女教皇 その④
海水とともに「
「こ……ここはやつの体内のどこだろう?」
壁伝いにーーと表現して良いのかは分からないが、そこを一つの部屋と見て考えるーーにぎっしりと並ぶ白い歯列、ざらりとしていて脈打つピンクの舌。これら全ての要素から導き出せる結論はひとつ。ここはまだ奴の口の中であるということだ……ジョセフは焦りから額に汗粒を浮かべながら周囲を見渡した。
「承太郎!おまえはあたしの好みのタイプだから心苦しいわね……あたしのスタンド「女教皇」で消化しなくっちゃあならないなんて!」
敵の攻撃に備え、身構えていた承太郎達に、勝利を悟った敵スタンド本体の女が語りかける。告げられた素っ頓狂な内容に驚くアゲハをよそに、何か閃いた様子のポルナレフがにやりと意地の悪い顔をしながら承太郎に耳打ちをする。
「ヤレヤレ言うのか」
「言え……ホレいいから早く言え」と小さな声でやり取りされる二人の会話は他のみんなには聞こえていない。
「一度あんたの素顔を見てみたいもんだな。おれの好みのタイプかもしれねーしよ。恋に落ちる……か も」
「…… …… ……♡…… ……」
だからこそ、アゲハはあいた口が塞がらなかった。あの承太郎が、あのJOJOがみんなの前で盛大な口説き文句なんかを口にするなんて。
信じられないものを見るように承太郎を見つめるアゲハ。そんな彼女を置いてけぼりにしてどんどん事態は進んでいく。
「お……オレはきっとステキな美人だと思うぜ。もう声で分かるんだよなオレは」
「うむ、何か高貴な印象を受ける」
続けて紡がれた「敵スタンド使いの女」を持ち上げるような言葉の数々に、アゲハはポルナレフとアヴドゥルを見つめる。
一体どうしたっていうんだーー眉を八の字に曲げた彼女は視線を散らす。そして、バッチリと花京院と目が合った。まさかとは思うが彼まで?アゲハの瞳が揺れる。
「女優のオードリー・ヘプバーンの声に似てませんか?」
「……!」
花京院はアゲハからわざと目を逸らすと確かに、ハッキリと奴を讃えた。その瞬間、何故か胸がちくりと痛んだ気がしてアゲハはぎゅっと唇を結ぶ。
(べ、別に!花京院は誰にだって優しいもの!……この人に対してだけじゃない筈だわ。女の人には特に物腰柔らかく、丁寧に言葉を選ぶ人だものね……!そうよね……!……ね?)
しかしこうしてはいられない。思わず脳を支配する要らぬ思考を振り払ってアゲハは思案する。皆は何を考えて神輿を担いでいるのだろう。あの女をおだてあげ、何をさせようとしているのだーー……。そんな彼女の傍らではおどけた笑顔で「わしも三十歳若ければなあ」と嘯くジョセフの姿。
「……わ、私も!同じ女としてホントに憧れちゃうな〜!」
そして、困ったような笑顔で紡がれたのは、全くの「嘘」だった。
アゲハは最後まで何故おだてなければならないのか理解できなかったので、故に終着点を「おだてること」に決め、ハイプリエステスの使い手の女を褒め讃える事にしたのだ。承太郎達の考えに沿って行動することが今一番考えなければならないことだと分別がついたのだ。
「きっさまらーーッ!心から言っとらんなあああーーぶっ殺すッ!」
しかし、とりあえず急場は凌げただろうかと安心するのもつかの間、激昂する女の声と共に暴れ出す足場……つまり巨大なスタンドの舌が無遠慮に動き出す。膨大な質量を持ったそれがジョセフ達を殺すために激しくに暴れている。
「じょ、承太郎ッ!」
鉄鍋をかえし宙を舞う炒飯よろしく、ベロに身体を宙に浮かされた承太郎は為す術なく舌に殴打され吹っ飛んで行ってしまった。瞳孔が開き、血を吐いた彼の様子から見て相当のダメージのようだとジョセフが心配そうに叫ぶ。
「は!歯だッ!奥歯だ!承太郎ッ!身をかわせッ!挟まれるぞッ!」
そして災難は続くもので、吹き飛ばされた先は奴の下顎の奥歯の上。そうなると必然的に降り掛かってくるのは上顎の奥歯だ。
「な……なんてパワー……だ」
ジョセフの適切な声掛けが功を奏したのか、なんとかスタープラチナで降りかかる上顎を止める承太郎。しかし状況は決して良くなく、次第にハイプリエステスの歯がじわりじわりと降下していく。
「承太郎!この歯の硬度はダイヤモンドと同じッ!きさまから潰し殺すッ!」
遂には彼が背負っていたボンベがベリベリと音を立て潰れ始めてしまった。このままでは承太郎が危ないッ!と各々がスタンドや武器を構えたその次の刹那。
「承太郎ッ!」
凄まじい轟音とともに破裂した酸素ボンベ。つまり、同じくあそこに挟まれていた承太郎はーーと、叫ぶポルナレフ。アゲハもそれにつられて頭の中で最悪の場合を思い浮かべる。まさか、ヤツの歯にすり潰されてしまったというのだろうか。
「いや待て……なにか聞こえるぞ」
かくして冷や汗で額を湿らせたアゲハのおでこが乾かないうちに不意に声を上げたのはジョセフだった。彼は耳に手を当ててどこかから聞こえるという物音に耳をそばだてている。
どこか遠くで、何かを破壊するような音がかすかに聞こえる気がするーーアゲハもその音を感じとり、静かに視線を散らす。アヴドゥルや花京院もだんだんとこちらに近づいてくる破壊音と「声」に目を見開いた。
「こ……この声は!?歯だ!歯の中から聞こえるぞッ!」
「みんな身をかがめろーーッ」
数秒前とは打って変わって興奮気味に声を上げたポルナレフが指さす先にはハイプリエステスの白い歯。承太郎をすり潰さんとした歯だった。そしてそこから聞こえてくる声というのは、最早聞き慣れた酷く頼もしいものでーー。
「オラオラオラオラオラオラオラオラーーッ!!」
ジョセフの指示通り身をかがめていたアゲハはその分厚いダイヤ並みの硬さの歯を掘り進んできた承太郎とスタープラチナの姿を見て息を飲んだ。
アゲハは改めて、この空条承太郎という男は凄まじい人間だと最早畏敬の念を抱いたのだ。一体どれだけの精神力を持ち合わせていればこのような強固なスタンドが備わるのかーー同じ国に生まれ、同い年に生まれ、同じ街に暮らす自分とは段違いのスタンドパワーにアゲハは憧れの気持ちと共にほんの少しばかりの焦燥感に襲われた。
彼女は決して烏滸がましい事にこれほどまでのパワーやスピードを求めている訳ではない。それでも、せめて銃火器の力を借りずに弾丸を発射できるパワーが欲しいーー承太郎の勇姿を見ていればそう思わずには居られなかった。
「おい、みんな……このまま外に出るぜ」
自身に襲いかかってきたあの一本だけではなく、ジョセフ達を閉じ込めていたほぼ全ての歯をへし折った承太郎は横目でこちらを見やるとそのままいの一番に海に飛び出していく。慌てて後に続いたアゲハは視線の先で海水に揺らぐ承太郎の長ランを見つめながら静かに視線を落とした。
「おい、女が倒れているぞ」
「美人かブスか見てくるかな」
バシャバシャと音を立てて海面から上がったジョースター一行は息を着く間もなく海岸に倒れる女を発見した。
それは今の今まで自分達を苦しめていた「女教皇」の本体であるミドラーという女性で、承太郎により再起不能にされているので起き上がり攻撃することも出来ない様子のようだった。
それはそうだーーアゲハは顔に張り付いた髪の毛を耳にかけながらミドラーに哀れみの目を向けた。スタープラチナによって全ての歯が折られてしまっているのだから痛みはそこ計り知れぬほどのものだろう。反撃の余力などあるわけが無い。ポルナレフも「見るのはオススメしない」と焦ったように悲鳴をあげる。
「しかしついにエジプトへ上陸したな。ジェット機なら二十時間で来る所を……三十日もかかったのか」
ミドラーをそのまま海岸に放置したジョセフ達はこの岸辺から近郊の村へ向かって砂漠に足を踏み入れた。
エジプトまでの旅は決して簡単な道のりでは無かったと誰もが道中で出会った強敵との戦いを思い返す。
そんな過酷な旅の中、こうして全員欠けることなくエジプトに入国出来たのは彼ら一人ひとりが抱える旅の目的にあるのだろう。その執念や思いが強敵を撃ち砕くだけの力があったのだ。
「いろんな所を通りましたね……脳の中や夢の中まで」
「夢?なんだそれは?花京院」
「あ……そうか、みんな知らないんでしたね」
そんな彼らを真正面から照らす山吹色の太陽は一人一人の背後にうんと伸びる影を作る。
ちらりと振り返り、その影法師を睨んだアゲハは今日は野営だろうかと眉を八の字に曲げ困ったように笑った。