憧れ
目が覚めたアゲハの視界に一番初めに写ったのはグリーンの瞳と整えられた髭が特徴的な老人ーーそれは倒すべき対象であるジョセフ・ジョースターだった。
周りには同じく敵であるアヴドゥルとポルナレフ、そして離れたところに花京院の姿も確認できた。
「…… ……!!」
私は花京院に敗北したのだーーその事実に気づいたアゲハは次にどうして自分が生かされているのかを考える。そしてジョセフのスタンドで「DIO様の情報を聞き出す」為であると結論づけたアゲハが自決用のナイフをスカートのポケットから引き抜こうとした瞬間だった。自身の置かれた状況をよーく見てみると、とても身動きできる状態ではなかったのだ。
「ウゲェ! 気持ちわり〜!! 」
「そういうお前にも同じモノがついていたんだぞ」
観念してジョセフ達の方へ向き直ったアゲハの傍に近づいてきていたポルナレフはおもむろに彼女の前髪をかきあげると盛大に顔を歪めてイヤそ〜に舌を出してみせる。そんなポルナレフにアヴドゥルは落ち着いた声で返すがアゲハには自身の額に何が起きているのかなど見当もつかなかった。一体自分の額に何が起こっているのだろう。
「……ひとまず承太郎が戻るまではこの子から『肉の芽』を抜き取ることは出来ん。彼女にはそのまま暫く大人しくして貰おう」
「そうですね。口を割らせるにも『肉の芽』を抜いてからのが効率がいいでしょう」
どうすることも出来ず、ただジョセフ達の会話を聞くことしか出来ぬアゲハには見向きもせずにジョセフと花京院が会話を始める。
ちくしょう、と拘束を振り解こうと力を込めても無意味でソファーに括り付けられた彼女の身体はちっとも自由にはならない。
アゲハのスタンドは人型でも獣型でもなく、ただの弾丸型スタンド。つまり彼女を拘束している普通のロープですら切断したり、焼き崩したりすることが出来ない脆弱な能力。もうひとつの能力だってサーモグラフィーの搭載されたスコープで、今は何の役にも立たない。
闇雲に力を込めた際に握りこぶしの中で創り出された弾丸を器用に指で弾く。自身を拘束するソファーの下に潜り込んだ銃弾の跳ねる音は部屋一面に敷かれた絨毯に吸音されて辺りに響くことは無かった。
「こいつ、お前と同じニッポン人なんだろ?話とか出来ねーのかよ」
「彼女は今何も出来ない。そんな中、彼女に出来ることはDIOの不利となる発言を控えるために黙秘を続けることだけだろう」
ポルナレフの問に冷静に答えるのは花京院。そしてそんな彼の回答は大当たりだ。
まるで思考を読み取られているかのようにピタリと当てはまる花京院の推理にアゲハの心臓は早鐘を打つ。
「今はソファーに縛り付けているだけだが彼女だってスタンド使いなのだろう? これだけの拘束で十分なのか? 」
「確かにそうじゃな……ワシのハーミットパープルで縛り付けておいたほうがいいんじゃあないのか」
「いいえ、その必要は無いです。アヴドゥルさんの言うことも十分分かりますが彼女のスタンド能力はその程度の拘束を解くことすらできないものですから」
瞼が一度だけピクリと痙攣したのが分かった。自分のスタンドを馬鹿にされた気分になって少しカチンときたのだ。
そして花京院は黒色のハードケースからアゲハの銃をとりだすとジョセフ達に説明するように両手で抱えてみせる。
それがただただ憎らしく感じて花京院を睨みつけていると不意に目が合い無意識のうちにソファーの下に視線をずらしてしまう。
「これは彼女の物ですが、彼女のスタンド能力はこの銃に込める『弾丸を創り出す』ことです……ああ、早速ありました、ソファーの下に隠していたらしい……つまり彼女は弾丸を創り出すことが出来てもそれを発砲するためには実物の銃が必要になる様ですね」
「……あ」
ハイエロファントの触手がアゲハの視線の先を追い鈍い光を放つ赤銅色の弾丸を拾い上げる。私の行動など筒抜けなのだーーとアゲハは大きなショックから無意識に声を漏らした。
「……それに、恐らく自決用に忍ばせていたであろうナイフはぼくの手の中にありますし」
そんなアゲハに追い打ちをかけるように花京院は彼女のナイフを手に取るとわざとらしく自身の制服の内ポケットにしまいこんだ。完膚なきまでに抵抗する気を奪おうということらしい。
「それにしても花京院よォ、やけにその子の事を庇ってんじゃあねェか? 」
「……僕が? いつ? 」
しかし次の瞬間、ポルナレフの素っ頓狂な発言に訳が分からないといった表情をする花京院。当然、アゲハも不快そうに盛大に顔を顰めている。こちとら庇われた気も優しくされた覚えもない。
「だってよ!最初にオレが部屋に倒れていたお前を発見してその女を殺そうとしたらデケー声で「やめろ!」なんて叫んできただろーが」
「……それだけか? 」
「それだけじゃあねーぜ、怪しいヤツって事で何か危険な物を持ってねーか調べようとした時もオレの手を遮って率先して調べ始めただろ? 」
「それはキミに任せるのは色々マズいと思ったからだ」
「それは同感じゃな」
「ひでーぜジョースターさんッ!」と叫ぶポルナレフの喚くような声がホテルの一室にこだまする。こんな状況下に追い込まれるぐらいなら逆に殺されていた方が良かったとアゲハは視線を盛大にずらした。
(花京院が私を殺させなかったのはジョースターの「隠者の薔薇(ハーミットパープル)」でDIO様の情報を根こそぎ奪うために違いない……このまま何も出来ないまま時が経てば、DIO様に迷惑がかかる!それだけは嫌だ!)
アゲハが顰めっ面でそう考えていると不意にアヴドゥルと目が合った。彼は突然タロットカードと睨めっこを始めると「ふむ」と不可解そうに唇をむっとさせた。
「彼女はどのタロットカードの暗示も受けていないようです」
「……なんじゃと? 」
そう言うアヴドゥルのタロットカードを後ろから覗き込んだポルナレフはしばらくカードを吟味した後にニヤニヤしながらアゲハを指さし
「敵地でぐっすり眠ってたヤツにはこのカードがお似合いなんじゃねーの? 」と『愚者(フール)』のカードを突き出す。
追い詰められすぎてやけに冷静だったお陰か、アゲハはポルナレフの子供じみた挑発を無事に受け流すことに成功した。もっと言えば鼻で笑うだけの余裕もあった。
「カードの暗示にかからないような人間まで利用してきている……ということでいいだろうな」
「きっとそうですね、僕は先程まで彼女と戦っていましたがスタンドが発現したのもつい最近……恐らく一ヶ月程度でしょうかね。戦い慣れはしていない様でした」
真剣な顔をしてアゲハの正体について考察していく花京院。その横では同じく真剣な顔をしているジョセフ・ジョースター。その隣ではアヴドゥルがタロットカードを懐にしまっている。
「この女が『肉の芽』に操られているっつーのは分かったぜ? でもこいつはカードの暗示も受けない様な立場もずっと下の部下ってことだろ? DIOに関する情報なんて何一つ持ってなさそうだが」
「そうかもしれないが、でも! 」
真っ当な意見を述べたポルナレフに皆の視線が集まる中、早々に反論を述べたのは花京院だった。しかし、賢い彼から出たのは何ともパッとしない歯がゆい言葉だけ。
「ぼ、僕は……彼女と自分を重ねている」
そんな花京院が紡ぐのはそんな小さな告白。ブツブツモソモソと効果音がつきそうな声で自信なさげな彼の表情は少しうつむき加減だ。
「過去の、DIOの刺客として承太郎を殺そうとした時の僕と、今の彼女は似ているんだ。僕はあの時、ポルナレフの様に強い意志や騎士道精神を持っていたわけではなかった。それでも僕は承太郎やジョースターさん達に救われた……それなら彼女だって救われるべきだ」
花京院の声は次第に熱量を増し大きくなり、最後の言葉を言う頃には部屋全体に響く程の力強い声に変わっていた。
「僕はあの時貴方達に抱いた『憧れ』を彼女の心にも芽生えさせてあげたい。DIOの呪縛から逃れ、普通に生きて欲しいと思ったんだ」
花京院のその言葉に異論を唱えるものはいない。ジョセフ達の心は一つだった。
一方アゲハは困惑していた。花京院がどうしてそこまで私の事を気にかけるのか本当に分からなかった。私はほんの数十分前まで花京院を殺すために引き金を引いていた女なのに。
全ては自分が受けた恩を他の誰かに優しくすることで返していこうというだけの単純な理由なのだろうか。それで私を助けようというのか?
(ーーでも凄く、なんだかあたたかい気持ち)
アゲハは先程までとは打って変わって胸に込み上げてきた温かな気持ちに顔を顰めた。こいつは、花京院典明はDIO様の命を狙う業人だというのに!どうして私はこの男に対して「憧れ」という感情を抱いてしまっているのだろう?
(ああDIO様!私ったらどうかしちゃったんだわ!)
肉の芽を埋め込まれていたアゲハはその後、『節制』の暗示を受けたイエローテンパランスの使い手ラバーソールを倒し戻ってきた承太郎によって無事、肉の芽を抜き取られた。
花京院は安心してからかその場で眠りこけてしまったアゲハを部屋のベットに横たわらせた後、彼女のスタンド能力についての情報を仲間たちに共有することにした。
「スタンド能力について本人から直接聞いたわけではないので正確なことは分かりませんが彼女のスタンドは『特殊な能力を付与した弾丸を創り出す事です」
「……特殊な能力じゃと? 」
「ええそうです……僕が実際に受けたのは除草剤入りの弾丸とスライムの弾丸……そして『夢の中に誘い込む弾丸』それは受けると精神だけの世界に行くようですね」
除草剤入りの弾丸を撃ち込まれる所を想像したのか顔が険しくなるポルナレフ。中々に厄介なスタンド能力だと声を漏らすジョセフと、皆の反応はバラバラだった。
「そして特に厄介なのはその夢の中にいる間はスタンドのパワーが『無いに等しくなる』ことですね。それと夢の中は現実と大差なく最初は気が付きませんでした。」
「スタンドパワーが『無いに等しくなる』だと? 『完全に無くなる』訳じゃあねーのか」
「ええ恐らく。僕のスタンドで砂煙位は起こせましたから」
花京院の説明を聴きながらアゲハの愛銃とそのケースの中を調べていた承太郎は「こいつ実弾も持っていやがるぜ」と隣にいたアヴドゥルに話しかけている。日本の一般人であったはずの彼女がこんな物騒な物に流通している訳がないので、誰かが手引きしていたと言うのは確定だ。
「一ついいか花京院、その夢から覚める条件は何なんだ?彼女とお前で目覚めるタイミングが違っただろう」
「確かにそうだったな……時間経過か?」
「彼女が気絶しても夢から覚めることは無かったので彼女は時間経過、僕は単に彼女のスタンドの射程距離外まで出たから……だと思います」
アヴドゥルの的確な質問に花京院が答えていると不意に
「あーッ!!」と大きな声でポルナレフが叫ぶ。なんだなんだと皆で振り返ると意識を取り戻したらしいアゲハが身体を起こし、ジョセフ達を見渡していた。
「DIOさ…… ……DIOの情報を聞きたいんですよね、ジョセフ・ジョースターさん」
毛布を引き剥がし、ベットサイドに腰掛けたアゲハは承太郎に私物を物色されていることに少し目を丸くさせたがすぐさまジョセフへと視線を合わせた。
肉の芽に操られていた時と比べれば雰囲気はガラリと変わり、どこか思慮深そうなオーラを纏った彼女は乱れた黒髪を機械的に手ぐしで整える。
「教えてくれるのかッ! DIOの情報を!? 」
「ですがその前に!ジョースター家のあなた達に聞いてもらいたい話があります」
そう言ったアゲハの、ベットサイドのランプの光をも通さぬ漆黒の瞳はジョースター家の血を引き継いだ二人を真っ直ぐに捉えている。
どのようにしてDIOに出会ったか、その経緯をジョセフ達に伝えるために動き出した唇は酷く乾いていた。