女教皇 その③
「いいか皆、まず決して慌てない……これがスキューバの最大注意だ」
無事に意識を覚醒させたジョセフが、唯一のダイビング経験者としてスキューバダイビングの要所を承太郎達に教授する。隣の部屋から追ってきているであろう
「水の中というのは水面下十メートルごとに一気圧ずつ水の重さが加圧されてくる……海上が一気圧、ここは海底四十メートルだから五気圧の圧力がかかっている。一気に浮上したら肺や血管が膨張破裂する。体を慣らしながらゆっくりとあがるのだ……エジプトの沿岸が近いから海底に沿って上がっていこう」
砂漠のラクダ乗りの時とは一転し、冷静に、的確な説明をするジョセフにアゲハは深く頷く。
追手がいつ襲ってくるかも分からないので必要最低限のことだけでも、と水中唯一の呼吸手段であるレギュレーターの使い方を説明し終えた彼は、次に水中での意思疎通ーーハンドシグナルの説明に移行した。
「大丈夫」の時はこれをだす……といって親指と人差し指で丸く円を作るジョセフ。所謂「オーケーサイン」だ。
そして「やばいときはこうだ」と五本の指をピンと伸ばしてふるふると揺らした彼はこの二つさえ覚えておけばいいと早々と話を切り上げる。
「我々ならスタンドで話をすれば?」
「それもそうだな……!」
しかしジョースター一行にはスタンドというものがあるので声に出さずとも会話は可能だ。アヴドゥルの言葉にそれを思い出したジョセフはそっちのほうが確実だと目を丸くして納得する。
「なあ〜〜んだ!ハンドシグナルならオレもひとつ知ってるのによ」
そんな中、残念そうに声を上げたポルナレフがおもむろに自分の知っているというハンドシグナルを披露する。
両手を叩きパンと音を鳴らし、すかさずピースサイン。そしてオーケーサインに遠くを見つめるように手を水平にして額にくっつける……お馴染みの、どこかで一度は見たことがあるアレだ。
「パン、ツー、まる、見え」
「YEAAAH!」
く、くだらな……と、アゲハは絶句すると、どうしても今やらなきゃならないことだったのかと口の端をひきつらせた。
そしてそれはジョセフも同じ気持ちだった様で、くだらないハンドシグナルを実践したポルナレフとそれに答えてしまった花京院を叱咤すると颯爽と梯子に上り海水を室内に流し込んだ。
アゲハは耳元でゴボゴボと音を立てる水泡を見つめた。先の説明通り、吐く息はレギュレーターのサイドから水泡となって排出されていく。多少息苦しい気もするが思ったよりも心地は悪くない。
室内は完全に海水に浸かり、あとは扉から海に出てゆっくりと浮上するだけだ。先陣をきるジョセフに次いでアヴドゥル、花京院、承太郎がオーケーサインを出す。アゲハもすかさず円を作ると残りの一人ーーポルナレフの方を見やった。
「ポッ、ポルナレフッ!」
しかしポルナレフが指し示したサインは「やばい」のサイン。放りだされた指が横に揺れている。
「い……いつの間にッ!やつがすでにレギュレーターに化けていたッ!」
そしてすぐに明らかになる原因ーーそれはポルナレフのレギュレーターに化けていた「ハイプリエステス」だった。ヤツは彼の舌に噛みつき不気味に笑うとそのまま口内に侵入していく。それが意味することは一つ、このままではポルナレフの身体が食い破られてしまう!
「
「
その時だった。すかさず伸びてきた茨と触手が双方の鼻の穴に飛び込んで行ったのだ。痛みに嗚咽を漏らすポルナレフを他所に、喉に行く前にハイプリエステスを捕らえた二人はそのまま口からヤツを排出する。
「やったッ!」
「いや、倒したわけではない……水中銃に変身したッ!はやく脱出しろッ!」
しかし一息つくまもなく攻撃を繰り出すヤツにジョセフ達はなんとか潜水艦を飛び出す。すかさず鋼鉄の扉を閉めて水中銃を防いだ一行は文字通り逃げるように海中に踏み込んだ。
澄み切ったコバルトブルーの海には映画や外国でしか見られないような可愛らしい海水魚で溢れていた。足元に蔓延る岩礁には鮮やかな色をした珊瑚も生息しており、ここら一帯がREDSEAと呼ばれる所以が垣間見られるような気がするとアゲハは感嘆のため息を漏らす。
「追ってくるか?」
「いや見えない!「女教皇」は金属やガラスなどに化けるスタンド……魚や海水や水泡には化けられない」
「私もだよ……でも、着実に本体には近づいてきてる。後十メートルもないぐらいだ」
身体を慣らすため、海中をゆっくりと上昇し、しばらくしての事だった。アゲハとアヴドゥルを見据え確認するように振り返った承太郎に二人は個人の見解をはっきりと示す。
しかし平然を装い、淡々と話す一方でアゲハはヒヤリとしていた。自分達が本体には近づけば近づくほどハイプリエステスのスタンドパワーも強まっていく。我々の接近にヤツが気づいていなければスピードもパワーも上回るスタープラチナで射程距離内に入った途端に撃破することが可能なのだが、そうでなければ恐ろしい。とくに海中では銃火器は使えないので自分は文字通りお荷物になってしまうのだ。
「見ろ!海底トンネルだ……ついにエジプトの海岸だぞ!」
手元の水深測定器を確認し「深度七メートルの位置」である事を確認したアヴドゥルが目の前の岩肌を指差す。何かの生物のねぐらになっていそうなその小さな穴は先が見えず真っ暗だ。
「この岩づたいに泳いで上陸するのだ」
皆の手本となるように先行するアヴドゥルに続く。
この慣れないスキューバダイビングももうすぐおしまいである。レジャーとして来たかったな、と呟くポルナレフに心の内で同意したアゲハは彼らに置いていかれまいとフィンを掻く。
「なッ!」
「す……スタンドだッ!この海底に化けていたッ!こんなにデカくッ!」
ーーそして、突然の出来事に目を見開いた。海底に引き詰められた岩礁が動き、まるでクレバスのように、一行を食らうかのように開いたのだ。
ジョセフ達を食らった岩礁ーーもといそれに扮したハイプリエステスは海水もろとも一行を体内に取り込んでゆく。
「頭のトロイ奴らよのーーッ石や岩も鉱物なら海底も広く鉱物ということに気づかなかったのかッ!」
驚愕する彼らを嘲るように聞こえてきた女の声は、恐らく「女教皇」の本体のものだろうーー先程よりも上昇したスタンドパワーに驚く花京院が彼女とのかなりの接近を予想する。
そんな中、このまま飲み込まれて溶かされてしまうのだろうかと考え身震いしたアゲハは、本体の女から紡がれた「お前らは女教皇の中ですり潰されるからあたしの顔を見ることはできない」という言葉にほんの少し目眩を覚えた。