愚者 とゲブ神その②
「旅立つ前に尋ねたい……わしの娘の事だが……ホリィの容態はどうだ?ハッキリ言ってくれたまえ……」
砂漠越えのための水や食料、着替えに医薬品などの支給物をジープに詰め込んだSPW財団の男達はヘリコプターのエンジンをかけると飛び立つ為にプロペラを回転させ始めた。
久方振りに背中と腰に装着された銃火器類の重みに身体がピシッときたらしいアゲハはジョセフの問いに答えにくそうに視線を下げた職員の男の言葉の続きをじっと待つ。
「言いづらいことですがあまり良いとはいえません……体力の消耗が激しく命はいぜん危険です。我々SPW財団の医師の診断ではもってあと二週間……」
そして紡がれた言葉が重い重い錘のように全員の身体にのしかかる。
あと二週間のうちにDIOにたどり着かなければ承太郎の母親の命の保証は出来ないと言うのだ。
「時間が無い」と焦った様子の花京院のつぶやきがプロペラの風を切る音にかき消されて消えていく。
「それとひとつ情報があります。カイロ市内にいるDIOと思われる人物をひそかに探し調べていましたが報告によると二日前、謎の九人の男女がDIOの潜伏しているらしい建物に集まってそしてまた何処かに旅立ったという事です」
「DIOと九人の男女だと?」
そして悪いニュースはこれだけに飽き足らずわんさかわんさか湧いて出てくる。スタンド使いではない我々にはこれ以上の調査は不可能だったと続けるSPW財団の男は恐ろしげに語る。
「いや待て、タロットカードに暗示されるスタンドはホル・ホースの「皇帝」を除けば残すは「世界」ただ一枚。この「世界」のカードがDIOのカードかと思っていましたが……アヴドゥル?」
「わ……わからん……わたしにもわからない……九人だと?」
俯き、当惑するアヴドゥルを横目に伏し目がちに地面を見つめたアゲハは思案する。
スタンド使いは何もカードの暗示を受けたものだけしかいない訳では無い。己自身が何のカードの暗示もなく弓と矢の被検体としてスタンド使いとなったように、いいように言いくるめられてDIOの駒になっている人間がいてもおかしくは無いのだ。
「やれやれ残り二週間の間にあと九人か……ちょっぴり疲れるというところか……」
飛び立っていくヘリを見送ったアゲハはバギーのタイヤに腰掛けた承太郎のつぶやきにゴクリと唾を飲んだ。カイロまでの道のりは今まで以上に険しいものになりそうだ。
「ジョースターさんーーッなんとかしてくれよッ!」
砂漠を進むバギーが大きく揺れる。度重なる身体への負荷に耐えきれず叫び出したのはポルナレフだ。彼は三人がけのリアシートをデカデカと占領する小型犬を指さすと
「なんでこのクソったれのワン公がシートに座ってオレたちが荷台にいなきゃならねーんだよッ狭くて腰がいてーよッ」と叫ぶ。
言葉にはせずともアヴドゥルも同じ気持ちなのだろう、困ったように、伺いみるような視線はグチャグチャと咀嚼音を漏らすイギーに向けられていた。
「好物のコーヒーガムの味がなくなるまで待つしかないな……味がなくなったら新しいガムで荷台へ来るように誘うんじゃッ!」
アヴドゥルとポルナレフと同じく荷台に押し込まれている花京院とアゲハも「直にくる」走行中の衝撃に悩まされ顔色を悪くしている。
ジョセフの言う通り、もう少しの辛抱か……とアゲハが同じく所狭しと荷台に押し込まれた支給物に寄りかかろうとしたその時だった。
「うわあああああ!いきなり急ブレーキをッ!?どうしたァーーっ!?」
突如車は急停止し、弾みで車内はグアンカンと揺れる。一体何があったのだと事態が分からない荷台の四人は驚き前方を指さすジョセフに倣い車外に飛び出した。
「こ……これはッ!飛び立ったSPW財団のヘリコプターが砂に埋まってるぞッ!」
そして目の前に広がる光景に絶句する。SPEED WAGONの文字が貼られたヘリコプターが無惨な姿で墜落していたのだ。
フロントガラスは砕けプロペラが取り付けられている内部からは煙が出ている。
「でも兵器による攻撃の跡は見当たりませんよ!なんだかそのままドスンと落ちたような破損状態です」
ーーしかし、アゲハの見立て通りヘリコプターには『墜落時に出来た破損』以外の大きな欠損は見当たらない。何らかの銃火器等による外的要因によって操縦不能にされたというよりは機械トラブルによって飛行不能になった末の墜落……という雰囲気だ。
「気をつけろッ敵スタンドの攻撃の可能性が大きいッ!」
だがそうと決めつけるのは早計である。彼らジョースター一行は敵スタンドに命を追われる立場なのである。
とにかくヘリに乗っていた職員の安否を確認しなくては、と考えたアゲハは承太郎が見つけたパイロットの元へ駆け寄った。
「死んでいるぜ……見ろ、指で機体を掻きむしった跡がある」
「用心して近づけ。何か潜んでいるかもしれん」
運転席側の窓枠から上半身だけを外に出した状態で発見されたパイロットの職員は既に息絶えていた。彼は死に際にとてつもなく苦しみ抵抗したのだろう、鉄で出来たヘリコプターには無数の引っかき傷が残るほど何度も力強く引っ掻いた跡がみられる。
「……水?こんなに大量の水が……パイロットの肺の中からこんなにも沢山……」
パイロットの遺体を抱え、口内に溜まっていた水を吐き出させる承太郎。仰向けになっていた体位を横向きに変えれば肺の中まで入り込んでいたと思われる水が小さな小さな川をつくる……あまりの異常な光景にアゲハは呆気に取られただ目の前の状況を口にこぼしていく。
「溺れ死んでいるぜ!この砂漠のど真ん中で……いったい?」
流石の承太郎も、この所業には動揺を隠し切れず手で顔を覆い叫ぶ。
この常軌を逸した殺害方法から十中八九敵スタンドによる襲撃であることは間違いない。パイロットを何らかのスタンド攻撃で溺死させ、そのままヘリコプターを墜落させたのだ。
「お……おい!もう一人はここにいる!生きてるぞ!」
ポルナレフの呼び声に思考を中断した承太郎達は助手席にいた男の元へ向かう。彼は落下時の衝撃で意識が朦朧としているようだったが身体に欠損は無く、荒く胸を上下させながら砂の上で横たわっていた。
「大丈夫かッ!しっかりしろ!!いったい何があったんだッ!」
「み……、み……ず」
「なに!水が欲しいのか!ほらしっかりしろ水だ、ゆっくり飲んで」
身体を震わせながら懸命に唇を動かした男にジョセフは水筒のボトルを傾ける。灼熱の砂漠の中、ぼんやりとする意識で水を求めるのは当たり前のことだと誰もが彼の容態を伺っていた……そんな次の刹那。
「ヒィィィィィちがうゥゥゥゥウ〜〜〜〜ッ水が襲ってくるゥゥゥゥウウウウウ!!」
差し向けられた水筒に叫び声をあげる職員。そしてその水筒の先から飛び出てきたのは水ではなく……液状の小さな手。
「なにイイイッーー!!」
そこからはもう一瞬だった。水筒から伸びた手はSPW財団の男の顔面を鷲掴みにするとそのスタンドパワーで彼の首を捻り取ってしまったのだ。
そして素早く職員の首を持ち去ったスタンドは再び水筒の中に入り込み砂の上にコロコロと転がる。
飲み口の空いたままの水筒からはトプトプと深紅の液体が伝い、それはじんわりと砂漠に染み込んでいった。