正義 ④
エンヤ婆によって孤立無援となってしまったポルナレフは大勢の形骸に囲まれ窮地に陥っていた。操られている形骸は常人よりも数十倍程長い舌をヒョロヒョロとぶら下げている。
「ほんのちょいと体を傷つけるだけで良いのじゃッほんのチョイト! あとはわしのスタンド「正義(ジャスティス)」が殺してくれるわ! 」
飛びかかれィ!とエンヤ婆が叫ぶと同時に複数の屍人がポルナレフに襲いかかる。
彼は相手していてはキリがないと察しとったのか百八十度体を回転させると脱兎のごとく逃げ出した。
「うわああーーポルナレフ! おれを放っておかないでくれーっ」
「やかましいッ!ホル・ホース! てめーアヴドゥルのこと忘れてんじゃねーのかッ! そこで死ねッ てめーわ! 」
縋るように左手を向け伸ばすホル・ホース、それでも助ける義理は無いとポルナレフは逃げる足を緩めることは無かった。
「アゲハだッ! アゲハが今どこにいるか教えてやるからよォーーッ」
一瞬歩を止めたポルナレフはホル・ホースの目を見つめる。そしてすぐに伸ばされていた左手を掴むとそのまま引き摺りながら再び走り出した。
「キイイィィ!! エェェェエーッ! 」
しかしそんなポルナレフをおいそれと逃がすエンヤ婆ではなかった!まるで歳を感じさせないフォームとスピードで追いかけてくるエンヤ婆にポルナレフは悲鳴をあげた。
「くらえッ」と声を張り上げたエンヤ婆は奥の部屋へ向かう為直線上を走るポルナレフの背中に向け勢い良くハサミを投げつけた。
それを間一髪のところで助けたのはホル・ホースのスタンドだった。『皇帝』の弾丸に弾かれたハサミは軌道を変え狙いとはかけ離れた床に深く刺さった。
「奥の部屋へ逃げ込みやがった!追えッ!追えッ! ドアをブチ破るんじゃッ! 」
怒るエンヤ婆の怒号が響く中、扉一枚隔てた部屋で息を切らしたポルナレフはイスをつっかえ棒のようにしてドアノブを固定させると一度深く息を吸って吐いた。
「なんてこったッ! おいポルナレフ! ここには地下室におりていく通路しかねェじゃあねえか!」
「うるせーッ文句言うな! そんなことよりあいつはどうしたんだよッ! 知ってることを全部言えッ!」
「うっ……そ それは」
口篭ってしまったホル・ホースの胸ぐらを掴み顔を近づけるポルナレフ。数秒見つめあった後沈黙とプレッシャーに耐えられなかったのかホル・ホースは顔中に脂汗を噴出しながらその重たい口を開いた。
「アゲハは……もうすでにやられちまった……合計七発も撃たれたんだ もう助からねー」
「なにっ……ッ」
驚きのあまり掴んでいた手を離したポルナレフは咳き込むホル・ホースに目もくれず呆然としていた。
(アゲハが死んだ……? 体調を悪くして意識を失ったまま抵抗することも出来ないうちに……殺されたのか?)
ポルナレフは抵抗も出来ないまま辱めを受けながら殺された自身の妹の事をフラッシュバックした。そして今回は近くにいたのに助けられなかったことを深く後悔し、グッと歯を食いしばった。
しかしエンヤ婆は後悔したりそんなことを思う程悠長な時間を与えてはくれなかったーー部屋同士を繋ぐ扉の蝶番が音を立てて壊れ始めたのだ。
「ポルナレフ! 来るぞッ!」
「ち……ちくしょうっ……オレはこの部屋に隠れる!てめーはそっちに隠れろ!」
急いでポルナレフとホル・ホースが別々の部屋に隠れたと同時にドアを破った音が響き渡る。いまだ気持ちの整理が不十分のままだがポルナレフは戦うしかないと覚悟を決めた。
そうしているうちに隣の部屋ーーホル・ホースが隠れていた部屋のドアを破った音と悲鳴ががポルナレフの耳に聞こえた。このドアも破られるのは時間の問題だ。
焦りから大量の汗を流したポルナレフは自身の隠れている部屋を見渡したーー急ぎで隠れたものだからここがどんな部屋かもわからなかったからだ。
そこはトイレだった……それもポルナレフが嫌だと公言していたフィンガーウォシュレットの。
内心どうしていつも便所のような所で襲われるのだろうかと気を取り乱したポルナレフだったが、すぐにスタンドを出すと警戒を怠らないようにドアを睨みつけた。
しかしそんなポルナレフの気持ちとは裏腹にあたりは急に静まり返ってしまった。いくら聞き耳を立てても物音ひとつ聞こえないことにポルナレフは逆に不気味に感じゴクリと唾を飲む。
「ポルナレフゥ……痛いよォ……助けてよォ……」
「ーーッ!?」
この静寂を最初に破ったのは女の声ーー正確に言えばアゲハの声だった。ポルナレフは思わず声を出してしまいそうになったが手で口を塞ぐことでなんとかやり過ごした。
(落ち着け……さっきホル・ホースの野郎が言った通りならあいつはすでに体に傷を負っている筈だ!……ならこの声はアゲハの本心じゃあねー……操られて無理やり言わされているんだろう)
ポルナレフが考えている間もアゲハの助けを求める声と、スニーカーが石造りの床をすり足で歩く音が絶えず聞こえる。
暗い個室の中、ポルナレフは鍵穴から差し込む明るい光に目をやった……少しだけ、外の様子を見てみようか。
少しだけ前かがみになったポルナレフは音を立てないように扉に手を当てると膝を折り畳み鍵穴と目線を合わせる。
外の光がちょうどポルナレフの銀色の瞳にぶつかった時ーー同時に外からこちらを覗いていた屍人とも視線がぶつかった。
そこからはもう一瞬のことだった。鍵穴を覗いていた死体はそこから舌を伸ばし驚き声を上げ体を逸らしたポルナレフのベロを刺した。
「しっ……しまったッ! 舌を刺されたッ!」
みるみるうちに舌の傷から流れた血は重力に逆らい空気中に舞っていく。そして次の瞬間にはポルナレフの舌に大きな穴が空いた。
そんなポルナレフの隠れる部屋の前では、彼の「あひィーッ!」という情けない声を聞いたエンヤ婆がとても嬉しそうに飛び跳ね声を上げていた。
「ついに我がスタンド『正義』の術中に落ちたなッ! この腐れガキャーッ!! 」
ところ変わって部屋の中にいるポルナレフは舌を軸に体を引っ張られる感覚に動揺しつつも抗えず扉に強く頬をぶつけてしまっている。
「そおら自分でドアを開けて出てこないと……そのまま顔を叩き潰してくれるよッこのタコがーーーッ! 」
ポルナレフは懸命に扉から離れようと腕に力を込めるが無駄、耐えきれなくなったポルナレフは内鍵を外すとそのまま勢いよく飛び出し床に伏した。
エンヤ婆の指示によりその場にいる死体達の笑い声があたりに広がる……その傍らには大量の死体に取り押さえられたホル・ホースと地面に突っ伏したアゲハの姿があった。
仰向けで顔色がわからないがぐったりとしているアゲハの方へポルナレフはぐっと手を伸ばすが不意にグンっと舌を起点に上方向に体を引っ張られ彼女に触れることは叶わなかった。
持ち上げられたポルナレフは天井に舌で張り付き足は宙ぶらりんだ。自身の体重を舌だけで支えている彼は汗を流しながらあたりに漂う濃い霧とエンヤ婆のスタンドに目をやった。
「みじめよのォ〜ポルナレフ ものすごくみじめじゃぞ! ケケケケケ」
「正義」が人差し指を下にむけるだけでポルナレフは天井から剥がされ短く悲鳴を上げるとほぼ同時に一気に硬い石造りの床に叩きつけられ、かなりの衝撃に苦しそうな声をあげた。
「じゃがな! わしの息子のJ・ガイルはきさまに卑怯なことをされてもっとみじめで悲しい気持ちで死んでいったのじゃ! 」
殺された息子のことを鮮明に思い出したのか声を荒らげるエンヤ婆は地面に転がったポルナレフの先に便所があることに目をつける。そこは先程までポルナレフが隠れていた個室だった。
「どお〜〜れ! 便所掃除でもしてもらおうかのォ……」
ポルナレフはエンヤ婆の言葉と体の引っ張られる方向で全てを察し叫び声をあげる。
「なめるように便器を綺麗にするんじゃ! な め る よ う に ! ……ぬアァアめるようによオォオオオにィィィだよん」
レロレロレロと自身の舌をポルナレフに見せるように動かすエンヤ婆の興奮のボルテージはマックスだ。
対するポルナレフはついに便器の元へと顔を寄せられ「おっ おおっ」と嘔吐いていた。それでも強制的に便器へ顔を寄せてしまい彼はついに涙を流した。
(そ それだけは それだけは! だずげでーーッ)
承太郎は宿泊する部屋から一階ロビーに降りると乱雑に投げ捨てられたひとつの鞄を手に取った。ベージュ色のその肩掛け鞄はアゲハが愛用しているもので、先に一階に降りたポルナレフが着替えを詰め込んでいたはずのものだった。
承太郎はその鞄を片手に持つと同時に重圧感を醸し出す大きめの扉を蹴り開けた。ほんの短い時間だったがビィィインと扉が振動し大きな音を奏でる。振動が終わると同時に承太郎は顔を上げ、エンヤ婆は息を荒らげながら奥の部屋から出てきた。
「な……なんですじゃ……いきなりノックもせんで入ってきてなんの用ですじゃ? びっくりしますじゃ……」
何か焦っているような怪しさ満点の様子のエンヤ婆は困ったような笑みを浮かべながら顔中に汗を噴き出している。
「ポルナレフのやつを探しに来たんだ……今ノックと言ったのか? ノックはしたぜ なにかに夢中になりすぎて聞こえなかったのと違うか……ばあさんよ」
承太郎のハッタリに視線の先にいる老婆はまたひとつ汗を流した。