女教皇 その①
「おい!みんな驚くなよッ!誰に出会ったと思うッ!」
すっかり日も暮れて、空には数え切れないほどの星々が輝く頃。ジョセフ達が待ちぼうけていたボートクルーザーの元へやってきた男は嬉々とした表情でこちらに話しかけてきた。
「いいか!たまげるなよ承太郎ッ!驚いて腰抜かすんじゃあねーぞ花京院!ビビってションベンちびるなよアゲハ!……誰に出会ったと思う!?ジョースターさんッ!」
しかし現れたその男ーーポルナレフは何故か全身傷だらけで、ジョセフを筆頭に皆が心配と驚きの声をかける。だが肝心の彼はそんな事気にも止めて居ない様子でズズイと一人一人に顔を近づけ満面の笑みを浮かべている。こちらとしては困った顔以外をうかべることが出来ないのだが、一体どうしたというのだろう。
「なんとッ喜べ!アヴドゥルの野郎が生きてやがったんだよォ!オロロ〜〜〜ン!」
パンパカパ〜ンと擬音までつけてポルナレフが発表した「喜ぶべきもの」とはかつて死んでしまったと思われていたアヴドゥルの帰還だった。大口を開けて、大きな手振りまで披露して登場させたエジプト人の男、モハメド・アヴドゥルは背筋をピンと張ってジョセフ達の前に立っている。幽霊でないので地に両足をつけて立っているのだ。
さあ、仲間たちの驚いた顔が楽しみだぜーーそう思っていたポルナレフは次の瞬間、とんでもない光景に目を丸くした。
「さ!出発するぞ」
「みんな、荷物運ぶの手伝うよ」
「アヴドゥルもう背中のキズは平気なのか?」
「ああ大丈夫。ちょいとツッパるがな」
まさに盛大な肩透かしを食らった気分である。いいや、確かにくらったのだが。
自分の予想を遥かに超えた(百八十度ほどズレた、が正しいだろうか)ジョセフ達のリアクションにポルナレフは言葉を失う。その間にも目の前では平然と
「二週間ぶりか。お互いここまで無事で何よりだったぜ」
「承太郎あい変わらずこんな服きて暑くないのかフフフ」なんて談笑が始まっている。
「こら!待てといっとるんだよッてめーーらッ!」
この状況にいてもたってもいられずポルナレフが叫び出したのはそれからほんの数十秒後の事だった。アヴドゥルの体調を気遣い、話をしていたアゲハがびくりと肩を揺らし振り返る。
「おい……どういうことだ?その態度は!?死んだヤツが生きていたというのになんなんだ!?その平然とした日常の会話は?」
まるで信じられないものを見ているような表情でジョセフ達を指さし責めるポルナレフ。
今は食ってかかられる立場になっているが数時間前までは彼と同じ立場であったアゲハは同情するように目の前の銀髪を見つめた。
あのとき花京院が言っていた「聞かれてはいけない人」とは目の前で唾を飛ばしながら吠える目の前の男の事だったのだ。
「すまなかったな、インドでわしがアヴドゥルを埋葬したというのはありゃウソだ」
「なつ、な、なにィーーーーッ」
「インドでわたしの頭と背中のキズを手当してくれたのはジョースターさんと承太郎なのだ」
飛び上がりオーバーにリアクションを取るポルナレフを見つめたアゲハは心底不憫だなと眉を下げる。しかし、このせわしない男がそんな事でしおらしくなるはずもなく、砂浜にずっこけるのもそこそこに不意にがばりと起き上がると「つ、つまり」と頭の中を整理しつつさらに吠え続ける。
「てめーらインドからすでにアヴドゥルが生きてるって知ってやがってオレに黙ってやがったのか?花京院ッアゲハッ!てめーらもかッ!」
「ポルナレフは口が軽いから敵に知られるとまずい。君にはずっと内緒にしておこうと提案したのはこの僕だ……」
「ご、ごめんねポルナレフ……」
生憎自分もついさっき聞いたばかりなんだけど……という言葉を発すればややこしくなるなとアゲハは言葉を端折る。それがポルナレフにとって最善の受け答えだったのかは分からないが
「うっかり喋られでもしたらアヴドゥルは安心してキズが治せないからな」と承太郎が追い打ちをかけたのでそんな事はあまり重要では無くなってしまっただろう。
「そ……そうだ!アヴドゥル!お前のおやじさんがこの島にいる!お前が来たことを知らせよう」
「ありゃおれの変装だ」
「に……にゃにお〜んッ!そこまでやるか……よくもぬけぬけとテメーら、仲間外れにしやがって……グスン」
またもや盛大にずっこけたポルナレフがついにポロリと涙をこぼす。その様子に心が傷んだのかどうかは定かではないが、すかさず腰を下ろしたアヴドゥルが震える男の肩を叩く。
「すまんポルナレフ。変装してこの島まで来たのには理由がある」
「敵にバレない為もあるがある買い物をして貰っていたのだよ。とても目立つ買い物でな。アラブの大金持ちを装って買ってきてもらったのだ」
謝罪し弁明を試みるアヴドゥルに続き、得意げに振り返ったジョセフが釈明を告げる。「ある買い物」という言葉にポルナレフが首を傾げるとジョセフは再び声高らかにその場にいる全員に
「「それ」に乗って出発するぞーーッ!」と宣言をした。
するとその次の瞬間、すっかり暗くなった海面が不自然に大きく揺れ始めた。この波の動きは自然の摂理ではありえないーーアゲハがそう思い眉を寄せると、それとほぼ同時に現れた鋼鉄ボディのそれは水面に顔を出した。
「せ……潜水艦、ここまで買う?」
相当な質量を持つ潜水艦なのだから当然なのだが辺りには大きな水しぶきが舞う。白と黒に塗装されたそれは日本で普通の家に生まれたアゲハにはほんとうに馴染みのないものだった。
「いち、に、さん、し、ご、ろく……お、ちょうどカップが六つあるぞ」
それから潜水艦に乗り込んだジョースター一行はそのまま紅海を北上していた。操縦するのはジョセフで、隣の助手席には承太郎が常駐している。彼の運転にはあまり信用がないのだろう。
「おい!早くコーヒー入れてくれ!のみてーよぉ!」
「自分でいれろ自分で!」
そんな中、自由に潜水艦の中を探索していたポルナレフはメーカーに電動ドリップされたコーヒーの匂いうっとりすると棚からカップを用意する花京院に注文をつける。そんな烏滸がましい態度に叱咤しつつもすでにコーヒーを注ぎ始めていた花京院は予定通り六人分の用意を済ませてしまった。
「おい!アフリカ大陸の海岸が見えたぞ!到着するぞ!」
潜望鏡を覗き込み、前方に目当ての大陸を見つけたらしいアヴドゥルが皆に聞こえるように声を上げる。そしておもむろに手元の地図を広げると我々が今いるアフリカ大陸沖を指さし
「ここのサンゴ礁のそばに自然の侵食で出来たトンネルがあって、内陸二百メートルのところに出口がある」と上陸のルートを提案した。
「いよいよエジプトだな」
「ああ、いよいよだな」
「エジプトか……」
「うん……」
「……」
「ああ、いよいよだ」
アヴドゥルの提案に異論を唱えるものは居らず、それよりも皆、これから上陸するエジプトの地に決意を新たにしているようだった。
それぞれこの旅の目的は違えど、倒すべき敵は一致している。三者三様の言葉を紡ぎながら、彼らは花京院の入れたコーヒーがある丸テーブルの元へ集まった。
全体的に白色で取っ手がついたどこにでも売っていそうな陶器のカップに注がれたほんの少し茶色を帯びたブラックコーヒー。立ち込める湯気が抽出したてである事を物語っている。
「おい……花京院。なぜカップを七つ出す?六人だぞ」
「おかしいな、うっかりしてたよ六つのつもりだったが……」
しかし、承太郎の指摘する通り、テーブルに並べられたコーヒーカップの数は七個。ひとつ多いのだ。
うっかりなら仕方ないーーそう思ったジョセフが自分の一番そばにあったカップに指を掛けたその時だった。
「なっ」
みるみるうちに形を変えたカップに薄気味悪い薄ピンクの指と顔が現れる。そしてそれを理解したと思った次の瞬間にはジョセフの左手は切り取られてしまっていた。綺麗に切断された断面から見えるのは無数に張り巡らされたメカニックな配線。
「じ……じじいッ!」
幸い切り離されたのは義手だったがあまりの衝撃に気を失うジョセフ。受け止めた花京院が彼の名を叫ぶが当然返事はない。
我々への奇襲を終え、姿を現した敵スタンドは赤みがかった薄橙の両腕と恐ろしい形相をした大きな顔、そして液体のようでいて細やかな番線の様なものを纏った小柄な装いをしていた。
「バカなッ!スタンドだッ!いつの間にか艦の中にスタンドがいるぞッ!」
「どうして!私たち以外に人間は乗っていない筈なのにッ!」
アゲハは艦内全域を検温し、侵入者がいるという線を即刻否定する。そして目の前で承太郎達から一定の距離をとる敵スタンドの温度を計りロックオンした。次はどこに隠れようと逃すつもりはないッ!!
「オラアッ」
「プキャアアーッ!」
勇ましい掛け声とともに放たれたスタープラチナの素早い一撃に退いた奴は張り付いていた計器の磁針に覆いかぶさり、そのまま消えてしまった。
それはポルナレフの見えていた視点をそのまま記述しているのだが、アゲハも同じ事を考えていた。つい先程まで追跡していた微弱な体温反応がパタリと消えてしまったからだ。
「き、消えたの……?」
「いや違うッ!」
「化けたのだッ!この計器のひとつに化けたのだ!コーヒーカップに化けたのと同じようにッ!」
新たに現れた刺客に困惑と憤怒の視線をぶつける四人の後ろ手では血を流し気絶したジョセフに強く呼びかける花京院の声がこだましていた。