フラジャイル・ラブ その④
「ーーおぐぁッ!!」
「……!!」
アゲハは視線の先の男が不意に血反吐を吐く光景を見てすかさず引き金を引いた。
放たれた弾丸を抵抗することも無く受け入れたミスルトーの身体にはいくつもの鬱血痕が見られるーー膨大なエネルギーの固まりで甚振られたのだろう奴はその場に肩をついて倒れる。
「その傷、花京院がやってくれたんだよね?……彼はこれから貴方のスタンドをさらに叩く。貴方の負けだよミスルトー」
白い太陽に照らされ、乳白色にも見える砂浜に沈む黒を基調とした服装のミスルトーの身体。鍛え上げられた背筋が浮き出るほどぴっちりとしたノースリーブが荒い息で上下する。ダメージは相当深いらしい。
「悪いけど貴方に慈悲の気持ちはないの……このまま眠って貰うわ」
そんな黒を見下ろす黒は人差し指に引っ掛けたほんの小さなトリガーを引き、命を奪おうとしている。事実、ほんの数センチ指を動かすだけで目の前の男は死ぬーー戸惑うことも無く、ただその事実を心の内で羅列してアゲハは引き金を引いた。
「ゼェ、ゼェ……かかったな……どあほうが……ッ」
しかし、歯を覗かせて笑った男の細められた銀色の瞳にアゲハの心臓は嫌な音を立てた。
その直後、奴のもとへ着弾する前に彼女の背中を切り裂いた真空刃は弾丸を跳ね返しアゲハの額目掛けて跳ぶ。
「な……なんで?ミスルトーのスタンドは花京院に攻撃されているはずなのに……ッ!なにをしているんだ花京院はッ!?」
すんでのところで銃身を盾に額をガードしたアゲハは使用出来なくなった拳銃を砂浜に放り投げ叫ぶ。拳銃は残り二つ、この調子では先に攻撃の手立てを失うのは彼女の方だ。
「……まさか、スタンドに反撃をくらって動けないんじゃあ」
ルーズソックスから自動拳銃を引き抜き、眉をひそめたアゲハは呟く。額からは痛みや焦燥感から尋常ではないほどの汗が滝のようにながれている。
だが負傷により動けないのはこの男も同じだ。アゲハは目の前で突っ伏したミスルトーを見下ろし再び引き金を引く。
何がなんだろうと確かなことは一つ、奴のスタンド攻撃がこちらに届くまでのインターバルは必ずある。その間にトドメをさしてしまえば終わる……さっさと終わらせて花京院を助けに行けば良いだけなんだ。
「ーーな、なに……っ!」
しかしその瞬間、不意に密林の方向から飛んできた「宙を漂うハート」がアゲハとミスルトーの間に割って入ってきた。必然的に銃撃を受けたハートが破壊されパンと弾ける。
すると次の刹那、突然海の方角から風が吹きアゲハは瞬時に急所をガードした。しかし、特にこれといった外傷はない……ただの普遍的な海風だったようだ。
「いいや……ここに集まってきているのは一つだけじゃあないッ!私の元にも集まっていたッ」
驚愕し叫ぶアゲハの頭上にぴったりと着地したハートはその身体で思い切り脳天にぶつかってくる。柔らかいおかげか痛みはないが一体何をしようとしているのか……ミスルトーの方を見ればもう一つハートがやってきていたようで彼にも同様に体当たりをしている。
(それに……このハート、前に見たときよりも「温かい」……いいや、「熱い」!)
自動操縦型のスタンドなのだろう、今度はアゲハのセーラー服にとっしんするハート。背中がバッサリと切り裂かれた黒の半袖セーラーはあの時パキスタンで仕立ててもらったものだ。
温かい意味、私とミスルトーにぶつかってくる意味、そして破壊されると同時に海風が吹く意味ーーアゲハはそこまで考えてひとつの仮説を立てると二人の周りにいるすべてのハートを撃ち抜いた。
「スタンド能力が生まれ持った才能というのなら、この「技術(テクニック)」は努力の賜物というやつなのかもね……」
全ての弾を撃ち、用済みとなった拳銃を投げ捨てたアゲハは背後に手を回す。そしてたった一発だけ装填されたリボルバーを握った彼女はあろう事か照準をコバルトブルーの海へ合わせて引き金を引いた。
「何を……?」
好敵手の突然の奇行に目を見開くミスルトー。しかしアゲハは勝負を諦めた訳でもヤケになった訳でもない。ただ勝つための道筋だったからその方向に照準を向けたのだ。
先程通り、海から吹く「高気圧の風」が砂浜で待つハートが残した温かな空気ーー「低気圧の空気」の方へ押し出されていく。
ハートのスタンドが普段宙を舞っていた理由は太陽光で身体の中の空気を温める為だったのだ。
そして「黒い服」を着ていた私とミスルトーの元へ飛んできたのは「漆黒の薔薇の木」と勘違いしたからだろう。薔薇の木の傍で自身の身体を破壊し海側から大きな風を呼び寄せ真空刃をつくり出す……これがやつのスタンドの仕組みだ。
ーーそうすべての謎に仮説をたてたアゲハは自身の放った赤銅色の弾丸の軌道を見守る。海辺に浮かぶ岩肌にぶつかり跳ねた弾丸はそのまま予想だにしない方向へ飛んでいく。
しかし次の瞬間、海風により徐々に角度を変えた弾丸は砂浜に落ち、その場に佇んでいた小石に跳ねた。浅い角度で跳ねた弾はゆるりとした角度で前進していく。
「「風」は「銃」よりも強し……だったっけ。銃使いだって、努力すれば風を乗り越えられるかもよ?」
残心の姿勢もなく、ただ事の行く末を見守る彼女の目には自信が満ち溢れている。砂浜に身を沈めたままのミスルトーにはその弾丸を凌ぐ力は持ち合わせてはいなかった。
花京院は読んで字のごとく満身創痍だった。彼の長ランのあちこちは切り裂かれ、随所からは出血が見られる。
数分前、薔薇の木を攻撃した際に散った花弁は花京院に降り注ぎ彼の身体を切り刻んでいた。枝から落ちた時に自然と風に煽られ微弱な真空刃を作り出していたのだ。
「まただ……!風が帝の方に吹いてしまったッ!止められなかった……!」
草木の間を通り抜け、一直線に海岸へ向かった真空刃を鋭い瞳で睨みつけた花京院は悔しそうに眉を顰める。これ以上帝の元へ風を送り込ませてやるものか!と立ち上がった彼は再びエメラルドスプラッシュをお見舞してやろうスタンドを構えーーその手をおろした。
「先程のハートがこっちに飛んできたぞ……ぼくに付いてきた、というよりこの黒い木に引き寄せられて飛んできたのだろうが……」
ハートのヴィジョンが近づいてきている以上容易にエメラルドスプラッシュを放つことは出来ない……花京院はそれならばとハイエロファントの触手を木に括り付けると、枝葉が揺れないようにがっしりと固定した。これならば何らかの理由があってハートが割れても花弁は揺れない。
「しまった……!」
しかしーーそんな花京院に目もくれず飛び込んできたハートの群れは薔薇の木に突進する。彼のエメラルドスプラッシュにより露出した鋭い枝先はそんな柔らかな身体を簡単に破裂させてしまう。
また一体、また一体とぶつかり弾けるハートをただ見ていることしか出来ない花京院はこれから吹いてくるであろう海風に備えるーーいいや、最早このままへし折ってやるべきか。
「ぐっ」
思わず息が漏れる。流石に花京院のハイエロファントでは締め付けて砕く程のパワーは無いようで辺りにはピシッという木の皮が剥がれ落ちる音だけが響く。
そして次の瞬間、海岸の方面から吹いてきた強風は花京院もろとも薔薇の木を直撃した。自然の摂理で揺れようとする枝を触手が抑え込むが、ほんの少し抑えきれなかった場所からはごく僅かな真空刃が発生し、彼の身体を傷つける。額の裂傷からこぼれ落ちた血液が花京院の視界を奪う。
「この調子では何分持つか分からない……頼むぞ、帝……ッ!」