ルル・ベルの
マーシャン・マーシャンその②
探せど探せど見つからない友人J・P・ポルナレフの行方に、少々焦った様子の承太郎は二手に別れて探すことを提案した。危険も伴うが、その方が効率はいいだろうとアゲハはそれを了承すると二人は早速異なる方向へと足を進め始めたのであったーー……。
暫くルクソールの街を走り回っていたアゲハは己を尾行する一人の人間の存在を捕捉していた。
私を探索能力に優れたスタンド使いであると知らないのか?ーーと、不審がりながらも銃を抜くためにもまずは人目を避けなければと彼女は奴を路地裏へと誘い込む。
(身長は百七十センチ程度の……女だ。もしかするとDIOの館に出入りしていた「九人の男女」のひとりーー『エジプト九栄神』の示しを持つスタンド使いだったりするのだろうか)
スタンドを用いた直接的な戦闘はゲブ神との一戦以来となる。あんな惨めな思いだけはもう二度とするものか!ーーアゲハはあの日の悔しさから奥歯を噛み締めながら「
「……さっきから何のつもりなのかな」
承太郎達と歩いていた表通りから何度か細い道を通って辿り着いたその路地裏で振り返ったアゲハはそこでようやく自身をつけ回していた人物の姿を一目見ることとなった。
ローズゴールドの髪を肩につくぐらいに伸ばした奴はとろんとした、どこか艶かしい雰囲気の女性だった。敵対する人物を目の前にしているとは思えない程に隙だらけで、白い肌に淡く色ずく桃色があどけない。
「たまたまそぉね、目に止まったからカナ……?」
こてん、とまるで少女のように小首を傾げながら嘯いた彼女のミントグリーンの瞳がちろちろと揺れる。そのコケティッシュな動作からは尾行が勘づかれていたという事に対する驚きや焦燥感などは微塵も感じられない。
「ジョースター一行イチバンの『お荷物ちゃん』が♡」
そして、そのふわりとした声のまま紡がれた上記の言葉にアゲハは即座に拳銃を構えた。
これは別に自分が侮辱されたからでは無い。見知らぬ女がジョースターの名前を、それも仲間である彼女に唱えた瞬間に即座に倒すべき敵だと確信できたからだ。
「遅いのよぉ、なにもかも。よくまあそんな実力で今まで生き残ってこれたわよねぇ」
しかし、アゲハが発砲するよりも先に目の前の女がどこからとも無く取り出したように見える「針」を投げた。真っ直ぐと、まるでプロのダーツプレイヤーの様な無駄のない投擲は彼女を完全に捉えている。
「あんたの旅は今日でおしま〜い」
針と一言に言っても女が投げているのは裁縫の時間に使う様な華奢ものではない。
コンクリート針よろしく大きく太い針はまともに当たればかなり痛いだろう。銃身で防ぐのも下手すりゃあ壊れてしまう。弾丸で弾き落とすという手も不可能では無いかもしれないが確実ではない。
(やつを倒すための考えうる確実な方法はひとつ……手だ。手を狙うのだ。針を投げる動作には精密な手の動きを要求される。真っ直ぐ飛ばすにはそれなりの特訓が必要とされているからだ。奴の右手の自由さえ奪ってしまえば無効化できると言っても過言ではない)
しかしこの帝アゲハ、並一般の人間とは通ってきた道のりも戦う動機の格もひとしおだ。飛んでくる針の軌道が単純なものならば避けられない道理は無いのである。
「確かに……そろそろ旅は終わりにしようかなって思っていたんだよ」
あっけなく躱された針がアゲハの背後に聳える集合住宅の室外機に突き刺さる。それによって故障してしまったのだろうか機械は嫌な音を立てたが彼女は敵の女から一瞬たりとも目を離さずに構えた引き金を引いたーーそれは、誰が見てもまるで見当違いな方向に。
「但し、死ぬのはあなた達の方よ」
しかしアゲハ本人だけはこの向きこそが素晴らしいと分かっていた。そもそも、銃を主戦力として扱う彼女が街中での戦闘を、狭い場所での戦闘をシュミレートしていないわけが無いのである。
路地裏は、大きな建物ーー今回は二棟の集合住宅の裏手であったがーーに囲まれた場所となるので当然跳弾による事故も多い。どの角度で撃てばどのように跳ねるか、どのタイプのジャケットの弾丸を使えばどれだけの周りへの被害を減らせるかなど、彼女はあの日よりずっと強くなるために努力を重ね続けているのである。
一発、あらぬ方向に撃たれたと思った弾丸はまるで吸い込まれるように女の右手に着弾。これは決してマグレ当たりなんかじゃあなかった。
あまりの衝撃に文字通りちぎれてしまった華奢な中指と人差し指がみるにたえないほどひしゃげ曲がってどこかへ飛んでゆく。
これで奴の投擲は封じたも同然だーーアゲハは苦痛に歪む女の様子を伺いながら十数えて銃構えた。
「十秒だけ時間をあげる……貴方は一体何者なの?DIOとは一体どういう関係?」
「……アタシはルル・ベル。DIO様に魅入られたただのオンナよ……それ以上の関係はない……」
あまりにも呆気なく答えるルル・ベルに不信感を抱きつつも九栄神の暗示のスタンド使いでは無かったのかと納得したアゲハは小さく
「なるほどね」と呟く。有益な情報が得られる可能性は少し低くなったが、聞かないよりはマシだろうと次なる質問を唱える為に彼女はさらに奴との距離を詰めた。
「私達は今DIOの潜伏先を探しているの。彼の狂信者である貴方なら何か知っているんじゃあないかしら?」
ぽた、ぽたと地面にとめどなく落ちるルル・ベルの右手からの出血がまるで血時計のよう。俯いた彼女の顔色はいまいち読み取れないが常人ならば既に気を失っていてもおかしくないほどの痛みだろう。
アゲハがカウントを取り始めてからちょうど6滴目の血液がアスファルトに滴り落ちた瞬間だったーー。
「おいッ!おまえっ!何をやっているんだよ!ケ、ケーサツに電話しちゃうぞ!」
突然、二人のいる路地裏に隣接する建物から顔を出したのはそこに住んでいると思しき少年だった。どうやら先程壊した室外機は彼の家のエアコンに繋がっていたらしい。
そしてなにより不味いのは、この場合警察に追われる立場になりうるのはーーアゲハの方だという事だ。
どきりと汗を流したアゲハはさっさと殺してしまい逃げなくては!と視線をルル・ベルに移す。
しかし奴は次の瞬間、自由に動く左手で寸分たがわぬ投擲をしてみせたのだ。
両利きだったのかーーと思うまもなく発射された針は無防備なアゲハの「後方」へ飛んでいき、彼女は恐る恐る着弾地点へ振り返る。
まさか!と額に汗をうかべたアゲハは目の前で起こった光景に目を見開く。
「きさまーーッ!!なにをやっているんだーーッ!」
激昂するアゲハが目にしたのは彼女の後ろに居た少年の首と両肩に一本ずつ、計三本の針が突き刺さった瞬間だった。見たところまだ五歳程度と取れる少年に、直径六ミリほどの針が深くくい込んでいる。
「あ……ッ、ぼく……どうなって……」
少年のガラスのような瞳が大きく揺れているーー自分の身に起きた事の整理がうまく付いていないようだ。あんな所に刺されたんじゃあ、もう命は助からないかもしれない。
アゲハは頭の血管がプツンと切れるような凄まじい感情に押されて振り向きざまにルル・ベルを射撃する。しかし、苦痛に顔を歪めながらも不敵に笑い針で弾丸を弾いたルル・ベルはそのまま嘲るように言葉を紡いだ。
「ふふふっ……いいのかしら。アタシなんかに構っていて……。あの二階の坊や……このままだと落ちて死んじゃうわよ」
奴の言葉を合図としたようにガタンと窓手すりに何かがーーいいや、この場合は可能性はほぼひとつに限られるのだがーーぶつかり落ちる音がアゲハの耳に響く。
今すぐ奴をやるか少年を助けるか……選択の余地など彼女には無かった。
「……貴方はこの私が絶対にやってやる」
まるで紅海の孤島で家族の仇敵に向けた時のような深く淀んだ瞳でルル・ベルを見下ろしたアゲハは銃をしまうと踵を返し走り出す。
奴の言う通りふらりと、身を乗り出した窓から落ちてくる少年。受け止めなくては確実に死んでしまうだろう。そんなことがあってたまるものか。
(みたところ体重は十五から二十キロといった所だろうか……それに二階ということは高さは約四メートル程!)
少年の落下予測地点に飛び出したアゲハはこれから自身の身に降りかかる衝撃を頭の中で計算すると備えるように奥歯を噛み締めた。誤って舌を噛まないように、というのが理由だが同じぐらい弾き出された答えにゾッとしていたのだ。
少年のファーストキスがお硬いアスファルトになる前に落下地点に滑り込むことができたアゲハは衝撃を逃すために膝のクッションを意識しつつ彼を抱き止める。
しかし、彼女の身に降り掛かってきた力は想像していたよりもずっと重く、アゲハは自身の骨が軋む音を聞いた。顰められた眉を額からの汗が濡らす。
(『重い』ーーッ!!建物の二階から落ちてきたとはいえ推定十五キロ程度の子供の重さではないッ!)
腕の中で気絶してしまった少年に怪我がないことを確認したアゲハは彼をそっと壁際にもたれかけされるとびりびりと痺れるような感覚が走る腕を軽く摩った。
折れてはいないようだがーーとほっとするもつかの間、背後に感じた気配に咄嗟に腕で顔面をガードする。
「……あらザンネン。まったく勘がいいんだから」
「お生憎様、あなたの息が荒いんだよ。痩せ我慢せず大人しくしていればいいのに」
ゼェゼェ、と顔に脂汗を浮かべながらも口の端を歪めたルル・ベルの突き立てた針がアゲハの右腕を貫く。容赦なく押し込められたそれはメチャクチャ痛かったがこの女だけは今すぐにやる!と決めていたアゲハは針が突き刺さったままの腕で人差し指を奴に向け、D・D弾発射の構えを取った。これしきの事で照準が狂う程彼女はヤワではない。
「くらえ!D・D弾!貴方は眠くーー」
しかし次の瞬間、急激にバランスを崩し前に倒れ込んだアゲハは無様に地面に膝を着いた。
な、何が起こっているのだ?目を見開いて信じられないとでも言うように自身の「右手」を覗き込んだ彼女は恐る恐るその腕をあげる。
「お……『重い』!私の右腕がいつもより『重くなっている』んだッ!!それもここだけだ!あの針で刺されたこの場所だけが!」
地べたに足をつけ動揺するアゲハの前にしゃがみ込んだルル・ベルが彼女の顎を優しく持ち上げる。無理やりにかち合わされた奴の視線はねっとりとした醜悪なものでアゲハは唇を一文字に結ぶ。
「いい?あんたは既にアタシのスタンド「マーシャン・マーシャン」の術中にハマっているのよ。さあて、この指の後始末、どうとってもらおうかしらァ」
二本の指が欠けた右手で器用に針をつまんだルル・ベルがゆっくりとアゲハの額にそれを近づけていく。
目の前で行なわれる光景に息をするのも忘れそうになった彼女は、自身の皮膚が破け、滴り落ちてきた赤い液体が鼻筋を濡らす感覚に思わず声を大にして叫んだ。
休息のために訪れたルクソールの街で、アゲハはルル・ベルと、行方不明になったポルナレフはセト神の暗示を持つアレッシー、そして、別行動をしていたジョセフとアヴドゥルはバステト女神のマライヤと。
それぞれ三組の戦いはほぼ同じ時刻に火蓋が切られていた。