「週末ゥ? ムリムリ!だってその日はシーザーが広場に来るって言ってたんだもん」
僕の「週末会えない?」というお誘いに、テラス席対面側に腰掛けた彼女は蜜蝋とセーム皮で磨かれた透き通るような爪に目を向けたままそう返した。
「ええと……「シーザー」?」
ようやくその薄ピンク色のネイルから目を離した彼女は僕の至極真っ当な筈の疑問に心底理解できないといった表情を浮かべる。次の瞬間にはわざと大きくため息をついてみせた。
「アンタって本当に世間知らずよね。最近ここら辺で見かけるようになった金髪でオンナの子に優しいハンサムボーイの事よ。あーん!そういえば 先週会った時なんてね……」
『僕の彼女』の口から次々と語られるのは名前と髪色しかしらない「シーザー」という男の事ばかり。僕はそれがとても面白くなくてテーブルに置かれたポテトフライを口に運ぶ。
「なァ もしかして その爪も……シーザーって人の為に磨いてきたの?」
『僕の彼女』は一拍の間もおかず「勿論」と答えると席を立ちコチラに手を振った。僕は何も言わず彼女に手を振り返すとコーラに口付ける。
カラになったケーキの皿とカッフェのカップ、そして彼女の残り香と伝票だけが僕の元に残った。
週末ーー僕は街に繰り出していた。理由は勿論、「シーザー」に会うためだった。
彼女曰くシーザーは買い物終わりにこの広場で必ずお茶をするらしく、その際にはたくさんのガールフレンドを侍らせているのだとか。両手に抱えきれないほどの女性全員を一度に相手してしまうというのだからおそろしい男だ。
僕は朝早くから聞き込みをしてその情報ともうひとつ、買い物の際に長身の男を連れているという情報を手に入れた。シーザーよりも巨漢で、190センチを優に超えるという話だった。
僕は一度、広場にあるベンチに腰掛け、張り巡らせていた緊張の糸を解いた。
履きなれない細いシルエットの革靴に淡い色のニットのリブドレス。それなりに骨太な腕を隠すように装着された手袋……そして知り合いから顔を隠すための帽子。
そう、僕は今「女装」しているのだ。
蒼穹の向日葵
僕は聞きこみ調査の結果、シーザーが一番利用する喫茶店を導き出し、そこがよーく見える位置のベンチに腰掛け彼が現れるのを待っていた。僕の家から彼女のメイク道具や服と一緒に拝借した恋愛小説に目を通し時間を潰しながら待つ作戦だったのだ。
しかし、待てども待てどもシーザーとそのお供のノッポは現れない。僕が先に昼食を済ませればよかったーーと、ベンチから立ち上がった次の瞬間のことだった。右足中指あたりに激痛が走ったのだ。
「痛っ! あちゃー……靴擦れかよォ……」
痛みからもう一度深くベンチに座り直した僕は額に浮き上がってきた汗をハンカチで拭う。幸い近くのバールの店主とは知り合いだ。彼に頼んで適当に治療をしてもらおうーーと考えて僕はそれをすぐに取り消した。この格好で店主の元へ行っても笑いものにされるだけだ。
(ふう……。もうシーザーのツラを拝むとかって話じゃあないや。はやく家に帰らなきゃ)
僕の彼女があれ程入れ込む男とはどんな人物なのだろう?そんな好奇心からわざわざ女装したが無駄という結果に終わった。朝からの聞き込みも数日前から練習したメイクも全部水の泡さ。
すっかり意気消沈してしまい、俯き右足を若干引きずるようにして歩いているとふと大きな影が僕を覆った。僕を照りつけるように真上で光を放っていた太陽の方へ視線を向ける。僕と太陽の間に割って入ってきた男の金色の髪は光を帯びていた。
目の下、両頬にみえるアザがチャームポイントのその金髪の男は同じ男であるハズの自分よりも一回り、二回りほど大きな逞しい身体つきをしている。男は身体を屈めたと思ったら次の瞬間には僕を抱き抱えていた。
「へっ!? あなた一体なにをなさっているのですか……?」
所謂「お姫様抱っこ」で抱き抱えられた僕は羞恥と情けなさで顔に熱を集める。先程よりもグンと近くなったアザの男は和やかなシャボンの匂いを漂わせながらなんでもないように笑う。
「失礼、名を名乗る前に女性の身体に触れてしまうなんて……俺の名前はシーザー・A・ツェペリ 素敵なセニョリータ、ぜひ貴方の名前も教えて欲しい」
シーザーと名乗ったその男は僕を抱き抱えたまま例の喫茶店に入っていく。抵抗しようにもどう抵抗すればいいのかも分からない。変に暴れて男だとバレるのが一番まずい!
シーザーは店主に何か一言いいつけると店の一番端の席に僕を座らせた。
「右足を痛めていたでしょう。無理は良くない、その綺麗な脚に傷が残る前に治療しなくては……ね? 」
綺麗な金髪に恵まれた体格、そして女性に対する紳士的な態度……そしてシーザー・A・ツェペリという名前。目の前で店主から救急箱を受け取っているこの男こそが!『僕の彼女』が惹かれた男なのだろう。
「靴を脱がしてしまうよ」
そう言ってシーザーは床に膝を着き僕の靴紐を解く。僕がその動きをずうっとただ眺めていると細身でサイズの合わない窮屈な靴の中に隠れていた透き通るようなピンクのペディキュアが顕になった。
「驚いたな……とても素敵なペディキュアだ。フッ 治療中だと言うのについついそちらに視線がいってしまったよ」
「あ、ありがとう シーザー。昨日磨いたばかりなの」
シーザーは一度こちらに視線を向けるとそう言ってはにかんでみせる。昨日の夜、退屈しのぎで彼女の蜜蝋でこっそり磨いてみたのが功を奏したようだ。
(ン……?功を奏した……?)
僕は頭をブンブンと横にふると再び意識を目の前で(目の下で?)治療に取り掛かっているシーザーに意識を戻す。
確かに先程シーザーにペディキュアを褒められた際にちょっぴり嬉しかったのは事実だ。しかし相手は恋敵、気を弛めてはいけない。
「靴擦れ……もしかして靴のサイズが合っていないのでは? 」
「あぁ……そうかもしれませんわね。ええと、姉からのお下がりでしたから」
患部にシーザーの手が触れる。それによって痛みを感じた僕がシーザーから目線を逸らすと彼は律儀に「すまない」と謝罪を口にした。
「おまじないをするよ。君に愛の魔法がかかるように……そして俺の唇にも愛の魔法がかかるように」
「は?」
次にでてきたシーザーの突拍子もないそのキザったらしい妙なセリフに僕は思わず地声を漏らす。そんな僕に気が付かないのかシーザーは右足中指あたりの患部に唇を近づけていく。
(何故だ? なんでだ? なぜ患部に口づけようとするんだ? )
僕はとうとうパニックになりただ目をギュッと瞑ることにのみに集中することにした。シーザーの近づいてくる気配を強く感じる。
「あっ」
脳が唇との接触を理解するのとほぼ同時くらいだろうかーー僕の身体を静電気のようなものが駆け巡った。その衝撃にきつく閉ざされていた瞼は開け放たれ、一文字に結んだ唇からは声が漏れる。
「シ、シーザー? いまのは何だったの? 」
思わず出てしまった上擦った声が店内に響いてしまったのだと理解した僕は極めて声のトーンを落とすと彼を責めるように声をかけた。
しかし、シーザーはけろりとした表情で残りの治療を進めている。
「どうだい 痛みはまだ残っているかな」
「! そ……そういえば! 痛くなくなったかも……」
テキパキと、手馴れたように処置を終わらせたシーザーは僕に靴を履かせると靴紐を緩めに縛った。
「帰りは送っていこう。無理は禁物だからね」
それだけ言うと店主の元へ救急箱を返しに行くシーザー。彼を見送った後、僕は項垂れるようにしてテーブルの上に顔を填めた。はあ、アイツはなんて男なんだ。
「かっこいい…… か も 」
言葉にすることによって改めてシーザーに対する意識を再確認させられた僕は元々赤くなっていた頬をさらに赤く染める。僕は最低だ……彼女がいるのに、男にうつつを抜かしてしまうなんて!
(彼女に悪いし……やっぱりシーザーには失礼だけどこっそり帰るしか)
僕は思い切って席を立つと近くにいたウェイターに先に帰る趣旨を伝えるように頼むとすぐに出口へ向かう。
シーザーに見つかったら気まずいし早く店からでないと!と、早足になってしまったのが運の尽きか、僕は盛大によろけ、前に倒れそうになる。
……が、そうはならなかった。
分厚い筋肉の壁が僕の
「危ねぇ!いきなり突っ込んで来るんじゃあねェーよ!」
「うっ……す、すみません!僕の不注意ですッ!」
僕は筋肉の壁から開放された身体で何度も頭を下げる。強靭な身体をもつ目の前に立つはクセのあるダークブラウンの髪の男。シーザーよりも背が高いし、シーザーよりも言葉遣いが荒い。そして僕とその男のやり取りはやはりと言うべきか店内を丸ごと支配していた。ああ、勝手に帰ろうとしていた事が彼にバレてしまう!!
「きさまJOJOッ!彼女になに乱暴してやがるッ! 」
そうこうしていると不意に平謝りする僕の肩が後ろにグッと引き寄せられる。すると先程の肉壁よりも少しだけ薄い胸板が僕の頭にぶつかりポスンと音を立てた。
シャボンの良い香りが鼻腔をかすめる。恐る恐る頭上を見上げてみればそこには店内の照明に当てられた金髪が先程とは違った色を飾っていた。
「シーザー……!」
「シーザー!テメェよくも!俺ひとりに買い物を押し付けやがって! 」
JOJOと呼ばれた男の言葉に今度は僕が目を見開いた。この親しげな様子を見るにこの男が今朝の聞き込みで聞いたお付きの男なのだろう。言われてみれば聞いた話と一致する外見をしている。
「あ、あのう……シーザー? 私、帰りますね? 」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。すぐにこの男を黙らせるからーー」
言い合いに発展してしまったシーザーとJOJOの間に挟まれた僕は肩に置かれていた彼の手をそっと剥がして懐から抜け出る。シーザーにもお迎えが来たようだし、お開きにする自然なタイミングは今しかないだろう。
「今日はありがとう。是非また声を掛けてください」
しかしいざシーザーのもとから離れると、自分から出ていったはずなのになんだか凄く物悲しい気分になった。僕は浮かない顔をしながらあと何かもうひとつだけ彼と話せる話題はないだろうかと頭をひねる。
「あっ そうだ自己紹介……私はナマエ 。ナマエ・ミョウジ 。私からも……おまじないをさせていただきます」
僕は再び一歩、シーザーの懐に入り込むとその胸板に口付ける。慣れない事をしたものだから真っ赤に染まりきった僕の顔はきっと物凄く熱いだろう。
目は合わないように、決して視線が交わることの無いように上目を向けるとシーザーの口元がパクパクと動く。されど音は発さない。
僕はそれだけを確認すると一歩引き下がりそのまま背を向け、店の外へ出ようと歩を進める。
「待ちな、ナマエ……つったっけ? 見てみろよシーザーちゃんの顔、面白いことになってンぜ」
JOJOに肩を掴まれた僕が素直にシーザーの方へ振り向くと彼は見たこともないようなほど顔を赤く染めていた。ガールフレンドをたくさんの連れて歩いているというあのスケコマシが、だ。
釣られてさらに顔を赤くする僕。
そのまま何も言えないままのシーザー。
空気を読んでか一言も発しない喫茶店の店主やウェイター。
この沈黙を破るのは数十秒後「アラアラ」と含み笑いを浮かべたJOJOの言葉となるのを僕はまだしらない。