正義 ①
ひょんなことから同行していた家出少女を香港へ見送ったジョースター一行は、先を急ぐ為に車を走らせていた。
「しかし承太郎もアゲハもよく日本の学生服がパキスタンで仕立ててもらえたのォ……ピッタリだ」
「毛(ウール)百パーセントよ」
しかし、辺りを強く濃い霧が覆う……狭い山道で隣はガードレールもない崖、車を運転するポルナレフは眉をひそめた。一歩間違えば我々に命はない。
「うむ……向こうからどんどん霧がくるな……まだ三時前だがしょうがない……今日はあの街で宿をとることにしよう」
ジョセフの持つ懐中時計が指し示していた時刻は午後二時五十分頃、霧が深いものでよく見えないが空はまだ明るいのだろう。
一刻を争う旅で、このような足止めを喰らうのは今回限りにしたいものだと彼は心の中で悪態をついた。
「いいホテルがあるかなァいいトイレがついてるホテルよ! おれはやっぱりインド・西アジア方面のフィンガーウォシュレットはなじめねぇよ〜」
そう言って笑うポルナレフの声が車内に響く。
そんな中外を眺めていた承太郎は不意に霧の中で何か鋭いものによって串刺しとなった何かを見た。鮮血を流し、苦悶の表情を浮かべたままのアレはーー。
「今のは……犬の死体か……? 」
そんな承太郎のつぶやきはケラケラと笑うポルナレフの声に覆われて消えていく。
そんな中アゲハはひとり俯き眠りこけていた。
どうにかして到着した町はとても静かな街だった。ジョセフの見立てによると人口は数千人ほどという所で問題なくホテルもありそうだ。
「あのレストランでホテルはどこか聞きましょう」
「しっかし妙に物静かな町だなァ 今までの大抵のまちはドワァァア〜って感じの雑踏だったのによ……こじきたちの「パクシージ(お恵み)攻撃」も物売りの「安いよフレンド」攻撃もないぜ」
ちょっと変だぜという風にポルナレフは吐き捨てる。承太郎や花京院も異論はないのか黙っている。
彼の言う通り、町を歩く人々はみなよそから来たジョセフたちに見向きもしなかった。最早関心がない……といった様子なのだ。
「霧が出ているせいじゃろう……よし、いいかみんな! パキスタンより西のイスラム世界じゃあいさつはこういうんじゃ まずはスマイルで……『アッサラーム(こんにちは)』『アレイクム(ごきげんようっ)』」
フランクに片手を上げて笑顔で挨拶をしたジョセフに対するレストランの男の対応は顔色一つ変えずにOPENと書かれていた看板をCLOSEに変えてしまうということだった。
さすがに予想の遥か下を行く対応にジョセフたちは理解できないといった顔を浮かべてしまう。
「あ……あのじゃな……ハハハ、いきなり閉店にすることもないじゃろう。ちょいとものをたずねるだけじゃよ、この町にホテルはあるかな? どこか聞きたいたいだけじゃよ」
またもや無表情と無言で返事をするレストランの男。聞こえていないのかとジョセフが茶化すように「もしも〜し」と手振り付きで言うとようやく男は「しらないね」と言葉を返した。
「おい、ちょいと待て 知らないとはどういうことなんだ? この町の者なんだろう ホテルはあるのか? ないのか? それを聞きたいんじゃ」
たった一言だけ言いはなってそのままレストランの中へ消えていこうとした男にジョセフは手を伸ばす。
その時だった! 後ろを向いた男の首元に数匹のゴキブリが蠢いているのをジョセフは見た。
信じられないといった表情のジョセフが思わず両目で目元を擦るとすでに男の首元にはなにも無かった。
「あんたの発音が悪いからきっとよく聞き取れねーのさ あそこに座ってる男に聞いてみよう」
ゴキブリが見えていたのはジョセフだけだったのか他の四人はなんともない顔をしていた。自分の見間違いだったのだろうと納得した彼は次の聞き込みに気持ちを切り替える。
次にポルナレフが指さしたのは街灯に寄りかかって座る男だった。
ポルナレフが先陣切って男に駆け寄っていくと、人当たりの良さそうな笑みを浮かべて声をかけた。
しかしポルナレフの笑顔はすぐに驚きの顔に変わってしまった。なぜなら彼が声をかけた男は瞳孔が開き口や鼻から体液を垂らしていたのだ。
心配したポルナレフが男の肩を強くつかむとぐらりと身体が倒れ、開けっ放しになっていた口からは男の舌と同等の大きさの爬虫類が出てきた。どういうことだーーと辺りが震撼する。
「死んでいる!! 恐怖の顔のまま死んでいるッ!! 死因はなんだ!? 心臓マヒか? 脳卒中か!? 」
叫ぶポルナレフにジョセフたちは驚きの顔を見せる。
しかし町の様子はかわらない。彼らが初めて訪れた時と変わらず誰も死体に見向きもしない。
「……かもしれん だが……ただの心臓マヒじゃあないようだな」
最初に死体を発見したポルナレフは承太郎の言葉に不思議そうな顔をすると再び男の死体を見る。すると男の右手に一丁の拳銃が握られていたことに気づいた。
「煙がでている発砲したんだ……つい今撃ったばかりだ……二分前か五分前か、オレたちがこの町に着くほんのちょっと前だ……」
ピストル自殺かと声を上げるポルナレフに対し花京院は「違う」と言うと死体に傷がないことと血が出ていないことを主張した。
「じゃあなんでこいつは死んでるんだ……!? こいつの顔を見ろよすげー恐怖で叫びをあげるようなこのゆがんだ顔をッ! 」
「わからん……この男いったいこの銃で何を撃ったのかッ! 何が起こったんじゃ! 」
街灯の下……道の真ん中で声を上げるジョセフ達を見てもなにも反応のしない町の住民達に花京院は違和感を覚えつつも声をかけた。
「そこの人 すまない! 人が死んでいる警察を呼んできてくれッ! 」
花京院が声をかけたのはピンクのストールを巻いた赤ん坊を抱いた女だった。
しかしゆっくりと振り向いた女の顔を見た瞬間花京院は目を見開いた。女の頬にできたデキモノからドロリと白い液が滴り落ちてきたのだ。
あからさまに顔を歪めた花京院にハッとしたのか女はストールで顔を隠しすとにきびが膿んでしまっているのだと返した。
「ところでェ〜〜あたくしに何か用でございましょうかァ〜〜」
「……警察に通報を頼むと言ったのだ」
「警察ゥ? なぜゆえにィ〜〜? 」
にきびの女から見て死体が見えない位置ではないだろうにしらを切る彼女に花京院は
「人が死んでいるんだぞッ! 」と死体を指さす。
それでも女は赤ん坊を抱いていない方の手で再びにきびをかくと平然とした様子をみせた。
「おやまあ ひとが死んでおるのですか!! ……それでわたくしになにか出来ることは……? 」
「警察を呼んできてくれといったろーがッ! 」
三度目の正直でようやく警察へ連絡を入れるためにこちらに背を向けた女に花京院は思わず口に手を当てた。
花京院が怒声をあげたために女の抱いていた赤ん坊が泣いてしまったため、そしてこの町の人間の無関心さに驚いていたためだった。
「どうする? じじい……なぜ死んでいるのか……死因をハッキリ知りたいぜ まさか新手のスタンド使いの仕業じゃあねーだろうな」
「うむ……考えられん……動機がない 「追手」が無関係の男を我々が着くより前に殺すじゃろうか 殺すとしたなら……いったいなぜじゃ? 」
死体の前に膝を着いた承太郎とジョセフは考えられる中の最悪の状況を想定した上での話をしていた。
男の異常な死にその場にいた全員が第一に考えたのは「敵スタンドによる攻撃」であることだろう。
承太郎の
「警察がくる前になるべくさわらんように死体を調べてみよう」という言葉にジョセフは頷いた。
「こいつ我々と同じ旅行者のようじゃな バスとか列車のチケットを持っておるぞ それにインド人のようだインドの紙幣を持っている……この町の人間じゃないぞ」
手袋を履いたジョセフがペンを使って器用に男の衣服や体の状況を観察する。
アウターの胸ポケットから始まり次はインナーの内側を探るためにジョセフが肌とシャツの間にペンを滑らせると突然現れた大きな傷に声を上げた。
「傷だッ! のどの下に十円玉くらいの傷穴があるぞッ! 死因かこれは!? 」
綺麗な円を描いた傷はそれなりのおおきさだった。男の持っていた銃でこれだけの大きな傷をつけることはできないことから拳銃自殺の線は完全に消える。
「しかしなぜ血が流れ出ていないんだ? こんなデカくでけー穴が開いてるんなら大量に血が出るぜ 普通ならよ」
承太郎の言葉にみな口を閉ざした。
事件発生からまだ十分も経っていないはずなので血が止まっただとか証拠隠ぺいしただとかいう可能性はほぼゼロになった。
「どうやらこいつはもう普通の殺人事件じゃあねーようだ。おれたちには知っとく必要がある……かまうことはねー服をぬがせようぜ」
手袋を履いたジョセフが男の衣服を脱がしていく。麻布の上着をはだけさせ紺色のインナーを脱がせてやると顕になる男の体。それを見た一行はゲッと声を上げた。
「なっ なんだ この死体はッ!! 」
「穴がボコボコに開けられていているぜッ!
トムとジェリーにでてくるチーズみてーに!! 」
ポルナレフの世界共通で馴染みのある例えにふさわしい程男の体は穴だらけだった。
胸元だけでなく腹や両腕……衣服に隠れて見えないところにもその穴はもっとあるかもしれない。
それにさらに恐ろしいことは無数の穴のどれからも血が出ていないのだ。どういう芸当でこのようなことをしてやれたのか、見当もつかない。
「とにかくこれで新手のスタンド使いが近くにいる可能性がでかくなったぜ……」
血を一滴だって出さずにこれほどの深く大きい傷を付けるなんて離れ業ができるのは恐らくスタンドだけだろう。
「みんな! ジープに乗ってこの町をでるんじゃッ! 」
ジョセフがそう言って車に手を付き飛び乗ろうとした時だった。
「あっ! 」
ジョセフは目を見開いた。彼は『車に乗るために車に手をついた』はずなのに『鉄柵を支えるための石柱に手をついていた』のだ。
ジョセフの体は重力に従い真下にある鋭く尖った鉄柵に今にも落ちてしまいそうだ。
長年の経験からかあくまで冷静を保ったジョセフは頭上にある電柱と電線の留め具部分に『隠者の紫(ハーミット・パープル)』を巻き付けると、なんとか鉄柵の上に体が落ちてしまうのを避けた。
「おい……じじいひとりでなにやってんだ……? アホか? 」
「オーッノォーッ! なにやってるんだって 今……ここにジープがあったじゃろッ!? 」
「え? ジープ? ジープならさっきあそこにとめただろーが」
承太郎達の心底意味がわからないといった表情にジョセフは思わず頭に手を当てた。
先程のレストランの男の時もそうだったが自分にだけ見えていたことに本当にただの勘違いだったのかと彼は考えあぐねる。
そんな時だった、ジョセフの瞳が遠くからこちらに向かって歩いてくる老婆の姿を捉えた。
今までの町の住人と違いあちらから干渉しようとしているのだろうか、向かってきた老婆はお互いの顔色を伺えるほどの距離になった途端人当たりのよい顔でこうべを垂れた。
相手に倣ってジョセフ達も会釈を返すと老婆はこちらへ向けて口を開いた。
「旅のお方のようじゃな……この霧ですじゃ もう町を車で出るのは危険ですじゃよ……崖が多いよってのォ……」
ジョセフ達に声をかけたのは白髪の腰の曲がった小さな老婆だった。右手に杖を持つ姿から体はもういうことがきかなくなってしまっているのだろう。
「ところで……わたしゃ民宿をやっておりますが……今夜は良かったら わたしの宿にお泊まりになりませんかのォ……安くしときますよって 」
「おお〜〜ッ! やっと普通の人間に会えたぜ! 」
いままでの人間とは違う『普通』の反応にポルナレフは気を良くしたのか笑顔を浮かべた。
その後方でアゲハはひとり、言葉を発するわけでもなくただ俯いていた。