恋人 ③
「ま、はっきり言って わたしのスタンド「恋人」は力が弱い……髪の毛一本動かす力さえもない史上最弱のスタンド……。だがね、人間を殺すのに力なんぞいらないのだよ……わかるかね諸君!」
カラチの街の中心、晴天、そして打ち捨てられたように佇む馬車の隣でジョセフ達一行は「恋人(ラバーズ)」のスタンドを持つ男、スティーリー・ダンと対峙していた。
卑劣極まりないその行いに警戒を強めるジョセフ達とは対照的に余裕そうな笑みを浮かべたダンは腰に手を当てリラックスした姿勢で言葉を続けた。
「このわたしがもし交通事故にあったり、偶然にも野球のボールがぶつかってきたり……つまずいて転んだとしてもミスター・ジョースター、あなたの身には何倍ものダメージとなって降りかかっていくのだ……」
ダンはそう言うと自身の左手の関節をポキポキと音を立てて鳴らす。それに同調するように彼のスタンドに脳を侵されているジョセフの左手の義手にもまるで本物の腕のような痛みが伝わった。
「そして10分もすれば脳が食い破られエンヤ婆のようになって死ぬ……」
衝撃的な言葉を発したダンは後方で倒れるエンヤ婆を親指でさしながらその顔を呷った。それに乗じて外に広がるようにクセのつけられたダン髪の毛がふわりと揺れる。
すると次の瞬間、ついに我慢の限界だ!と言わんばかりに承太郎が一歩前に出るとダンの襟首を掴み拳を思い切り握り締めた。
「承太郎!おちつけッ!バカはよせッ!」
驚きのあまり口をあんぐりと開けたアゲハも彼女なりに承太郎を止めようと重たい足を前に出す。
そしてそれは花京院やポルナレフも同じようで、ダンと承太郎の間に割って入っていくと襟首を掴んだままの承太郎の手を制するように前に出した。
「いいや。こいつに痛みを感じる間を与えず瞬間に殺してみせるぜ」
「痛みも感じない間の一瞬か……いいアイディアだ……やってみろ承太郎」
一髪触発の空気の中ようやく二人を引き離すことに成功するもつかの間、承太郎の言葉をどこか小馬鹿にしたような言い回しでダンは彼を煽り立てていく。
「おもしろいな……どこを瞬間的にブッ飛ばす?ホレ!顔か?喉か? ほれどうした!試してみろよ」
上記の台詞はご察しの通りダンのものである。承太郎の祖父であるジョセフを人質にとっているダンは自分が変わらず『圧倒的有利な立ち位置』であることを確信して、その上で無防備に拳を握ったままの承太郎の前に立っているのだ。
「それともスタンドはやめて石で頭を叩き潰すってのはどうだ?ほら、石を拾ってやるよ。これぐらいのでかさでいいかーー」
「あまりなめた態度をとるんじゃあねーぜ。おれはやると言ったらやる男だぜ」
どこまでも舐め腐った態度を貫くダンが人の顔ぐらいの大きさの石を手に取ろうとしたその瞬間、承太郎はその無防備な襟首を再び掴みあげた。先程まで帽子のツバで隠れていた承太郎の怒りに燃えた瞳がダンを刺すように睨みつける。その憤怒の表情に先程までの態度とは一変してダンは「ううっ」と情けない声を漏らし、額からは一筋の汗を流した。
「うぐぐ……」
「ジョースターさんッ!」
そんな中、苦しそうな声を上げるジョセフにいち早く気づいたのはアゲハだった。そしてアゲハのその声に気づいた花京院はすぐにその原因の元へ駆け寄る。
そう、ジョセフが苦しむのは当然の事だった。
ダンへの身体的ダメージが何倍にもなって返ってくるということは襟首を掴まれ呼吸がしづらくなったというその「ダメージ」もまたジョセフのもとへ返ってくることは必然だった。
「はやまるなッ!承太郎ーッ!こいつの能力はすでに見ただろうッ!自分の祖父を殺す気かッ!」
花京院は今にも殴りかかろうと拳を固く握っていたスタープラチナの腕を自らのスタンド「法皇の緑(ハイエロファント・グリーン)」の全身を使って食い止めると、再び承太郎に腕を離すように催促する。
「なめたヤローだ……」
しかしその花京院の行いはダンにとっての救いであった。悔しそうに歯を食いしばりながらも腕を解いた承太郎を目の当たりにしたダンはニヤリと口の端を釣り上げると隙だらけの彼の鳩尾に渾身の右ストレートを叩き込んだのだ。
「承太郎ッ!」
自由に息が出来るようになったジョセフの悲痛な声が辺りに響き渡る。先程まで承太郎を止めに入っていた花京院達はどうすることも出来ず狼狽えることしか出来ない。
「おれをなめるな……クク、ジョースターのじじいが死んだらその次はきさまの脳に「恋人」をすべりこませて殺すッ!」
そう叫んだダンは足元に転がっていた、先程拾おうとした石に目をつけると、自身の右ストレートに膝をつき隙だらけの承太郎の頭めがけてそれを振り下ろす。咄嗟に「あぶない!」と叫んだポルナレフの声に救われたのか承太郎はすんでのところで腕で頭部を庇うと再びその身を地面に委ねた。
「な……なんてことしやがる」
真っ先に承太郎の元へ駆け寄ったジョセフがそう言葉を漏らす。その傍らに膝をついたポルナレフもまた心配そうに承太郎の顔色を伺う。
そんなジョセフ達一行の気も知らず、高笑いをきめるダンは血のついた石を辺りに投げ捨てると悔しそうに歯を食いしばる承太郎の表情をみて更に笑みを深める。
(……どうすればいい?今の私に何ができるだろう?)
一方アゲハは一歩離れたところで承太郎を気遣いつつもそんなことばかり考えていた。しかしいくら考えても対抗策は出ずアゲハは降参だと辺りに助けを求めるように視線をさまよわせた。
するといきなり示し合わせたかのように花京院、ポルナレフ、ジョセフの三人がその場から逃げ去るように街の奥の方へと走り出した。
未だ地に肩をつけた承太郎と何も分からないままのアゲハは置いてきぼりだ。
「承太郎!帝!そいつをジョースターさんに近づけるなッ そいつからできるだけ遠くに離れるッ!」
走り去りながらもそう叫んだ花京院も前を走るジョセフとポルナレフに続いて段々と見えなくなっていく。アゲハは花京院達の考えにまだいまいちピンときていなかったが、いまは自分が承太郎を守らなければならないのだということだけは理解した。
「JOJO、手を貸すよ。立てる?」
アゲハがそう声をかけ、右手を差し出すと承太郎は無言のまま自身の血塗れの右手でそれを掴む。更に、立ち上がった承太郎の口元に付着した血液をハンカチで拭いてやれば彼はまだ無言のままだったが少しだけ纏っていたオーラが柔らかくなるのを感じた。
「ほう、なるほど。遠くへ離れればスタンドの力は消えてしまうと考えてのことか……だがな、物事というのは『短所』がすなわち『長所』となる。わたしのスタンド「恋人」は力が弱い分、一度体内へ入ったらどの「スタンド」より遠隔まで操作可能なのだ。何百キロもな……」
そう、呟くように顎に手を添え口の端を釣りあげたダンの言葉にアゲハは舌を巻いた。
射程距離が何百キロ単位ーーそうなればこの街を出ても……いや、パキスタン国境を飛び出し、ペルシャ湾を越えなければダンのスタンドからは逃げられないというのだ。当然そんな猶予はない。先程ダンが残り10分と言ってから既に時計の針は一周半を回っていた。
「おい承太郎!おめーに話してんだよ。なにすました顔して視線をさけてるんだよ、こっち見ろ!」
「……てめー、だんだん品が悪くなってきたな」
しかし承太郎は違った。ダンに胸ぐらを掴まれても激昂せず、しっかりと耳を傾けながらも慌てず凛とした態度を貫き、自身のスタンドの射程距離内に相手を留めていたのだ。もう先程までとは違う。アゲハはそんな承太郎の姿にほっと胸を撫で下ろした。
「きさま……ジョセフが死ぬまでこのわたしにつきまとうつもりか」
「ダンとかいったな。この「つけ」は必ず払ってもらうぜ」
ダンは承太郎の宣戦布告の言葉にまたもやニヤリと笑みを浮かべると胸ぐらを掴んでいた手をパッと離した。すると次の瞬間、承太郎の制服のポケットに手を差し込み中から貴重品類を抜き取り始めた。
「ククク……そういうつもりでつきまとうならもっと「借りとく」とするか……」
卑しい顔と手つきで財布の中身を確認したダンは所持金の少なさに「これしか持っていないのか」と悪態をつく。しかしそれ以上は特に口を出すことも無く奪取した財布とタグホイヤーの時計をズボンのポケットにしまうとダンはゆっくりとした動作でカラチの街を練り歩きはじめた。
(承太郎はもう冷静だ。きっと私の手助けなんてなくても彼なら大丈夫だったはず……だったらどうして花京院は私をこの場に残したのだろう?)
アゲハはほんの一瞬「足でまといだから?」と頭をよぎったがすぐにその考えを否定する。まさかそんな理由で私を連れて行ってくれなかったなんてことは……ないだろう。
(ーーだから今は『好機』を待つ!花京院達が意味もなく私を承太郎の元に置いていく訳が無いのだ。私じゃないと出来ないことがある筈なんだ)
先を歩くダンの後ろに、付かず離れずの距離の承太郎が続く。そんな承太郎に置いていかれないようにアゲハもまた歩みを早めると彼の隣に並んだ。