フラッシュバック①
パキスタンとは千九百四十七年にインドから分離独立した国である。
しかし日本人が原始の生活をしていた頃、ここにはすでに文明があった。インダス文明、モヘンジョ・ダロそして中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの中心点ガンダーラ。
インド大陸五千年の歴史を今に受け継ぐのがこの国、パキスタンなのである。
「ジョースターさん……質問なんですけどパキスタンってイスラム圏ですよね? 私も彼女もこんな格好でいいんでしょうか? 」
国境付近で再会はした家出少女を香港へ帰してやるためにジョースター一行はパキスタンのとある街にやってきてた。
アゲハは私物である『世界のガイドブック「アジア〜北アメリカ編」』を読みながら隣に座るジョセフに質問する。ガイドブックには特に後暗いことは書かれていないのだが、日本で過ごしてきた時の勝手な偏見やテレビでの報道から感じる想像としては治安が悪く、危険だというイメージが固着している。
そのためビジャブを巻かないという行為がマナー違反だというなら不安だ。
「オレたちは観光客なんだぜ? そんな気にすることないだろうよ」
「わしも同意見だが……すこしでも不安に感じたなら遠慮なく言うんだぞ。 ビジャブくらいいくらでも買ってやるんだからな 」
アゲハはガイドブックを閉じると「ありがとうございます 」といってジョセフに歯を見せて笑った。隣に座る彼女も長袖シャツにオーバーオールでしっかりと肌を隠しているため、襲われたりすることはないだろう。
助手席に座る花京院が腕時計を見ればすでに時計は午後五時を回っていたらしく
「もう五時ですね……」と呟いた。彼の言う通りあたりはすでに暮れかかっていて太陽は西へ傾いている。
「ジョースターさん、もう時間も遅いことですしここは二手に別れてホテルを探す方と飛行機のチケットを買う方とで別れた方がいいんじゃあないですか? 」
「そうじゃな……わしはホテルを探す。承太郎、お前はどうするんじゃ? 」
花京院の提案に真っ先に答えたのはジョセフだった。ホテルの手続きなどは毎度彼がしているのだから当然だろうとアゲハも頷く。
「……俺はじじいについていく」
「承太郎がそっちに行くならあたしもっ!」
「こらッ! おめーは空港だろうが! 」
おめーの飛行機のチケットを買うんだぞッ!と唾を飛ばしながら激昂するポルナレフにアゲハはまあまあと間に入る。
「今日いますぐ帰るってわけじゃあないんだしいいんじゃないかな」
「そうだな、じゃあ空港には僕とポルナレフ、帝で行こう」
ジョセフ達と別れ、ちょうど姿が見えなくなった頃、ポルナレフに車を停めさせた花京院は突然車を降りる。彼が向かった先はどうやら現地の洋服屋のような所だった。一体こんな所になんの用事だろう……思わず顔を見合わせるポルナレフとアゲハ。
「……花京院?どこにいくの?」
「ったくよォ〜、花京院、おめー何してんだよ」
花京院の奇行にポルナレフも続いて店内に入っていく。
私もあとを追わなきゃ!とポルナレフが抜かなかった車のキーを抜いたアゲハもまた店へ駆け足で向かうーーしかしそんなアゲハの肩を不意に誰かが掴んだ。
「……!」
顔に数滴の汗を浮かべたアゲハが恐る恐る後ろを振り返ると立っていたのは大柄な男だった。
追手のスタンド使いの可能性を危惧して目元にスコープを出してみるが特に驚いたりする様子はない……つまりスタンド使いではないのだ。ただの現地の人間らしい。
「えっと……何か? 」
「君、ニッポン人かな? 可愛いねオレそれしってるよ? セーラー服ってやつでしょ? 」
珍しいもの見たさという感じなのだろうか、アゲハに近づいてきた男はそう言うと日本のアニメをいくつか羅列していく。どうやら中々の親日家らしい。
「いやーッホントに可愛いねェ! ハグしてもいいかい? 」
「……は、はぁ 構いませんが」
相手の言葉の波に押され、アゲハはついつい了承してしまう。無遠慮にアゲハを抱きしめた男と身体が密着するーー当然ながら自分よりも背が高くて厚い体に圧倒された気分だった。
そしてアゲハは突然物凄いデジャヴュに襲われた。つい最近、こんなことがあったような気がする……?
しばらくしてアゲハはあまりにも長い抱擁に違和感を覚え腰に回された手を退けようと身をよじった。その時アゲハはハッと目を見開く。なんと背中に背負っていた筈の銃が無くなっていたのだ。アゲハは男を力の限り突き飛ばす。
「荷物を盗むだなんて酷いよ!返して!」
アゲハは応戦するためにスカートのポケットに手を入れてナイフを探す……が見つからない。まさかと思い男を見れば悪い笑みを浮かべている。
「嬢ちゃん、ナイフはいいとして銃まで持ち歩くってのは感心しないねェ……返して欲しかったらついきてくれるよね? 」
アゲハは頭の中で反省会を開いている真っ最中だった。警戒心が薄すぎた……DIOの追手だろうがなかろうが関係なく、警戒すべきだったのだ。
「あの……どこに行くんですか? 七時までには帰らなきゃならないんですけど」
男はアゲハの手を引くわけでもなく逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せるほどの距離をとっていた。傍から見て不自然なところもなく、相手が逃げ出せない様に人質を取っているからこそ出来る大胆な行動。
結局目的地らしき所まで男は一言も喋らなかった。行き着いた先はなかなかに立派な一軒家。
「入って」
「……」
家の中に入るという事はほぼ逃げ出す機会がなくなるということだ。出来ることなら避けたいのだが……そういうわけにもいかない。
チャンスができた時の為に男にバレないようにネックレスを外すとポケットに忍ばせた。
「失礼します……」
玄関をくぐってみると外観にそぐわず汚らしい光景が広がった。玄関開けた途端に漂う汗臭さにアゲハは顔をしかめる。
「奥の部屋に行くよ……君、名前は? 」
続けて家の中に入ってきた男はアゲハの腰を掴みながらグイグイ奥の部屋へ押し込もうとしている。
アゲハは男の問いにこたえることはせず押されるがままに進んでいくーーそんな態度にプツンときたのか男は奥の部屋に着くなりベッドにアゲハを突き飛ばしてきた。
「傲慢な態度取って気取ってんじゃあねェぞ……このアマ」
「そっちこそ勝手に人の物を盗んでおいて偉そうじゃん!」
ベッドから起き上がったアゲハが男を見れば彼女から盗んだナイフを片手に構えている。恐らく普通の女の子なら怯えて抵抗のひとつとれなくなるだろうが生憎彼女は違う。
「ナイフなんて持ってどうするの?まさか私を人質にしてお金でも奪うつもり? 」
「アァ? ンな回りくどいことしねーよ」
近づいてくる男に対しアゲハは後ずさりして距離をとる。こうすることで男の目にはナイフを目の前にして怯えている女として映っているだろう。
「オレみたいな男には自然と女も金も集まってくるんだ……だけどなァ、いまひとつ足りねェンだよ」
アゲハはすでに壁際に追いやられていた。男の自分語りなどはどうでもいいが、ナイフの持ち方だけはいただけない……普段から使い慣れている人間の持ち方だった。恐らく彼女よりも。
「こういう街に観光に来る女ってのはよォ、どいつもこいつも肌を隠しちまってんだ……。それは勿体ねぇと思わないか? せっかくのお客さんだっつーのにどいつもこいつもこの国のマナーってものに縛られていやがる……」
男はついにベッドに足をかけてきた。しかし、反撃してやると身を固めたアゲハに対し、男がしてきたのは何故かカーディガンのボタンを外すという行為。アゲハは素っ頓狂な声をあげないように息を止めるとじっくりと反撃のチャンスを待つ。
「だがその中にもごくまれにこの国のマナーに従わず自身の美しい髪や脚をさらけ出している女性もいる……」
全てのボタンを外しアゲハからカーディガンを脱がすと男はベッドの下へ投げ落とした。
カーディガンを脱がされ、彼女の黒の半袖セーラーが顕になる。
「……勿論この国の女に美しいという感情をいだく事はある。しかし穢してはならないという感情がオレの理性を抑えてくれるんだ」
男はアゲハの体を仰向けにさせるとゆっくりとした手つきでそれでいて力強くナイフをセーラー服の胸あたりへ当てる。そのままズプリと刺されては反撃の余地もないーー。
「だがお前のようなノータリンには罪悪感なんてものを砂一粒程も感じんわッ! せいぜい自分が生まれたことを後悔しながら死ねィ! 」
胸元に当てられたナイフはそのままアゲハのセーラー服だけを切り裂いていく。彼女はそんなチャンスを見逃さなかった。
アゲハは相手の腕を掴むと、上半身を起き上がらせ勢いづけながら男の方へナイフを持っていき太ももを突く。突然の抵抗に驚いた男は力が出せず、 足を傷つけられ痛みで声を上げた。
「黙って話を聞いていれば自分より力の弱い女子供ばかりにこんなことをしていたんでしょう……きっと一度や二度じゃあないんだろ」
アゲハは男の手からナイフを取り上げると片手に持っていた弾丸を男の傷に挿入する。
やがて眠りについた男はうつ伏せになってベッドに沈み込んだ。
一難去って、安心からため息を着いたアゲハはベッドから降りると男に奪われた銃を取り返そうと立ち上がる。
「……っ」
その時、不意に強い頭痛と共に頭の中に過去の映像が鮮明に思い返されていく。
フラッシュバック(心理現象)…… アゲハにとってのトラウマである出来事が今、鮮明にはっきりと思い返されている。
その記憶は、DIOの元にいた時の記憶。
先程男がアゲハに行おうとしていた行為を彼女は一度目にしてしまった事があった。
辺りに転がる血を吸われて絶命した女の躯。それに目もくれず深く抱かれ腰を振る美女。
色欲と暴力ーーそれは思春期の生娘であるアゲハには酷く惨たらしく、それでいて酷く魅力的なものであった。
「……うっ」
力が抜けて思わず床に膝をつく。頭も痛いし吐き気もする……尋常じゃないほどの汗が額から流れる。
その場から手を伸ばしてなんとか銃を手に取ると、それを杖にしてなんとか立ち上がる。はやく花京院たちのところへ向かわなくては!と出口へ向かい歩みを進めた。
「オイ、カーディガン忘れていってるぜ」
しかし次の刹那、聞き覚えのある声がアゲハの足を止めさせた。この場にいるのは自分と、意識を失っている現地の男だけのはずだった。
汗と脂の臭いで充たされていた部屋に鉄の嫌な臭いが混ざる。更に気分を悪くしたアゲハが勢い良く振り向いた先にいたのは血にまみれた男と窓の縁に立った銀髪の男ーー。
「ミスルトーッ! 」
某怪盗の右腕の、あごひげと帽子がトレードマークである射撃の名手にちなんでスカートとキャミソールの間に携帯していた予備の銃ナガンM1895のリボルバーをとっさにミスルトーへ向けた。
先程は一般人で、人の目も多かった為に抜くことが出来なかったがミスルトーは違う。今すぐにでも殺さなくてはならない相手だ。
「……何の用? 」
「オイオイ……その銃をおろせよ帝アゲハ お前の代わりに懲らしめてやったんだぞ……そこのゴミクズをな」
荒く呼吸をし隆起する血塗れの男にまだ息はあるようだとアゲハは安堵する。躊躇いもなく発砲された弾丸はミスルトーのスタンドによって切り裂かれ不発に終わってしまった。
「今日はお前を殺しに来たんじゃあないぜ……帝ッ! 」
ミスルトーがニヤリと口角を上げた瞬間突風がアゲハの腹部を直撃する。案の定彼のスタンドの風に当てられた部位からは皮膚が裂け血が流れた。
「オレの今日の目的はお前に深い傷をつけてやる事さ! それじゃあ怖い顔した誰かさんに撃たれちまわねーうちに帰らせてもらうぜッ」
本当にそれだけやって去っていったミスルトーの行動をアゲハは理解出来ず、一度大きな声で彼の名を叫ぶ。しかし、彼は既に姿を消してしまったらしい。アゲハの行き場のない怒りを含んだ吐息が静かな部屋を支配した。