名字名前の「スタンド通り魔事件」が発生してから1週間が過ぎた頃ーー下校時間になっても待ち合わせ場所に現れない奴に痺れを切らしたオレは仗助に断りを入れると早速教室へと向かった。
あの日ーー、康一が露伴センセイの家に名前を連れていった時現れたという不審なスタンドはあれから一度も姿を見せていない。それでも仗助の
「できる限り俺たちで監視を続けようぜ。それが名前の為にもなるだろ」という言葉に倣って一応三人で登下校を共にしているがこれといった進展はなかった。
そもそもセンセイの所へ行って得られた情報らしい情報といえば事件の「凶器」の存在と名字名前という人物の『確かな情報』ぐらいなもので、一回目の襲撃についても、不審死を遂げた「姉」についてもオレには一切情報が降りてきていない。
「ヘブンズ・ドアーで読んだにしちゃあ情報が少なすぎるよなァ〜……康一の奴オレらに何か隠し事でもしてるんじゃあねェか?」
根も葉もない疑いを口にしながら名前の在籍する1年の教室のドアに手をかける。
誰もいない教室の、最後列窓際の席で慌ただしく机の中身を漁っていたそいつはオレの存在に気がつくとビジネスマナーの教科書のお手本みたいな笑顔で
「こっちに来てください」と手招きをした。
「助かりました。あと5分ほど探して見つからなかったら諦めようと思っていたんです」
ひきつった笑顔でそう言ったそいつは数十分程かけて探し出した「万年筆」を大事そうに握りしめた。しかし、それは既に無惨にも割れてしまっていて中身のインクが名前のパステルイエローのハンカチを黒く染めあげている。
「い、いいのかよ……その万年筆……ゼッテー誰かの嫌がらせだぜ。犯人に心当たりはねーのかよ」
「犯人は大体分かってますよ。最近仗助先輩と一緒にいることが多いから何かと目をつけられているんです……億泰先輩も近くにいるんですから、逢い引きなんかじゃあないって事ぐらい分かりそうなものなのになあ」
その有り付き顔を崩し、僅かに怒りを含んだ様な冷たい顔をした名字名前にオレは一瞬たじろぐ。それはここ一週間程行動を共にしていて初めて見る顔だった。その面持ちからこの万年筆はかなり特別なものだったというのが馬鹿なオレにも容易に感じ取れる。
「……もしよォ〜そいつが「直る」って言ったらどうする?」
「は……」
「だからその万年筆!直せるっていったらどうするって聞いてんだよ」
だからこそ、修復して元気づけてやりたいと思ったオレの問いに、できっこないことを言うもんじゃないと心底不快そうな顔をした名前は
「出来ることなら直して欲しいに決まっています」と吐き捨てた。
いつのまにか名前の怒りの矢印はオレを向いていて、僅かに細められた冷たい視線が己を見上げている。
「ちこっとオレに預からせてくれればよォ、元通りに直して返してやるよ。仗助のヤツに頼めば一発なんだぜ」
その視線からいち早く逃れたくて名前の手元の万年筆に手を伸ばす。酷い壊れようだが仗助のクレイジー・ダイヤモンドにかかればものの数秒で元通りになる筈だ。そうすれば落ち込んでいるコイツも少しは元気にーー。
「ーーやめてッ!!」
しかし次の瞬間、身を丸め万年筆を覆うようにしてしゃがみこんだ名前は劈くような悲鳴をあげた。
2人きりの教室に一気に緊張感が走る。次第にゆっくりと立ち上がった名前は未だに眉を釣りあげ冷ややかな視線で俺を突き刺す。
「な……なにもそんなに嫌がることねーだろーよ。ただオレはそれを直してやろうと」
「そのクソした後ろくに手も洗っていなさそうな手で私の万年筆に触るなと言ってるんだよッ!このヌケサクがッ!!」
立ち上がりオレから距離をとった名前が面罵するように叫ぶ。これ以上ない程に瞳孔は開き、穏やかでない心中を表すかのように口元からはフーフーと息が洩れている。
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと私の前にこれましたねェ!?いよいよ場所も手段も選ばない様になったんですか?こんないつ誰が見てるかも分からない所でやるつもりですか!」
「な、なにを言ってーー」
「黙れ黙れ黙れッ!この痴れ者!広瀬先輩からすでに聞いてるんでしょうッ!私はあなた達「兄弟の罪」を知っているんです!この人殺し共がッ!」
思わず頭が真っ白になった。
人殺しーーと、糾弾されたのは初めての事だったのだ。
オレたち兄弟の罪……それはまだまだ記憶に新しい。あの時名前から姉の死因を聞いた時、死亡事件の発生日時を聞いた時、察しの悪いオレにもすぐ頭に過ったものだ。
「私の姉を殺した弓矢を放ったのはあなたのお兄様である虹村形兆なんですよ。親に杜王町に呼び戻されてから必死で調べ回りました。でも去年の春頃に死んでしまったんですよね?ろくすっぽ罪も償わないまま勝手にこの世を去るなんて許せませんよ……あなた達に何人射られたんでしょうね?そして、何人が死んだんでしょう」
親父を殺してくれるスタンド使いを探すため、オレと兄貴はこの街の住人の何人かに矢を放っていた。中には康一や由花子、露伴先生みたいに生きて「スタンド」を身につけたやつもいたが大半はそのまま息絶えてしまっていたのはオレも知っている。
でも兄貴はオレには決して弓と矢を渡さなかったし、オレの居ぬ間にスタンド使いを生み出していたことも一度や二度じゃあない。オレが知る以上に被害者はたくさんいるのだろう。
その内の遺族がこうしてオレの前に現れるのだって自分達のしでかしたことを考えれば至極当然のことだ。
「いいですか?たとえあなた達に何か深い訳があって弦を引いていたとしても、人を殺めたという事実は揺るぎませんッ!そして私の姉が命を落としたという事実も変わらないのです!あなたが仗助先輩達と仲良くカフェで一杯引っかけている間も私は!私の家族は!苦しんでいたんだッ!」
オレには名前がただひたすらに叫んだ責苦を聞き流すことなど出来なかった。目の前の小さな女のコの言う事が、すべて正しいと思ったのだ。
オレ達兄弟がやってきた事は罪に問われるべきもので、それは如何なる理由があっても決して許されるべきではない。他のスタンド使いに命を奪われたからと言って無罪放免とされるべきものでは無い。
「ーー悪かったッ!全部オメーの言う通りだぜ!オレらの罪は重い、両手じゃあ数え切れない程の人達を矢で射抜いてきたんだからな……!この通りだッ!」
謝って済む問題ではないのは分かっていたがオレは名前に頭を下げた。頭上から降ってくる嗚咽にも似た吃音は突然のオレの行動に戸惑っているのだろうか、どうもはっきりしない。
「そして信じてくれ……お前を襲った犯人はオレじゃあねェ。こればかりは証明することは出来ねーけど分かるやつには分かる筈だ」
ゆっくりと顔をあげればかち合う名字名前の大きな瞳。その目は今も鋭くオレを射抜いていたがやがて諦めるようにそれを伏せるとぽつりと小さく喉をふるわせ始めた。
「……分かりました。信じます……けど、勘違いはなさらないで下さいよ。私はあくまで今回の事件に億泰先輩は無関係だと事前に話してくれた広瀬先輩と山岸先輩、露伴先生を信用するんです。貴方の事はまだ……信じられません」
はっきりと断絶の意を込めて言い放った名前の言葉は先程よりもうんと柔らかく丁寧な口調へと変化していたにも関わらず更にオレの心を揺さぶった。明確な怒りを滲ませたその声色は、舌鋒鋭く叱咤していた時よりも酷く痛々しかった。
「それに……私が求めているのは謝罪じゃあないんですよ……」
悔しそうに、ぽつりと零された言葉と共にガラリと音を立てて引き戸が開かれる。
「明日からは登下校の付き添いは必要ありませんから。いままでありがとうございました」と突き放された冷ややかな声と物言えぬ雰囲気が漂う教室に取り残されたオレは思わず窓へ目をやった。
己の心とは反比例するように空はうんと青くて、僅かに浮かんだ雲はふわふわで真っ白だった。