ルル・ベルの
マーシャン・マーシャンその①
ルクソールへと到着したジョースター一行は度重なる敵スタンドとの攻防に疲れた身体を癒すため一日間の休息をとる事になった。
「ゲブ神」と「アヌビス神」の暗示を持つスタンド使いは両方かなり手強く、彼らはまさにギリギリの所で勝っている状況だったのだ。
DIOがいるというカイロへはあと二日ほどで到着出来るが、このまま無理に旅を急げば全滅する危険もあるというのアヴドゥルの判断こそが、今回の休息へ至る決め手だったーー。
「早く起こせアヴドゥル!普通年寄りってのは朝早いもんだがなーーっ。後五分で降りてくるように伝えろーーっ」
そして朝旦、集合時間を過ぎても現れないジョセフのいるホテル四階の部屋に向かって砕けた口調で不満を告げるポルナレフに苦笑いをこぼしたアゲハはそっと自身のカーディガンの右袖を捲った。
気の所為なんかでは無い、次第に範囲を増してきているソレにごくりと息を飲む彼女の視界に不意に影がかかるーーこちらを見下ろしているのは承太郎だ。
「……どうやら広がってきているようだな」
「うん……いままで通り痛みとか痒みとか、そういうのは無いんだけどね」
う〜ん、と考え込むように唸るアゲハは再び一晩で驚く程黒く染った自身の右腕に視線を送る。人差し指のアザが肘の辺りまで広がってきているのだ。
アヴドゥルの立てた仮説が正しいのならば、もうすぐ彼女のスタンドが更なる段階へと成長するという兆しともいえるのだが……あまり楽観的に物を考えられないコンディションのアゲハは眉を伏せた。
「ところでオメーらは飯が終わったらどうするんだ?まさか大人しくホテルに籠りきりってワケじゃあねーだろ」
物言いを終え、のんきにこちらに近寄ってきたポルナレフが屈託のない笑顔でそう問いかけるが対する二人の反応はあまり明るくない様子。アゲハは困った顔で口角を上げると隣の承太郎を一見してから申し訳なさげに紡ぐ。
「……いいや私は部屋に籠るよ?最近銃の手入れも十分に出来てなかったし、それに少し疲れてるんだ」
「……マジ?……承太郎、お前は?」
「……やれやれ、能天気な野郎だぜ」
帽子の鍔を下げながら呟いた彼の言葉に肯定の意味はなくポルナレフはがっかりと肩を落とす。それに少しだけ申し訳ないなと思わないこともなかったアゲハであったが、それ以上に彼女はーーそして恐らく承太郎もーー焦燥感に駆られていた。
(この街に丸一日滞在するというアヴドゥルさんの提案は正しい……そう思ったから反論はしなかった。だけどあともう少しの距離に全ての元凶がいるのにこんなところで足止めをくらうなんて事……)
きっと同じく家族の命がかかっている承太郎もやり切れない気持ちなのだろうなーーアゲハがちらりと承太郎の顔色を伺うと偶然にもかち合う二人の視線。慌てて目を逸らしてジョセフが宿泊している部屋のベランダを見上げた彼女は早く二人が降りてこないかなと頼りになる大人達を待ちわびた。
「…………こないね?」
しかし、待てども待てども二人が来る気配は無く、遠慮がちに紡がれたアゲハの言葉に同意するようにして、たかが部屋から出てくるぐらいで何をてこずっているのだとポルナレフが悪態をつく。
「まさかオレたちをほっぽって二人で先にメシに行きやがったんじゃあねーだろうな。もういい、オレたちだけで朝飯にしようぜ!あの年寄り共を待ってたら昼になっちまう」
「えぇ〜……もう!ポルナレフったら!仕方ないね、私達も行こうか承太郎」
せっかちな友人に苦笑いを零したアゲハは困ったように承太郎に笑いかけると歩き出した。
エジプトの朝食の定番といえばソラマメを煮込んで作るフール・ミダミスというスープとナンに似た食感のアエーシというパンだ。特にアエーシは切り分けると中身が空洞なので具を詰め込んでサンドウィッチにも最適な美味しいパンなのである。
「ソラマメのスープはもう暫くいいかな……コシャリとかターメイヤのサンドウィッチとかはどう?」
「なんだァ?やけに詳しいな」
「前にアヴドゥルさんと話してた時に聞いたんだ。どこのお店が美味しいとかまでは聞いてないけどね……」
隣に並んだポルナレフの問に少し自慢げに返した彼女は周りをキョロキョロと見回す。なんせ街中に溢れる文字は当然アラビア語なので字が読めないアゲハが飲食店であるというということを確認するためにはその目で見て判断するしかないのだ。
ああ、もしも私が離れた所で面倒くさそうに着いてきているイギーのように鼻が良ければすぐに見分けが着くのだけれどーー叶うはずのない願望に薄く目じりを下げたアゲハは再び飲食店探しに移る。こうしている時間は凄く楽しいが、早く戻って身体を休めたいというのが彼女の本心だった。
「おい承太郎ッ!アゲハ!敵だッ!敵が現れやがった!」
しかしそんな彼女の思惑を阻むように紡がれたのはつい先程まで隣を歩いていたはずの友人の危険を知らせる言葉だった。しかし名前を呼ばれた承太郎とアゲハが振り返っても声を荒らげた当人の姿はない。
「ポルナレフ……どこだ?ポルナレフ」
「ポルナレフ!また一人で行っちゃったの……!?」
パトロール・ハンターのサーモグラフで探そうにもエジプトの異国の地では彼のような体格の人間も少なくはなく一人を絞り切るにはそれこそ大きな特徴が必要になってくる。しかし今のポルナレフにそんな特徴は特に無く、アゲハはきっぱりと諦めると承太郎と来た道を戻って彼の捜索を開始した。
「あっ!ジョッ、承ーー…… ……」
その時だった、道行く一人の子供がアゲハの隣を歩く承太郎を指さしそう叫んだのだ。焦った様子のその少年はブカブカの服を着てそこらじゅうを転げ回ったのか顔には土がついている。
「ジョウ……い、いや……ジェイ……ジャッキー……じ……ジ……」
足を止めた二人は少年を見つめる。よく見れば少年の顔はこの辺りに住むヌビア人でもエジプト人とも似ていなかった。
もしかするとどこかから観光で来た子供なのだろうかーーアゲハは勝手にそう推測すると承太郎に視線を配る。
「おいぼうや……今この辺でフランス人の男を見なかったか?身長はこの位で君にちょっとにた髪型をしているんだが……」
「そっそれはぼくだッ!ぼくっ!ぼくっ!」
自分の目元に手を垂直に当てた承太郎の問に、焦ったように少年が答えたのはなんともトンチンカンな言葉だった。目の前の少年の身長は、誰が見たって彼の目線ほどの高さなどあるはずも無く銀髪のその独創的な髪や服飾品はどこか探し人の男と似てる気もしなくもなかったが同一人物かと問われれば間違いなく答えはノーだった。
「やれやれ、子供に聞いたのが間違いだったぜ…… アゲハ、行くぜ」
「うん、今行くよ。……それじゃあありがとね、ぼく」
「あっ……ま、まって……!」
これ以上少年に構っていても有益な情報は降りてこないだろうと踏んだ承太郎が背を向けて歩き出す。そんな彼の催促する声にこうしている間もポルナレフは敵と交戦中なのだと懸念したアゲハはその場を後にしたーー……。