「貴方の事が好きですっ!付き合って下さい!」
スタッフルームにて、誰かが惰性で見ていただけのテレビから流れたその言葉がやけに耳に残った。
涙で顔をぐしゃぐしゃにした流行りの女優が可愛いから?それともこのシーンがドラマの最大の見せ場だったからだろうか。
そんなチンケな台詞に感化されてテレビに視線を向けてしまうだなんて悔しくて悔しくて。私は手元のティーン雑誌を食い入るように見つめた。
動悸、息切れ、目眩。これは恋の「自覚」に対する三原則であるーー。
でかでかと大見出しに書かれたしょうもない文字列に私は盛大に眉を寄せた。馬鹿正直に言わせてもらうならば「ああそうですか」と言った感じだ。
「そんな顔するぐらいなら雑誌返して下さいよ〜…… 名前先輩〜……」
「……そうね、これはもう必要ないわ。貸してくれてありがとう」
コテンと私の肩に頭を乗せた後輩に素直に雑誌を返却すれば彼女は目元口元を酷く緩ませながらこちらを見つめている。どうやら20代半ばの職場の先輩が10代女子の情報誌を真剣に見ていたのが面白かったらしい。
「感想を望んでいるのなら正直に言うけれどそんなの読んでいても時間の無駄ね。その時間を使って爪のひとつでも磨いて身なりを整えていた方が自分の為になるわ」
「あーやっぱり!絶対そーいうと思ったもん!だから貸したくなかったのに!」
「だって事実じゃない」
優しく私の背中を叩き抗議する後輩を適当に躱し今度は切ないメロディーの主題歌が流れるドラマに視線を向ける。抱き合う2人のシルエットを見る限りどうやら恋は成就したらしい。
美男美女、純粋で可愛らしいティーンエイジャーの恋。今の私には少々心苦し過ぎる光景にフィクションだと理解しているのになぜだか酷く胸が傷む。
(まあ、私にも全く縁のない話ではないのだけれど)
……というわけで遅ればせながら自己紹介をしようと思う。私はM県S市杜王町に住む一端の社会人、名前は苗字名前。今日も一日、カメユーチェーンというデパートにて無事に勤務を終えたごく一般のOLだ。
「苗字さん、今日もきてるわよ。例のカレ」
「すみません……いつもいつも……」
そんなどこにでもいる所謂「社会の歯車」の私には少しだけ変わった悩みがあった。肩に手を置いて先を急ぐようにと促してくれた上司にお礼と謝罪を述べてから早急に着替えを済ませてしまう。そんなに急いでどうしたのだと聞く者は誰一人おらず、最早この光景が恒例となってしまったのだというのがよく分かる。
「どっひゃ〜……それにしても相変わらず凄い髪型ですね〜?顔が良いだけ勿体ないなあ」
「はは、ソレ絶対本人の前で言っちゃ駄目だからね?」
隣でノロノロと着替える後輩にやんわりと釘を指した私は皆に挨拶を述べてからスタッフルームを出る。その足取りは軽くて我ながら現金な女だ。
「名前先輩ったら、愛しのジョースケくんが来ると人が変わっちゃうんだから!」
普段から可愛がっている後輩のそんな面白がるような声が聞こえた気がするが気にとめている時間はない。私は悩みの種、兼想い人である東方仗助に一刻も早く会いたいのだ!
ティーン
エイジャーの
恋を
肯定せよ!
「わっ、雪……!予報より早く降ってきたわね」
「そ〜っスね……酷くならないうちに帰らねーと」
出待ちをしてくれていた彼とデパートを出た私を出迎えたのはしんしんと降り積もる雪。その光景に驚きの声をあげた私に返事をするのは自身の通うぶどうヶ丘高校の制服ーーといっても改造制服なのだがーーに身を包んだ東方仗助だ。
彼の身体情報を幾つかピックアップするのなら180センチを超える日本人離れした長身に彫りの深い顔立ち、軍艦の様なリーゼントヘアーだろうか。とにかく大変記憶に残る容姿をしており、当然学校中の誰もが知る有名人らしい。現に私の職場の皆は既に仗助君の顔を記憶している。
「ところで……もうすぐ期末試験でしょう?勉強は捗ってる?」
私の安物のブーツと仗助君の拘りのブーツが隣合って歩道を覆う雪の形を変えていく。自身の記憶を辿りながら私がそう問えば彼は寒さから赤くなった頬を緩ませてニカッと笑う。
「俺は平均辺りをキープしてるんで!進級は確実だぜ」
「……進級出来るのは当たり前の事なんだからね?自慢げに言うものじゃあないわ」
予想外の言葉に私が呆れたように眉を下げながらそう言えば仗助君は「それが……当たり前じゃないヤツもいるんスよ」と笑う。どうやら彼の友人は進級が危ぶまれる程までに成績が良くないらしい。
「ま、まあとにかく、仗助君もフツーで満足なんかしちゃあ駄目よ。それにどうせ冬休みの間ずっとゲームでもしていたんでしょう。勉強しなきゃ成績落ちてるかも」
「えっ、いや!なんでそれを……」
「幼なじみのおねーさんをナメないことね。仗助君の事なんてお見通しなんだから」
ざくりと歩道に振り積もった雪を踏みしめ彼を追い抜かし言い放てば、仗助君は破顔した。初対面では萎縮してしまいそうな程に大柄な彼の中身は年相応に少年らしく可愛らしい。
「私は町立図書館ーー「茨の館」でよく勉強してたわ。あそこの内装素敵なのよ……確か最近の噂では『うめき声を上げる奇妙な本』があるんだとか」
知ってるかしら?と続ければなんとも言えなさそうな表情の仗助君。私がそれを訝しげに見つめれば分かりやすく動揺した彼がきまりの悪い答えを返した。どうやらその奇妙な本について思うところがあるようだ。
「つーか勉強するだけなら自分ちで十分っスよ!わざわざ他所にまでいってするモンでもねーし」
「何言ってるんだか……仗助君は私室だと漫画やゲームとかで気が散っちゃうタイプじゃない。それこそ昔みたいに家庭教師がいるなら別だけど?」
「昔って……何年前の話してるんスか」
再び彼と足並みを揃えた私は杜王町の街を歩く。隣をすれ違う年の離れた姉弟を目で追った私はほんの4年前の出来事を思いかえすーー自分が高校生で仗助君が中学生になるほんの少し前の事だ。
(長期休みの宿題はいつもお手伝いしてたなあ……)
記憶の中の幼い仗助君を思い出して私は目を細める。今も昔も変わらず心優しい彼の事がずっと大好きだったのだ。弟のように可愛がってきた仗助君のことを、私は好きなのだ。
(嫌になるわね……仗助君の事は大好きだけど私達には埋められない決定的な溝がある。第1私がそんな気持ちになる事すらいけないことなのかもしれない)
頭をよぎるそんな焦燥に辟易としている私を追い込むように現れたのはダッフルコートを着込んだ若い女の子達。コートの丈からのぞく膝丈ぐらいのスカートから仗助君の通うぶどうヶ丘高校の女子生徒であることが伺えた。
「あっ!仗助くんだわ!今日も髪型キマってるわよーっ」
「キャーッカッコイイーッ」
そして忘れることなかれ、仗助君はぶどうヶ丘高校きってのイケメンなのだ。いいや、顔がいいだけじゃあなく中身も純朴で誰もがフレンドリーに接することが出来る存在。
つまり何を言いたいかと言うと、そんな仗助君を目の前にして女子生徒達が黙っているはずもないのである。こちらに駆け寄ってきた女生徒は「どーも」と挨拶する仗助君に身をすり寄せるとその可愛らしい顔を綻ばせた。
「来週期末テストでしょ?これから私たちファミレスに勉強に行くんだけど仗助くんもどう?」
「私たちが勉強みてあげるから来なよ〜」
2人いるうちの髪の長い女子生徒が仗助君の腕を掴む。せっかくの2人きりの時間が壊されてしまう!頭の中を嫉妬でいっぱいにした私は目の前で繰り広げられる光景を見ていられなかった。
やはり仗助君は高校生で、そんな彼は同年代の彼女達といるほうが自然なのだ。時には歳の差があるから何なのだ!と強く世間に反発し、自分を肯定しようと考える。
そしてその度に思い知らされるのだ、私のひとりよがりな考えは今まで築いてきた仗助君との信頼関係を簡単に破壊し得る可能性を孕んでいるのだと。
(ここ最近ずっと仗助君と一緒にいられたんだもの……その幸せの代償なのかしら。こんな辛い思いをするなんて)
目の前では仗助君のことが好きなのであろう女子生徒達が寒さ以外の理由でほんのりと赤く染めた顔を破顔させて彼の答えを待っている。
ああ、可愛らしいティーンエイジャーの恋。
今仗助君がどんな表情をしているのか知るのが恐ろしい私はなんとかしてこの場を立ち去ろうと模索するーー……なんて幸運だ、携帯電話に一通のメールが届いている。
「仗助君、私1度会社に戻るわ。先に帰ってもらって結構だから……また今度ゆっくりとお話しましょう」
できるだけ深刻そうな顔をして、私は携帯電話の画面を見つめながら簡素に言い放ち踵を返した。なんて態度の悪い女だろう。わざとその場の雰囲気を悪くして帰るだなんて最低だ。
「仗助の馬鹿……」
先刻よりも酷くなってきた雪に「まるで自分の心を体現しているようだ」と鼻で笑った私は一刻も早く仗助君の視界から消えようと早歩きで来た道を戻っていく。
ティーンエイジャーの恋を肯定せよ!ーー数十分前に読んだ雑誌の企画テーマを思い出す。結局世の中は私のような先人達の轍からはみ出た異端者を嘲笑うのが大好きなのだ。同年代同士での恋が普通で、年の差のある恋愛は異常なのだ。
「名前っ!」
だから追いかけたりしないでよーー背中越しに伝わる彼の温もりに目を見開いて頬を緩めた私は目じりに溜まった涙を指で拭う。仗助君がそうやって諦めようとするたびに手を伸ばすから、私はいつまでも君との恋にすがり付いてしまうのだ。
動悸、息切れ、目眩……それは仗助君の暖かい手が触れるたび私を襲う感覚。これが恋の自覚だというのなら私は彼と出会う度、何度も何度も恋をしているのだ。