放課後、康一くんと校門で待ち合わせをしていたらしい名字名前があたしと目が会った瞬間口についたのはそんな見当違いな言葉だった。初めは二人きりであの漫画家の家に行こうとしていたと聞いて全身に炎に舐められるような怖気が走ったのは言うまでもあるまい。
「勘違いしないでちょうだい。あたしは別にあんたを気にかけて着いてきたわけじゃあないのよ」
「あ……あはは、そうでしたか……」
そうはっきりとものを言ってやれば困ったように苦笑いを零した彼女はふいっと視線を落とし何やら深く考え込むように口元に手を添えた。それじゃあどうして着いてきてくれるんだろうーーとでも考えているのだろうか、難しそうに唇をへの字にした目の前の女生徒は小さく唸っている。
「おーい!由花子さん、名前さん!」
「康一くん!」
「お疲れ様です、広瀬先輩!」
特に会話をする訳でもなく、待つこと大体5分。玄関からこっちに小走りで駆け寄ってきた康一くんがわたしに手を振る。遅れてしまったことを懇切丁寧に詫びる彼にわたしは「いいえ」と首を横に振ると代わりに疑問に思っていた事を返した。
「東方仗助とは何の話をしていたの?」
「えっ!ああ……露伴先生に記憶を読んでもらう時に「見てきて欲しい部分がある」んだとかで……」
「………………」
思い返すのはほんの数十分前の事。ホームルームが終わり、一緒に校門へ向かおうとしていたわたし達を呼び止めた東方仗助。あの男が康一くんにだけ話があるとか言ってわたしを先に行かせたんだったか。
スタンドというものを知らない当人には聞こえないようにと耳打ちされた康一くんの言葉に納得したわたしは、気をつかってか発言を慎む様子の名字名前を見て
「どうせ気を使うのならそのまま康一くんの手を煩わせずに勝手に解決して欲しいものだわ」と心の内で舌打ちをした。
「こんにちは岸辺露伴先生。私はおふたりと同じく、ぶどうヶ丘高校に通う名字名前といいます。本日はどうぞよろしくお願い致します」
それから程なくして例の漫画家の家に到着したわたし達は早速ヤツの2階の作業場へと通された。自分が今から何をされるかも分かっていない名字名前は人当たりの良さそうな笑顔で深く頭を下げると促された通り一脚の椅子に腰をかける。
「きみ、漫画とか読むのかい?」
「は……漫画、ですか?」
しかしそんな彼女の目の前で仁王立ちをした岸辺露伴がぐっと顔を近づけて問うのは事件とは全くの無関係なことで。困惑しつつも少し照れくさそうにはにかんだ名字名前は少し視線を斜めに逸らす。
「僭越ながら露伴先生のピンクダークの少年はいつも楽しく読ませていただいております。でも……単行本派なのでこの部屋は目のやり場に困ってしまいますね」
こんな形にはなりましたけどお会い出来て本当に嬉しいですーーと続けられた言葉はまさに模範解答以上で、ヤツも気を良くしたらしい。 特に深く突っ込む訳でもなく会話を終わらせた岸辺露伴は簡単な事の経緯を康一くんに尋ねると再び彼女に向き合った。
「ヘブンズ・ドアーッ!」
そしておもむろに叫ばれたのは岸辺露伴のスタンドの名前『ヘブンズ・ドアー(天国への扉)』。みるみるうちに彼女の顔の皮膚に亀裂が入り、そこを境に本の表紙のようにそれが捲れてゆく。
「ふうん、この女結構熱心なファンなんだな。来週発売の最新刊の予約までしてるみたいじゃあないか」
やがて意識を失ったらしい名字名前が椅子の背もたれに身体を預けると早速パラリと1ページ目を捲った岸辺露伴が嘯く。術者であるヤツ以外には本の中身を読む事はできない為、わたしと康一くんは一歩下がったところからで事の行く末を見守ることしか出来ない。
「名字名前 16歳、ぶどうヶ丘高校の1年生……部活動は無所属で趣味はショッピング。表向きは誰にでも礼儀正しく敬意を持って接するが心の内では本当に必要と思う人間以外には決して興味を持たないタイプの性格のようだ。それ故に友好関係は広く浅くといった感じか。交際相手はいないが意中の相手がいるらしい。そいつの名前はーー」
「露伴先生ッ!関係ないことまで詮索するのはよして下さいよッ可哀想でしょう!」
「やっぱりあなたって最低ね」
「……分かったよ。これ以上はやめておこう」
だけどこういったあまりにもプライベートなことを口外することは止められるわけでーー康一くんの制止の声にわざとらしく肩を落としたヤツに胸をなでおろしたわたし達は後に続くさらなる情報に身構えた。
「中学2年までは東京にある全寮制の進学校に通っていたが1999年の1月頃、姉が杜王町で死亡したことをきっかけに幼い娘を心配した両親に呼び戻される形となって地元のぶどうヶ丘中学校に編入。そのまま高校へ進学し今は商店街近くの一軒家に両親と共に住んでいるーーか」
「あのっ……先生、そのお姉さんについてもっと何か書かれていませんか!?名前さん曰く矢で射抜かれたのが死因だって言っていたんですッ!」
「なんだと……ッ!?」
声を荒らげた岸辺露伴が彼女の次なるページに手をかける。もしもあの東方仗助の予想が確かならーー「わたしたち3人と同じようにして」彼女の姉は「あの男」の放った弓と矢に射られたに違いない。そして適正に叶わず命を落としたのだ。
「あった!あったぞッ!『私の姉を殺したのは虹村形兆という男』『殺人を起こした虹村兄弟を許してはいけない』だと!この名字名前とかいう女ッ!既に姉の死の真相が分かっていてわざと隠していたな!」
そして突きつけられる真実にわたし達の間に衝撃が走る。あの男の仮説は当たってしまったというのだ。
「でも一体どうして彼女はぼくからの協力を断らなかったんだろう。名前さんからしてみたら憎んでいる億泰くんの友達となんか本当は関わりたくもないんじゃあないかな」
「普通はそう考えるわよね……けれどそうしないという事はそうしない方が都合が良いということなんじゃあないかしら。例えば自分を殺そうとしているのが「虹村億泰個人の犯行」だと思い込んでいるのなら東方仗助や康一くんに助けを求めるのは最善策と言えるわ」
まあすべては、彼女の記憶の中に書いてあるんでしょうけどーーわたしは自身の双眸でぐったりとした名字名前を捉える。ここでいくら仮説を立てていても時間の無駄だ。
彼女が例えどんなに口先だけの嘘をつこうともヘブンズ・ドアーの前では形無しとなる。陳情記憶も非陳情記憶もすべてが丸裸にされてしまうのだ、あの日の通り魔事件の記憶さえ読んでしまえば事件の真実はすべて大っぴらになる。
「そうだった、そもそも最初からそのつもりでここへ来たんじゃあないか!露伴先生ッ!昨夜の事件についての記憶を読んでください!名前さんがぼくらに「隠している何か」が分かるかも!」
「……ああ、分かった」
頬に一筋の汗を伝わせた岸辺露伴が彼女の次のページを捲ろうと手をかける。わたしも康一くんも次に語られる事件の真相に思わず息を飲む。
「な、なにィーーッ!!?僕の身体の皮膚がッ!ささくれのように逆剥けているぞッそれもかなり深くッ!」
「なんだってっ!」
しかし、次の瞬間語られたのは真相なんかではなくてーー部屋中に響くほどの大声で叫ばれたのは露伴先生の身に降りかかった損傷。
そして、まるで名字名前の記憶を読ませないとでも言うように彼女の顔に出来た『スキマ』からようやく姿を表した事件の「凶器」に康一くんが驚きの声を上げた。
「露伴先生の身体に現れたささくれ!やっぱり『通り魔事件』の凶器は「スタンド」だった!そしてこいつが犯人ッ!」
「そのようだな……もしもコイツが「剥かれた」のなら…… 名字名前が受けたという不可解な傷と一致するかもしれん」
満を持して目の前に現れた黄色と白が目を引く女体型のスタンドはゆらりとした立ち姿で私達を見据えていた。握り拳をつくり構える訳でもなく、その飄々とした佇まいからはとてつもない余裕すら感じられる。
先生だけではなく康一くんにも危害を加えようものならば容赦は出来ないーーわたしは自身の黒髪であり、スタンドでもあるラブ・デラックスを操ると次の一手に対抗しようと身構えた。
「んっ……ンンン……私、いつの間に眠って……」
その時だった。意識を取り戻した名字名前が重たい瞼を持ち上げ言葉を漏らす。そして辺りを見渡し、目に付いたソレに目を見開き叫ぶ。
「ひっ……露伴先生が怪我をッ!一体どうして!」
「名前さんはそこを動かないでッ!エコーズACT3!」
目の前の敵スタンドに応戦する為現れた康一くんのエコーズはその小柄な見た目に対して反比例する程に力強い能力を持っている。しかしその反面ACT3の射程距離は短く、相手とは接近しなければ戦えない。
そしてーーまるでそれを前もって知っていたかのように対峙した敵スタンドは付かず離れずの距離をとるとそのまま間合いを詰めさせずに窓の外に飛び出していく。
それはあまりにも素早い判断だった。『逃亡』を選択したのだ。戦わないという選択を即座に判断したのだ。
「あ……あの、大丈夫ですか……?」
突然の逃走劇にあっけに取られるわたし達の事など知る由もない名字名前の窺い見るような声が静寂を破る。その顔色は青ざめていて、なんとなくだが自分を襲った『犯人』がここに『いた』ということに気づいているといった様子だ。
「露伴先生のその怪我って……やっぱり、私を襲ったヤツと同じーー」
「そんな事より僕からの質問に答えてもらうぞ、名前……お前の姉を殺した男の名を言ってみろ」
「な……なんで……」
「オイオイ何を今更隠そうって言うんだよ。知ってるんだろ?ほら言っちまえよ」
身体中のめくれあがった皮膚をそのままに露伴先生が名字名前に詰め寄る。息がかかってしまいそうな程の距離にその場にそぐわず赤面した彼女は一度目をぎゅっと瞑ると視線を散らす。思わずわたしとぶつかった名字名前の江戸茶色の柔らかな瞳は揺れていて、分かりやすいほどに動揺していた。
「……虹村形兆、という男です……」
そして、やがてぽつりと落とされた言葉をわたし達は深く深く飲み込む。何たる偶然か、奇しくもここに集まった3人は皆「虹村形兆」の放った「弓と矢」によってスタンド使いとなった者達だった。
今更ながらゾッとするーーもしもわたしにスタンドの才能が無ければ彼女の姉のように命を落としていたというのだ。
「先生が……私からどうやってこの話を聞き出したのかは分かりません……けど、既に「知っている」のなら打ち明けてもいいんでしょうか」
「……言ってみろ」
「私を殺そうとしているのはやはり……虹村億泰なのでしょうか」
恐怖で身体を震わせた名字名前はその大きな瞳を見開いて岸辺露伴を見つめている。未知なる力からの暴力に怯える一方で、憎しみの炎が燃えたぎっているのだ。そして、それと同時に僅かな希望を彼に抱いているようにも見える。
そんな彼女の姿に、どこか『親近感』を覚えるのは何故だろうーー愛想笑いとおべっかが得意な名字名前とわたしなんて、似ても似つかない性格な筈なのに一体全体おかしいわ。
結局、その日はそのまま解散となりわたし達2人は彼女を家まで送り届けてから帰路についた。
そういえば、東方仗助が見てもらいたかったという記憶は読むことが出来たのだろうか。まあ、まさかスタンド使いでも無い彼女の記憶に『アイツ』に関する情報が載っているなんて事はまず無いんでしょうけれど。
……きっと彼の取り越し苦労に違いない。