to be wild その②
「スタンドが進化した……!?聞いてないわ……聞いてない聞いてないッ!」
平凡でぱっとしない帝アゲハという少女の『傍に立つ』特異な存在ーー「
少女と瓜二つの背格好をしたそのスタンドは彼女とは正反対の銀色の髪を揺らし一歩前に踏み出す。
「この少年は絶対に死なせちゃあいけないッ!一分一秒でも早く奴を倒し救助するのよ!」
ルル・ベルの投擲により倒れた瀕死の少年を一見した目の前の少女が既に臨戦態勢のメガロポリス・パトロールを鼓舞するように叫ぶと、右手を持ち上げハンドガンのポーズを作ったそのスタンドの閉じられた視線が忌まわしき彼女をじっとりと捉えた。
このままでは、このままではやられる!!ーールル・ベルは頭をよぎった最悪の結末にごくりと唾を飲み込むと脱兎のごとく逃げ出した。こんなところで死んでたまるか!と、魅惑的なルージュが引かれた唇を引きしめ走り出す。
「……逃げたッ!」
後ろから聞こえてくるアゲハの糾弾の声と足音に眉をひそめながらも、身体の負傷を感じさせぬ走りで路地裏をぬけていくルル・ベル。
吹き飛ばされた右手から零れ落ちる鮮血が道標になってしまっている現実に額を汗で濡らした彼女はどうにかして逃げ切る方法を模索していく。
(あの女のスタンドには殺傷能力はないッそれはスタンドが少し進化したからってそう簡単に変わるものじゃあないハズだわッ!次に対峙した一瞬、一瞬だけでも不意をつければ先にアタシのマーシャン・マーシャンでとどめを!)
大通りへ出たことで当然注目される患部に小さく舌打ちをこぼしたルル・ベルはそこいらの露店で売られていたハンカチを一枚ひったくると傷口に充てようと腕を伸ばす。こうすることで道にこぼれる血痕を急に途切れさせ、行方をくらますこともできると踏んだのだ。
「いや……!それよりも……」
しかし次の瞬間、頭よぎった更に最高の作戦に目を見開いたルル・ベルは醜悪に微笑むと傷口をそのままに再び人気の少なさそうな小道へと踏み込んでいく。目指すのはこの先の曲がり角を右折した所だ。勝負の決着はここできめるッ!
ルル・ベルはそう心意気を頭の中で唱えると決着の曲がり角にポトリと鮮血をこぼす。そして次の瞬間、即座に右腕に盗んだハンカチを押し当てた彼女は踵を返し別の方角へと走り出した。
そう、彼女の作戦は血痕を利用した「バックトラック」と呼ばれる陽動だった。自身の痕跡を追跡する帝アゲハをこの小道へと誘導する作戦だった。
(だけど帝アゲハだって馬鹿じゃあないわ。この小道へと誘導されたと理解したのなら次には必ずパトロール・ハンターによる追跡が始まる筈)
決着の曲がり角が見える物陰に息を潜めたルル・ベルは全力疾走による疲弊と、度重なる重症により早まる鼓動をその身に感じながらターゲットの登場を待ち侘びる。
そう、アタシはーーこのルル・ベルは!帝アゲハが見失ったアタシの存在を認識するまでのほんの数秒間の間に!奴を殺さなくてはならないのだ!
強くそう思いながら左手に握った我がスタンド、マーシャン・マーシャンの針が僅かな角度の変化で鈍く光り輝いたその瞬間だった。
ルル・ベルの視界に映り込むアジア人の少女の影ーー年相応の幼げな表情を酷く鋭くして、その手中にはリボルバーという絶望的なまでのコントラストに呼吸を整える。
やはりスタンドではなく、銃を構えていた。あのスタンド自身にはやはり殺傷能力はないのだ!
「……奴の血痕が、また路地裏へ伸びている」
がむしゃらに血痕をたどって追ってきたのであろう、息を切らしたアゲハは鮮血が示す例の小道への出方を伺っている。ブロック塀に背を預け銃構えた少女は決心したように飛び出すと前方、側面、上部の順番に銃を向けるといるはずの人物がいない事に疑問を覚えたのか大きく体を揺らす。
今だ!ーーと、ルル・ベルは飛び出すと右手で針を投げた。白のハンカチが真っ赤に染まるほどのその銃創はメチャクチャ痛かったがこの女だけは今すぐにやる!と決めていた。これしきの事で照準が狂う程彼女はヤワではない。
「くらえ!マーシャン・マーシャン!」
ルル・ベルのけたたましいバトルクライと同時に振り返ったアゲハは全く隙だらけで銃すらも構えていなかった。目元にはモニターが浮かんでいるので今ようやく彼女の居場所を掴んだ所、といったところだろうか。
ーーしかし次の瞬間、急激にバランスを崩し前に倒れ込んだルル・ベルは無様に地面に膝を着いた。目の前の標的をすり抜け、針がアスファルトにぶつかるカランと乾いた音がやけにマヌケだった。
(な、何が起こっているというの?アタシは一体どうして……)
目を見開いて信じられないとでも言うように自身の「右手」を覗き込んだ彼女は恐る恐るその腕をあげるーー……。
「どうしてアタシの右手が『重くなっている』のォーーッ!!それにッ!なぜ!負傷している右手で針を投げてしまったのよッ!!」
「……本当に分からないかなあ?」
見上げた先の帝アゲハの漆黒の瞳がルル・ベルを凍てつかせる。ぽっかりと大きな穴が空いた右腕の手中には鈍い光を放つ銃身。そして、それにすっかり肩をふるわせた彼女の後ろからすっと伸ばされるのは華奢な影のような手。
「相当必死だったものだから道標のようにそこら中に落ちる血痕を馬鹿正直に追っかけてしまおうかとも思ったけど……私はそこまで馬鹿じゃあないしマヌケではないし低脳でもないから。確実に仕留められるように先手を打たせて貰ったんだよ」
背後からルル・ベルの首筋に触れたメガロポリス・パトロールの手はゆっくりと上昇し、彼女の耳の裏を撫でる。
いつの間に背後にーーその感覚に憎き敵がゾクリと身震いしても見上げた先の少女はピクリとも表情を変えることなく言葉を紡いでゆく。
「理解出来たよね?この『重み』……言っておくけどあの少年は更にもっと重くて怖かった筈なんだよ」
そこでようやく自身への追跡はとっくに完了していて、帝アゲハが『罠にかかった振り』をしていたのだとルル・ベルは気がついた。
それどころか、先回りさせたメガロポリス・パトロールの『思い込ませる弾丸』で先程彼女自身がくらった「重み」を追体験させていたというのだ。
「……一体どうして……っ!あんな身も知らずの子供の為にここまで……!」
いままで触れて撫でるだけだったメガロポリス・パトロールの手ががっしりと己の髪の毛を引っ張るものだから突如として痛みに声を荒らげたルル・ベルは問うた。
彼女はマジに分からなかったのだ。無関係な人間がやられただけなのにどうして帝アゲハの琴線に触れたのだと真剣に思っているらしい。
「……「尊敬」だよ。あの少年の勇気溢れる行動に私は尊敬の気持ちを感じたんだ」
それが分かっていたから、答えるべきか少し悩んでから紡がれた言葉に、ルル・ベルが異を唱えようとした刹那、路地裏は無情な二発の銃声で満たされた。脳天、胸部の空虚から沸き上がる赤のソレは当然目の前の少女を染め上げる。
「まァ、貴方に言っても分からないんだろうけど」
頬にベッタリとついた返り血を手首で拭ったアゲハは自身の額に刺さっていた針が完全に消失した事を確認するとほっと息をついた。
少年の方はルル・ベルを追っている最中に既に現地住民に声を掛けているので今頃は病院だろうか?そもそも、私が戻った所で事を荒立ててしまうだけなのだけれどーーアゲハは幼き日の自分にはなし得なかった「圧倒的に不利な凄惨な状況」で声をあげたあの少年に思いを馳せる。
彼のような「どんな逆境でも正しいと思えることが出来る」人間は多くない。まだまだ幼くて、考えが及ばなかっただけかもしれないがそれでもアゲハはかつて斬り捨ててしまった「昔の自分」の姿を思い出し彼を尊敬した。
「相手に自分が受けた事象をそのまま『思い込ませる』私の力は……何かを恐れて言葉にできない『私の気持ちを正直に伝える』能力なのかも」
踵を返し、騒ぎを聞きつけた人に見つからないようにホテルへと向かうアゲハは定位置に銃をしまい隣に並ぶ自身の魂のヴィジョンを横目で見つめた。それに気がついたのだろう、銀色の髪をふわりと揺らし、こちらを覗き込んできたスタンドの表情は柔らかく、少女は小さく吹き出す。
「でも……やっぱり嬉しいね。やっと自分自身とちゃんと向き合えたって事なんだもの。姿を見せてくれてありがとう。これからもよろしくね、メガロポリス・パトロール」
その言葉と共に己の前にかかげられた拳に一瞬キョトンとしたメガロポリス・パトロールはやがて意味を理解したのか同じように拳をかかげ互いに笑顔でそれをかち合わせた。
だが、喜んでばかりでは居られない。まだ行方不明のポルナレフは見つかっていないのだーーアゲハは次の瞬間には表情を変えきりりと前方を見つめるとホテルまでの道のりを急いだ。