辺りの住宅とはあからさまに様子の違う威圧感を放つ豪邸はカーテンが全て締め切られている。
こ、これが大人気漫画家のお家なんだ……!
と唾をごくりと飲み込んだ東方名前はインターホンにドキドキしながら指をたてた。
「お……お邪魔しま〜す……」
あの後、インターホン横に付属したスピーカーから「勝手に上がれよ」と指示を受けたので本当に勝手に上がらせてもらった名前は下駄箱上に設置されたスリッパ置きから一足拝借して、ついに岸辺家への第一歩を踏み出させてもらった。
当然岸辺露伴がいまどこにいるかとかは全くもって分からない名前はいちばん近くにあった小さめの扉を開けた……がそこは御手洗で、名前はひとりずっこけた。
「まったく……何をしているんだ、君は」
名前がその声のした方向をみると、階段から降りてきた岸辺露伴と目が合った。
彼の顔色はよく、仕事中に訪れてしまったわけではなさそうなことに名前はほっと一息ついた。
「……康一さんの代わりに物を返しにきただけですよ、セ・ン・セ 」
「そうだったのかい……いやご苦労ご苦労、康一君と違って暇人なんだなキミは」
露伴の言葉一つ一つから感じ取れる嫌味に名前は眉毛がピクリと痙攣するのを感じた。
この男は名前の兄である東方仗助と因縁があるが為に妹である無関係な彼女にも凄まじくウザイ絡みを向けてくる……そんな面倒な男なのだ。
それでも……わざわざ康一からの誘いに積極的に乗っかり露伴の家に荷物を届けようと考えたのは名前が運悪くも岸辺露伴に一目惚れしてしまったからだった。
ムカつく気持ちよりも少しでも長く露伴と話していたい気持ちが勝った名前は康一が露伴に借りていた漫画ーー少女漫画について言及することにした。
「……ところでセンセイったらそーゆー漫画読むんスねー……」
「……当たり前だろう僕は漫画家だぞ 少女漫画の一つ持ってて何がおかしいんだ? 」
「べっつにィ……おかしいなんて言ってないんですけど……強いて言うなら、そういうので、その……勉強してんだなーなんて」
何言ってんだお前といった表情の露伴と、自分でも後半何を言っているの分からないといった表情の名前はお互い黙ってしまった。
「なんでもないっスわ……帰ります」
名前は露伴から体ごと目をそらすと玄関へ足を向けた。
別に……別になんとも思ってないし……別に少女漫画的展開になったらいいななんてちょっぴりも思ってねーし!! と、名前は涙目になりながらサイズの合わないスリッパをパカパカいわせながら歩を進める。
「オイ 帰るのか? 」
「……ええ 帰りますよ……アンタが思ってるより私は暇じゃないんで! 」
スリッパを脱いで学校推奨ブランドのローファーと履き替えると露伴には見向きもせずにドアの取手に手をかける。
「……お邪魔しました」
家に入ってきた時とは違う弱々しい声に名前は自分自身驚いていた。
入ってきた時は期待や緊張で声が震えたが、今はどうだろう……勝手だが期待はずれだったために落ち込んで声が萎んでしまっているのだ。
心の中で名前は「少女漫画ならここで帰ろうとする彼女の手を引くのが男なんスけどね」と呟くとそのまま力も入れずドアを開け放つ。
ほんの少し、0.5秒ぐらいだけ立ち止まどまる。やはり露伴は何も言ってくれない。
「私って そんな魅力ないんスかねー……」
落胆の気持ちからモヤモヤした名前は自分自身が気づかないほど無意識にそう口走った。
しかし露伴にはしっかりと聞こえてしまっていたようで彼は目を真ん丸にすると思わず「は?」と声を出した。
「え?」
名前の視点からすると不意に放たれた露伴の言葉に彼女は勢いよく振り向くと期待していた気持ちもあり驚いた声は上ずってしまっていた。
しかし露伴の口から出た言葉は甘い言葉や引き止める言葉ではなくただの疑問の言葉……それも随分品のないたったの一文字の言葉。
「どうしたんですかセンセイ、急に声出して……遂に兄貴にやられた傷が原因で気が触れちゃったンスか? 」
「そんなわけないだろうこのスカタン」
分かってくれとは言わないがほんのちょっとでも期待した自分に再び幻滅した名前は「それじゃあホントに帰りますので」とヒラヒラと適当に手を振ると開けっ放しにしていたドアから外へ一歩足を踏み込む。
案外あっさりと踏み越えられたそのラインに名前は心底嫌な気持ちになって露伴には聞こえない大きさのため息をついた。
今更礼儀良くして帰る必要はないなと片手で適当にドアを閉める。名前はすぐに傍に敷地内に無断で停めていた自転車に跨った。
「待てよ」
キックスタンドをなんとなく思いの丈をぶつけるようにして上げた時だった。強く蹴り上げられスタンドの金属部分が響く大きな音と共に露伴がわざわざ家の外まで見送りに来ていたのだった。
「どーゆー風の吹き回しですか?露伴センセイが見送りに来てくれるなんて」
名前はすぐに自転車から降りると先ほどよりもぐっと優しい力でスタンドを蹴り下げた。
「……センセイ?」
内心大喜びだった名前も待てと言ったきり何も言わない露伴に思わず首を傾げざるを得ない。まさかスタンド攻撃を受けているのか? と名前はゆっくりと露伴の方へ近づくとすこし俯き加減だった露伴の顔を腰を曲げて覗き込んだ。
その瞬間、不意にもの凄いパワーで腕を引かれ半周ほど回転させられると玄関のドアに体を叩きつけられた。幸いドアノブに体をぶつけることは無く、少しの怪我もなくすんだ。
「いいか、名前 1度しか言わないからしっかりと聞いておけ」
名前はすぐさま口を閉じ、空いていた手で口元を覆ったーー露伴の顔がすぐ近くにあったのだ。そんでもって露伴の家に来る前にオーソンでピザまんを食べたのを思い出したからだ。
露伴の言葉にただ必死に頷くことで返すと「よし」と言ってそのまま言葉を紡ぎ続けた。
「君は自分に自信がないようだが……僕は十分お前のいいところを知っている……大体名前! 君は兄と違って僕にも優しいじゃあないか! 康一くんとも仲がいいようだし……それにあのプッツン由花子ともいい関係を築けるなんて君ぐらいなものだろう!! ええとそれから……」
露伴は懸命に名前のいい所を挙げてくれている……がしかし、対する名前は言葉の内容が頭に入って来ず遂には自身の口臭を気にするあまり息を止めていた。
息を止めていることと普通にドキドキしていることが合わさって超デカイ音量の心音が響いていることを悟った名前はすぐそばにいる露伴に聞こえてしまうのを避けるため自らのスタンドに自身の心臓を握らせた。
ふう……これで一安心とリラックスするもそれはつかの間。次第に視界が歪み世界は白色のモヤに包まれていく……もしかしなくても自分のスタンドで死ぬのかと何故か酷く冷静な頭で名前は自分自身に呆れた。意識を失う前にスタンドに命令を下すももう遅い、次第に重くなる瞼に逆らわず名前は意識を飛ばした。
「あとはアホの億泰にも勉強を教えてやったりーー……ってオイ 聞いているのか? 」
露伴はなんの反応も見せない名前に少しイラついたように声を上げた。しかしそれでも名前からの反応はない。
カチンときた露伴が強めに彼女の名前を呼ぶと名前は突然、露伴に体を預けるようにして腕の中へ入り込んでしまった。
「オイオイオイ……急にどうしたんだよ……ま、まさかだとは思うが僕に抱きしめられるのを待っているのか? 」
察しのいい読者のみなさんならお気づきだろうと思われるが状況の説明をするならば名前は今、気を失い重心が崩れた所を偶然露伴の腕の中へ身を委ねる形になっただけで決して抱擁待ちであったわけではない。
そんなことは露知らず露伴の心臓は早鐘を打っていた。シンプルにこの状況ーー密着感に対するドキドキと、あの仗助の妹なんぞにドキドキさせられるとはァ〜ッという怒りで彼の心拍数はドンドン跳ね上がっていった。
「と……とにかくなんとか言ったらどうなんだッ!?東方名前! 」
「……」
「くそっ……シカトこきやがって! 折角褒めてやったというのに……」
悪態をつけばすぐに返事が帰ってくると思い込んでいた露伴はそれでも尚だんまりを決め込む名前に驚いた。
「そんなに無視をするっていうならコッチにも考えがあるぜ……! ヘブンズ・ドア! 」
そのままあっさりと本になった名前に露伴は逆にたまげて声を上げた。こいつマジに何かスタンド攻撃をうけてるんじゃあないかと心配した露伴は名前の記憶を読むことに専念した。
『康一さんがセンセイからレンアイ漫画を借りていることを知った 返しにいきたいけど 今日は由花子さんと下校するから寄り道はデキナイそうだ』
「ふむ……これはきっと今日の学校での記憶だろうな……なるほど康一くんが来られなかった理由はそういうことだったのか」
露伴は頭の中で康一が名前に頼み込んでいる姿を想像した。ああ康一くん! 漫画本くらいきみになら何日だって何ヶ月だって貸してあげるのに!相手の都合を考えられるなんてやっぱりきみは優しいなァ! と脳内で康一を祭り上げた。
『まあ別に明日でもいいんだろうけどさあと康一さんは困ったように言うと だれか代わりに返してきてくれないかとワタシと兄貴と億泰さんにそう告げた』
『兄貴や億泰さんがなにかを言う前にワタシが手を挙げて漫画本を返しにいくコトにした チャンスをものにデキタ自分に拍手を送りたい』
そこまで読んで露伴は名前の顔に目を向けた。まさか自分から率先して僕の元へ来たのかと思うとなんだかむず痒い気持ちに駆られた。
『自転車カゴに漫画本の入った紙袋を入れて露伴の家まで出発 彼の家には行ったことがないから到着できるか心配だ』
『センセイの家に着くまでの道のりにオーソンを発見 お腹の音が鳴ったら恥ずいのでピザまんを食べた』
どうやらここまでが僕の家まで来る道筋だったようだ。今までの所で変わった様子はなかった……と、なるとこの先のどこかで敵スタンドにやられた可能性が高いぞ! と露伴はさらに気合を入れて次のページをめくった。
『初めて入るセンセイのお家 緊張する 玄関も広いし きっとたくさん部屋とかもあるんだろうなあと適当な部屋のドアノブをひねるもそこはごく一般のトイレだった 』
『センセイが階段から降りてきた お仕事中じゃなくて良かった 顔色も悪くないし元気そうでなによりだ』
「……はっ!? なんだよコレッ!」
露伴の記憶では名前の口から今までこんな労わるような言葉を聞いたことがなかった……筈なのに! 再び早鐘を打つ心臓に心の中で悪態を付きながらさらに露伴はページをめくる。
『相変わらずセンセイはワタシにひねくれた言葉をぶつけてくるので言い返してしまう それでも もう少し話していたいので話題を切り替えてみる』
『結局長続きしなかった為 すぐに帰ることを余儀なくされた レンアイ漫画ならここで手を引いてヒロインを引き止めるところだ』
露伴は正直もうこの先を読みたくなかったーー彼女の気持ちがハッキリと浮かび上がってくる前に見るのをやめたかった。それでも今名前が口を聞かない状況のヒントが彼女の記憶に残されているのなら見なければならないと腹を括った。
『帰ろうと自転車にまたがった時 不意にセンセイが声をかけてくれた あまりにも不審な様子にスタンド攻撃かと身構えた』
『次の瞬間 いわゆる壁ドンをされた なにを考えての行動かは分からないがまずい ピザまんが! 心音がまずい! 抑える為に息を止めスタンドで心臓を掴むと次第に意識 が とお の い て 』
露伴は最後までみるかみないか辺りですぐに名前を本の状態から戻すとスタンドで心臓マッサージを始めた。
「クソッタレの名前め……ッさすがに馬鹿が過ぎるんじゃあないのか!? 」
スタンド使いになってから何度か死線をくぐり抜けてきた露伴にもスタンドを使っての心臓マッサージなどやったことはない。
ヘブンズ・ドアが懸命に心臓マッサージを施している間に露伴は名前の身体をしめつけているブラジャーのホックを外してやる……彼の名誉のために補足するがこれは懸命な判断だ。
ところで心肺停止の相手に人工呼吸をするか否によって一年後生存率にどれほど差が出るか知っているだろうか?
人工呼吸なしの心臓マッサージで4.6% 人工呼吸ありの心臓をマッサージでは5% で対してあまり大きな差はない。
それでも突然目の前で心肺停止の人間が現れたらそんな知識、たとえ知っていたとしても頭の中からすっかり抜け切ってしまうものだろう。そしてそれは岸辺露伴も同様だ。
ついに露伴は意を決して人工呼吸に取り組んだ。最後に訓練を受けたのは車の免許を取る時だったか、なんとか記憶を頼りになんとか救助にとりかかる。
「ハァー……ハァー……まったく世話が焼けるよ 目を覚ましたら覚悟しろよな」
ヘブンズ・ドアに再び心臓を握らせる露伴。その顔は怒っている様だったが確かに赤く染っていた。
わかってくれ
とは
言わないが
それから幾度か胸骨圧迫(スタンドか直接心臓を握っているのだが)と人工呼吸を繰り返した露伴は自身の唇を撫でると再び名前に口付けた。
すると息を吹き返したのか名前はケホッケホッと咳をするようにして息を吐いた。むせることが出来るということはそれだけ元気な証拠だ。心臓がしっかりと動き始めたことを確認した露伴は名前に安全体位を取らせると一安心といった様子でそのまま地面にドサッと音を立てて座り込んだ。
少し離れたところですやすや寝ているような名前の口は空きっぱなしで端からはヨダレが垂れている。露伴は残るピザまんの香りにペロリ自身の唇を舐めると悪態を付いた。
「君という奴は……まったくムードもヘッタクレもない女だ」