ダービー・ザ・ギャンブラー①
「日本へ電話してみたが……わしの娘の容態が悪化した……体力がもう限界らしい。四……五日の命ということだ」
『LUCKY LAND』なんて文字や可愛らしいハートマークの落書きが並ぶ公衆電話の受話器を重苦しい右手で下ろしたジョセフは険しい顔つきで、それでいて確かな口調でそう告げた。目を少しだけ大きく見開いたポルナレフの後ろではアゲハが眉を寄せて口を一文字に結ぶ。その隣の承太郎に至っては帽子の鍔に隠れて表情の認識は不可能に近いが、硬い顔をしているのは想像にかたくない。
「列車でカイロへ入りましょう。ルクソールからは空を除けばそれが最も早い」
物言えぬ同行者達の中冷静に声を上げたのはこのエジプトの地に詳しいアヴドゥルだ。ジョセフ達一行は彼の意見に賛成するとルクソールから逃げ出す様に駅へ向かった。
『朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足……それはなんだ?』
ピラミッドを守り続けるスフィンクスは旅人にそう質問した。
答えは『人間』答えができない人間はスフィンクスに食い殺されたと伝説に言う。
ジョセフ・ジョースター達はついに日本から遥か三万キロ離れたカイロに到着した。
しかしDIOというピラミッドに着く前にはあと数人のスフィンクスが立ちはだかっているのだーー……。
「ようこそ外国の方……何にします?」
「尋ねたいことがある……わしらはその写真の建物を探している。どこか知らんかね?」
訪れたカフェにて、注文を尋ねるカウンター越しの店員にジョセフが呈示したのは一見なんの変哲もない建物が写った写真だった。
石造りの外壁に見事な曲線を描いた飾り屋根ーーカイロの街をひとたび見渡せば似たようなものがチラホラ簡単に見受けられるこの土地の普通のデザインの建造物だ。
じっと写真を見つめて何も答えない店員の男に、分からないのも無理もないとアゲハは考える。
しかし分からないなら仕方がないーーとは言っては居られない状況なのが現実である。実はこの写真に写っているのはジョセフが念写した現在DIOが潜伏している館だったのだ。
DIOはあれからアジトを変えSPW財団の調査からゆくえをくらましていた。あと数日のうちにこの広いカイロの中からどこにあるかも分からない奴の館を見つけださなくてはならない……そんな状況だったのだ。
「外国のお客人……ここはカフェですぜ。なんか注文して下さいよ」
「……それもそうだな。アイスティーを五つ」
そういう事もあってジョースター一行は大変、それはもうくたくたに疲れていた。なんせカイロに到着して一日中、燦々と照りつける太陽の元でこの写真の建物をずっと探していたのだ当然である。
「……やっぱり知りませんや」
もう一度写真に注視しながら人数分のアイスティーを注ぎ終えた店員が呟いた言葉を、まるで合図とするように五人は皆一斉にグラスを自身の口元に傾けた。淹れたての冷たい水分がダイレクトに胃を冷やす感覚にアゲハは眉を寄せる。
(ここでも収穫は無しかあ……)
飲み干したグラスをカウンターに置いたアゲハはカランと音を鳴らす氷をみつめながら心の中で独り言ちる。今日だけでも両手では数えられないほどの聞き込みを行ってきたが未だに帰ってくる答えは「知らない」の一点だけだ。手応えなど無いに等しかった。
「行くぞ……聞き込みを続けよう」
確かに落胆の色を見せながら呟かれたジョセフの言葉に従い店を出る一行。この調子では今日はもう見つからないかもしれないーー誰もがそう気を落としたその時だった。
「その建物なら知っていますよ……間違いないあの建物だ」
「えっ!」
カフェの奥深くのテーブル席で鮮やかなトランプさばきを見せる一人の男が発した耳を疑う言葉にジョセフは声を上げて振り返る。
白いワイシャツにネクタイ、上品なワインレッドのベストに身を包んだその男は嬉々としてこちらに近づいてくる五人の男女を確認するとフッと微笑んだ。
「きっ君かッ!?今喋ったのは?今知っていると聞こえたがッ!」
「はい……確かに。その写真の館なら何処にあるか知っていると言いました」
薄く微笑んでそう告げられた言葉に喜びを隠せない一行からは口々に歓喜の声が湧きあがる。タイムリミットはあと五日ーーそんな中こんなにも早く写真の場所が分かったのだからそれはもう当然大喜びだ。
「どこだ!?教えてくれ!どこなんだ?」
「……タダで教えろと言うんですか?」
「そ……それもそうだな悪かった。十ポンド払おう。さ……どこなんだ?」
しかし、無料で教えてやる気は無いらしい男はそれならばと言って差し出された紙幣をやんわりと断るとジョセフ達に見えるようにスペードのエースの描かれたトランプを一枚取り出し遊ばせ始めた。金を拒まれたジョセフの眉が訝しげに歪む。
「わたしは賭け事が大好きでね。くだらないスリルに目がなくてやみつきってやつでして……ま、大方はギャンブルで生活費を稼いでいるんですよ。あなた賭け事は好きですか?」
「…………?何を言いたいのか分からんが」
「だからね……わたしとチョッとしたつまらない賭けをしてくれませんか?あなたが勝ったらタダで教えますよ。そこの場所をね」
そして生粋のギャンブラーだと名乗る男が提示した条件とはまさかの「賭け」。しかしこんな事に時間を割いてある余裕は彼らには無かった。
時は金なり、というだろうーージョセフが更に二十ポンド上乗せするから教えて欲しいと苦笑いを浮かべるとギャンブル狂いのキザな男はテーブルの上の魚の燻製を二つ、店の庭先に放り投げた。
「賭けなんてものはなんでも出来るんですよ。例えばあそこの塀の上に猫がいますね。あの猫はどっちの燻製を先に食うか賭けませんか?右か!左か!つまんないけどスリルあるでしょう」
なるほど、確かにこれなら時間はかからないだろうーーとアゲハは一瞬感心して、ブンブンと首を横に振った。いいやそれでもそんなお遊びに付き合っている暇はほんのちょっぴりだって毛頭ない!
それでもこの男が写真の場所を教えてくれなければ、ただ悪戯に時が過ぎていくだけなのも確かかーー……。
「オーケイ!おれが賭けてやるぜ!右の肉だよ右ィ!!」
「グッド!楽しくなってきた……じゃあ私は左に賭けましょう」
そしてついに痺れを切らして賭けに乗ったのはポルナレフだ。彼はバシッとテーブルを叩くと男を指さし「右の燻製」を選択した。理由はなんてことなく、右の方が大きな肉に見えたからという単純なものだ。
「ところで、おれが負けたらおめーに何を払うのかね?百ポンドぐらいかよ?」
「金はいりません……魂なんてのはどうです?魂で……フフフ」
意地の悪そうな顔つきのポルナレフの問いかけにキザにそう返した男は塀の上の猫の動きに気がつくと肘を着いて組んでいた手をパッと離した。どうやら猫が燻製の匂いに気がついたらしい。
「猫がきましたよ。音を立てないようにあなた方の犬を押さえていてください」
塀を降りた銀色の短毛な猫がグリーンの瞳を見開いて燻製をとらえて走り出す。直線的に駆ける先には右側のポルナレフが選択した方の燻製がゴロンと転がっている。その様子に勝利を意識した彼の口の端は歪に歪み、むき出しになった白い歯は得意げに輝いた。
「ああっ!!」
しかし次の瞬間、ジグザグ波形のような動きで方向を変えた猫は左、右の順番で燻製を奪取した。そのまま去っていくその背中を悔しそうに見つめるポルナレフは小さく唸ると頭を抱えた。
さらに聞き出すのが厄介になってしまったと呟くジョセフは呆れた視線を彼に向けている。
「さあ……約束でしたね。払っていただきましょうか!」
「えっ、払う!?何を?」
「『魂』ですよ。あなた賭けましたよさっきたしかに。「魂」!わたしは魂を奪うスタンド使い!賭けというのは人間の魂を肉体の中から出やすくする!そこを奪い取るのがわたしのスタンド能力!」
やつの言葉に、やはりただのギャンブル狂いではなかったのだ!と確信した刹那、どこからともなく現れた男のスタンドがポルナレフの肉体から無防備な魂だけを引っこ抜いてしまった。残され力なく倒れ込む抜け殻を受け止めたアヴドゥルの「脈がない……」という言葉に一同緊張が走る。
「わたしの名はダービー。D´.A.R.B.Y……Dの上にダッシュがつく……。ポルナレフは賭けに敗北した!したがって魂はいただく!」
「ポルナレフーーッ!!」
「ところでこいつはわたしの猫さ」
引き抜かれたポルナレフの魂はダービーのスタンド「オシリス神」により紙粘土のごとくぐしゃぐしゃと揉みこまれていく。そして最後にはダメ押し、とでもいうようにその大きな両手で押しつぶされてしまった。
一抹の静寂の後、開かれた手のひらからこぼれ落ちた一枚のチップを自身の飼い猫を肩に乗せたダービーは手に取る。
「これがポルナレフの魂だ……早くもひとりDIO様の邪魔者を消してやったことになる……間抜けなヤツだったがな……」
ダービーが承太郎達にも見えるように掲げた一際大きなチップーーポルナレフの魂からできたそのチップには彼の顔がくっきりと浮あがっていてアゲハは酷く眉を寄せた。
なんておぞましいスタンドなのだーー先日改めて自分自身の分身とも言えるスタンドについて理解を深めたばかりの彼女はこの男の恐ろしい本質に冷や汗を流す。
「きさまァーッ!ふざけるな……賭けだと?その猫はお前の猫じゃあないか!イカサマの癖にッ!」
「イカサマ……?いいですか?イカサマを見抜けなかったのは見抜けない人間の敗北なんです。わたしはね賭けとは人間関係と同じ……騙し合いの関係と考えています。泣いた人間の敗北なのですよ」
「ググゥ〜ッ」
「その腕でこのままわたしを殺すのですか?いいでしょう、おやんなさい。わたしが死ねばわたしのスタンドが掴んだ「この」魂も死ぬ……それでもいいのならね」
激昂したアヴドゥルがダービーの胸ぐらをつかむ。衝動を抑えきれなさそうなのかキツく握られた右手は今にも振りかぶられてしまいそうだ。それでも尚、顔色一つ変えない生粋の勝負師はされるがまま。抵抗のひとつもせずされるがままだ。
「いいか……きさまはこのまま無事に帰ることは出来ない」
既のところで冷静になり、なんとかその手を下ろしたアヴドゥルはまるで負け惜しむように言い放つ。
彼は自分が賭け事に向いていないことを良く理解していた。とても悔しい事だが囚われたポルナレフの魂を救い出すための力がない事をよ〜く理解していたのだ。
「一九八四年の九月二十二日夜十一時十五分、あなたは何をしていたか覚えていますか?」
「なんのことだ?」
「わたしは覚えている……カルフォルニアでその時刻スティーブン・ムーアというアメリカ人がわたしと賭けをしてあなたの今のセリフと同じセリフをわたしに言ったのです……その男が「こいつ」です」
アヴドゥルが攻撃を止めるのも想定内のことだったのだろうかーー貼り付けた笑みをそのままにダービーはどこからか大きなアルバム帳のようなものを取り出すと、とあるひとつの項目を指さした。
各ページの台紙には大きな丸い窪みがあり、指さした先に嵌められていたのは見知らぬ男性の顔が浮かび上がったチップだ。それでも、その横に丁寧にラベリングされた名前のおかげでそれがかのスティーブン・ムーアであることは誰の目に見ても明らかだった。さらに付け加えて
「その下がムーアの父でとなりは女房のものだ」というのだから堪らない。
「ポルナレフの魂を取り戻したければ続けるしかないんですよ。わたしとの賭けをね」
まさに悪魔の所業!愛する人の魂を取り戻すため戦った者達をこいつはコレクションにしたのか?魂を物言わぬチップに閉じ込めてこんな狭苦しいアルバム帳にしまい込んでいるというのか?ーーダニエル・J・ダービーという男の異常性におののき固唾を飲み込んだアゲハはまだ知らなかった。
悪夢はまだはじまったばかりなのだ。この男はムーア家を壊滅に導いた様に我々ジョースター一行を一人ずつ確実に始末するつもりなのだ!!