さよならシンガポール!
日本へ迎え!
「わぁッ! 凄い日差し……」
しばらくして、ジョースター一行を乗せた列車を見えなくなるまで見送ったアゲハは駅を出た。
思わず目を細めてしまうほどの眩しさに観光できているのなら日光浴でもしたいくらいの良い天気だーーとアゲハは心の中で呟く。
すると、タクシー乗り場をもう少し先に進んだ所でSPW財団の者を待て……と、ジョセフの言葉を思い出しながら歩くアゲハに一人の男が声をかけてきた。どきり、と肩を揺らすももう遅い。
「Senta scusi,signorina!(すみません、そこのお嬢さん)」
バッチリと視線があってしまった。
アゲハはこんなことしている場合ではないのにッ! と思いながらもその褐色肌の男を無視することが出来なかった。それほど図太い神経は持ち合わせていないのである。
(うーん、今の言語、シニョリーナって言ってたしイタリア語……? )
イタリア語なんて分からないよ!と半ばヤケになりながらもとにかく「ボンジョルノ!」と返したアゲハ。
すると話が通じると勘違いしたのか、その男は次々と恐らく質問であろう言葉を投げかけてくる。最早為す術もなく、アゲハが困り果てていると次の刹那、後ろからメシアが現れた。
「Non capisco, (分かりません)」
「Come? (えっ?)」
「Non capisco,(分かりません)」
「……Grazie,arrivederci ,(ありがとう、またお会いしましょう)」
一拍間を置いてから別れの言葉を告げたイタリア人の男にアゲハはほっと胸をなで下ろした。少し悪い気もしたが話せない私にかまけて時間を浪費するよりも、次の人に声をかけた方がよっぽどためになるだろう。
それにしてもイタリア人の男を「ノン カスピコ」の一点張りで追い返した親切な男は一体何者なのだろう? と、アゲハは振り返る。
男は白いツナギに帽子を被った外国人だった。うねった金色の髪が特徴的な男はアゲハを見下ろしている。
とにかくお礼を言わなくてはッ!とアゲハが口を開こうとしたのと同時にツナギの男がこちらに一歩詰め寄ってきた。驚き後ずさるアゲハの肩を掴んだ男は眉を釣りあげて神妙な表情で訊ねる。
「アンタ、帝アゲハであってるか? 」
「……!」
アゲハはドキリとして目を見開く。この男はなぜ見ず知らずの自分の名前を知っているのだ?
別れ際、ジョセフに言われた言葉を思い出すーー裏切り者としてDIOの手下に狙われている可能性もある、十分に注意するのだーー。
そうだDIOの手下であれば自分の名前を知っていてもおかしなことは無い。警戒したアゲハの腕がポケットのナイフに伸びる。
「警戒、しているんだな……まあそれも仕方ねェか」
男はそう言うと、突然ツナギのジッパーを下げ始めた。
アゲハがその動きに反応しナイフを構えると男はインナーの下からプレートを取り出し掲示してきた。そこに見えるのは「SPEED WAGON」の社名。
「あっ! 」
「驚いたか? オレはSPW財団の者だ」
アゲハは良かった……と内心ホッとした。
それに対し男は「車は既にあっちに停めてあるぜ」と、待ち合わせ場所を親指で指す。
「さっきはありがとうございました! 私、イタリア語はてんでダメで……」
「へへっ、そーだろーよ!『ボンジョルノ!』って発音、最悪で超笑えたぜッ」
アゲハは男が自分の声真似をする際にした裏声に少し吹き出す。馬鹿にされているのだとは分かっているが中々特徴を捉えていておもしろい。
「……貴方、イタリア人なんですか?喋れる訳じゃあないけど凄く耳触りが良かったから上手いんだろうなって」
アゲハは自身の身長よりも高い位置にある男の顔を見上げる。しかし男は車に目をやると苦笑いを浮かべながらこちらに振り向いた。
「わりーな!ツレが待たされ過ぎてピリピリしてきてるみてーだ。ホレッ、そろそろ車乗れッ」
それは申し訳ない事をしたと思ったアゲハは早足で車へと向かう。男はそんなアゲハの歩幅に合わせて悠長に歩いている。
「すみません長話してしまって……」
「ん? 構わねェさオレはフレンドリーな子、好きだぜ」
そういう意味じゃないんだけどな……と苦笑いを浮かべたアゲハは車へと一層足を早めた。日本までついてきてくれる人達なんだもの、これ以上の迷惑をかけるわけにはいくまい。
(……この一ヶ月、DIOの元で生活していて私は変わってしまったのだと思っていた……でも実際はそんなこと無かったんだ)
アゲハはジョースター家に復讐を誓ったあの日から今日までホル・ホースやエンヤにスタンドの稽古をつけてもらっていた。
全てはジョースター家の忌々しい犯罪者の血統を断ち切る事で自分の家族が、そしてDIOが救われると信じていたからだ。
その中で、力を求めるが為に罪もない一般人を傷つけたりスタンド解明の為の実験台にしたりと許されない行為を幾度か行ってきたアゲハはとんでもないほどの罪悪感を覚えていた。彼女はその時既に肉の芽により操られていたのだがそんなことは関係無いとも思っていた。
当時、ジョースター家に復讐をすることしか考えられなかったアゲハはその時犠牲になった人々に対し何の感情も抱かなかったのを『至極真っ当な事』だと感じていたのだ。
今になってその時の事を思い出すと自分自身を何度だって撃ち殺してやりたいぐらいの気持ちになる。アゲハは何よりも自分自身が許せなかったのだ。
だからアゲハはどんな辛いことがあっても絶対に泣かないと決めていたのだ。せめて、自分がこの力で誰かを救えるようになるまでは絶対に。
しかし、もう会うことがないと思っていた家族に再会できるのだと思うと自然と視界が歪み、体液がこぼれ落ちそうになる。アゲハがそれを零さないように天を仰ぐとシンガポールの青い空が目に眩しかった。
(まだ泣いちゃダメだ。旅を終えて、それからもう一度家族と出会えた時、それまでは涙を流すわけにはいかない)
一度目を瞑ったアゲハは再び顔を下げて正面を見た。その目じりには涙は無い。
アゲハは目の前の白いワゴンのドアを開けると礼儀正しく
「よろしくお願いします」と軽い会釈をすると後ろの座席に腰掛けた。
財団の男達はアゲハの声色が震えていることと鼻の頭が赤くなっていたことに気づいていたがあえて触れないようにした。健気な少女の決意に水を差すほど、彼らは不出来な人間ではないのである。