フラジャイル・ラブ その⑤
海風を渡り、水辺の岩場を跳ねて。
そしてさらに小石を跳ねた弾丸はミスルトーの額に着弾するとそのまますっと溶けるように身体に侵入した。
アゲハはそれをしっかりと自身の双眸で見届けると手元のリボルバーに特殊な弾丸を装填していくーーここは単純に「眠くなる弾丸」で構わないだろう。
「あ……ぁ、う……!これは……花京院のハイエロファント……クソ……ッ!離れろッ!」
白い砂浜の上、苦しそうに耳元を押え蹲るミスルトーは目には見えない触手と交戦中らしい。そう、実際にアゲハの目にはハイエロファントの姿は見えていないのだが彼女は「すでに知っている」。
「あなたに撃ち込んだのは「傷心型」の弾丸……簡単に言えば私のトラウマ。ハイエロファントに自由を奪われるおぞましい記憶……「追体験」するといいよ」
独り言ちたアゲハがそのままリボルバーのトリガーを引けば「眠いと思い込んだ」ミスルトーは次第に意識を失っていった。
これで奴のスタンドも消えたことだろう。花京院と合流して無事を確認しなくてはーー鬱蒼と茂る樹林に視線を向けたアゲハは自身のスタンドのモニターで彼の居場所を確認するとそのまま駆け出した。
パチリと目を覚ましたミスルトーの視界は真っ暗だった。理由は明白で砂浜の上でうつぶせで眠ってしまっていたからだ。
そんな彼がフラッシュバックするのはほんの数分前ーー自身のスタンド「
彼女はスタンド能力の相性不利をものともせずミスルトーと真っ向勝負に挑んだ。欠点をカバーするように機転を利かせ、技術で補うその精神力の逞しさには敵であった彼も、あっぱれといったところだろう。
(いいや……!オレはまだ負けてないッ!どうにかして一矢報いなくてはッ!!)
ーーいいや、彼に限ってそんな事は無かった。
靱やかな日本刀を鍛刀するため何度も熱され打ち付けられる玉鋼のように、年々身体の成長と共に築き上げられたプライドの塊は遥かにガチガチだったらしい。地面に放り出された右手が細やかな砂を掴む。
「ようやく起きたみたいだね、ミスルトー」
そして自身を打ち負かした好敵手の冷たい声と、するりと首元を這うネオングリーンの触手の感触でミスルトーは最悪の寝覚めを果たした。辛うじて動く身体に鞭を打ち、彼が重い瞼を懸命に上げ目玉を動かせばこちらを見下ろす二人の裏切り者の姿を一緒くたに確認できた。どうやらこの触手は本物らしい。
「あなたには聞きたい事が山ほどある……だから殺さないでいるんだ。それは分かるよね?」
小さなその手に不釣り合いな拳銃を持ったどこにでも居そうな少女が眉を吊り上げてミスルトーを睨みつけている。己を自制しているのだろうが、その穏やかな言葉の裏にビッシリと生えた茨は全く隠しきれていない。
「貴方は私をモルモットと呼び、実験の為に戻って来てもらうと言っていたけど……貴方の父親は一体何の研究をしているの?」
「前にも言ったろ……「矢」だよ。スタンド能力を引き出す矢だ。お前は矢によって能力が引き出された内の一人だからな……立派な被験者なんだよ」
「帝がDIOに刺されたという「矢」か……!」
予想外にもすんなりと受け答えるミスルトーに嬉しい誤算だとアゲハは唾を飲んだ。自分の能力を引き出したあの「矢じり」……もう一度手に取ることが出来たなら深く調べる価値アリだろう。そもそも、スタンド使いを生み出す矢なんて危険なものなら即刻破壊も許されるかもしれない。
「……帝、そんなことよりも聞く事があるんじゃあないのか?」
「うん……?」
深刻そうに、焦れったそうに問うたのは花京院だ。アゲハは彼の言葉や表情からなんの事だろう?と考えてハッとしたーーそういえば、私ったら家族について彼らに「嘘」をついていたんだった。余計な気遣いなんてさせたくなくて適当に嘘をついてしまったのだ。
「う……私の家族は……どうしてる?」
言いづらそうに尻すぼみになっていった言葉はミスルトーに届いたのだろう、目を見開いたヤツと視線がかち合う。
そりゃそうだーーアゲハは唇をきゅっと結んだ。自分の家族が死んでしまったことはミスルトーから直々に聞かされたことなのだ。一体なんの質問なのだと驚いているに違いない。
「どこで知った……?ホル・ホースか?」
「……え?」
「お前の家族がまだ死んでねーって事だよ!誰がバラしたんだッ!」
「ーー!!」
しかし、嬉しい誤算にも砂浜に身体を預けたままのミスルトーが動揺の声色を乗せて叫ぶ。その意味を理解し声にならない歓喜の悲鳴を上げたアゲハはその剣幕に圧倒され後ずさるも、気遣うように肩に添えられた花京院の手のお陰で落ち着きを取り戻した。まだだ、ここで気を抜いてはいけない。
「どういうことなんだ帝……?」
「あー……ごめん。詳しい話は後で、ね?」
ーーと思った矢先、早速出鼻をくじかれたアゲハは困ったように笑うと再び眉を吊り上げてミスルトーに向きあう。見下ろした彼の銀の髪は太陽に反射してギラギラ眩しい。
「ミスルトー!正直に答えて!生きているというのなら私の家族はどこにいるの?」
「親父の所だよ……エジプトにある『研究所』だ」
家族の安否に必死になるアゲハを嘲笑うように淡々と言葉を紡ぐミスルトーは「詳しい場所は分かんねェな……色んなところに拠点を移すから」と続ける。人を心底馬鹿にしたような顔をする彼に相反する様にアゲハの顔色はますます悪くなる。
コイツがやけに簡単に喋るのは、もしかしなくても家族の命はこのおぞましい親子の手の内にあるからなのでは?ーー悲観的な憶測から頭過ぎる最悪な可能性に彼女が絶句すれば、何も出来ないはずのボロの雑巾よろしくのミスルトーが嬉しそうに鼻を鳴らす。
「難しく考える必要はないだろ?矢の研究だよ。矢によってスタンド使いになった者の血縁者だからな、研究対象になって然るべきじゃあねェの」
そして、彼女にとって一番聞きたくない言葉が無遠慮に紡がれた。
アゲハは頭の中のどこかの血管がプチと切れた音を聞いた。そしてそれと同時に負傷して動かすのもやっとのはずの右足を振り上げていた。
振り上げた足先には抵抗もできず倒れたままのミスルトーの頭部。
「はーっ、はーっ、はー……っ……」
その時、アゲハは生まれて初めて人間の頭部を蹴った。
しかも一抹の手加減もなく、無抵抗な、戦う余力の無い人間の。
その事実に、スカッとするはずなのにモヤモヤとした気持ちになったアゲハは鬱陶しく感じる前髪をくしゃりと掴んで額を抑える。昂る自我に落ち着け、クールになれと唱える。
「もういい……行こうよ花京院。もうこの男に用はないんだもの、これ以上聞くことも無い」
「だが…… 帝、」
「いいんだよ」
踵を返し、足早に来た道を戻っていくアゲハを引き留めようと花京院は咄嗟に手を伸ばしーー引っ込めた。目の前を歩く彼女の腕は、手は、身体は、全て傷だらけだったからだ。
今のアゲハのどこに手を差し伸べても、手をとる彼女には痛みを伴う……それはもちろん「心」も例に漏れずだ。それが分かっていたから花京院は手を伸ばすのを躊躇ったのだ。
「甘いンだよ……あんの、クソアマ……ッ」
対して、息も絶え絶えに絞り出されたその声は遠ざかっていく男女には聞こえていないのかそのまま宙に溶けていく。ミスルトーは最後の力を振り絞って蹴飛ばされた砂浜に転がっていた一丁の拳銃を手に取るとその照準を花京院に向けた。狙う先は彼の頭蓋だ。
(帝アゲハは親父の大事なサンプルだ……殺す訳にはいかねー!悔しいしめちゃくちゃ殺してやりてェが仕方ない……ッ!)
幾重もの脳の負担と身体の傷にカタカタと震える手が引き金に指をかける。あと数ミリ指を動かすだけ、それだけであのクソッタレの花京院の脳ミソは辺りにぶちまけられるーーそう信じてニヤリと笑うミスルトーはグリップを持つ手に力を込めた。
ウノ、ドゥーエ、死んじまえ!そうしてある種の勝利を確信した瞬間だった。
ミスルトーは轟音をあげながら腔発した拳銃に腕を焼かれるのと同時にスカートと背中の間に挟んだその銃を引き抜きこちらを冷たく見下す帝アゲハと視線がかち合った気がした。そして次の刹那にはそのクソッタレの脳ミソを辺りにぶちまけ、散った。
「……これだから嫌いなんだよ」
やるせなさそうにぽつりと呟いた目の前の彼女に倣い花京院は二十メートルほど離れたところで息を引き取った男の亡骸を見つめた。彼は、ミスルトーという男はきっと何も分からぬまま、痛みを感じぬままに生命を終えたのだろう。決着はあまりにも一瞬だった。
「銃身に傷がついた状態で発砲するのは危険だってことぐらい子どもでも分かる事なのに」
拳銃を定位置に戻し再び歩き出したアゲハはスンと鼻をすすりながら進む。後ろに付いて歩く花京院には決して顔を見られないように一定の距離を保っている。震え声で紡がれる言葉の数々はどれも強気なものだったが彼女が一体何に悲しみ、動揺しているのかは彼には筒抜けだった。
アゲハは今日、初めて人を殺した(正確に言えば肉の芽で操られていない状態で、の話だが)。すっかり動かなくなった宿敵の姿が今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
家族の仇だったから、とか花京院を殺そうとしていたから、とか色々切っ掛けはあったがそれでもアゲハは酷く動揺していたーー正常に歩くことも出来ないぐらいに。
「ギャンっ!」
「帝ッ!?」
突然目の前に現れた樹木に顔面を強打したアゲハは後方によろけるとぎゅっと目を瞑った。もちろん木々は好き勝手移動しないので彼女がぼーっとしていただけなのだが。
しかし待てども待てども固い地面に落下することは無い。恐る恐る目を開ければ花京院の心配そうな顔がいの一番に飛び込んできた。
その状況に支えてもらったのだと理解したアゲハは彼の藤色の瞳を覗き込み目を細めた。鼻を真っ赤にして、潤んだ瞳を隠そうともせず。
「ありがとう」
ただその一言にどれだけの意味合いがあったのかは分からない。それでもただ、嘘偽りなく紡がれた言葉が花京院の胸にじんわりと溶けていった。
安心から張っていた気が抜けてしまったアゲハは花京院にだらしなく身体を預けると彼の無防備なその手をぎゅっと握りしめた。
珍しく彼女が頼ってくれているのだ、お役に立ってみせようーー花京院はその華奢な身体を支えると記憶を頼りにジョセフ達の待つ小屋に向かった。
ハバロフ・J・ミスルトー ーー死亡。
スタンド名 ハートオブ・ザ・サンライズ