それは学習塾の帰りで……そうだな、ちょうど19時を回る頃だったハズ。ぼくがクタクタになりながらも帰路に就いていると遠くから女の子のすすり泣くような声が聞こえたんだ。
夏にはまだ遠いから辺りは結構暗かったし少し不気味だったんだけど、その声があまりにも悲しそうだったからぼくは思わず駆け出していた。
「ねえ、きみ大丈夫?そのケガはどうしたんだ?」
座り込み、肩を震わせている少女を見つけるのはあまりにも容易い事だった。彼女は煌々と光る街灯の真下でしゃくりあげていたのだ。ぼくらと同じ、ぶどうヶ丘高校の制服に赤い染みをつくって。
「……た、助けて下さい……ッ!」
ぼくの声に反応し、勢いよく振り返った少女は目じりに涙を浮かべながら助けを求めてきた。しっかりと糊付けされた新品同様のセーラー服からみるに彼女はほんの数週間前に入学してきたばかりの新入生のようだ。
「落ちついて!きみは一体どうしたっていうんだ……!?」
「「殺される」……私も、殺されてしまうのだわ……ッ!!」
「な、なんだってッ!」
肩を掴み、必死に状況説明を求めるも心底脅えた表情で僕の手を振り払う少女。気を取り乱しながらも、申し訳なさげに軽い会釈をした彼女はそのまま覚束無い足取りで住宅の外壁を伝い歩いていってしまう。
ああそんな出血でーー彼女の左脇腹に滲む赤をみる限り、それなりに大きな怪我であることは間違いない筈なのに。
その異常な様子に呼び止めようとぼくが足を一歩前に踏み出したその時だった、再び地面に膝を付けた彼女はそのまま地面に倒れ込んでしまった。
この話は、杜王町に潜む殺人鬼「吉良吉影」を倒し、同じくこの街に潜んでいた悲しき復讐者「蓮見琢馬」をも退け、それから少し時間が経った頃のこと。
これがぼくらと彼女ーー名字名前を渦巻くちょっとした物語の始まりだった。
「ヒロセ先輩っ!昨日はありがとうございました!」
今の彼女の動作に「音」を当てはめろというのなら「ガバッ」という所だろうか。
とにかくそれほど懇切丁寧に勢いをつけ、深く深く頭を下げた少女は動揺するぼくの声とーーなによりも隣でトンデモな形相を浮かべたぼくの恋人からの視線に頭を上げた。
「康一君、この女誰なの?」
「あ……自分は一年の名字名前といいます!昨晩、怪我をしていたところをたまたま通りがかった広瀬先輩に助けてもらったんです」
重ねて頭を下げる彼女に
「気にしないで」と返せば、眉を八の字に曲げながら
「ありがとうございます」と困ったように笑う名字名前。
それを見て、自分から聞いたはずなのに
「ふーん」と機嫌悪そうに返した由花子さんは……一先ずは落ち着いてくれたらしい。
「あの後、警察で事情は説明したんでしょ?どうだったの?」
「まあ一応……あまりにも唐突な出来事だったので説明らしい説明は出来なかったんですけど」
ぼくの質問に学校指定のセーラー服の下に、首元から手首までも覆うアンダーシャツを着た名字名前は俯いてしまう。前髪の隙間から見える彼女の瞳には色がない。
そしてぼくはそんな彼女の表情を見てーーしまった、と素直に思った。
『通り魔事件』の被害者になんてことを言ってしまったんだ。流石に無神経だった。
「え〜っと……私はここらで失礼します。折角の休み時間にこんな話も無粋ですし……先輩方も帰り道には気をつけてくださいね」
それでは、とぺこりと頭を垂れた名字名前がぼくと由花子さんの前からパタパタと姿を消す。
悪いことしちゃったかな、と少し気を落としたぼくを見兼ねたのか由花子さんが労りの言葉を掛けてくれる。
ああ、ぼくにもそれぐらいの気遣いが出来ればなあーーそう思わずにはいられない。
「由花子さんは放課後なにか予定あったりするの?」
「いいえ、特には……」
「それじゃあ一緒に帰ろう。最近この辺りは危険みたいだし送っていくよ」
そんな自分の言葉に、素直に嬉しいと返してくれる由花子さんとの楽しい時間をすごしていたぼくは想像もしていなかったんだ。
放課後、下校するぼくらの前に昨夜と同じようにして血を流した名字名前が倒れているだなんてーー……。