侵犯者DIO②
ホル・ホースによって再びエンヤの元へ連れ戻されたアゲハは正直焦っていた。あの時の激昂したエンヤを思い出していたからだ。
そんな背景も知らず、ホル・ホースは涼しい顔をしながらエンヤとビジネスの話をしている。
しばらくして、エンヤはアゲハを視界に捉えると不意に頭を撫でた。驚きで目をパチパチするアゲハを見てニタリと笑うと皺くちゃな口で「よくもやってくれたね」と囁く。
アゲハは声にならない悲鳴をあげ、心臓をバクバクと高鳴らせながらホル・ホースへ目配せするもウインクで返され思わず目じりに涙を貯めた。
「悪い意味じゃない……初めての割には良い動きじゃ」
「それって……」
怒っていた訳では無かったのかと肩を落とすアゲハ。その肩にホル・ホースのがっちりとした手が乗せられた。
それに気づいたアゲハがホル・ホースへ力の抜けたへにゃりとした笑顔を見せるとホル・ホースも白い歯をみせて笑った。
「それでアゲハ……お前に聞かせたい話がある」
「え? 」
「DIO様の所へ行くのじゃ……それも一人でな」
アゲハは困惑した。私ひとりで、この迷路のような館を? それどころかつい先程まで命の危機を感じて脱出しようと思っても脱出出来なかった館を、目的の部屋、それも何階にあるかも分からない部屋を探すのか、と。
「館を出ていくっていう選択肢はオススメしないぜ……お前の為にな」
「ホル・ホース、どういうこと?」
「それはDIOの旦那から聞く話だ」とホル・ホースはアゲハの質問をかわした。
アゲハはムッとしたがエンヤ婆により部屋を出ることを促され文句を言うことまでは叶わなかった。
扉から出るとまたもや世界は一変していた。
今出てきたばかりの扉を完全に閉めてしまえばそこはもう、館の廊下とは思えなかった。
(またか……)
風景は『常夏のシーサイド』と化していて本来壁がある場所は地平線まで見えるエメラルドグリーンの海へと変貌を遂げていた。
館が海になる……これはどう考えても『普通』じゃあない。
アゲハはこの景色がスタンドによって作られた所謂「幻覚」というものだと推測する。
所詮この建物は現実世界にあるひとつの建築物であることに変わりはないのだ。
アゲハは手の中に弾丸を創り出すとおそらく壁だという所に投げつけてみる。先へと続く海の中までは弾丸は飛ばずコロコロと音を立てて砂浜に転がる。アゲハは自分の歩く先に弾丸を転がし、先に廊下が続いているか調べながらゆっくりと進んだ。
「エンヤさんの口ぶりからして、この館で一番偉い人はDIOさん……なんだろうなあ」
暫く闇雲に歩くも、シーサイドに突然扉や階段が現れる訳もなくアゲハは立ち止まる。
ふう、と深いため息と共に呟かれた言葉は偽物の波の音にかき消された。
「ってことは一番日当たりが良い部屋があの人の自室なのかな……お日様って気持ちいいもの」
アゲハはそう勝手に解釈するとスタンドにより偽造された太陽を睨みつけながら再び歩き出す。
しかし、こんなにも肌に突き刺さるようなジワジワとした太陽ならば前言は撤回せざる負えないなと鬱陶しそうに額の汗を拭った。
しばらくしてーーアゲハはヤシの木によって日陰となっている砂浜に座り込んでいた。
前髪を持ち上げ、手で顔を仰いだアゲハは
「あ、暑い……」と思わず口を零す。
心ではこの景色はスタンドによる偽物だと理解しているつもりなのだが、視界や聴力による暴力に体は勝手に火照ってしまっていた。
これがスタンド能力なら、どこかに必ず本体がいるはずだ。例え偽物の風景を作り出すことの出来るスタンド使いで、その姿が見えないとしてもそいつは呼吸もしているだろうし体温だってあるだろう。
そういう類のものが見えたら、早速本体を見つけだして一発ぶん殴ってやってもいいなとアゲハは乱暴に髪をかきあげる。
すると不意に右の目元を何かが覆った感覚。驚いてパッと顔を上げると小型モニターの様なものが右目の当たりを覆っていた。
「嘘……ッ! まさか新しい能力なの? 」
右目と右耳の間ーー太陽の当たりに取り付けられていたボタンを押してみる。するといきなり視界が何倍も拡大された。
(スコープだわッ!これは恐らくアメリカンスナイパーなんかが使う様なものッ! )
しかしこの能力だけでは今のこの状況を打破することはできない。アゲハはガッカリした様子で横髪を耳の後ろにかけた。
その時、アゲハの薬指が拡大スコープではないもうひとつのボタンに触れてしまったようで次の瞬間、辺りは緑色に包まれた。
アゲハは再び驚きモニター画面以外に目をやるがそこは常夏。
「なんなのよォーッ! 」と、期待はずれだったことに少し悪態をつく。
気を取り直してアゲハはモニターを見つめた。そこには今は砂浜に見えているが、元はただの廊下であった事が垣間見えるように長く真っ直ぐな廊下が映し出された。
アゲハは次に自身の手を右目の前、つまりモニターの前にやった。そして画面にオレンジ色に近い色をした自身の手が映ったのでアゲハは確信する。
(このモニターには二つの能力がある!ひとつは拡大スコープ! そしてもう一つが……)
モニターを見つめたアゲハは迷いなく自信を持って歩いていく。見える見える!
「もう怯えながら歩く必要は無いッ! いくら周りの風景が地獄の針山に変わったって私はヘッチャラだよ! この『熱量図表(サーモグラフ)』が私を進むべき道へと導いてくれるのだからッ!」
この不思議な館をアゲハは登っていく。
今は彼ーーDIOに会うことが私の進むべき道なんだ。
「後悔は確かにある……けれど私が生きていく上でこの選択はきっと間違えではないッ」
アゲハはあの日、一人で勝手にホテルを飛び出したことを後悔していた。
こんな普通じゃあない目に遭っているのもあの時の自分の選択ミスだと。
本当は今にでも帰って皆に謝りたい。勝手なことをして迷惑をかけてしまったと。
しかしこの館を脱出しようだなんて馬鹿な事が出来るはずもなかった。
アゲハは痛感していたのだ。自分の力がDIOには及ばないーーそれどころかエンヤにもホル・ホースにも及んでいないことに。
アゲハはあの時、触れられたDIOの手を思い出す。カーテンを開けようした手に重ねられた彼の手。
「嘘みたいにひんやりとしていた……いや、ひんやりだなんてナマ優しいもんじゃあなかったかもしれない……」
アゲハは目の前にある棺桶を前にして冷や汗を垂らす。日本でずっと生活していたから外国の文化に驚いているだとかそんな半端なものではなく、ただ単に異常だったからだ。
「熱量図表(サーモグラフ)が僅かに青いッ……『普通』じゃあない、まるで人間ではないように感じるわ」
目の前に横たわる棺桶の中には確かに人間程度の大きさの物が入っている。
これがDIOなら彼は一体何者なのだろうかといった話になる。
「私ですッ、アゲハです……そこにいるのはDIOさん……なんですよね? 」
棺桶に向かって喋る姿は中々滑稽なものだろう。それにプラスして誰も返事をしてくれないのだから尚更だ。
アゲハは焦れったくなって棺桶の前に膝をつくと棺桶の取っ手に手をかけた。
「まさか寝ているんですか? とりあえず開けますよ。貴方にはたくさん聞きたいことがある……」
「アゲハ、今起きたのか? 」
「!?」
目を開けたアゲハの視界にいの一番に飛び込んできたのはDIOの端麗な顔。いいや、それは全く構わないのだがおかしいのは位置関係だった。
(……なんで、どうして私が棺桶の中で横たわっているの?)
アゲハは確かに棺桶を『開けた側』だった。しかし気づいた時には棺桶を『開けられた側』と化していたのだ。
横たわっていた体を起こしたアゲハは混乱に乗じて創り出された手のひらの中の弾丸に今までの出来事が夢では無いと理解する。
「……ッ、DIOさん、何をしたんですか?」
「さあ、なんの事だろうな……アゲハ」
フン、と満足げに笑ったDIOは近くに設置されたベッドに腰掛ける。これ以上この問題について話すつもりは無いのだろうーーアゲハは急いで棺桶から出るとDIOの元へ駆け寄った。
「長話になる、座れ」
「えっ?」
アゲハはその場でポーっとした。こんな艶めかしい優男(ちょっと顔は怖めだけど)にベッドに来いと言われて照れない女はいないだろう。
そんなアゲハの心を知ってか知らずか、
「この私が来いと言っているんだ……二度同じことを言わせるんじゃあない」とDIOはアゲハの手を引いて隣へ座らせる。
顔を赤くしているアゲハに顔を近づけるDIO。
「えっ……? アッ、エェッ?!」
そんなマヌケな声を上げたアゲハは恥ずかしさのあまり大きく身を引くと、勢い余ってベッドから落下ーーハッとしてスカートを抑えて足を閉じるが恐らくDIOには見られてしまっていただろう。アゲハは恥ずかしさのあまり涙が出そうになる。
早く立たなければとあたふたするアゲハにDIOの手が伸びる。手を貸してくれるのか? と、アゲハがDIOを見つめると彼は右目のモニターに触れただけだった。
「これもお前のスタンド能力か……」
「はっ、はい……そうですが……」
DIOの手を借りてベッドへ戻ってきたアゲハは遠慮がちに腰掛ける。
何をしたいのかは相変わらず分からない。食えない人だと素直に思った。
「一つ、お前に話しておきたいことがある」
「話しておきたいことですか? 構いませんが……」
頭にはてなマークを浮かべながらアゲハは答える。しかしその顔つきはDIOの次の言葉により豹変した。
「単刀直入に言おう……お前の泊まっていたホテルで火事が起きたのだ」
「私達の泊まっていたホテルですって!? 」
スプリングが大きく跳ねるほどの強さでアゲハは立ち上がった。冗談じゃない、なぜ?
「DIOさんッ! どうして私達のホテルなんですか!? 周りにもたくさんホテルはあったじゃあないですか! 」
「これは偶然ではないのだよ」
激しく動揺するアゲハに対し冷静なDIOは低くて艶めかく、それでいて力強い声で紡ぐ。
「実は私の命を狙っている人物がいるのだ……」
「い、命を……ッ?」
「あの夜、実はわたしもアゲハと同じホテルに宿泊していてね……そのせいで君のご家族の命を失わせてしまった」
「そんなあ……でもッ! 悪いのはDIOさんの命を狙っていた誰かじゃないッ! そいつの名前を教えて!」
DIOの申し訳なさそうな顔にアゲハは動揺した。そんな顔をされたら怒るに怒れないじゃあないかと。
だからと言って怒りが収まるわけではない。アゲハはDIOの正面に立つと興奮で身体からぽろぽろと弾丸を溢れるのも厭わず叫ぶ。
「DIOさん……私が、いえ私にやらせて下さい。貴方の命を狙う業人を私に任せて下さいッ! 」
「アゲハ……」
「DIOさんッ名前を教えて下さいッ!」
息を荒らげるアゲハはDIOの命を狙う業人ーーというより家族を殺したそいつを許せなかった。
そんなアゲハにDIOはある人物の名前をとなえる。
「ジョセフ・ジョースター……そしてその孫、承太郎だ」