正義 ③
時間は少し遡ってーージョセフ達はホテルに到着するとすぐにエンヤ婆によって部屋に案内された。
外に蔓延していた霧はホテルの内部にまで入り込んでいる。こう言っては失礼だが不気味な雰囲気を醸し出していた。
「大雑把だなあ。ひとつの部屋にベッドが五つもついていやがる」
無理矢理押し込められたように並ぶベッドにポルナレフは悪態をつく。日本のホテルでは多くても三つぐらいなものだと花京院もうなづいた。
「ふむ……アゲハの分は部屋を別にとってやるか 体調も悪いようだしのォ」
「それがいいでしょうね」
廊下にいたエンヤ婆にジョセフは隣の部屋の鍵もくれと告げると彼女は笑顔で隣の部屋の鍵を渡す。エンヤ婆はいくつか施設の説明をするとそれではと言って長い階段を降りていってしまった。
「もう一部屋はツインか……帝は今万全な状態ではないし誰かと同室にするのはどうでしょう」
花京院のその提案にジョセフとポルナレフは顔を見合わせるとニヤニヤと笑みを浮かべ始めた。花京院は自分の発言がおかしかっただろうかと承太郎の方へ視線をむけるが彼は帽子を深く被ったまま何か考え事をしているようで反応は期待できそうもない。
「オホン! オホン! 花京院ッ! もっとハッキリ言ってもいいんだぜェ〜〜? ダレとダレが同室になるってェ?」
「ダレとダレって……この中の誰かと帝のことだが……」
「シンガポールでの時からそうだろうなァとは思っとったんじゃ!花京院も隅に置けんなあ」
生き生きとしたテンションのジョセフとポルナレフに花京院は何を言っているのかと頭を捻った。そして彼らのからかうような発言が当てはまるひとつの答えが導き出された……ジョセフとポルナレフは花京院がアゲハと同室になりたいといっていると思っているのだ。
「そんなんじゃありませんよ!ふたりとも! 一体どこからそんな考えが……」
「オレは知ってるんだぜ花京院! 昨日二人で夜密会してただろ」
「それはただ二人でアイスを買いに行っただけだろう! 」
そんなギャーギャー騒ぐ三人を鎮めさせたのはひとり考え事をしていた承太郎だった。
パキスタン国境近くで家出少女とジョセフたちに向けて放った怒声と同じものが再び放たれたのだ。
「やかましいぜッおまえら……あいつの同室の件なら言い出しっぺのじじいがやんな……」
承太郎に叱られた三人は皆顔が萎んでしまった。そして結局アゲハと同室になるのは最初に部屋を別にすると言ったジョセフに決まったのだった。
ジョセフ達の荷物を隣の部屋に置いてきた後、大量に汗をかいていたアゲハのことを考えたポルナレフは彼女の衣類のはいった鞄を持ってエンヤ婆が看護をしているという部屋に向かおうとドアノブに手をかけた。
その時、不意に声をあげた承太郎は手に持った本を勢いよく閉じて皆に振り返った。
「ところでだが……みんなにひとつ頼みたいことがある」
ポルナレフが宿泊する部屋を出て、いくらか階段を降りた時だった。ガラガラと物か倒れる音が辺りに響いたのだ。
ロビー奥の部屋……アゲハがエンヤ婆に看護を受けている部屋の方から聞こえた物音にポルナレフは急いで階段を降り向かった。
「ばあさん! そこにいるのか? 何か崩れるような音がしたがどうかしたのか? 」
部屋に入る前に声をかけ、石壁をノックしたにも関わらず返事がないことにポルナレフは疑問を覚えた。ホテルの支配人である老婆は高齢だったため、先程の物音で何か怪我をしてしまったのではないかと考えたからだ。
そして部屋に入ったポルナレフを待っていたのは灰皿やソファーと共に床に転がっていたエンヤ婆の姿。心配したポルナレフはアゲハの荷物を入口にほっぽるとすぐさまエンヤ婆に駆け寄る。
「ちょいところんで腰を打っただけですじゃ、かまわんでくだしゃれ! 」
「ころんだあ〜〜? 右手はヤケドするし本当そそっかしいんだなあ〜〜」
エンヤ婆は心の内を完全にかき消してポルナレフに人当たりのいい笑顔を見せる。そしてそんなポルナレフの肩越しにみえるホル・ホースの死体に目を見開いた。
次の瞬間赤い絨毯に付着したホル・ホースの血液は次第にあとかたもなく消え、その遺体はズルズルと床をはいながらひとりでにソファーの下へと動いて行った。
なんとか死体を隠すことができ安堵したのもつかの間、ポルナレフはホル・ホースの死体のあった後方を振り向いた。エンヤ婆は一瞬息を止めたがポルナレフが杖をとってくれただけだというのに気づくとすぐに年老いたホテルのおかみ役に転じる。
「……女でひとりでこのホテルをきりもりしているのかい? 他に家族はいねーのかい? 息子さんとかよォ! 」
悪気はないし、当然エンヤ婆が自身の殺したJ・ガイルの母親だということも知らないポルナレフは悪意なくそう口にした。
それでも許せないエンヤ婆は気持ちを抑えきれず唸るような声を上げる。
「ン……? 今なんていったんだい」
「い……いや……もうひとり暮らしになれましたよってのォ〜」
恨みの篭もった表情を見せる訳にはいかないとエンヤ婆はポルナレフから顔を逸らした。それでも犯意無きポルナレフの言葉の追い打ちは続く。
「でも心細いだろう? たとえば息子さんと嫁がいてよ あんたの孫なんかがこのロビーなんかでキャッキャと騒ぎまくるんだ……ちょいとうるせえけど家族っていいよな〜〜」
何度も言うが決してポルナレフは意地悪な気持ちでエンヤ婆にこんなことを言っているのではない……それでも彼は彼女の確信に着く言葉を紡ぎ続ける。
「子供がいるとしたらおれより年上かなあ……どうしたんだい? 大都会にでも出てっちまったのかい? 」
エンヤ婆の体は怒りからかブルブルと震えた。口走って
「てめーに殺されたんだよォ クキィーチクショー」と心に秘めたことを言ってしまわないように震える手で自身の口元を抑える。
「い……いえ……死にましたのじゃ……」
「え……す、すまねえ……そいつは悪いこと聞いちまったかなあ」
震えるエンヤ婆の肩を見て、ポルナレフは悲しみのあまり身をふるわせているのだと思うと、元気づけるためか彼女をソファーに座らせ肩もみを始めた。悲しい目をして、同情心に満ちた瞳はエンヤ婆を優しく見つめている。
「おれもひとりぼっちの身でよ、小さい時母親を亡くしたんだ……思い出すなあ……母さんをよ……」
くどい様だが最後にポルナレフの名誉のためにもう一度言わせてほしい。彼は決して異種遺恨があってエンヤ婆に対して言葉をぶつけているわけではない。ただ本当に偶然、彼女の怒りに触れるようなことばかりを口走ってしまっているのだ。
「ひとつ今夜はこのおれを息子の代わりと思って甘えていいぜ〜〜」
ポルナレフはエンヤ婆の耳元で甘く囁くようにして言った。幾度に渡る確信をつくポルナレフの言葉にエンヤ婆はついに怒りの顔を顕する。
そして右手に構えられたハサミを今すぐにでもポルナレフに突き刺さんとした所で後方から男のうめき声が聞こえ、エンヤ婆の怒りのボルテージは一度リセットされた。完全に息の根を止めたと思っていたが、どうやら生きていたらしい。
「う う う あ あっ あっ ゴホッ ゴホッ」
「な……なんだこいつは!? 」
振り向いた先にいたのはソファーの下から這い出てきたホル・ホースだった。彼は口腔内から出血していて息も絶え絶えといった様子だ。
「……あっ そっ……その面はッ!! 」
「ポ ポルナレフ……う……うしろ……うしろ だ」
「てめーはホル・ホースッ! 」
そしてホル・ホースに気を取られているポルナレフを背後から狙うはエンヤ婆。
だがなんとか、ホル・ホースの助言もあり、すぐにポルナレフはエンヤ婆のハサミをもつ右手を抑え傷を負わずにすんだ。
「なっなにをするッ! 」
「おだまりィ! あたしゃーてめーになぶり殺されたJ・ガイルの母親だよッーッ」
ポルナレフは思わず「ゲッ」と言葉を漏らした。J・ガイルの母親ということはアゲハから聞いた通りならスタンド使いだったからだ。
エンヤ婆は少しでもポルナレフの体に傷をつけてやろうとなんども激しくハサミを突き出した。
「息子を死に追いやった者は全員なぶり殺しじゃッ! キイイイイィーーッ」
しかしそのような原始的な攻撃方法ではポルナレフのスタンド……シルバー・チャリオッツに防げないわけがない。
「じょッ ジョースターさんッ! 」
だが相手がどんなスタンド能力を持っているのかも分からない以上、ひとりで相手をするのは得策ではないだろうとポルナレフはロビーの方へ向けて大きな声でジョセフの名前を呼んだ。今はとにかく部屋に戻って彼等に知らせなくてはーー。
「フン! もう遅い……他の三人に知らせることは出来なくなっているんじゃよッ! なぜならッ! よびよせていたのさァッ! 」
エンヤ婆の言葉と共に開け放たれていたロビーへの扉にびっしりと人影が現れる。無愛想なレストランの男や赤ん坊を抱いたニキビの女など、そこにいたのは町の人々だった。住人達が部屋に入り終えると勢いよく部屋とロビーを繋ぐ扉が重たい音を立てて閉まる。
そんななかでポルナレフは驚くものを見て思わずソレを指さした。ポルナレフの視線の先にいたのは先程彼らが死亡を確認した男だったからだ。
「お……おめーは……さっき死んでた……町に着いたばかりの時に死んでいた……インドの旅人ッ」
どういう原理かは分からないが死体が動いているのだと分かったポルナレフは声を上げる。そこにいたのは人間だけでなく、深々く体が貫通するほど鉄棒が刺さった犬の姿もあった。
「これがあたしの『スタンド(正義)』の能力! 『スタンド』は一人一体じゃ! しかし! 「正義」は死体を操る「霧のスタンド」じゃ! 百人だろうと千人だろうと操れるのじゃあ! ヒャハハハヒャヒャヒャ! 」
愉快そうに笑うエンヤ婆の後ろには髑髏の形をしたスタンドのヴィジョンが禍々しい形相を浮かべている。
「町中に……殺されるぞ……そ、それに……怪我をするとこうなるぜ……ポルナレフ」
ホル・ホースはそう言うとエンヤ婆に刺された右腕をポルナレフへ見せた。
「さ……逆恨みもはなはたしいぜッ!! こんな性格のねじ曲がった「スタンド使い」の追手だったとはッ! 」