正義 ⑤
「ポルナレフのやつを探しているんだがな 知らねーかな」
横柄な態度でそう言い放った承太郎は目の前で同様を隠しきれずに汗を垂らしたエンヤ婆に鋭い視線を向けた。
対するエンヤ婆も先程の承太郎の問いかけが自身への詮索であることに気がついていた。無理してとぼけたりすると逆に疑ってかかってくるだろうと考えたエンヤ婆は、あえて本当のことを伝え、背を向けた承太郎に襲いかかってしまおうと結論付けた。
「ええ知ってますとも ポルナレフさんなら どこにいるか よーく知っていますよ 承太郎さん」
そうと決まればーーと、エンヤ婆は早速作戦実行のために人当たりの良い笑みを浮かべ承太郎の方へ向き直る。親しげに身振り手振りも交えて言葉を発する彼女は先程までポルナレフを痛めつけていた人物と同一人物だとはとても思えないほど和やかだった。
「トイレでしゅよォ 今 会いました トイレにいましゅよ 承太郎さん」
目元を細めたエンヤ婆はそう言うと右手で奥に見える扉を指し示した。当然その扉の向こうではたくさんの骸たちに取り押さえられ身動きを取れずにいるポルナレフとホル・ホース……そしてアゲハがいた。
奥で倒れているポルナレフが承太郎の訪問に気づき、エンヤ婆がスタンド使いの刺客であることを伝えようと口を動かすも『正義(ジャスティス)』の能力により無力化され「うぐうぐ」と声にならない声を上げることしか出来ず、向こうの部屋にはちっとも届かない。
「……なんだ トイレか。トイレはこの扉の奥か」
ポルナレフの願い叶わず単身奥の部屋に誘われてしまう承太郎。エンヤ婆は承太郎の問いに元気よく肯定の言葉を発すると彼の視線が扉に向けられると同時に隠していたハサミを手に持ちかまえる。
「……トイレはそのドアを入って……廊下の一番奥のドアですじゃよォォォォ」
扉の方へ足を進める承太郎の背中は無防備で、後ろで凶悪な顔を浮かべ距離を詰めるエンヤ婆にはまるで気がついていないようだった。そして遂に承太郎がドアノブに手をかけた時、持っていたハサミを勢いよく振り上げたエンヤ婆が承太郎の大きな背中に目掛けて飛び込んでいく。
「そうだ 思い出した ひとつ聞き忘れたが バアさんよ」
そう言った承太郎はエンヤ婆の足を払うと自身の行動のせいで盛大に転んでしまった彼女を一目見て「ん?」と心底不思議そうに声をあげる。
「あっあっ……危ねぇッ! 」
「おお〜 ほんとに危ねぇなあ ハサミなんて持って転ぶとは。大事故にならなくてよかったぜ。よかったよかった」
エンヤ婆は含みを持たせた承太郎の言葉に汗をたらりと流すと床に刺さったハサミを抜くことも彼に視線を合わせることも出来ずにただ床をじっと見つめる。
「……ころんだままですまねーが質問を続けさせてくれ。今どうしてオレの名を「承太郎」と呼んだ? 一度も名乗ってないし誰もおれの名をあんたの前で呼んでないのによ。それをききてえんだ」
さらに続く承太郎の尋問にエンヤ婆は思い切り顔を上げるとその脂汗にまみれた顔を向ける。
「なあ答えてくれ。子供の頃「刑事コロンボ」が好きだったせいか細かいことが気になると夜も眠れねえ」
学帽のツバの影で承太郎はそのブルーの瞳を見開きエンヤ婆を見つめた。彼の鋭い視線から逃れるようにしてわざとらしくむせたエンヤ婆は右手で口元を抑え右手でひらひらと手を振る。
「な……なにを疑っているんですかァ 「宿帳」ですよぉ〜っ 宿帳にさっきひとりずつ自分の名をお書きになったじゃあありませぬか〜 『ジョセフ・ジョースター』さん『J・P・ポルナレフ』さん『花京院典明』さん『帝アゲハ』さん『空条承太郎』ってねぇええ〜っ」
「ほう……宿帳ってもしかすると これのことか」
「あっ」
エンヤ婆は何とか言いくるめられたと思ったが束の間、ゴソゴソと懐を探った承太郎が突き出してきたのは「宿帳」だった。
そして承太郎が指し示したページに書かれていたのはジョセフたち一行の記入したサインーーしかしそれを順当に見ていくと『ジョセフ・ジョースター』『J・P・ポルナレフ』『花京院典明』『帝アゲハ』……『空条Q太郎』
完全に理解したエンヤ婆は目を見開く、それを見た承太郎は宿帳をそこらに放り投げさらに追及を続けていく。
「どこにも「承太郎」なんてかいてねーぜ。最初にあった時「ジョースター」と呼んだ時から怪しいと思っていたのさ。みんなにもおれの名は呼ぶなと言っておいた……だのに知っているってことはーー とぼけてんじゃねえ、もうスタンド使いの追手ということがバレてんだよ ババア」
最後まで言い切った承太郎の視線の先では先ほどとは変わり、柔和な笑みを浮かべた老婆の姿などはなかった。殺気を顕にしたエンヤ婆は静かに右手を床につきながら承太郎へ視線をぶつける。
「さあ どうした あんたの「スタンド」を見せてこないのか」
口の端をゆるく釣りあげた承太郎が一向に動かないエンヤ婆に向けて挑発の意を含んだ言葉を浴びせたーーちょうどその時だった、彼の背後にある奥の部屋の扉が勢いよく開き中に潜んでいた死骸達が一斉に襲いかかってきたのだ。
しかし飛び込んできた死骸たちを見て承太郎は動揺する訳でもなくただ一見すると鼻を鳴らし、恐ろしいほどのパワーとスピード、正確さを持つ自らのスタンド『星の白金』でひとりずつ殴り飛ばした。スタープラチナによって殴り飛ばされた骸たちによって宿の窓硝子が砕け、大きな音が辺りに響き渡る。
「ケケケケケ ケケ ケケケ ケケ」
しかしそれを凌ぐほどの声量を上げたエンヤ婆は愉快そうに承太郎を指さし笑い続ける。その様子にあたりを警戒する承太郎が足元にくっついた赤ん坊の骸に気づくがあとの祭り、身体中穴だらけの赤ん坊の不気味すぎるほど長い舌が彼の膝を貫いてしまっていた。
「ぎゃはははははーーっ! わしのスタンド「正義(ジャスティス)」は勝つ! ほんの一箇所でいいのさっ ほんのちょっぴりでいいのさッ 術中にはまったんだよ! 承太郎ッ! 」
赤ん坊により傷つけられた左膝から承太郎の血が宙へ霧のように舞ってゆく。
ズルズルと床を這うような音に承太郎が音の鳴るほうへ視線を向けると不意に奥の部屋から「うぐっうぐぐっ」と舌に穴が開き上手く喋れないなりに承太郎の身を案じるようにして手を伸ばしたポルナレフが現れた。その傍らには意識を失っているアゲハと、それを抱きとめるホル・ホースの姿もある。
「ポルナレフ!! アゲハ!! 」
「承太郎! おれだ ホル・ホースだ! そのエンヤ婆のスタンドは「霧」のスタンド! 刺されたその傷はおれのように穴があいて霧に操られるぞッ! 死体でさえも自由に動かせるんだ……」
ホル・ホースの言葉を聞いた承太郎は早く決着を付けようと急いだのかスタープラチナでジャスティスのヴィジョンを何度か殴る。しかし効果はないようでスカスカとその拳はジャスティスの霧の体をすり抜けてしまう。
「ケケケーッ 拳で霧がはったおせるかッ! 剣で霧が切れるかッ! 銃で霧を破壊できるかッ! 無駄じゃ無駄じゃ きゃきゃケケーッ てめーらにゃあ なぁ〜んもできんよォ〜」
そうしている間にも承太郎の血は延々と吹き出し続けている。このままではそう遠くないうちに彼も操られてしまう。
「さっ 最強最大のスタンドだ…… とてもおれたちのちっぽけなスタンドじゃあかなわない…… こ……この「スタンド」にかなうものはない……」
「ほいほい もっと言え もっと言ええ〜 そういうセリフはもっと言いなさいじゃ ケケケ さあ承太郎 てめーも操ってくれる」
「にっ……逃げろ承太郎! 足に穴が開くぞッ! 」
エンヤ婆のスタンドの射程距離がどこまであるのかは分からないが、今すぐとにかくどこかへ逃げなければ承太郎も間違いなく操られてしまう!とポルナレフは叫ぶ。
「や〜れやれだぜ 逃げる必要はないな…… そのバアさんがあと一回呼吸する内にその「スタンド」は倒す」
人差し指をピンッと立てた承太郎はエンヤ婆に向けてそう言い放つ。彼の傍で倒れ込むポルナレフ達も訳が分からないといった表情を浮べている。
「なあにィ あと一回なにをするだって〜〜 この ドグサレ スカタン野郎が〜〜!! 一回呼吸する間にだとォ〜 すぐにしてや…… …… 一回…… ぐっ ただの 一回…… ……」
エンヤ婆は声を詰まらせた……いや、声が詰まってしまった。そして息も。
何故か呼吸の出来ない状況にエンヤ婆は顔を真っ赤に染め上げ焦りから顔中に汗を流し始めた。どうにかして体に空気を取り込もうと意味もなく右手を上下に振り下ろしたり、顎を無理矢理抑え口呼吸をしようと抵抗をみせる。
「あっ」
驚いた声を上げたのはホル・ホース。彼に釣られるようにして隣にいるポルナレフもあんぐりと口を開ける。彼らの視線の先にはスタープラチナがジャスティスを吸い込んでいる姿がちった。
「承太郎の「スタープラチナ」が霧の「正義」の頭を吸い込んで押さえつけているッ! これでは呼吸が出来ないぜッ! 」
「や……や……やめて……く……くる 」
そうしてエンヤ婆は呼吸を止められ、泡を吹いてその場に倒れた。近づいた承太郎が息があるか確認するとただ意識を失っただけのようで荒々しく胸を上下させているのが確認できた。
「ふむ どれ これでこのバアさんの頭の中にも大好きな霧がかかったようだな」
決着が着いたことに承太郎は薄く安息の表情を浮かべた。エンヤ婆のスタンド能力が解除され、ポルナレフの舌にあいた穴やホル・ホースの右腕の穴も塞がっていく。
「おいッ アゲハ! 目ェ覚ませよ……ッ! 」
「ポルナレフ! テメェつよくゆさぶるんじゃあねーッ あぶねーだろーが!!」
今だ横たわったまま意識を取り戻さないアゲハは傍から見るとただ寝ているだけとも感じられる。しかし額には汗を浮かべ、それでいて顔は青白い。
ふと、何かに気づいたのか承太郎がアゲハのキツく握られた手のひらをこじ開ける。そしてそこに握られていたのは一つの弾丸だった。
「この弾丸の形……普段あいつの使っている銃のものじゃあないな」
「なにっ!? じゃあこの弾丸は一体なんの為に……」
突然現れたの金色の弾丸にポルナレフと承太郎は頭を捻る。そんな中、今まで黙りコケていたホル・ホースの「ま……まさか」という震え気味の声が沈黙を破った。
「俺の予備の銃の弾丸……なのか……? 少し前に一度見せたきりでマガジンの中や弾丸の形なんかも見せたことなんかなかった筈なのに……」
「!」
ホル・ホースは素早く腰元のホルスターから予備のピストルを抜くと弾倉を開き装填する……そしてそれは見事に一致した。
「撃つぜ……ッ アゲハ! 」
辺り一面に凄まじい発砲音が響き、次に薬莢が地面に落ちて高い音が鳴る。アゲハに向けて放たれた弾丸は見事に彼女の右肩に被弾し、銃創をつくることなく体内に侵入した。