D・D 弾
紅海に隣接するーーといっても数キロメートルは離れているのだがーーとある漁村に到着したジョースター一行はその村の小さな宿屋で一夜を明かした。
そして翌朝、ハイプリエステスに切断されたジョセフの義手の調整の為にもう一日この村に停留することが取り決められた。
つまりまる一日休暇が与えられたのだ。
「う〜ん……」
そんな中、外のカラリとした天気とは裏腹にどんよりと唸るようにしてとある扉の前を行ったり来たりする少女の影が一つ。薄く口を開き、眉を下げた彼女は普段背中やソックスに忍ばせている金属のかたまりが無い身軽な感覚にそわそわとしている様子だ。
「な……なんと言って彼を連れ出せばいいんだろう……」
そして落ち着かないのはそれだけが理由では無いーー肝心なのはここからである。彼女はとある人物を外に誘おうと躍起になっていたのだ。
そのお目当ての相手がいる部屋は、自分の宿泊している部屋のすぐ隣。相部屋として彼と共に居るはずの二人はどちらも強くてたくましい。
一方はクールで尚且つ仲間思いで、彼女の知る中では三本の指に入る美男子である同い年の少年。もう一方は人を元気づけてくれる賑やかな性格と、放っておけない人の良さを持つフランス人の男性だ。
「……よし、決めた!」
手のひらで胸を叩き自身を鼓舞したアゲハは決意の言葉と共に二回扉をノックする。間髪入れずに帰ってきたフランス人の男の声に自身の名前を告げれば近づいてくる彼の気配。
「ーーよう、何だってんだよ。今さっき朝メシ食って別れたばかりじゃあねーか」
「改めておはよう、ポルナレフ……花京院いるかな?」
「……ぼく?」
ドアを開けたポルナレフに挨拶を述べてから首を傾げ部屋を覗き込めば、ベッドサイドで荷物の整理をしていたらしい目当ての人物と視線がかち合う。そのさらに奥に見えるベランダでは学生服を風にはためかせながら煙草をふかす承太郎の姿も確認できた。室内で吸わないのは彼なりの気遣いなのだろう。
「さっきぶり。今日はどうする予定なの?」
「特に予定は無いよ。この村じゃあ観光も出来ないしね」
自分の問いに対し返ってきた言葉は予想内のものでーー心の内で拳をきつく握ったアゲハは静かに「確かにそうだね」と微笑む。
花京院ならばそう言うだろうと思っていた。堅実な彼ならばこの少ない休暇に大人しく身体を休めておこうと考えるだろうとアゲハは読んでいたのだ。
「それじゃあさ、花京院……今日一日、私に付き合って欲しいんだけど……ダメかな……?」
だからこそ、このお誘いに花京院が二つ返事で応じてくれることはなんとなく分かっていた。それでも異性と二人でどこかに出かけるというのは慣れないもので、アゲハは頬を赤く染めると俯きがちに花京院の様子を伺う。
そんな彼の後ろでニマニマとこちらを生暖かい瞳で見つめるポルナレフにアゲハが分かりやすく視線を逸らせば解答を急いだ様子の花京院がほんのりと顔を上気させて了承の言葉を紡いだ。
「付き合ってくれて本当にありがとう花京院。早速はじめてもいいかな?」
準備を終え、アゲハに連れられるがままに宿屋を後にした花京院は目の前に広がる光景に瞳を瞬かせた。そこは村の離れにある更地で、もはや砂漠だった。一応そこらにヤシの木や岩なんかは生えている。
だが、一体こんなところで何をしようというのかーー花京院はつい先程まで頭をよぎっていた邪な考えに染まっていた頬を急速に冷ますと目の前の少女の出方を伺った。
「構わないが……いったい何をするんだ?」
「あっ……そうだよね、私ったら誘った段階で言ってなかったんだ。ご、ごめん……!」
花京院からの正しい指摘に、おずおずとした態度で頭を下げたアゲハの顔色は先刻、彼を誘った時の名残が伺える通りいつもより赤い。
それは段取りを間違えたことによる羞恥の感情からなのか、もしくは「少し」気になっている異性と二人きりだということゆえの奸邪な感情の表れなのかーーきっとアゲハ自身が認めるのは前者のことだけなのだろうが。
「花京院に私のスタンドの先生になって欲しいんだ。もっと強くなるための手解きを受けたいの!」
「ぼくが?」
「うん!花京院にしか頼めない!」
閑話休題とでも言うように息を整えたアゲハははっきりとした口調で花京院に思いをぶつけ、頭を下げた。その手足に震えはなく、駄目で元々で頼み込んでいるといった感じだろうかーーと花京院は推測した。
「花京院には分かるよね?……ミスルトー曰く、私の家族に残された時間はもう二十日をきっている。近いうちにヤツの父親とも決着をつけなきゃならないっていうのに私のスタンドはいまだ銃火器の力を借りなくては使い物にならない有り様なの」
それに「女教皇」相手にも、全く歯が立たなかったしーーと視線を落とす彼女が更なるパワーを求める理由は花京院には説明されずとも分かっていた。彼女は酷く焦っている。これからの戦いに自分がついていけるのだろうかと不安に駆られているのだ。
「具体的に言うと銃火器を用いらなくてもメガロポリス・パトロールの弾丸を発射できるようになりたいんだよ。それで花京院のエメラルド・スプラッシュの様な要領で出来ないだろうかって思ったんだ」
手で拳銃のポーズを作り、人差し指の先から弾丸を創り出すアゲハ。そんな僅かに揺れた袖口から今朝巻き直したばかりなのだろう包帯がちらりと顔を出したのを花京院は見逃さなかった。
そういえば、最近彼女は目に見えて傷が増えていた。目の下に薄く走る傷跡は先日増えたばかりの真新しいものだ。あれは確か帝がぼくを守ろうとして放った銃弾が弾き返されてついたものだったなーーと彼は顔を曇らせる。
「……花京院?」
「…………」
「…………やっぱり無理な話だったかなあ」
「……あ、いいや。すまない」
俯き考え込むように黙りこくっていた花京院に不安そうな声を漏らしたアゲハは眉を下げて困ったように口の端をつりあげた。
一方のアゲハにも流石に無茶な事を言っているのかもしれないという自覚はあった。
花京院のエメラルド・スプラッシュは彼が生まれ持ったスタンド能力に付随するもので、それは後天的に身につくものでは無いのかもしれない。スタンド能力というものはいまだ謎が多く、彼女にはまだまだ知らないことが多すぎるのだ。
「そうだな……ぼくの一意見としては出来ないことは無いと思うが……何メートル分かスタンドの弾丸を飛ばすためのパワーが必要になってくるだろう。ぼくのハイエロファントだって承太郎やアヴドゥルにこそは劣るがそれなりにパワーがあるからね」
「確かに……いままで使ってきたライフルや拳銃も遠くに飛ばす分だけ火薬の量や銃内部の仕組み、「弾丸の形」も変動してきた。もちろん遠くに飛ばす時はそれだけエネルギーや反動も大きかったし……それは動力がスタンドパワーになっても同じことだよね」
目の当たりにした難儀な課題に自身が創り出した赤銅色に輝く弾丸をポケットにしまいこんだアゲハは考え込むように視線を下げる。自身が求めるようなパワーを得るためにはスタンドの飛躍的な成長が必要不可欠だったのだ。
何を隠そう帝アゲハのスタンド、メガロポリス・パトロールにはパワーもスピードも存在しない。しかしその分長所もあり、一度創り出した弾丸は数百キロメートル離れたとしても消えることなく存在し続けるーーそれは本体である彼女も驚くほど長所と短所が顕著に現れたスタンドだった。
「帝はぼくのハイエロファントをどんなスタンドだと思っている?」
「……?それなりにパワーもあるし射程距離も優秀な部類、身体を「紐状」にしたり隠伏能力にも長けているのに正々堂々と戦えるだけのスピードもある……汎用性が高くて凄く強いスタンドだなって私は思うかな」
もちろんそれは花京院の応用力もあるだろうけどーー突然の問いに戸惑いながらも素直に自身の考えを紡ぐアゲハ。花京院のスタンドの強さなら身をもって知っている。触手をロープ代わりにしたり体内に潜り込み操るなど多種多様な技を持っているのだ。
「あれをただの「紐」と言い切るのはよくないかもしれないな」
「ナルホド……?それじゃあ花京院はあの触手状態のハイエロファントに対してどういうイメージを持っているのかしら」
「『ホース』さ」
ホース……と頭の中で花京院の言葉を反復するアゲハの脳に映し出されたのは立派なたてがみを靡かせた白馬ととぐろ巻いたビニールの蛇管。すぐさま白馬を足蹴にし、液体や気体を送り込むのに使われる柔らかな素材でできたその管を脳にインプットさせたアゲハは彼の言葉を催促するように小さくうなづいた。
「もちろんそのホースの中身はスタンドエネルギーだ。全身をほつれさせ管を遠くに伸ばすことで射程距離を伸ばしているというわけさ。ぼくのハイエロファントが数十メートル先まで本来のパワーを持続出来る理由はそういうことだ」
「う……ハイエロファントの強さの理由は分かったけど……それは私には難しいかも……」
「それは仕方の無い事、こればかりはスタンドの特性だろう。だから帝に教えておきたい事はこの先の話しさ」
難しそうに口を結んだアゲハを安心させるように微笑んでみせた花京院は自身の裡に潜む分身体を隣に寄り添わせると早速エメラルド・スプラッシュを放ってみせる。彼のスタンドエネルギーが強固な塊となって発射されるその攻撃は数メートル先にあった岩を破壊した。
その様子を見てごくりと喉を鳴らしたアゲハは花京院に教えを乞うように視線を向ける。
「さっき話した通りぼくのスタンドは「管」だ。常時、管の中は一定の量のエネルギーが流れている……そうだな、イメージとしては水を流している時のホースを思い浮かべて欲しい」
「うん……」
「そうしたら帝、一定の量、またはそれ以下の水量しか出ないホースを使っている時……そうだな、あと二メートル先の花壇に水が届かないなんて時、きみはどうやってそこまで水を飛ばす?」
「ホースの先を押して水を飛ばすよ。水圧が高まって遠くまで飛ぶんだ……あ!」
「その通り」
目を見張り、興奮気味に頷いたアゲハはたどり着いた答えに納得すると共に感心した。
花京院という男は己の分身をよく理解しているーーそれが生涯誰よりも傍にいた存在だからなのかは分からないが、己を知ることが出来るというのは単純に尊敬してしまう。
「ぼくのスタンド法皇の緑の管は常にスタンドの破壊エネルギーが詰まっている状態……それに「圧力をかけて噴き出させたら」?後は帝が答えた通りだよ」
「なるほど……!仕組みはよく分かった!同じことが私にも可能なら自分のスタンドパワーだけで弾丸を飛ばすことも出来るかもしれない!」
頬を染めて、目をぱっちりと見開いたアゲハは続けて花京院にお礼を言うと先程と同じく右手で拳銃のポーズをとった。左手を下に添えて、まるでそこに拳銃があるかのように構えた彼女が見据えているのは目の前のヤシの木だ。
(私のスタンド『
銃火器を用いて発砲する時とは打って変わって、緊張から呼吸を乱したアゲハはグッと息を殺すと突き出した人差し指の先から赤銅色の弾丸を発射した。飛び出したそれは彼女のスタンドパワーを纏いヤシの木を目掛けて飛んでゆく。
「と……飛んだ……」
五メートル先のヤシの木に直撃した弾丸は、弾頭をひしゃげられると同時にすう、と消えていく。そして訪れた静寂に残されたのは目を見開いたアゲハとそれを見守る花京院、一点にのみ深い窪みを作ったヤシの木の幹。
「飛んだ!飛んだよう!花京院ーっ!!」
目の前の光景に一瞬頭が追いつかなかったのだろう、一拍置いてから目を輝かせてこちらに振り返ったアゲハの笑顔に花京院も自然と笑みを浮かべる。そんな彼の反応が嬉しかったのか、そちらに駆け寄ったアゲハはぎゅっと花京院に抱きつくとその腕に力を込めた。
「ありがとう!ほんとうに……!花京院……」
「……どういたしまして」
心底嬉しそうに、屈託のない笑みを浮かべるアゲハを目の前にして花京院はただ純粋に温かい気持ちになった。
特別何か呼称があるようなものでも無いその満たされた気持ちはあの日、サウジアラビアの砂漠で迎えた特別な朝と似ていて彼の心を溶かしていく。
「守ってあげたいと思う……元気であたたかな笑顔が見たいと思う」なんて何十日か前に自身が語った理想の恋愛像に当てはまるほど目の前の少女は弱くはないけれど、花京院はアゲハの年相応の無邪気な笑顔が甚く気にいっていた。
「よ〜〜し!この感覚を忘れないうちにもうちょっと特訓してみるよ!二十メートルくらいは飛ばせるようにならなくっちゃ!」
同年代の異性に抱きついていた事など気にもとまらないほど舞い上がっているのだろうアゲハは腕を離すとそのまま大きく手を振って花京院に別れの挨拶を告げた。
それはせっかくの休暇なのに特訓に付き合わせては悪いなーーという彼女なりの気遣いだったのだが、予想に反して近くの岩場に腰を掛けた花京院はそのままそこから動こうとしない。
「……花京院?」
「もう少しきみと一緒にいたいんだが……ダメだろうか」
そして返ってきた予想外の言葉に口をあんぐりと開けたアゲハは次の瞬間目を泳がせ頬を上気させると、やがて
「ううん」と照れ臭そうにはにかんだ。
「十七メーター六十センチ……今日はここで打ち止めだ」
「〜〜ッ!!あ〜もう!悔しい!」
燃えるような西日に照らされながら、きゃんきゃんと騒ぐ友人の元へ歩み寄る花京院。だんだん近づいてきたその黒髪は汗でしっとりとして彼女の頬に絡みついている。
結局二人は日中の殆どを特訓に費やしていた。運良く目標の二十メートルを超え(一度だけだが)更なる記録更新を狙ったアゲハが勢いそのままに花京院を巻き込む形で修行を続行してしまったのだ。
「ごめんね、結局一日中付き合わせちゃって……そうだ、なにかお礼させてよ」
「いいよ、そんなに気にしないでくれ。ぼくの方も得るものは多かったからね」
滞在先の宿に向かう道中、申し訳なさげに切り出されたアゲハの言葉に笑って否定をこぼした花京院は疲れからかフラフラと歩く彼女の手を取った。
そんな自分自身も驚くようなスキンシップに、わかりやすく動揺する帝アゲハを見つめて花京院は思案するーーぼくは一体、彼女の事をどういう位置につけているのだろうか。
(もちろん帝のことは仲間だと思っているし、尊敬する友人だと思っている。ただ……それだけでは彼女に抱く不思議な感情に名前をつけるのは憚られる)
しかしこの花京院典明という男に限って、今すぐこの場で答えを出すことなど出来るわけもなかった。ウンウンと悩む彼に痺れを切らした様子のアゲハが情けなく風に揺れる深緑の学生服を引っ張る。
「私、そこまで賢くないからさ……言葉にしてくれなきゃ分からないよ……?」
こちらが心配になる程に頬を染め、上擦った声で。今まで以上に困ったように笑うアゲハはそれでも繋いだ手を離そうとはしなかった。
そんな状態の友人の姿を見て、大きく目を見開いた花京院もまた、彼女にかける言葉など見つかる気配もないというのに。繋がったその手と手を離すまいと今一度その指に力を込めた。