女教皇 その②
海の中というのは思ったよりも薄暗い。
普段我々が海水浴場で見たりメディアで取り上げられる浅瀬や上空から見る景色とは違ってあまり太陽の光の干渉を受けないからだ。
そしてそれは承太郎たちがいる紅海の海底も例に漏れずだ。潜水艦の窓から見えるのはほんの僅かな距離だけなのに、ポルナレフの瞳はすでに目印の珊瑚礁を捉えてしまっている。それが意味するのは二つーーひとつはエジプト大陸まで数百メートルということで、もうひとつは彼らはもうすぐ上陸の準備に取り掛からなくてはならないということだった。
「計器に化けたぞッ!この中の計器のひとつに!化けやがった!」
しかし潜水艦内部は突如現れた敵スタンドの存在に、それどころではなくなっていた。一瞬でジョセフの義手を切断するほどのツメを持ったスタンドが潜水艦の機械に化けて姿をくらませてしまったからである。
「「
「知っているのか」
「聞いたことがある……スタンド使いの名はミドラーというやつ……かなり遠隔でも操れるスタンドだから本体は海上だろう。能力は金属やガラスなどの鉱物なら何にでも化けられる……プラスティックやビニールはもちろんだ」
ちらりとこちらを横目で見るアヴドゥルの指示通りエジプトの海岸を探索すれば捉えられた生命反応。そのサーモグラフの形から女の刺客のようだとアゲハは頷く。
「し……しかしどこからこの潜水艦に潜り混んで来たんだ?」
混乱し、視線をあちこちに散らしたポルナレフが言い放つーーそれとほぼ同時だっただろう。けたたましい轟音と共に艦内に流れ込んできた水は冷たくてほんのり潮の匂いがする。
「なるほどこーゆーこと?単純ね……穴を開けて入ってきたのね?」と目を点にしたポルナレフが無様にもぽっかりと空いた穴を見つめている。
「掴まれッ!海底に激突するぞッ!」
そしてもちろん敵が潜水艦に穴を開けるなんて生易しい事しかしてこない訳もなく、浮上システムが破壊され走行不能となった潜水艦は「乗り物」では無く膨大な質量を持った恐ろしい「兵器」と化してしまった。
ああ、付近にダイバーなんかがいなくてよかったーーそのまま為す術なく岩礁にぶつかる潜水艦。とてつもない衝撃に身構えたアゲハの身体は浮き、そのまましりもちを着く。
「花京院……「スタンド」のやつがどの計器に化けたか目撃したか?」
「た……たしかこの計器に化けたように見えたが……」
そんな混乱の最中、一度たりとも計器から目を逸らさなかった承太郎が視線をそのままに花京院に考えを問う。そしてそんな彼が指さすのはいくつか並んだ計器の内の一つ、何ら変哲もない周りの物とほぼ同様の端にある計器だ。
花京院の言葉に異論は無いのかーーたしか、という不明瞭なものだったのだがーースタンドの拳を構える承太郎。がっしりと握られた握りこぶしにはとんでもないパワーが込められている。
「違うッ!承太郎ッ!もう移動している!花京院のうしろにいるッ!」
だがそんなスタープラチナの攻撃も当たらなければ意味が無い。アゲハは承太郎に向かって叫ぶと共に引き金を引くーー狙いは勿論、花京院の背後に顔を出したヤツだ。
途中発生したいくつものアクシデントのうちに機械の表面を化けながら移動したのだろう「女教皇」は例の計器から対角線上に取り付けられた照明に化けていた。しかし舐めてもらっては困る。化けている最中は機械と同化してしまい分からなかったが、変身さえ解けてしまえばアゲハのサーモグラフで感知は可能なのだ。
「うう……ッ!」
だがこの「女教皇」のパワーを持ってすれば、たかが弾丸如き簡単にはじき返す事など訳はない。「プギィ」とひと鳴きすると共に打ち返してきた銃弾はアゲハの頬をなで、彼女が痛みに声を漏らせば心配したアヴドゥルの声が艦内に響く。
「み……みんなドアの方に寄れ!この部屋にいるとどんどんダメージを受けるぞッ!隣の部屋に行くんだッ!密室にして閉じ込めるんだッ!」
アゲハを攻撃し、してやったりと劈くような奇声を発した女教皇が再び鑑の鉄パイプに同化する。潜水艦の中はすでに二十センチ程浸水しているし、鉄の箱の中にいる限り、有利となるのは間違いなくヤツの方だ。アヴドゥルはポルナレフがジョセフを背負っているのを確認すると別室へと続くドアに向かう。
「ば……ばかな」
そうして避難の為に一目散に扉の取っ手に手をかけたアヴドゥルは目を見開いた。彼が掴んだ取っ手はみるみるうちに姿を変え、忌々しい叫び声を上げたのだ。
手を離さなくてはーーアヴドゥルはジョセフの義手をいとも簡単に切断した先程の出来事を思い出し身震いする。しかし人間の身体というものは厄介で脳みそが理解していても筋肉へと電気信号を送るのに時間がかかるものだ。
爪を振りかざすハイプリエステスの動きが鮮明にアヴドゥルの視界に焼き付く。
「アギャーース!」
しかし、すんでのところでその腕を掴む屈強な拳。ハイプリエステスよりも早く、精密に動くスタープラチナがヤツのか細い腕を間一髪のところで掴んだのだ。
「あ……あぶなかった……」と思わず口の端をつりあげたアヴドゥルが承太郎の方に向き直る。
「承太郎!躊躇するんじゃあねーッ!情け無用!早く首を引きちぎるんだッ早く!」
「アイアイサー」
アギャアギャと鳴き続けるハイプリエステスにポルナレフより情け無用の刑が下される。承太郎も勿論異論はなく、スタープラチナでヤツの身体に力を込めた……その瞬間だった。
ビッと手のひらに感じた確かな痛みーー予想外の出来事に承太郎が自身の手を見やるとそこは血まみれで、同じく開かれたスタープラチナの手の中ではその身を瞬時にカミソリに変化させたハイプリエステスの姿。ヤツは愉快そうに笑うと共に承太郎の手中から立ち退き潜水艦の金属の壁に張り付きその有り付き顔に浮かべた笑みを深くする。
「かまうな承太郎ッ!また化けはじめるぞッ!浸水してるしとにかくヤツを閉じ込めるんだッ!闘う作戦はそれからだ!」
再びハイプリエステスが自由の身となった以上当初の作戦通り部屋を出ることが最優先だとアヴドゥルが叫ぶ。そんなジョースター一行の行動を嘲るように笑ったハイプリエステスがそのまま消えるように金属の壁へと擬態していく。
「てめーはこの空条承太郎がじきじきにブチのめす」
どこにいるかももう分からないヤツへ向けて宣言をした承太郎が踵を返し仲間たちの待つ隣の部屋へ向かう。もはや猶予はない、ひとつひとつの扉をキッチリと閉めつつ彼らは走る。
「これからどうする!ヤツか我々か……閉じ込められたのがどちらか分からんが……いずれ遅かれ早かれあの部屋から何かに穴をあけてここまでくるぞッ!」
「この機械だらけの密室の中では圧倒的に我々の不利!この潜水艦はもう駄目だ……捨てて脱出するのだ!とにかくエジプトに上陸するのだ」
「しかしここは海底に四十メートル!そんなには深くないがどうやって海上へ!?」
いくつもの扉をくぐり、先行する花京院達の会話をBGMに走るアゲハは自身のサーモグラフを見つめる。しかしやはり一向に例のスタンドは姿を表さない。一つ前の部屋も二つ前の部屋も、はたまた一つ先の部屋も調べたが見つからない。
そしてついに目的の場所にたどり着いたのだろう、歩を止めた彼らに倣いアゲハも足を止めた。円筒形のその部屋の天井にはいままでにはなかった大きな扉がついている。さらにその下にはハシゴも設けられていてここから海に出られるのだとアゲハは納得する。
「今度はスキューバダイビングかよ。おれ経験ないんだよね、これ……」
そうして手渡された酸素ボンベと海中マスクに辟易した声を漏らすポルナレフを横目にアゲハもいそいそと装備をつけていく。
ほんの数時間前に刻まれたばかりの生傷と共にダイビングに勤しむなんてーーと顔を青ざめさせた彼女は傷口に塩を塗るとはまさにこの事だとこれから待ち受ける痛みにじわりと涙をうかべた。