フラジャイル・ラブ その①
『紅海』ーーダイバー達が口を揃えて「世界で最も透き通った美しい海」と呼ぶとある海域。
そこは東と西野沿岸共に赤い砂漠ということで「REDSEA」とよばれるようになった。海を汚す都市らしい都市はなくまた、そそぎ込む河もない汚れなき海なのだ。
その水面に波を立て、南の方向へ舵を取るのはジョースター一行を乗せたボート。ジョセフ達五人はこの限りなく青き紅海を渡ってエジプトに入ろうとしているのだ。
「おいじじい……おかしいな。方角が違ってるぜ……真っ直ぐ西へーーエジプトに向かってるんじゃあないのか?あの島に向かっているようだが」
ーーしかしジョセフが舵を取った先は先述した通り南の方角である。
昨日、サウジアラビアの砂漠にて救助された彼らはそのまま西へ船を走らせればエジプトの海岸線に到着することが出来るはずなのだがボートが向かう先にあるのは承太郎が指さす小さな孤島だけ。
「ああ……その通りだ。ワケあって今まで黙っていたがエジプトに入る前にある人物に会うためにほんの少し寄り道をする……この旅にとってものすごく大切な男なんだ……」
「大切な男……あのちっぽけな島に住んでいるのか?」
それから暫くして、ニアニアと鳴くウミネコの声を頭上に孤島に上陸したジョースター一行は砂浜に足跡を刻みながら島の中央部に向かって進んで行く。育ち放題の熱帯植物を見る限り、人が住んでいるといった様子は見受けられない。
「ジョースターさん……ほんとうに人が住んでいるのですか?無人島のように見えますが……」
「「たった一人で住んでいる」……インドで彼は私にそう教えてくれた」
花京院の問に眉をキリッと寄せたジョセフが簡素に答える。その神妙な顔つきにただならぬ人物が待っているのだと理解した花京院は狼狽えた。
一ーその後ろではポルナレフが間抜けな顔で「インドでカレー?」ととぼけているのだけれど。
「ジョースターさん、ここ見て下さい」
「……そこの草陰から誰かがおれたちを見てるぜ」
そんな彼らのやりとりを数歩下がったところで眺めていた承太郎とアゲハだけは、鬱蒼とした草むらの陰からこちらを見つめていた何者かの存在に気が付いた。鋭いブラウンの瞳が射抜かんとばかりにジョセフ達を睨みつけていたのだ。
ジョースターさんの話曰く、この島に住んでいるのはたった一人の様だから私達を監視しているのはその「大切な男」というやつなのだろう…… アゲハは物音に反応して目元に浮かべていたモニターを外し姿勢を崩した。
「あっ逃げるぞッ!」
しかし次の瞬間、承太郎達に指摘されてしまったからだろうか、ガサガサと周囲の草木をかき分けてその場を足早に去っていく先住民の男。
ネグロイド系の褐色の肌に両耳たぶを繋ぐようなデザインの大きなイヤリングに形容しがたいデザインの白髪ドレットヘアに襟足を後ろ手に一本にまとめたその「見覚えのある」後ろ姿にジョセフと花京院は目を見開く。
「あの後ろ姿は……見たことがある!」
しかし肝心の男はすでにジョセフ達の見えないところまで走り去ってしまっている。この島の地理に詳しくないジョセフはちらりと後ろに佇むアゲハを横目で見た。
すでに追跡は始まっていたのだろう、彼女は深く頷くと誰よりも早く生い茂る草むらに足を踏み入れ彼等を先導した。
「ホラホラ、ハラが空いたのか!?マイケルにプリンス。がっつくんじゃあないぞッ!ちゃんと栄養は考えて好物の貝殻も入ってるよ!まるまる太って美味しいニワトリになるんだぞ、ライオネル」
男の後を追い、やがて見えてきたのは一軒の民家だった。一人暮らしなのであろう、みすぼらしく小さなその家の壁には大小のいくつもの亀裂が走っている……相当慎ましく暮らしている様だ。そしてその庭には放し飼いにしているニワトリの名を一頭一頭呼びながら餌をやる男の姿。彼は本当に一人この島で自給自足の生活をしているらしい。
「……わたしの名はジョセフ・ジョースター。この四人とともにエジプトへの旅をしている者です」
「帰れッ!話はきかんぞッ!わ……わしに話しかけるのはやめろッ!このわしに誰かが会いに来るのは決まって悪い話だッ!悪いことが起こった時だけだッ!」
「何者なんだ」「あの後ろ姿は」……ポルナレフ達の思いのうちを遮ったジョセフは胸に手を当て、誠実に挨拶を述べた。しかしそんな彼を一蹴し、激昂のあまりわなわなと震えた男の言葉の棘の中には隠しきれぬ悲しみの色が含まれてる。
「聞きたくない!帰れッ!」
「あっ」
そしてついに男は勢いよくこちらに振り向きジョセフ達を指さし凄んだ。
老化により白くなった髪と顎に伸ばした髭ーーそれらを除けば今目の前にいる男の顔は誰がどう見てもアヴドゥルそのものだった。インドでJ・ガイルとホル・ホースに殺された筈のモハメド・アヴドゥルそのものだったのだ。
「アヴドゥルさんッ!」
「アヴドゥル…… ……」
思わず口をこぼした花京院に続き目を見開いた承太郎がアヴドゥルの名前を呟く。アゲハは多大なショックで息がつまり目の前で起きた予想外の光景に言葉を紡ぐことも出来ない。
「アヴドゥルの父親だ……世を捨てて孤独にこの島に住んでいる……いままでお前たちにも黙っていたのはもしここに立ち寄ることがDIOに知れたらアヴドゥルの父親の平和が乱される可能性があると考えたからだ」
「父親……」
「だが……息子のアヴドゥルの死を報告するのは…… …… ……つらいことだ」
バタンと大きな音を立てて一行を拒絶するかのように閉じられた扉を見つめたアゲハは考え込むように視線をさげた。
あの人が……アヴドゥルさんの父親。ジョースターさんはいまから彼に自身の息子の死を伝えなくてはならないのだ。
(ジョースターさんとアヴドゥルさんはかけがえのない友人だった。彼の死を報告する事はジョースターさんだって悲しいだろうに……)
唇を噛み、物思いに耽けるアゲハの傍らでは同じように深く目を瞑り自責の念に駆られる男が一人。顔中に吹き出た汗と眉間に刻まれた皺が彼の気持ちを代弁しているようだ。
「アヴドゥルの死は君のせいじゃあない。ポルナレフ」
「いいや、おれの責任。おれはそれを背負ってるんだ…… 」
気遣うように肩に添えられたジョセフの手を振り払うでもなく拒絶したポルナレフは物悲しい雰囲気を醸し出しながらその場を一人後にした。アヴドゥルの死は自身の失態だといわんばかりの彼の背中を見送るアゲハの眉は酷く垂れ下がっている。
「あの父親もスタンド使いなのですか?」
「ああ。だがどんなスタンドなのかその正体は知らない」
「あの態度じゃあ協力は期待できそうもないですが……」
そんな重たい雰囲気の中、横目で彼の父親が暮らすボロ屋を見つめた花京院は声を潜めて落ち着いた様子で語る。どうやら気落ちしたポルナレフについてはあまり気にしていないようだ。
ーーまあ、それもそうか。とアゲハはひとりでに納得した。彼女はその場にいなかった為、後になって聞いた話だがアヴドゥルがホル・ホースに殺されたその瞬間に居合わせていたのはポルナレフと花京院なのだ。
その後彼らは大切な仲間の想いを背負って見事J・ガイルを打ち破ったという……そういう背景もあってこの件について一番ポルナレフを理解してやれているのはある意味この冷静な花京院なのかもしれない。
「わしひとりに任せてくれ。父親と話をしてくる」
ジョセフはきりりとした顔つきで言い切るとそのまま承太郎達を置いてぼろの一軒家に入っていく。それを黙って見送ったアゲハは彼の後に続くように「私も……少し島を歩いてくるね」とその場から動こうとしない承太郎と花京院に断りを入れてその場を後にした。その背中は小さく、まるで悲しみ打ちひしがれているよう。
「やれやれ、花京院……おまえアゲハに「本当の事」を教え忘れてるんじゃあないだろうな」
「ああそういえば……だから様子がおかしかったのか。ぼくがちゃんと説明してくるよ」
アゲハの事になると何故かちょっぴり鈍い男の背中を見送った承太郎は帽子の鍔を引き下げ「やれやれだぜ」と呟く。
その数十秒後、ぼろの家から彼の待つ庭先まで聞こえてきた笑い声はなんとも楽しげで、心の底から和やかな気持ちになった承太郎は口元をゆるく釣りあげた。