死神13 その③
すっかり日は沈み、夜の帳が降りた頃。
周囲のヤシの木達を薙ぎ倒しながら墜落したセスナ機の傍らでは焚き火を囲う男たちの姿が。
彼らジョースター一行は幸運な事に誰ひとり大きな傷を負うことも無く、無事にサウジアラビア砂漠のど真ん中にて腰を落ち着かせていた。
「死なんですんだが花京院!一体どうなっているんだ!こうなったのはお前のせいだぜ!」
パキ、パキ、と薪の水分が蒸発して起こる爆発音をバックに声を荒らげたポルナレフが花京院に詰め寄る。俯き心底疲弊した様子の彼は誰が見ても弱りきっていた。
「わからない……恐ろしい夢を見たような気もするし目が醒めたとき死ぬほど疲れているし……ぼくはおかしくなったのだろうか……?」
「元気を出せ!きっと疲れすぎているんじゃ……日本を出て既に一ヶ月をすぎておるし、敵はその間連続で襲ってきているのだからな」
額に手を当てた花京院は覇気のない声でそう言うと深く項垂れる。そんな彼を気遣うように肩に手を置いたジョセフは励ましの言葉をかけた。
「…… アゲハ、赤ん坊の調子はどうだ?」
「熱はかなり下がったよ、顔色も良い。ご飯を食べてしっかり休めば大事に至ることはないと思う」
「おお!無事でよかったわいッこの無関係な赤ちゃんに何かあったらわしは償っても償いきれないことになったんじゃからな……」
承太郎の問に対し、スタンドのサーモグラフで赤ん坊の体温を測ったアゲハの言葉にジョセフは安堵の笑みを浮かべる。自分達が無傷で生還出来たことよりも、目の前の赤ん坊が無事に可愛らしい笑顔を浮かべていることがなによりも嬉しいようだった。
「おいじじい……無線機は壊れてないぜ。どうする?SOSを打つか?DIOのやつらにもここが知られる事になるが」
「この赤ちゃんの為だ。やむを得ん!救助隊を呼ぼう……」
ジョセフの「いないいないばあ」にキャッキャと笑う赤ん坊を後目に承太郎はセスナに搭載されていた無線機を使い救難信号を打つ。
「やっぱり赤ちゃんって可愛いね?ポルナレフ」
「そうかァ〜?ま、守ってやんなきゃって気にはなるがよ」
あたりに散らばるヤシの木の破片を集めながらアゲハがそう言えば焚き火の火をつついていたポルナレフが同意しかねるといった答えを口にする。しかしアゲハにはそんなことを言いながらも将来赤ん坊が産まれたらとんでもなく溺愛する彼の姿が容易に想像出来てしまい、ひとりでに口元を緩ませた。
「……ん?」
その時、アゲハは視界の端に花京院が立ち上がり赤ん坊の元へ向かう姿を捉えた。目を見開き、何かに気がついた!という様な顔をした彼の足取りは確かだ。
「ーーこの赤ちゃんが「スタンド使い」と思い始めているッ!」
「花京院!?」
そしてそんな言葉が聞こえてきた次の瞬間、辺りには乱暴にされ苦しみに声を上げた赤ん坊の泣き声がこだました。生後十ヶ月程度の赤ん坊の襟首を掴むようにして抱き上げた彼は驚いた様子のアゲハの声に反応してピタリと動きを止める。
「首を絞めるようにして抱くなんて酷いよ!……花京院、あなたほんとうに大丈夫?」
「うう…… …… ……」
すかさず彼から赤ん坊を取りあげたアゲハは泣き止ませようと優しく一定のリズムで背中を撫でる。追加で「よーしよーし」と体も揺らせば、機嫌を良くしたのか笑いだした赤ん坊に一息つく。
(花京院……どうしちゃったんだろう)
アゲハは目の前で歯切れの悪い言葉を漏らすだけの花京院を心配そうに見つめた。朝からずっと調子が悪いという彼はアゲハの抱く赤ん坊を見て大きく瞳を揺らしている。
この子がどうかしたのだろうかーーアゲハが不思議そうに赤ん坊の顔を覗けばまだ歯が生える年齢でもないのに立派な犬歯がニ本も生えていた。
「アゲハ、赤ん坊を籠の中に戻したらわしの隣にくるんじゃ」
「!……はいっ」
ジョセフからの呼び掛けに一旦思考を中断したアゲハは最後に後ろ髪を引かれるように花京院に視線を配る。しかし俯いた彼の顔を覗き込むなんて無粋な真似が出来るはずもなく、彼女はキッパリと諦めてジョセフの元へ向かった。
「……ジョースターさん、ソレは?」
「ベビーフードさ。お前さんにちょっと手伝ってもらおうと思ってな」
早速鍋を手渡されたアゲハはジョセフに指示されるままそれを火にかけていく。ぐつぐつと煮沸するどろりとした黄みがかった離乳食はほんのり甘くていい匂いがする。焦げないように火から鍋を離したり、木製のおたまで掻き混ぜていると不意にその場に影がかかった。
「うまそーな匂いじゃん。ふたりでコソコソ何つくってんだい?」
「離乳食だよ。私はただのお手伝い」
颯爽とこちらに近づき話しかけてきたのはポルナレフだ。アゲハは簡素にそう答えると鍋の中が見えるように彼に向けて傾けた。ミルクと卵黄、バナナとパンが煮詰まりもったりとしている。
「うむ、そろそろいいじゃろう。アゲハ、味見するか」
「やった!いいんですか?」
アゲハから鍋を受け取ったジョセフは早速彼女の口元へスプーンを運ぶ。それをしっかりと受け入れたアゲハは自身の口の中に広がったまろやかな風味とバナナと小麦の甘みに目を輝かせた。
「わぁ!すごくおいしい!!」
「ずりー!!おれにも食わして!食わして!」
「おいおい赤ん坊の分がなくなるじゃないか」
ジョセフはそう言いながらもポルナレフの口元へスプーンを運ぶ。そのやりとりが微笑ましくてアゲハが目を細めていると、不意に遠くに座る承太郎の何か考え込むような姿が目に映った。
(承太郎……。そうだ、承太郎は花京院の事をどう思っているんだろう)
承太郎は仲間の事を誰より大切にする男だーーアゲハは彼らと行動を共にしてから知った「空条承太郎」という人間の性格を思い出す。
帽子の鍔で顔がはっきりと見えないが、きっと承太郎は花京院が気を取り乱している原因を考えあぐねているのだろう。
(私も花京院の行動の一つ一つを正確に吟味して彼の伝えたがっていること理解しなくちゃ……!私だって彼の「仲間」なんだから!)
ひとりでに意気込んだアゲハは花京院の方へ振り向いた。彼はどうやら立ち上がってある一点を凝視しているらしい。
早速その視線の先を探る為にアゲハが目線を動かそうとしたその瞬間、バチリと花京院と視線がぶつかるーーすると彼は弾かれたように足を踏み出し、焚き火を囲う三人の元へ近づいてきた。
「ジョースターさん!帝ッ!ポルナレフッ!今のを見ましたかッ!やはりこの赤ん坊普通じゃあないッ!」
「え?」
「今サソリを殺したんですッ!あっという間にピンを使ってサソリを串刺しにしたんですッ」
赤ん坊の居る籠を指さして唐突にそう叫ぶ花京院に疑問符をうかべたのは名指しで呼ばれたポルナレフとジョセフだ。アゲハもついさっき「花京院の事を理解しよう」と意気込んでいなければ彼らと同じように疑問符を浮かべていただろう。
「花京院ちょっと待て!何を言っとるんだ?」
「この赤ん坊はただの赤ん坊じゃあないッ!一歳にもなってないのにサソリのことを知っていてその小さな手で殺したんです!!」
「サソリ……!どこに?」
「その籠の中ですッ!」
籠の中……と聞いて直ぐに赤ん坊を抱き上げたジョセフと入れ替わりにベビークッションやタオルを引っ掻き回す花京院。しかし探せど探せど見つからないサソリの死骸に彼は自ら「い……いない……」と呟く。
「ほ ほんとうですッ!どこに隠したんだ!服のどこかかッ!」
「やめるんだ花京院!さっきも言ったが君は疲れているッ!ゆっくり休んで明日の朝また落ち着いてから話をしようじゃないか……」
一瞬の静寂の後、花京院が赤ん坊の服を引っ張りさらに詰め寄る。ズボンの中、短肌着の内側ーーやはりどこを探せど見つからない。
しまいにはジョセフに強い言葉で突っぱねられこれ以上の追求は叶わなくなってしまった。
「フーフーフー。さあ、あーんしてあーん。おいちーでちゅよー」
「グッ!ウグ〜うう。ウググ〜ウグ〜ッ!」
一悶着あったが気を取り直して食事にしよう……ジョセフは明確には言葉にせずそう言うと出来たてのベビーフードを赤ん坊の口元へ運ぶ。しかし、先程の二人とは打って変わって頑なに口を開こうとしない赤ん坊を見て目を丸くしてしまう。
「ジョースターさんッ!今ッ!ぼくは確信したんですッ!どこにサソリの死体を隠したか知らないがそいつはスタンド使いなんですッ!見てくださいこの腕の傷をッこの文字を!これは警告なんです!きっと夢の中でついた傷なんだッ!!」
しかし花京院はまだ諦めてはいなかった。彼はジョセフの持っていたスプーンを弾き飛ばすと自分の制服の袖をまくる。そして現れた素肌に刻まれた『BABYSTAND』の文字を顕にした。
「花京院…………その腕の傷は自分で切ったのか?」
「え?」
そう言って目を見開いた承太郎が指さすのは花京院の左腕ーー彼の筆跡で、恐らく彼の所有する小さなナイフで切り刻まれたその赤い文字。
「あ…… …… ……」
「ゴクリ……」
「Oh!My!God!」
何かを言おうとするも口を噤み目をそらすアゲハ、思わず固唾を飲むポルナレフ、そして驚きのあまり叫ぶジョセフ。花京院は各々の反応を見て改めて自分の行動が間違いであったと自覚する。皆の視線に耐えきれず袖を元に戻した花京院は鋭い視線でぷぷぷと笑う籠の中の赤ん坊を睨みつけた。
どうにかしてこの危機を皆に伝えなくては、スタンド使いからの襲撃から逃れなくては!その一心だけで動いていた花京院はいつもの冷静さを失っていた。
「やむをえんッ!強行手段だッ!
飛び出した花京院のスタンドは人差し指を構え赤ん坊を指さす。まさかその構えは!エメラルドスプラッシュを放つつもりなのだろうか?と、アゲハは思わず赤ん坊の前に立ち塞がる。
「もうだめだ……こいつ完全にイカれちまってるぜ……」
しかし、聞こえてきたのはそんなポルナレフの悲しそうな声。衝撃に備え、固く瞑っていた瞳を開けは彼の当て身により気を失った花京院がアゲハの元に倒れてくる。避ける訳にもいかず、懸命に踏ん張り花京院の体を受け止めた彼女はゆっくりと地面に下ろそうと膝を曲げた。
「信じてくれ、みんな……眠ったら殺されてしまう……信じてくれ。ぼくを信じてくれ…… 帝」
その時、不意に聞こえてきた花京院のうわ言にアゲハはグンと胸を締め付けられるような感覚に襲われた。混濁として、失われていく意識の中で紡がれた仲間を思った彼の言葉。
ーー私は本当に彼の意向を汲もうとしていたのだろうか。花京院が意味もなく赤ん坊に乱暴をはたらく人ではないと分かっているのに……。
アゲハは地面に横たわらせた花京院の口から垂れた血液を拭き取りながら深く後悔した。自分一人でも彼の意見を尊重していればこんな事にはならなかったかもしれない。
「もう花京院は旅も戦いも続けることは出来ねーのか」
「…… ……」
「さあ……彼のことは明日の朝考えよう。ねるぞ」
その言葉を皮切りに、しんと静まった夜の砂漠の真ん中で一つの焚き火を囲うようにして各々の場所で寝袋に潜り込むジョセフ達。アゲハは敢えて花京院の隣を陣取るとこっそりと彼の右手を握る。
(信じてあげられなくてごめん……せめて朝まで花京院のそばにいるよ)
次また彼がうなされてしまったとしても、すぐに気がつくことが出来るだろうーーアゲハは隣に横たわる花京院の険しい寝顔を見つめながらそう決意する。繋がった花京院の無骨な指と自身のか細い指一つ一つを交差させるように無意識のうちに握り変えたアゲハは空を見上げた。
人工の光のない砂漠の星の数々は彼女の視界全体に広がり、これが星空の本当の姿なのだとアゲハは深く感嘆した。