は空いていた方の手で更にジョルノの手を包み込むと彼を倣うように笑みを浮かべた。
「……ネアポリスに着き次第、アバッキオの元へ案内します。その中で、更に辛い話をすることになりますが……覚悟は出来ているんですよね?」
「ええ、覚悟はできてる……だって私、その為にネアポリスへ行くんだもの!」
ジョルノの忠告のような言葉に私は彼の手をぐっと握りながらそう答えた。目と鼻の先にある彼の端麗な顔立ちが私の心を奮い立たせるのだ。
私の返答に酷く満足そうな表情を浮かべたジョルノは再び目を細めると「貴方は強い人ですね」とどこか誇らしげに呟いた。