都市遺跡の巡回者②
約一か月前ーー 帝アゲハは家族でエジプトへ旅行に来ていた。アゲハは何ヶ月も前からこの旅行を楽しみにしていて、人生初となるアルバイトにだって精を出していた。
両親とアゲハ、そして兄との四人はエジプトの首都カイロにある『ハーン・ハリーリ』が見渡せるホテルを予約し、現地ガイド曰く人通りが少ない午前中をかけてハーン・ハリーリ(巨大なお土産市場だとガイドさんは言っていた)を観光していた。
トルコ石のネックレスや、いかにもと言ったツタンカーメンやエジプト九柱の神々(九栄神)の置物などを観光し楽しんだ後はゆっくりと座ってミントティーを楽しむなど、アゲハ達一家は初めての海外旅行を十分に堪能していた。
日が暮れれば現地ガイドの運転で 都市から離れ兄の趣味である天体観測。余談だがガイドの説明によるとそこはかつての原始王朝時代上エジプトの都市であったらしく、少しばかりの建物の壁であったであろうものが残っているだけの光景を見てアゲハはセンチメンタルな気分になった。
ホテルに戻ってからも一家族全員が一つの部屋で「今日は楽しかったか」などと話し合っている間、適当に相槌を打っていたアゲハは暮れどきに行った古代都市(名前はヒエロコンポリスと言うらしい)について思いを馳せていた。
兄はアゲハに対し「おセンチなのか?」などとからかっていたが今はもう昼に買ったお土産の選別をしている。自分用と友達用に丁寧にわけているらしかった。
そして夜もだいぶ深まり、家族たち(と言っても父のだが)のイビキまで聞こえてきたがアゲハは一向に眠れなかった。ハーン・ハリーリから聞こえてくる賑やかな音楽や明るい光がアゲハにはおいでおいでと誘っているように感じたのだ。
悶々と数十分悩み、そしてベットから身を起こしたアゲハは簡単に身なりを整えてサイドテーブルの上の鍵を手に取る。そして家族に気付かれないようにこっそりと部屋のキーと共に部屋を出るとしっかりと鍵をかけ、アゲハは夜の露店へと飛び出して行ったのだった。
夜も更ける頃、ハーン・ハリーリの雰囲気は日中よりも更にに異国の風合いを醸し出してゆく。
怪しげなイメージを感じさせるビビットピンクのライトに目が眩みながらも市場を歩いていると午前中にはやっていなかった小道の方の出店のオレンジ色の優しい光を見つけた。
アゲハがコソッと近づくとそこはアクセサリの出店のようで色とりどりの石が施されたピアスやネックレス、髪飾りなど煌びやかな装飾品が並んでいる。アゲハはその美しさに心を掴まれ、露店へとどんどん近づいていく。
そして店主とバッチリと目が合ってしまった時、ハッとしたが後の祭り、露店の店主はニコニコとしてこちらへ会釈をしてみせた。英語は辛うじて喋れるけど……と困っていたアゲハは店主の
「こんばんは お嬢さん」という流暢な日本語に目を丸くさせた。
暫くして、金色のネックレスを一つ購入した彼女に「買って頂いた御礼です」と『アル・フセイン・モスク』への道を教えてくれた露店の店主は褐色の肌によく映える銀色の長い髪を搔き上げながら微笑む。
日本人である自分相手に良心的な値段で物を売る所かエジプト国内でも由緒あるモスクへの道まで教えてくれるなんてと感激したアゲハは最後に店主に改めて感謝を伝えると早速その場をあとにした。
アル・フセイン・モスクまでアゲハは出来るだけ慎重に歩いた。警察に見つかれば補導されるだろうし、悪い人に見つかればろくな目にあわないだろうからだ。
昼に家族で行けばいいと心の片隅では分かっているアゲハだったが、どうしても行かなければならないーー『運命』のようなものをその時は感じていた。或いは彼女の身体を流れるDNAが何かに引き寄せられていたのかもしれない。
深夜という事もありモスクまで着くと周りに怪しげな人は居なくなっていた。カメラも何も持ってきていないアゲハはただただ肉眼でその美しさを脳裏に焼き付けていく。
外装や辺りの建物を見た後、当たりがしんと静まり返る中建物の中まで入った アゲハはそのまま二階への階段を登っていく。
そして踊り場に足をかけたその時、不意に姿を見せた男にアゲハは目を奪われた。頬に熱が集まっていくのが鏡を見なくてもわかる。文字通りそアゲハはその男から目を離せなくなっていた。それほどまでに男は美しかったのだ。
しかし男の目が自分を捉えたのを感じ取った瞬間、アゲハは手に持っていた荷物をガサと音を立てて落としてしまった。反射的に、勝手に見惚れていたことに対する罪悪感だけでは無いような悍しいその感覚に心臓がドクリと鼓動する。
窓を背後に立った姿の男は月明かりの逆光で顔ははっきりとは見えない。しかし整った顔をしているということはなんとなく溢れ出るオーラから感じられた。
そんなすっかりと青ざめて震えているアゲハを見てニヤリと唇を釣り上げて笑みを作った男は「君は……日本人だね?」と酷く此方を安心させる声で囁いた。上手く息をすることもままならないアゲハはパクパクと口を動かすも結局声にならず、頭を縦に振ることで男に返事を返していく。
二人の間に沈黙が起きて数秒、男は何か納得した様な声で「そうか」と呟いたーーその次の刹那アゲハは何かよく分からないナニカに思い切り下腹部を殴られた感覚に襲われた。目の前の男は動いていないはずなのに。
しかし理解に時間が掛かったということは分かっていた。何故なら理解した時にはアゲハの体はモスクの床の上に倒れていたからだ。そして吐血していた。人生初の体験だった。
理解も追いつかず、おまけに内蔵がグチャグチャなんじゃあないかって程に痛むお腹に困り果てていたアゲハに声をかけてきたのは数秒前まで目の合っていた色男。彼は「大丈夫かい」と酷く優しい声で言うとアゲハを抱き抱えて階段を降りていく。
アゲハはその時に見たまるで彫刻のような妖艶で美しい男の顔を何時までも忘れないだろうと心の底から思った。
それが帝アゲハとDIOの出会いだった。