死神13 その⑤
離せ!ーー背中に張り付いた花京院のハイエロファントを振りほどこうと、大鎌を激しく振り回す死神13が叫ぶ。しかし自身の背中、つまり死角に這う花京院のスタンドを切ることは叶わない。
「やめろ「死神13」……これ以上無駄な抵抗をするといくらお前が赤ん坊でも本当に首をへし折るぞ……!」
「花京院!」
ふわりとコーヒーカップから飛び降りた花京院にジョセフが叫ぶ。すぐさま駆け寄った彼は申し訳なさげに目をふせ、「花京院……わしらはきみに謝らなくてはならない」と告げた。
「おれはお前を精神的に弱いヤツと疑ってしまった……赤んぼがスタンド使いということを信じてやれなかった。迫っていた危機に孤独に闘っていたんだな……すまない……」
「いやポルナレフ、無理もないこと。この夢の中にスタンドを持ち込む方法を思いついたのは君から「当て身」をくらった瞬間にひらめいたことだったんだ」
このままスタンドをひっ込めないで眠ってしまえば夢の中に持ち込めるぞってねーー謝罪するポルナレフを気遣うように話す花京院は続けて「だから君のおかげでもある」と付け足した。
複雑な気分だが役に立てたのなら良かったと、ポルナレフはなんとも言えない笑みを浮かべると後頭部をポリポリとかく。
「……私も、信じられなくて……ごめんなさい……」
「帝……」
声をふるわせたアゲハは沈んだ顔でぽつりと声を落とす。あまりにも、目に見えるほど悲しそうな彼女の姿は花京院をドキリとさせた。
「いいや、帝が謝る必要はない……寧ろきみには感謝しなくてはならないと思っていた……」
「……?」
「あの時、きみがぼくを抱きとめてくれたとき……凄くうれしかったんだ」
俯いたアゲハの頬に花京院の大きな手が触れた。驚いた彼女がゆっくりと顔をあげれば目を細めて和やかな雰囲気の花京院の姿。
真っ黒な大きな瞳を揺らしたアゲハは安堵から溢れ出た涙を拭うために目を瞑るーー彼が自分を気遣ってくれているのはよく分かる。それがすごく情けないのにそれ以上に酷く嬉しかった。
「おい……なんだ雲が!」
「雲が……妙な動きで近づいてくるッ!」
しかし次の瞬間、頭上に漂う雲が不可解な動きを見せる。まるで引き寄せられたように死神13の元へ集まった無数の厚い雲が形を変えて大きな手へと変化を遂げたのだ。この夢の世界はヤツの領域……なにが起きても不思議ではない。
「妙なことをするんじゃあないぞ!「死神13」!」
「花京院「法皇」をやつの背中から離れさせろッ!!」
相手が赤ん坊だからと首を絞め落とさなかった花京院の甘さをついた死神13は自身の大鎌を手の形をした雲に手渡す。その光景に短く動揺の声をあげるもつかの間、器用にそれを振るった雲は死神13ごと花京院の法皇の身体を真っ二つに切り裂いた。
「ば……ばかな!「死神13」のやつ……自分の胴体ごとせ、切断するなんて…… ……」
「花京院ーッ」
上空で引き裂かれた自身の分身に花京院は目を見開くと膝から崩れ落ちていく。スタンドが受けた傷は本体にもフィードバックするーーそれを理解しているジョセフ達は彼の名を叫ぶ。
「ラリホォーッ!気づかなかったか!おれのスタンドの胴体はッ!実は空洞だったんだよお〜ん」
紫紺のローブを脱ぎ捨てた敵スタンドはそんな一行を嘲笑った。頭と腕、そして大鎌だけ、というデザインだった死神13は次こそ本当に勝利を確信し瞳に涙の膜を貼ったアゲハを見下ろす。
「なあ〜んてね♡」
しかし、そんな死神13の期待を裏切るようにたわごとと共に立ち上がる花京院。真っ二つに切り捨てられたように見えた彼がどうして平然としているのだろうか。
「花京院!?だっ大丈夫なのか!?」
「よく見てください……いつまでも背中に張りついているほどぼくのハイエロファントはのん気してませんよ」
答え合わせをするように花京院が指さす方向ーー上空に見える死神13を見上げたアゲハは「あっ」と声を漏らす。彼のハイエロファントは切断などされていなかった。胴体をひも状に変化させ、既に敵スタンドの体内に入り込んでいたのだ。
「さあ、内部から破壊されたくなかったらまず……この腕のキズを治してもらおうか……夢の中はなんでもありだから傷ぐらい治せるだろ?」
「は……はい……」
花京院の脅し文句に素直に大人しくなった死神13は弱々しく吐き出された言葉と共に彼の腕に刻まれた文字をきれいさっぱり治してしまった。
その後敵は完全に敗北を認めたのか一切の抵抗をやめると、ジョセフ達はそれ以降唐突に意識を失った。つまりヤツが敗北を認めた事により悪夢の世界から開放されたのだーー……!
花京院は日の出前に誰よりも早く目を覚ました。
しかし、まだ背の低い太陽の薄明かりでは彼を自然に覚醒させるには些か不十分……そう思った誰かが機転を利かせてしまったのだろうか、目の前で無防備な寝顔を晒す少女が花京院の目に飛び込んできた。
「……びっくりした。一体どうしてこんな所で……」
声を上げてしまわないように、まるで悪い事をしたかのように飛び退いた花京院はすぐ隣でスヤスヤと寝息を立てるアゲハに目を丸くした。そして、そんな彼女と繋がれた自身の掌に気が付き、思わずまじまじとそれを見つめる。
(無意識のうちに繋いでしまった……という訳でもないだろうが……こ、これは……)
互いの指を一本ずつ交差させる「恋人繋ぎ」、これはさすがに無意識のうちになせる技ではないと花京院は狼狽える。
どうして態々彼女は自分の隣を陣取って眠ったのか?どうして手を握ってくれたのかーーその場で分かりやすいくらいに音を奏でるのは昨夜から灯され続けている焚き火の小さな炎と彼の心臓の鼓動だけ。
(とにかく起きよう……)
しかし幾ら悶々と考えていても答えが見つかるはずもない。それもそのはず花京院に「きみの方から手を握ってくれたんだろう」と聞くほどの度胸なんぞ当然持ち合わせてはいないからだ。
花京院はせめて寝袋の中で気持ちよさそうに夢を見るアゲハを起こしてしまわないようにと一本ずつ丁寧に彼女の指をほどいていく。
親指、人差し指、中指、薬指ーー……小指。ほどかれていく度に名残惜しそうにぴくりと跳ねる細い指に花京院はなんとも言えぬ気持ちに駆られる。
「ありがとう…… アゲハ」
愛おしい、その言葉が今の花京院の感じた心を形容するのにふさわしいものだった。彼が口元を緩ませそんな彼女の前髪を優しく撫でれば、先程の呟きが聞こえている訳でもないのにアゲハはふにゃりと笑みを浮かべる。
そろそろ朝食の準備をしよう。ああそれとベビーフードも作らなくては。
名残惜しそうにその場をあとにし、近くの水たまりで顔を洗った花京院は頭の中で簡単にレシピを読み上げると早速調理に取り掛かる。
昨夜の醜態を覆すためにもいつも通りの落ち着いた立ち振る舞いをしなくてはならないだろう。いつもどおり気丈な、いつもどおり……。
「……こんな火照った顔もみんなには見せられないな」
一旦作業は中断し、顔に集まった熱を冷まそうと花京院は丁度登り始めた朝日を見つめた。
見渡す限り人工の建物のない砂漠では地平線から登る朝日が視界全体に広がり、これが日の出の本当の姿なのだと花京院は深く感嘆した。