フラッシュバック③
本来ではポルナレフとブローチ探しをするはずだったアゲハは非常に焦っていた。タイミング悪く、ブローチの贈り主である花京院と共にホテル一階の売店へ行くことになってしまったのだ。
家出少女にアイスを買ってくると言ってしまった手前、本当に買っていかなくてはならない。
適当にいちごのイラストがパッケージのカップアイスを手に取ったアゲハはふと隣にいた花京院の顔を覗き込む。彼はさくらんぼのイラストの描かれたパッケージの棒アイスに目をやっているようだ。
「花京院! 今日のお礼……って訳じゃあないけどアイス食べない? 」
正直今はアイスどころではないのだが 「私も食べたいし……」と思ってもいないことを言えば、花京院は「それなら」と笑いさくらんぼのアイスを手に取った。
アゲハはお礼をするチャンスだとピスタチオとチョコレートのミックスソフトクリームとバニラ味のモナカアイスを手早く取ると、花京院の手からアイスを奪い会計を済ませてしまった。
「べつに奢ってもらうつもりなんてなかったのに」
「そう言わないでよ。私がやりたくてやったんだもの!」
アゲハはレジにて渡された紙袋の中からさくらんぼのアイスを手に取ると花京院に手渡す。彼は手の中のアイスを数秒見つめたあと不意にアゲハに視線を向けた。
「…… 帝、嫌じゃなければここで少し話していかないか」
本来ならすぐにでも部屋に戻らなければならない所なのだが、どこか緊張した雰囲気でうつむいた花京院の様子を気にかけたアゲハは
「いいね、食べていこっか」と目を細めるとパッケージの蓋を勢いよく開けてみせた。
売店から少し離れたソファーに腰掛ける二人はどちらも窓の外へ目をやった。
外はすっかり暗くなっていて、背が高くて明るい建物があまりない分、日本よりも星がよく見えるなぁとアゲハは思考を放棄する。
「君……アイス食べないのかい? チョコアイスは服につくと厄介だぞ」
アゲハはハッとして窓からアイスに目を落とす。次第に溶け始めていたソフトクリームは既にコーンへ向かい次第に垂れている。
困ったアゲハは舐めとるのではなく、大きく口を開けることでかじりとってやることにした。
「ぼーっとしてたよ……ありがとう花京院」
「いいや……これを使うといい」
すると花京院がポケットからティッシュを出してきたのでアゲハは咄嗟に手で口元を覆った。……しかしアイスを持つ手と口元を覆う手で両手がふさがってしまったので口を拭くことができない。
困ったアゲハが「五秒間だけ目を瞑って」と眉を下げて告げると、紳士的な顔つきだった花京院が突然吹き出す。驚いたアゲハは思わず顔を覆っていた手を離し彼をじっと見つめる。
「ごめん……少し可愛らしくってね……このことは僕ら二人の秘密にしよう」
アゲハはそんな花京院の姿を見たのは初めてだったので少し驚いたが、それと同時に凄く嬉しい気持ちになった。
花京院に差し出されたティッシュで口を拭くと「もういいよ」と言って顔を上げさせた。
「ありがとう……へへ……なんだか恥ずかしいね……」
その言葉と共に次は慎重にソフトクリームを舐めとるアゲハ。花京院はそんな彼女をから目をそらすと膝の上に乗せられた左手をぎゅっと握った。
「…… 帝、その……身体は平気かい?」
「……え?」
アゲハは不意に発せられた彼の言葉に目を見開く。ミスルトーから受けた腹部の傷の事だろうかーー当然まだ痛む患部は僅かに熱を持っていた。
「今日、現地の人間に連れて行かれて……その、辱めを受けたんだろう?」
花京院はアゲハを助けに行った時の光景を思い出していた。あの時花京院とポルナレフは現地の男によって彼女の純潔は奪われてしまったのだと勘違いしてしまっていたのだ。
対するアゲハは話を聞いて彼らがとんでもない誤解をしているのだと気付くと、一刻も早い弁明を試みることにした。まさかそんな勘違いをされていただなんて最悪である。
「ち、違うよ!あの男には服を破られただけだもん!その前に返り討ちにしたんだから!」
アゲハは花京院の左手を掴むと身を乗り出して彼の顔を覗き込みながらそう主張した。そんな彼女の行動に驚いた花京院の藤色の瞳が一度二度、瞬かれる。
「……だからその……行為までは及んでないし……私……へーきだもん……」
尻すぼみになっていくアゲハの言葉を最後まで聞き取るのは僅か数センチの距離にいた花京院には難しいことではなかった。
もともとそんなに食べる気分でもなかったアイスが溶けてアゲハの手元を伝う。
「そうか……すまない。こんなデリケートな事、軽率に聞くものでもなかっただろう」
申し訳なさげに言葉を紡いだ花京院はそっとアゲハの手を振りほどいた。その行為に短く「あ……」と声を漏らした彼女はうつむく。
「だが何よりも、君が無事で本当によかったよ」
ただそれだけ。花京院は本当に心の底からそう思った。アゲハはそんな彼の言葉に顔をあげると心底嬉しそうに顔を紅潮させてはにかむ。
「すっごく嬉しいな……誰かにこんな風に心配して貰えて……私ってば幸せものだなあ」
アゲハも花京院も手元のアイスに歯を立てる。クリームがもうほぼ溶けかかっているのに気づいたアゲハは大慌てだ。
「でもね花京院……謝らなくちゃあいけないのは私なんだよ」
「帝……」
最後のコーンを口に含んだアゲハはそれを飲み込んでからゆっくりと花京院に視線を合わせる。彼は彼女の次に続く言葉をじっとまっているようだ。
「花京院がプレゼントしてくれたブローチ、なくしちゃったの」
ほんとうにごめんなさい!ーーと続けたアゲハは立ち上がると勢いよく頭を下げた。こんな心優しい花京院を騙し続けるなんてアゲハには出来そうもなかったのだ。白状して謝罪することが彼に対する最低限の尊重であると思った。
「ドレスも、靴も、もちろんブローチだって大切にするつもりだったんだよ!なのに、なくしちゃうなんて……」
顔をあげたアゲハの目が潤んでいたものだから花京院は驚いた。花京院にとって彼女のこんな表情は初めて見るのものだったのだ。
普段、光をも通さぬほどの漆黒の瞳が涙で僅かに煌めいているーー。
「帝、座って」
自身の言葉に素直に従ったアゲハの前髪を撫でた花京院は「五秒間だけ目を瞑って」と囁く。彼の言葉に少し怯えながらもアゲハは頷くと肩にかけていたストールが脱がされる感覚に瞼をピクリと動かした。
あの時、服屋で初めてストールを巻かれた時の様に優しく頭にヴェールを被せられる感覚にアゲハは頬を赤く染めた。
しかし最後にパチンという音が聞こえてアゲハはドキリとして目を開けた。至近距離に見えた花京院の藤色の瞳にすぐに目をそらす。
「花京院……? 」
「ストールの巻き方、ちゃんと覚えなくちゃあ駄目だよ。触って確認してごらん」
アゲハはチラリと花京院の顔色を伺ってみたが、その表情からは怒りの色を感じられない。恐る恐るストールに取り付けられた何かのフチを指でなぞる……それは紛れもなく蝶の形をした例のブローチだった。
「夕食の途中で席を立っただろう。その時に落としたんだ。絨毯が敷かれていたから音も鳴らなくて気づかなかったんじゃないか? 」
「そうだったんだ……本当にごめん……」
アゲハはアゲハ蝶のブローチを握りしめると改めて花京院に向けて深深と頭を下げた。
私ったら、彼にあやまってばかりだなと思ったアゲハは目頭に熱いものを感じ、それを必死にこらえた。
「僕は君に泣いて欲しくてブローチをプレゼントしたんじゃあない……君が喜んでくれると思ったらプレゼントしたんだ。だから顔を上げて……笑って欲しいな」
花京院の言葉に驚き目を見開くとぽとりと雫が零れた。アゲハは直ぐに目元を手で拭うと自然と笑みを浮かべる。彼は本当にいい人だ。
対する花京院はアゲハの表情を確認すると
「どういたしまして」と微笑み返す。彼女は本当に笑顔が似合う。ほんのりと頬を赤く染めて笑うそんな姿が一番綺麗だと花京院は思った。
花京院とアゲハはすっかり話し込んでしまい溶けてしまったポルナレフと家出少女の分のアイスを買い直すと、部屋へ戻るためにエレベーターに乗った。
降りてきた時と違うのは手に持つアイスとアゲハのストールに輝くブローチがあるかないかーーそして二人の間に確かに生まれた信頼関係……ただそれだけだった。
「それじゃあまた明日」
「うん……今日は本当にありがとう! 」
ポルナレフの分のアイスを手に持った花京院は付け加えて
「彼には僕から渡しておくよ」と微笑む。
アゲハが部屋へ入るのを待っているのだろうか花京院はじーっと彼女を見つめている。
察したアゲハが「おやすみ」と言って部屋の扉を開けると花京院も「おやすみ」と返してドアノブに手をかけた。
「ごめんね。すっかり遅くなっちゃって……アイスいる? 」
アゲハが部屋へ入ると家出少女はソファーで眠っていた。お風呂上がりは眠たくなるよね……とアゲハは微笑むと彼女をベッドへ運ぶ。
意識のない人間ーーそれもあまり体格差はない彼女を運ぶのは少し骨が折れたが運び終えた達成感はその分強かった。
じんわりと額に浮かぶ汗を手の甲で拭うとアゲハは時計へ目をやる。もうすぐ九時になる、そろそろお風呂へ入ってしまわないとその後銃の手入れをするのに時間がかかるので睡眠時間が削れてしまう。
アゲハは内鍵をしっかり閉めると脱衣所へ向かった。
今度こそ無くさないようにと慎重にブローチを外しストールと共に綺麗にまとめる。チューリダルを脱ぎクルタも脱ぐと下着姿になったアゲハが鏡に写る。そこで主張しているのは先刻ミスルトーによってつけられた傷だった。
(あいつは……あの男は何がしたかったんだろう……? 確かに傷は深いけど、これぐらい一週間も経てば治るでしょうに……)
すでに血は止まっていて、ちょっぴり肉が見えているぐらいの小さな傷だ。
アゲハは頭の中で消毒液はあったかなと思い出しながらバスルームへ歩を進めた。