恋人 ④
用水路を跨ぐための橋にされ、背中をかかされ……スティーリー・ダンによる野坊主な要求に大人しく従う承太郎の背中を見つめるアゲハの眉は酷く顰められてたいた。
ーー辛いのは、怒りたいのは承太郎の方だ。彼は立派に我慢しているというのに!と心のうちで叫びながらアゲハは自身の拳を強く握り、昂る怒りを抑える。
「都市遺跡(メガロポリス)」の弾丸が及ぼす精神的攻撃も、ラバーズに脳を蝕まれているジョセフに数倍になって返ってしまう可能性がある以上、アゲハは迂闊には動けなかったのだ。
「ほれッ何やってんだッーッ?しっかり靴みがきをしろ承太郎ッ!」
その傍らでブラシと布で靴を磨いていた承太郎の顎を蹴りあげたダンはいやらしく下劣な笑みを浮かべると、彼により艶がでた茶色の革靴をウインクしながら見せつけた。カラチの乾いた風がダンの外に勢いよく跳ねた髪を揺らす。
「わたしは今 すごーく機嫌がいいッ! わたしの今の気分と同じぐらい晴れた空がクッキリ映りこむぐらいピッカピカに磨いて貰おうかな……ン!きさまッ!何を書き込んでいる!?」
承太郎の両手から勢いよく手帳を取りたげたダンの目に飛び込んできたのはこれまで承太郎が受けてきた仕打ちの数々。ハラを殴られた、サイフをとられた……こと細やかに並べられた「貸し」の文字列にダンは額に汗を浮かべた。
「おまえにかしているツケさ。必ず払ってもらうぜ……忘れっぽいんでなメモってたんだ」
「JOJO……!」
承太郎の酷く冷静で平常な言動にアゲハは声を明るくさせる。しかしそれが癪に障ったのかダンは承太郎に平手打ちをすると「そうだなァ」と人差し指をアゲハに指し向けた。
「お前はここで待機だッ! ……承太郎とわたしでこの宝石店に入る……」
「……わかった」
承太郎とダンが店内に入るのを見届けたアゲハはあらかじめサイレンサーの付けられた懐のナガンM1895のリボルバーを取り出し弾丸を込める。
弾丸は『命令型』の『眠くなる』弾丸を六発と実弾を一発。最後に実弾がくるようにセットすると、アゲハはスコープで店内を探った。
(こ……この反応、身長からして承太郎だよね?なんだか周りにいる人達にボコボコにされているような……いや、されているッ! 打撲箇所が次第に熱を帯びてきているッ! )
アゲハは宝石店の前まで移動すると承太郎を助けるために扉に手をかける。銃の安全装置を外し、息を整えたアゲハが内開きの扉を開けようとしたその時だった。
「あっ……!」
「誰が動いていいと言った?女……」
タイミング悪く店内から外に出てきたダンにより承太郎の元へ辿り着く唯一の道を塞がれてしまったアゲハはすかさず拳銃を定位置に戻す。しかし状況は決して良くない、寧ろ気分を損ねるような行いをしてしまったことに気づいたアゲハは顔を真っ青にした。
「ダン!……ええと……次は私に命令したらどうかしら……!肩を揉むのも、背中をかくのも私にだって出来るもの……だからお願い、承太郎にはもう手を出さないで」
咄嗟に口をついてでたのはそんな言葉だった。あるいは自分がこの場にいて出来ることを懸命に捜し求めた結果でもあったのかもしれない。
アゲハはダンに深く頭を下げるとその身に余るほどの憤りを悟られまいとぎゅっと目を瞑った。
「……ふん、なかなか献身的な女じゃあないか……よし気が変わった。付き合ってやるよお前のやりたいことにな……」
アゲハはその言葉に顔を上げると早速近くのカフェのテラス席の椅子を勝手に持ち出しダンに差し出す。そして腰掛けたダンの後ろに素早く回り込むと肩もみを始めるーー強くしすぎればジョセフに痛みが伝わるし、だからといって優しくしすぎるとダンを怒らせてしまうと深く考え込むあまりアゲハの指には力が入らない。
そんな彼女に腹を立てたのかダンは思い切りアゲハの腕を引っ張ると自らの正面へ引き出した。
「……な、なにをするの?」
「オイオイオイ……な〜んにも分かってねぇなァ…… アゲハちゃんよォ……普通女が男に奉仕するってんならこういうことをするんだろうがッ」
腰を掴まれ体をダンの方へ寄せられる。アゲハは目を見開きながら信じられないといった表情でダンを見た。腰に当てられた手はアゲハが抵抗しないのをいいことにその小ぶりな臀部をも愛撫している。
「DIO様からお前の話を聞いた時……勝手だがとんでもない美人かなにかかと思っていたぜ。あの人が随分とお熱だったと聞いていたからな……だが実際あってみりゃあ年相応の顔立ち身長も低めでスタイルがいいわけでもない……」
「……な、なにが言いたいの」
「……館に連れてこられた女はスタンド使い以外は全員食料……っつーのが当たり前だった。それなのに生きて館を出るどころかスタンドを発現させて使い方を教えて貰って……正直言って異常な存在だ……お前はあの人の何だ?」
ダンの真剣な瞳と目が合う。ダンに改めて問いかけられ確かにどうして自分は無事に生かされていたのだろうかとまで考えたアゲハはいくつかの可能性を思い浮かべるも、彼が満足するような返答は出来そうもなかった。
「あっ!承太郎ッ!!」
「アゲハ……てめえ何をしてやがる……」
その時だった、宝石店から投げ出されるようにして退店させられたボロボロの承太郎がカラチの乾いた地面に身を預ける。その痛々しい姿にアゲハは悲痛な声をあげるとダンの拘束を振りほどき承太郎の元へ駆け出そうとした。
「嫌ッ……離して!承太郎が怪我をしてるの!」
しかしそれは叶わず、次は後ろから抱き込まれる形で捕らえられたアゲハはそれでもと抵抗を試みる。しかし耳元で「あんまり暴れるとジョースターの老いぼれの身体に響くぜ」と言われてしまえば諦めるより他なかった。
「……戦って勝てるのは人質を取られて無抵抗になった相手だけ?最低だよ」
「フン!……なんとでも言うといい、お前が何を言った所でこの状況が覆るわけでもないんだからな」
「うう……っ」
すると大人しくなったのをいいことにダンは無抵抗なアゲハの顎を強引に掴んで視線を合わせる。無意識に右手で制するがその手も絡めとられてしまい、仕舞いには人差し指と中指に舌を這わせてきたのでアゲハは短く悲鳴をあげた。
(承太郎……!! ……いいや、彼に助けを求めるのは駄目だ。私は承太郎の足枷になる為にここにいるわけじゃあない……!)
無理やり顔をダンの方へ向けられたアゲハが目線だけで承太郎を追えば彼はその傷だらけの身体を何とか起こして立ち上がっていた。アゲハが想像していたより承太郎の怪我は酷くはないようで、彼は学生帽の鍔で澄んだ瞳を覆いながら長ランを風にはためかせている。
徐々に近づいていたダンの唇がアゲハの薄ピンク色の唇に触れそうになったその瞬間、突如として傍観していた承太郎が堪えきれないといった感じで笑い始めたのだ。これにはアゲハも目を丸くせざるを得ない。
「承太郎ッ! きさま! 何をわらっている! 」
「いや……楽しみの笑いさ。これですごーく楽しみが倍増したってワクワクした笑いさ……テメーへのお仕置きターイムがやってくる楽しみがな」
承太郎の瞳は澄んでいた。この自信はハッタリなんかじゃなく、彼の仲間への信頼から来るものなのだと直感したアゲハはすっかりと怯えて一文字に結ばれていた唇を緩ませた。
「おまえ……なにかカン違いしてやしないか。ジョースターのじじいはあと数十秒で死ぬ! そんな状況なんだぜ……」
一瞬だったが目が合った承太郎とアゲハはどちらともなく互いにニヤリと笑みを浮かべる。信じて待っていた仲間がついにやってくれたのだと確信したのだ。
「いいやきさまは俺たちのことをよく知らねぇ……花京院のやつのことを知らねぇ」
承太郎のその言葉を皮切りにダンの頭と胸から激しく血が噴きでる。それにより一瞬隙をみせたダンの拘束から逃れたアゲハはリボルバーの銃口を突きつけたままゆっくりと後退し承太郎の隣に落ち着いた。
「おやおやおやおや……そのダメージは花京院にやられているな……残るかな、俺のお仕置の分がよ」
承太郎の悠々とした雰囲気の言葉を受けたダンは荒い息を繰り返しながら後ずさりをしてこちらとの距離を測る。しばらくして完全にこちらに背を向けて逃げ出そうとしたダンだったが承太郎にその外に広がるようにハネた髪を掴まれあえなく失敗。
「おいおい……何を慌てている? どこへいこうってんだ。 まさかおめ〜逃げようとしたんじゃあねーだろーなーいまさらよ」
「わたしの負けですッ!改心しますひれ伏します靴も舐めます悪いことしましたッ いくら殴ってもいいッ!ぶってください!蹴ってください!……でも! 命だけは助けてくださいイイイィィィいいいい〜」
涙を流し、情けない悲鳴をあげながらぺろぺろと承太郎の靴を舐めるダンにアゲハは眉をひそめる。しかしきっと承太郎ならこんなヤツにも情けをかけるのだろうとアゲハはちらりと彼に視線を向けた。
「ぎにィやあぁ〜!! 」
すると突然叫び声をあげたダンに驚いたアゲハがスタープラチナの方へ視線を移すと彼は親指と人差し指で何かを「摘む」ような仕草をしている。アゲハがスコープで拡大してその数ミリのーーいいやほんの数ミクロンのその隙間に挟まれた物体を確認してみるとそこにいたのはダンのスタンドである「恋人」だった。
スタープラチナが少しでも力を込めると小さな恋人の体は簡単に折れてしまい、本体へのフィードバックでダンの手足も嫌な音を立てながら折れてゆく。
「こんなことたくらんでるんだろーと思ったぜおれのスタープラチナの正確さと目の良さを知らねーのか? おめーおれたちのことをよく予習してきたのか? 」
「なっなっ、なにも企んでなんかいないよォ〜おまえのスタンドの強さは……」
「おまえのスタンド? お ま え ? 」
わざとらしく耳元に手をやって聞き返す承太郎が意外でアゲハはちょっぴり吹き出すと、それを誤魔化すようにして咳払いをする。
「い……いえ! あなた様のスタンドの力と正義は何事よりも優れていますですッ! 耳から入ろォ〜だなんて考えてるわけないじゃないですか……かなわないから戻ってきただけですよォ〜ひいィィ」
再び泣き出したダンは骨が折れたことにより座ることもままならないのかほぼ突っ伏したような情けない姿で承太郎におべっかを使う。
「そうだな……てめーから受けた今までのつけは……その腕と脚とで償い支払ったことにしてやるか……もう決しておれたちの前にあらわれたりしないと誓うな」
「誓いますッ!誓いますッ! 獄門島へでも行きますッ! 地の果てまで行ってもう二度と戻ってきません……」
この男が反省したかどうかは別にして、戦意を失って手足の骨が折れたこの男にこれ以上のことをするのはダメだろうとアゲハも承太郎の言葉に同意するように銃を懐にしまった。ダンからの仕打ちの数々を考えればまだ怒りが収まらないアゲハだったが、承太郎が許すと言うのなら許すべきなのだろう。
「うそは言わねーな 今度出会ったら千発そのつらへたたき込むぜ」
「いいません決してうそはいいません」
スタープラチナが恋人を離してやると同時に承太郎とアゲハは背を向けて歩き出した。アゲハが承太郎の顔色を伺ってみようと顔を覗きこんだその時だった、背後からダンが承太郎の名前を勝ち誇ったような下賎な声で呼んだ。
「ぐはははははーっバカめェェェ〜っ! 隣の女を見な! 今その女の耳の中にわたしのスタンド「恋人」が入った! 脳へ向かっているッ!動くんじゃねーっ承太郎ッ! 」
ダンの言葉に決して動揺せず背を向けたまま動かない承太郎とは対照的に、スニーカーで地面を蹴ったアゲハは驚いた顔で声の出処の方へ振り返る。そしてプルプルとした足で立ち上がるのも一苦労だといった状態のダンはナイフを前に突き出してニヤニヤとしながらアゲハ達に一歩ずつ近づく。
「今からこのナイフでてめーの背中プツリと突き刺す! てめーにも再起不能になってもらうぜ……スタープラチナでおれを殴ってみろアゲハは確実に死ぬ! おまえはこんな自分のために体張った女を殺すわけはねーよな〜」
「やれやれだ……いいだろう突いてみろッ」
ため息をついた承太郎はようやくダンの方へ体を向ける。動くなといっただろうと激昂したダンは次の刹那、素っ頓狂な声をあげた。
ボロボロで歩くのもやっとだった身体が思い通りに動かないのだ。まるで何かひも状の物で身体を巻き付けられ拘束されているように。
「どうした……プツリと突くんじゃあねーのかこんな風に」
そんな「なぜか」動けないダンとの距離を詰めた承太郎はナイフを持っていた手を掴むとお手本となるようにダンの頬を突く。サクリとその柔らかい頬の肉に突き刺さったナイフからはダンの赤い血液が流れ落ちる。
「か……からだが動かない……なっなぜ〜? ゲッ!? なっ、なんだこの巻きついているものはっ!? 」
「気づかなかったのか……花京院は「法皇」の触手をお前のスタンドの足に結びつけたままお前を逃がしたようだな……凧の糸のようにずーっと向こうから伸びてきているのに気づかねーとはよっぽど無我夢中だったよーだな……」
それを聞いたアゲハが髪を耳にかけたことでよく見えるようになったエメラルドグリーンの触手にダンは思わず短く声を漏らした。
観念したダンは頬に刺さったナイフを投げ捨てて「ゆるしてくださーい」と懇願するがもう手遅れだ。
「ゆるしはてめーが殺したエンヤ婆にこいな……おれたちははなっからてめーをゆるす気はないのさ」
「ディ……ディオから前金を貰ってる……そっそれをやるよ」
ダンの最後の言葉にアゲハは目を閉じた。お金なんかで「正義の心」がまるで自分のエネルギーだとでもいうようなジョースター家の男を懐柔しようだなんて馬鹿げている。
「やれやれてめー、正真正銘の史上最低な男だぜ……てめーのつけは金では払えねーぜッ! 」
承太郎のその言葉を皮切りに放たれたスタープラチナの五十回を超える猛ラッシュにダンの顔面は歪み、最終的にはカラチの石造りの建物へ綺麗な放物線を描きながら吹っ飛び、めり込んでいった。
そしてすかさずサラサラと手帳にペンを走らせた承太郎は書き終えたページを破くとそのままカラチの乾いた風に紙を舞わせ、大切な仲間たちの待つ街の中心部へと踵を返した。
「つけの領収書だぜ」
そう呟いた承太郎に倣い彼の横に並んだアゲハは「領収書」に書かれた内容を読もうと試みたがひらひらと風に飛ばされてしまいそれはかなわなかった。
『ハラを殴られた・石で殴られた・サイフを盗られた・時計を盗られた・ドブ川の橋にされ足で踏まれた・背中をかかされた・クツみがきをさせられ蹴りを入れられたーーーー
アゲハの腰を無理やり抱いた・無理やりキスしようとした 空条 承太郎』