to be wild その①
「うおおおおッ!」
重くなっていない左手でルル・ベルの身体を突き飛ばしたアゲハは焦りから乱れる息と身体を這う汗粒に眉をひそめながら奴との距離をとった。
すごく危なかったーーもう少し反応が遅れていれば脳天を突き破られるところだった。はやく、早くこの額の針を抜かなくては!
「ぬ、抜けない……ッ!深く刺さっている訳じゃあないのに全く動かないッ!」
しかし、浅く刺さっただけのように見えるその針はアゲハが全力を込めて引っ張っても抜ける気配はない。これがルル・ベルのスタンドなのか?ーーアゲハは一度額の針を諦めると右腕に刺さった針に注目した。
鈍く光を放つビビットピンクのその針はアゲハの肘から手首に掛けての中腹程に突き刺さっていて四センチ程は体内に侵入しているだろうか。
「ふふ、ふふふ……抜こうとしても無駄よ。そういう風になっているんだもの」
じりじりと後退し、背後の集合住宅の方に寄っていくアゲハは左手で拳銃を構える。射撃の精度も低く、そもそも発砲の衝撃に耐えられるかどうかも怪しいがやるしかなかった。
最初はハーミット・パープルで頭の中を盗み見るために生かして連れて帰る事も企んでいたアゲハであったがもう彼女にそんな余裕はない。
(しかしどうする……?悔しいが撃ち合いになれば先にダウンするのは恐らく私ッ!奴のスタンド能力の秘密を暴かなくては……!なにか、なにか手掛かりはないものか)
次第に少しだけ重くなる頭にアゲハは首の筋肉が張る感覚を覚える。先程からの腕の重みで既に酷使されていた首と肩の筋肉がさらなる負荷に悲鳴をあげ始めているのだ。
(これは……!右腕の方が!針が深く刺さった場所の方がかかる「重み」が強いッ!逆に額へのウエイトは浅く刺さっているせいかとても緩やかなものになっているッ!)
その時だった。アゲハは確実に自分の身体に起こった異変に気がつくと、今よりもさらに深く針がくい込んでしまわないように気をつけながらカーディガンを脱いだ。黒く変色したままの素肌にピンと立ったそれをスタンドのスコープで事細やかに観察すると次第に見えてくるのは繊細に彫刻された数字と小さな棒線のようなもの。
「「5」……「4」……この数字は?そしてその間に等間隔に並ぶ印のようなものは……まさか……」
直径を六ミリ、長さは十センチからなるその針にデザインされた英数字と棒線にアゲハは直感する。
これは『目盛り』だ!今回の場合はこの針がどれだけ深く相手に刺さったのかを計測する為の目盛りだったのだ。
彼女の思い過ごしでなかったのだ、確かにこれで「深さ」と「重さ」に関係があることは証明されたも当然だ。
「だけど……これだけじゃあ勝てないッ!この身体を蝕む『重み』を解決しなくては……!」
今はとにかく奴から距離を取ろうーーこちらのメインウェポンは拳銃で向こうは針だ。いくら強いスタンド能力でも投擲するのは普通の人間なのだ、射程距離ではこちらが有利だーーと、アゲハは思考をまとめると陽動の為に三発、適当に弾丸を(といっても、狙いはすべてルル・ベルの胴体を狙っているのだが)放つ。
(……今は退く!!ここは一つ考える時間が欲しいッ)
すべての弾丸を難なくやり過ごした奴の追撃には手に持っていたカーディガンを放り投げ対処するとアゲハはその場から「逃走」を開始した。
しかし、足元でぐったりと浅く呼吸を繰り返す少年に息を飲んだ彼女はやがてその足を止めるとゆっくりとルル・ベルの方に振り返った。
帝アゲハは幼少期より日本で生まれ、日本で育ち日本人の両親の元で明るく、健やかに暮らしていた。学校では男女問わず友好関係を築き、通信簿の評価も上々ーーまさに誰もが模範すべき幼少期を過ごしていた。
しかし小学六年生になったある日、一人の転校生が現れたことで彼女の人生は一転する。
転校生の少女は外国人の血を継いだハーフだった。自分とは全く異なる容姿を持った少女にアゲハは酷く惹かれ、二人はすぐに仲良くなった。
黒くない髪の毛、カタコトな日本語、すらっとした体型…… アゲハにとって少女は『特別』だった。
「転校してきたばかりのあの外人、気持ち悪くない?」
だが、彼女の周りの友人はそんな転校生の存在を快く思っていなかった。
なにが気に入らないのか、どんなところが気持ち悪いのか聞くのも躊躇われるほどに少女のいない間に囁かれる陰口はアゲハを驚かせ、そしてどんどん後暗い気持ちにさせた。
「そうだよそうだよ!それにやけにアゲハに懐いちゃってさあ、気味悪いのよねえ」
転校生を気味悪いと思わない私はおかしいのだろうか?友人たちの気持ちに寄り添えない私は「気持ち悪い人間」なのだろうかーーグルグルと頭を巡る思いにアゲハは口を閉ざす。
少女に憧れ、仲良くしたいと思ったのは私自身だ。少女が勝手に私に懐いてきた訳では無いし互いに友達だと思っている筈だ。それが真実の筈なのに。
「……そうなんだよね。私もそう思ってたよ」
だのに、アゲハは嘘をついた。
怖かったのだ。自分がおかしな奴だと思われ孤立するのが恐ろしかったのだ。
それからアゲハは転校生との関わりをばっさりと切った。静かに、それでいて確実に寂しくなっていく少女の背中に見て見ぬふりをした。いつの日か一緒に行こうと話した映画にも別の友人と行ったのだ。
そしてこの出来事が帝アゲハの人格形成に酷く影響したのは最早語るまでもあるまい。
活発で、誰とでも仲良くなれた彼女の本来の姿はなりを潜め、代わりに当たり障りのない事ばかりを言うどこにでもいる「普通の少女」へと徐々に形作られていった。「普通」であることで安心を得られると思春期の彼女はすぐに理解してしまったのだ。
今となってはそれが本当の彼女の人格であり、決して己を偽っている訳では無いのだが、ふとたまに沸きあがる『特別』への欲求はその時の名残といえるだろう。
従って、日常を好んでいながら同じぐらい非日常を渇望するーーそんなアゲハの矛盾した性質を彼女と出会ったばかりの頃の花京院は
「DIOと行動を共にする内にスリルを求める性格になってしまったのでは?」と唱えていたがそれは大きな間違いだったのだ。
「それは違う……逃げていてばかりでは勝てない。私は、「成長」しなくちゃあならないんだ」
だが実際、普通という安心からの脱却というものはまるで運転免許を取得したばかりの新米ドライバーが高速道路で初めて本線に合流する時のように恐ろしく、勇気のいる行動だ。一度自分の考えを否定され傷ついた事がある彼女には尚更のこと。
そして同じように、今アゲハが対峙している敵、ルル・ベルのスタンド能力はまだまだ全貌が掴めない恐ろしいものだ。対策も出来ていない状態で真っ向から立ち向かうのはとても無謀で、とても「勇気」とは言えないものかもしれない。
それでも、幼少期のあの出来事がいままでの自分を変えたように、今日この日が新たな「記念日」になるかもしれない。恐ろしいものに、勇敢に立ち向かう事は自分を更に成長させるかもしれない!
「私の
アゲハは思い切り壁に腕を叩きつけると、身体から飛び出ていた針をさらに深く食い込ませた。貫通して体外に排出された針は無理やりに引っ張りだしてやる。
その痛みは想像を絶するもので、彼女は眉をひそめ瞳には僅かに薄い膜を張ったが、やがて己の見立て通り現れたソレに顔をほころばせるとそのまま一気に力強く針を引き抜いた。
「あんた、一体何をしてッ!?自分の腕に……更に針を深く押し込むことで抜くだなんて……ッ!!」
アゲハに押し出され地面に捨てられた針には僅かな「かえし」がついていた。いくら引っこ抜こうとしても抜けなかったのは相手の体内に侵入した後、刺さった深さを示す目盛りの所から小さな「かえし」が飛び出る仕掛けだったからなのだろう。
「セルフフィッシング……っていうんだっかな、前にお父さんから聞いたことがあるんだよ。自分の身体に釣り針が「かえし」まで刺さってしまった時は切開して摘出するか「かえし」の部分を皮膚外に貫通させてから切断して抜き取るかの二択になるって。生憎そんなものは無いんでそのまま皮膚外に押し出させてもらったのだけれど」
「そ……そんなメチャクチャな……!」
アゲハの右腕に空いた直径六ミリの穴から流れ落ちる出血にルル・ベルが信じられないとでも言うように彼女を見つめる。いまいち他の仲間たちとの比べてパッとしない実力のアゲハにここまでの覚悟があるだなんて知らなかったのだろう。
「……確かにメチャクチャだよ。メチャクチャ痛いけど……おかげで私は『成長』できたと思う」
とめどなく溢れていた赤い血液が次第に黒く変色していくと、アゲハの右手を伝い地面に滴り落ちた箇所から段々と、新たな『魂のヴィジョン』へと姿を変えていく。ルクソールの太陽を浴びた彼女の足元から、まるで影法師のように姿を現してゆく。
もしもひとつだけ願いが叶うなら、数日前の私は何を願っただろうかーーアゲハは小さく息を吐いた。そして、自嘲気味に鼻を鳴らす。 間違っても今すぐに大好きな彼に会いたいだなんて可愛らしい願い事は思い過ぎることはなかっただろう。
ただアゲハが望むのは「当たり前」を叶えられる程度の「力」だった。日常を取り戻し、そして愛を育む未来を手に入れる為の絶対的な力。
たとえ承太郎のような万能で誰もが畏敬する能力でなくても、自分だけの道を切り開ける力が欲しかったのだ。
「『
繋がっていた指先が離れていく。アゲハと『その魂のヴィジョン』が乖離していく。
いままで彼女の肉体という「器」に収まりなりを潜めていた己の分身が一つの形成物となりサナギがチョウに羽化し、羽ばたいていくようにアゲハから離れていく。
明るい顔色ーーとはいえ新雪のような肌、だなんて比喩出来るほどでは無いがーーのアゲハとは対照的に影のような色の肌をしたそいつのゾロマスク越しに見える瞳はやさしく閉ざされていて薄く開いた唇から覗く歯は純白だ。すらりとのびた細い腕には鈍く輝く金色のバングルがはめられている。
「この子が私のスタンド……!」
地面に両足をつき、二人の間に立った彼女は静かに対峙するルル・ベルを見つめている。
そんな自らの今までの頑張りが形となって現れたとも言えるスタンドの姿にアゲハは胸に込み上げてくる気持ちをグッとこらえて強く強く頷いた。