恋人 ②
「なんてことだッ! このバァさんはテメーらの仲間だろうッ!」
ポルナレフの当惑的な叫び声が辺りに響く。視線の先には先程まで安らかな顔で眠っていた老婆の変わり果てた姿があった。
「う……うそじゃDIO様がこのワシにこんなこと……するはずがない……」
エンヤ婆の顔には今も複数の触手が激しく暴れ回っている。血にまみれた彼女の体から飛び出ているのはスタンド攻撃ではなく本物の触手だと花京院は声を荒らげた。
「あの方がこのワシにこのようなことをする筈が……『肉の芽』を植え付けるはずが……DIO様はワシの生きがい……信頼し合っている」
エンヤの言葉に花京院とアゲハは同時に「肉の芽!?」と言葉を漏らす。花京院は目を見ひらきアゲハは自身の額に手を宛がった。
ポルナレフが「ばあさんッ!」と叫ぶと共にシルバーチャリオッツのレイピアでエンヤから出ていた触手を切り落とすと、それはカラチの太陽によって溶けた。その様子は触手がDIOの細胞である「肉の芽」であることをジョセフ達に知らしめるようだった。
「いかにも! よーく観察出来ました。それはDIO様の細胞「肉の芽」が成長したものだ……今、この私がエンヤ婆の体内で成長させたのだ」
今この私がーーという言葉にアゲハは疑問を覚え、右の瞼を痙攣させた。やけに自信たっぷりなムカツク顔にも何かしら理由がありそうだ。
(肉の芽はDIOの細胞でありそれは吸血鬼がもつものの筈……だけどダンは私たちと同じ人間。つまりエンヤを殺すのに何かしらのスタンド能力を使ったと考えるのが妥当だよね……。だけど彼がスタンドを使う素振りを見せた所もヴィジョンもちらりとも見えなかったッ!)
アゲハはアローンウィズ・メガロポリスで自身の半径五メートル範囲のサーモグラフを調べる。今のところ正常な体温の者は関係のない人物を除いて六人……一人は既に冷たくなってきている。
(ダンのヴィジョンを捉えるッ……これが出来るのは私だけだッ!私がみんなの役にたたなくちゃ! )
青い空に浮かぶのは大きな入道雲。整備されていないクレーの大きな通り、そしてその道の真ん中に往生しているジョセフ達……アゲハは最高の条件だと思った。
(こんな大きな通りでわざわざトラブルが起きてますよってところに入り込んでくる一般人はいないでしょう。アスファルトと違って土は熱の反射が少ないし……誤って辺りの温度に掻き消されてヴィジョンを見つけられないなんて事のないようにするには最高の条件は揃っているッ! )
アゲハは手のひらにスタンドの弾丸を創るとスカートのポケットに仕舞い込む。そしてダンとそのスタンドを追跡をするためにモニターへ着目した。
「エンヤ婆……あなたはDIO様にスタンドを教えたそうだがDIO様があなたのようちっぽけな存在の女に心を許すわけがないのだ それに気づいていなかったようだな」
ダンのエンヤ婆を侮辱し煽るような言葉にジョースター一行は苛立ちを覚え、顔を引き攣らせる。しかし当の本人であるエンヤ婆には言い返す余力もないのかただ身を震わせることしかしない。
「ばあさんっ! DIOのスタンドの正体を教えてくれッ! DIOという男に期待し信頼を寄せたのだろうがこれでヤツがあんたの考えていたような男ではないことがわかったろうッ! 」
そう声を荒らげ、エンヤ婆に駆け寄ったのはジョセフだった。満身創痍のエンヤ婆は身体を横たわらせながらただ荒い息を繰り返すだけ。
「わしはDIOを倒さねばならんッ! たのむッ言ってくれッ! 教えるんだァーーッ!! DIOのスタンドの性質を教えるんだァーーッ!!」
強く握りこぶしを作ったジョセフが捲し立てるようにエンヤ婆に詰め寄った。
そんなジョセフの熱意がエンヤ婆を動かしたのかは分からないが「D……DIO様……は」とゆっくりだが言葉を紡ぐ。ポルナレフの息を呑む音が何故だか大きく聞こえる。
エンヤ婆の言葉を聞き逃すまいとして耳を近づけるジョセフをアゲハはしっかりと目で捉えた。
「DIO様は……このわしを信頼してくれている、いえるか」
「ハッ!」
ガクンと完全に身体の力が抜け落ちたらしいエンヤ婆はそのまま二度と瞼を開けることはなかった。悔しいといった表情のジョセフは目をギュッと閉じ、歯を食いしばる。
そんな中アゲハは一瞬だけ見えたとても小さなヴィジョンに目を見張らせていた。それはほんの短い時間の下手すれば虫と見間違えたのかと勘違いするほどの大きさで、ジョセフとエンヤ婆の間に現れ消えたのだ。
ジョセフ達がエンヤ婆の恐ろしいほどの忠誠心に愕然としているとこちらを嘲笑う耳障りな声が鼓膜を震わせた。
「くっくっくっ悲しいな……くくっ……どこまでも悲しすぎるばあさんだ。だがここまで信頼されているというのもDIO様の魔の魅力のすごさでもあるがな……」
振り返った先には店先のテーブル席に腰掛け、余裕そうな顔をしたダンがいつの間にか頼んでいた飲み物を口にしていた。エンヤ婆の遺体からゆっくり離れたジョセフ達は無防備なダンを取り囲む。
「オレはエンヤ婆に対しては妹との因縁もあって複雑な気分だが てめーは殺す」
「私、貴方みたいな人が一番嫌い……絶対に許さないから」
「五対一だが躊躇しない 覚悟して貰おう」
上からポルナレフ、アゲハ、花京院がダンへ言葉をぶつける。ジョセフは何もいうことはなかったが強い意志を瞳に込めながらダンを見つめている。
「立ちな」
承太郎の言葉に対してダンはカップをソーサーに音を立てながら戻すことで返す。その表情はやはり余裕綽々といった様子だった。
「おいタコ!カッコつけて余裕こいたふりすんじゃねぇ……てめーがかかってこなくてもやるぜ」
「どうぞ、だが君たちはこの「鋼入りのダン」に指一本触ることはできない 」
一同はダンのその自信は一体どこから来るのかと眉をひそめたが、次の瞬間スタープラチナが彼を殴り飛ばしたことでそれを緩めた。
しかし、それとほぼ同時にジョセフがダンと同じように吹き飛ばされたのだ。ダンは店の扉にめり込みジョセフは道路側に飛ばされた。
「このバカが……まだ説明は途中だ。もう少しで貴様は自分の祖父を殺すところだった……いいか……このわたしがエンヤ婆を殺すためだけに君らの前に顔を出すと思うのか……」
殴られたことにより吐血したのだろうダンは口の中に溜まった血をうがい薬を吐き出すようにして出すと、ゆっくりとした動作で立ち上がる。
「き……きさま「恋人」のカードのスタンドとかいったな……い、いったい何だそれは!? 」
「もうすでに……戦いは始まっているのですよミスター・ジョースター」
ダンの言葉で一斉に辺りを警戒し見渡し始めるジョセフ達。アゲハはダンの勝ち誇った顔を見るやいなやハッとして声を荒らげた。
「私、あの男のヴィジョンを見たかも……とても小さかった……だけどっ、一瞬だけ姿を見せてすぐに消えちゃったんだ……」
「消えただと!? 」
「エンヤが死ぬ瞬間、ジョースターさんとの間に現れてすぐに消えてしまったのッ!」
モニター越しのアゲハの瞳は怒りの炎に燃えていた。自分は見えていたというのに止めることが出来なかった……と、自責の念にかられていたのだ。
「ふん……今さがしてもわたしのスタンドはすぐに見えはしないよ。……おい小僧、駄賃をやる。そのほうきの柄でわたしの足を殴れ」
ピラッと親指と人差し指で紙幣をつまんだダンは近くで掃除をしていた少年にそれを見せつける。
しかし少年は意図が掴めなかったのか困った顔をする……が、ダンが叱りつけるように大きな声で再び催促すると少年はほうきを思い切り振りかぶりダンの足を柄で殴りつけた。
そうして「ダンが殴られた」というのにジョセフも痛みに声を上げる。ジョセフ自身も含め皆何が起きているのかといった顔をせざるを得ない。
「気が付かなかったのかジョセフ・ジョースター わたしのスタンドは体内に入り込むスタンド! そこの小娘には見つかっていたようだがしかし!耳からあなたの脳の奥に潜り込んでいったことには誰も気づいていないだろう? 」
アゲハは思わずジョセフの方へ視線を向ける。しかしアローンウィズ・メガロポリスではジョセフの体内に入っていった小さなスタンドヴィジョンを捉えることは出来そうもない。
「つまり「スタンド」と「本体」は一心同体! 「スタンド」を傷つければ本体も傷つく! 逆もまた然り!! このわたしを少しでも傷つけてみろッ! 同時に脳内でわたしのスタンドが痛みや苦しみに反応して暴れるのだ! 同じ場所を数倍の痛みにしてお返しするッ もういちど言う! きさまらはこのわたしに指一本触れることはできぬ! 」
ジョセフは思わず両手で頬を覆うと不安げな声を上げる。承太郎達はそんなジョセフを心配するようにして見つめ、脳内を蝕む「恋人」をどうするものかと険しい顔を浮かべた。
「しかも「恋人」はDIO様の肉の芽をもって入った! 脳内で育てているぞ! エンヤ婆のように内面から食い破られて死ぬのだ!! 」
そんな険悪な雰囲気をぶち壊したのは先程ダンを殴った少年だった。少年は「へへ」と笑いながら再びほうきの柄でダンの足を殴ったのだ。当然ながらジョセフは痛みで声を上げる。
少年は恐らく殴れば殴るほど駄賃をくれると思ったのだろう、ニッコリと期待した顔でダンを見ていた。
「いつ二回殴っていいといった……? このガキが……」
怒りに目を見開いたダンは躊躇なく少年をグーで殴りぬける。
恐怖からか逃げ出した少年の涙を視界の端で捉えたアゲハはそれでもダンから視線を外すことはなかった。