デイドリームその④
「帝さん、おはようございます」
「……おはようございます」
アゲハは朝の体温測定にとやってきた看護師のモーニングコールで目を覚ました。
ボサボサの髪で欠伸を噛み殺しながら問診とも言い難い世間話をする。
この後の予定を問えば朝食を済ませたら足の診察をして、異常がないと分かれば退院という運びになると返ってきた。
数分後、体温計に表示された体温は正常値。明るい表情でカルテにボールペンを走らせる看護師を横目に自身の右手人差し指を見つめたアゲハは彼女を呼び止めた。見せたいのは勿論、昨夜例の男に指摘された黒く変色した人差し指だ。
「これってアザなんでしょうか?昨夜気がついたんですけど……」
「え……」
「……右手の人差し指のところ、黒くなっていますよね?」
「…………?」
しかし、答えが返ってくるどころか怪訝な顔で見つめられてしまったアゲハはどくりと心臓が一際大きな音を立てて動く瞬間を聞いた。
まさか、見えていないのだろうか。こんなに濃く色付いたアザが?まさか。スタンド使いではないと思われる昨晩のハーン・ハリーリの男も見えていたはずなのに。
(いいや……もしかしたらあの男が嘘をついているのかもしれない。本当はスタンド使いなのに私の目元に突然現れたモニターを見てなんの反応も示さなかったというのか?もしも、もしもそんなことがあるのなら事前に私のスタンド能力について知っていなければ説明はつかないーー……!)
困った様子の看護師を解放して、部屋に一人きりになったアゲハは大きなため息を吐いた。
もしも私の仮説が万が一にも当たってしまっていたのならーー奴は相当厄介な相手に違いない。願わくばただの思い過ごしであって欲しいものだった。
「アゲハ!!」
一通りの検査を終え、退院の手続きを完了させた彼女の名を一際大きな声で呼ぶ男の声にアゲハは心を弾ませると同時に少しだけ顔を青ざめさせた。ここは病院である、声量は抑えてもらわなくては。
「一日ぶりだね、ポルナレフ。元気そうでよかった」
「そりゃあコッチのセリフだろーが。とにかくオメーも無事でなによりだぜ」
そう思いながらも咎める言葉などはでてこなくてーー駆け寄ってきた親愛なる友人と自然な動作で握手を済ませたアゲハはそのまま後ろに着いてきていた承太郎と視線を交わす。すっかり良くなったことを証明するように口元に弧を描いた彼女は片手間にウインクまでしてみせた。
「ジョースターさんはどうしたの?」
「アヴドゥルと少し話があるらしくてな。その間にお前を迎えに行くようにと頼まれたんだが……オイオイその指どうしたんだよ?腐ってるみてーじゃねえの」
アゲハが不思議そうに見当たらないもう一人の旅のムードメーカーの姿をキョロキョロと探せば怪訝そうな声色でポルナレフからの返答が帰ってくる。そしてその答えに目を見開いた彼女が神妙な顔付きで承太郎にも目配せをすると彼も見えているらしいのか、視線ははっきりとアゲハの右手を見つめていた。
「……やっぱりポルナレフ達には見えるんだ……これ……」
「おい、まさか……」
「うん……お医者様や看護師さんには見えていないみたいだった。もしかしなくてもこれってスタンド攻撃だったりするのかな」
アゲハは目をひん剥いて自身の右手を覗き込むポルナレフから視線を外すと手のひらを見つめた。ーー気の所為だろうか?昨晩よりも少しだけ範囲が広くなっているような気がするーー。
「痛みは?」
「ううん、ないよ。動かしにくいってこともないし壊死状態ではないみたい。全身にもくまなく新鮮な血液が循環しているのも自分の体温を見れば分かるわ」
一歩下がったところで問う承太郎に自分の見解を簡潔に述べたアゲハは二人に見せつけるように右手を開いたり閉じたりしてみせる。この通り、今のところなにも弊害はないので、ただのアザのようなものだと彼女は困ったように笑う。
「ところで……インドでじじいに出来た妙なデキモノは「女帝」のスタンドだったな……」
「ゲッ、つまりアゲハのソレも……!?」
「と、とにかく!今はジョースターさん達にも相談して様子を見ることにするよ」
神妙な面持ちの承太郎の呟きにエンプレスとの戦いを思い出したのかポルナレフはーーまあ彼は、本体の醜女とデートをしていただけなのだがーー盛大に顔を歪める。
そんな二人の思考を遮るように話を纏めてしまったアゲハは、ジョセフの波紋ならばどうにかならないだろうかと思案しながら歩き出した。
ーーがしかし、結果から言うと特段解決策も、敵スタンドによる攻撃であるという確証も全く得ることが出来なかった。
ジョセフ曰く
「アゲハ自身に流れる生命エネルギーとその黒いアザは同一の物」だと言うのだ。つまり波紋を流して体内から炙り出す事などは不可能ということを意味する。
「これはわたしの仮説だが……このアザは君のスタンドが成長している証なのかもしれんな」
「え……?」
「アゲハは最近右手の人差し指にスタンドパワーを集中させる特訓をしていたのだろう。だからそれが要因なんじゃあないかと思ったんだが」
花京院が居残る病室の前で再会したアヴドゥルが顎に手を当て考え込む仕草で説を立てる。
たしかに彼の言うことは十二分に考えられる。何故か限定的に色濃く出たアザは特訓に使用した人差し指だけで、尚且つ自分自身のスタンドパワーが皮膚の内側から浮かび上がってきただけだと言うのなら看護師達には見えなかったのも納得出来る。
「とにかくアゲハはそのアザをしっかりとみておくように!!そろそろ出発するぞ、明日にはコム・オンボを抜けてエドフへ向かわねばならんからな……ホレッ!」
「わわっ!」
高らかに宣言したジョセフに背中を叩かれたアゲハはそのまま目の前の病室になだれ込む。扉を開閉する騒音に我々の存在を既知していたのだろう病室の彼はカーテン越しのお日様の光をその身にたんと浴びて微笑んだ。その顔色は光の陰影であまりよく見えない。
「ええと……おはよう花京院、体調の方は変わりないかな……?」
「帝……それにみんなも……!」
しかし次の瞬間にはほっとしたような、どこかいつもよりワントーン明るい声色の花京院の声が返ってきてーーアゲハは安堵に肩を落とした。そして続々と「ジョースター・エジプト・ツアー・御一行様」の面々が病室に顔を出せばさらに深くなる花京院の笑み。
「瞳のところを切られたのではないらしいからキズはすぐ治るらしいよ……数日したら包帯も取れる。すぐに君達の後を追うよ……みんな用心して旅を続けてくれ」
この離脱は、当人が一番悔しいだろうにーーアゲハは健気に一行を送り出す花京院の姿を見て胸に秘めた決意をさらに強固なものとする。
私は、私たちは帰るッ!家族もみんな助け出して、だれも失わないで日常に戻るのだッ!
別れの挨拶は昨日のうちにすっかり済ませている。アゲハは特にこれといったは長話もせずに花京院に挨拶を済ませると病院を後にした。
もう私たちには立ち止まっている時間はない。
「エジプトは古代からナイル河を境に日が沈む方向に死者を葬ったらしい。だからすべて町は東側に集まっている……西側にある建造物はすべて墓か死者にまつわる建造物だそうだ」
コム・オンボへの道のりを小さな船で行くジョセフが静かに波に揺られながら夕日を見つめ呟く。
よく見てみると確かにそうだ、船から見て右手の方には立派な建物が建立されているが左手側にはどこか質素な建物ばかりが見受けられる。
「もっとも、敵は西だろうが東だろうが東西南北おかまいなしに襲ってくるがな」
落ちていく黄昏をじっくりと見送ったアゲハはやがて視線を自身の掌に落としそれを握った。
DIOを倒し、家族も救い出して日本へ帰る事……過酷な道のりにはなるだろうがみんなと一緒なら決して叶えられない目標ではないとアゲハは顔を上げる。見据えるのは奴がいるとされるカイロの街だ。彼女が家族と離れ離れになってしまったこの物語の「はじまり」の街だ。
(あなたが大好きだよ花京院。もう一度あなたとお話がしたいし手も繋ぎたいの。だから、コレを渡さなかったのはまた会うためのおまじない)
私物が入った肩掛けバックのショルダーストラップを握ったアゲハはぎゅっと目を閉じた。思わず頭に浮かんだ愛しい人の姿にきっと頬は赤みを帯びたけれど、幸い誰も気がついていないようだ。
まあ、もしも気づいていたとしても、煌々と照りつけるこの夕陽のせいだとシラを切ってしまえばいいのだとアゲハは陽の沈む方角をーーネクロポリスを見つめた。