Valentine Episode.3
やめる夜も
「じ、ジョルノがニッポンに来るッ!?ええっ!いつ!?」
「2月14日です。もし宜しければ貴方の元へ伺っても?」
仕事終わりの20時、自宅での事ーー私は電話口の男の言葉を復唱すると、信じられないものを見るように一度携帯電話のディスプレイに表示された画面を見つめる。
ジョルノ・ジョバァーナ……確かにそう表示されている。イタリアなら時差は8時間程度なので彼は今お昼休みなのだろう。
「し、信じらんない……急に言われても困るわよぉ〜……」
「……もしかして名前、その日に何か予定でも入っているんですか?」
「…………ないけど」
ぼそりと呟かれた否定の言葉が期待通りのものだったのかは定かではないが嬉しそうに声のトーンを上げたジョルノの声が電話越しに響く。
もしも彼がこの言葉を期待していたというのなら中々に意地悪な奴ということになる。
「でもその日はフツーに会社よ。平日だもんバレンタイン休暇なんてものは日本にはないの」
「でも仕事終わりには時間取れますよね?それで十分ですから」
「はあ……?十分ってどういう事よ」
「14日の夜、ちゃんと身体空けといてくださいよ」
それきりプツリと切れてしまった携帯電話を見下ろした私はわざとらしく大きくため息を着く。こんな礼儀のなっていない電話の切り方で日々の仕事が成り立っているのだろうかと思わずにはいられなかった。(ギャング社会だもの、礼儀にはうるさいんでしょう?)
「名字さんは?これから誰かと予定、あったりするの?」
2月14日当日、終業後の更衣室ーー……数分遅れてやってきた先輩が文頭一番に発した言葉はそれだった。
だいぶ浮かれているらしい彼女はいつも気合を入れる時に付けているグロスを塗り直している。唇が艶々としてセクシーな雰囲気になると女子社員の間で支持されている先輩の勝負メイクだ。
「う、う〜〜ん……あるような、ないような?って感じです」
同じく私も口ではそう言いながらも浮ついているのだろう、パサついてきた髪をまとめる為にオイルを馴染ませていく。ニオイヤグルマギクの様な甘い香りのこれはここ最近ずっと愛用しているものだ。
「確か先輩は彼氏さんとの食事でしたよね。ほら、12月の前半から予約してたっていうあの店の!」
「そうなのよォ〜!美味しかったら今度空いてる時にでもランチで行きましょうね」
「わあ、嬉しいです!約束ですよ〜!」
流れるように今度の約束を立てた私は足早に去っていく先輩を見送る。もちろん羨ましいと思わない訳では無い。だがあのジョルノが私に予定を開けておけと言っているのだからきっと退屈しない夜になるのは間違いない。
「……そうよね?……うん、そうに違いないわ……うん……う〜ん……」
だが、実際何をするだって言うのは私には知る由もない。悶々と唸るように身支度を整えた私は他の社員一同の方々に挨拶を述べてから更衣室を出た。
さあ、早く家に帰ってどういうつもりだったのかと彼に問いたださなくてはーーと会社のエントランスを抜けた所で私は予想外の人物の登場に声を失った。
「じ……ジョルノ?」
「こんばんは。終業時間に合わせてきたのに……随分と遅かったですね」
息を吐けば白い湯気になるようなそんな寒空の中、いつもとは変わってブロンドの髪をハーフアップにした見知った友人がただ一人待っていた。付き人もいない、誰が見ているかも分からないようなこんな街の真ん中で。
「……もう!電話の一本でも入れてくれればエントランスホールで待っててもらうようにしたのに!すっかり冷えちゃってるじゃない!」
それでも、奇妙に3つ連なった円が特徴な前髪はご健在でーー私は低いヒールになっているブーツを鳴らしジョルノに歩み寄ると彼の頬に両手を添えた。
つるりとした白い肌がじんわりと赤みがかってすっかり冷たくなっている。数十分は外にいたのだろう、そんな感じだ。
「……って、そうじゃあないわよね。せっかく遠くから来てくれた貴方にいの一番に言いたいことはそんなことじゃあないのよ」
私の行動にあっけに取られた様子のジョルノを見てコホンとひとつ咳払いをする。反省するように自身のこめかみを押さえた私は日本語で自身の行いを見つめ直したあと、顔を上げて飛び切りの笑顔で言葉を紡いだ。
「ようこそ日本へ。歓迎するわ……ジョルノ・ジョバァーナ」
「……狭いしあまり綺麗な場所じゃあ無いけど、上がっていって」
如月の夜、個人的には冬至よりも寒いと思えるこの季節。予想外にも現れた友人を招き入れるその場所は私の自宅だ。誰もいない家の鍵を開け、扉を開けて玄関先の灯りを付ける。
「へえ。ほんとうに一人暮らししていたんですね」
「……んん?私、貴方にその話したかしら」
「していませんよ。僕がミスタから聞きました」
いつも通りすぐに鍵とチェーンロックをかけた私はいつも通りすぐに洗面所に向かい手を洗う。後ろを着いてきたジョルノは悪びれもなくそう言うと私に倣ってその冷えた手に生暖かな流水をかけた。
「ミスタ君かあ……懐かしい、元気にしてる?彼ならジョルノとは違ってバレンタインも予定いっぱいなんじゃあないかしら」
「……そうですね。今頃バールで一人寂しく酒盛りに勤しんでいるかもしれません」
「あはは、酷いこと言うのね。信頼する自身の片腕なのに」
ジョルノのコートを預かり、ハンガーに掛けながら軽口をたたきあう。
しばらく会っていないがミスタ君の事はよく覚えている。会話が上手で相手を退屈させないまさにイタリアのヤングといった青年だった。
ジョルノはああ言っていたが、組織のトップが他所の国にいるのだ、今頃ナンバースリーの職位を持つ彼は組織の総統の業務に追われているに違いない。
「……組織の人は、今日はいないの?」
「ええ、僕ひとりですよ。フーゴもいません……もしかして彼に会いたかったんですか?」
「そうね、前回会った時はあまり和気藹々とお話出来る雰囲気じゃあ無かったし……機会があるならフーゴ君とミスタ君ともまた食事にでも行きたいものだわ」
きっとあの日のように何も考えずに笑い合えるような簡単な関係では無くなってしまったのでしょうけれどーー私はその言葉を心の内にしまいながら笑うとジョルノを2人がけの小さなソファに座るように促した。
「……さてと、お腹すいてるわよね?適当に何か作るわよ。食べられないものとかある?」
「トリ肉ですかね……って名前、あなた料理できるんですか?」
「あらあらあら、言ってくれるじゃあないのジョルノ君ったら……」
舐めてもらっては困る!と鋭い視線を向ければ意地悪そうな笑みのジョルノがこちらにやって来る。まさか一人暮らしの女の料理の腕を信用していないのだろうか、とプライドが傷付けられた私は不服そうに眉を寄せる。
「別に名前の腕前を信じていない訳じゃあありません。ただ座って待ってるのも退屈なのでお手伝いしようと思って」
「ふうん……そう。あまり納得いかないけど信じてあげるわ」
「信用ないなあ」と思ってもいない様子のジョルノが口こぼす。
それでもその顔は本当に和やかで、ひどく警戒を緩めているのだというのがわかる。それがとても誇らしくて誇らしくて、なんだかとてもジョルノに信頼されているのだなと機嫌を良くした私はにんまりと微笑む。
「……怒ったり笑ったり忙しい人ですね、貴方は」
「…………」
相変わらず小生意気な子供だこと!ーー私は浮かべていた笑みを消してジトーっとジョルノを見やる。それでも、そんな表情の変化をさらに面白おかしく思った彼の次の言葉を私は確かに待っていた。
バレンタインだからといって変に背伸びする必要は無い。もちろん先輩達のように素敵なレストランで食事をするのは特別でいい事だ。
(それでもーー)
私には、私とジョルノにはこんなバレンタインが『合っている』のかもしれない。「いつも」の延長線でほんのちょっぴりの特別がトッピングされた夜が私とジョルノには『ちょうどいい』のだ。ふざけた事を言い合って、美味しいものを食べるーーそんな当たり前こそが私の望むバレンタインの形なのだ。
「……とにかく、夜はまだまだ長いわよ!ご飯の後は貴方の為のドルチェもあるんだから」
「!へえ、それは期待してしまいますね」
今日は酷く寒いし、夕ご飯はうどんにしようーー冷蔵庫の中から長葱と豚肉のパックを取り出した私はご丁寧にウインクしながら言い放つ。確か卵も残っていたから月見に出来るわねと頭を過ぎらせた私は隣に並んだジョルノに長葱を差し出した。
手始めに、この傷つけられたプライドを修復する所から始めなきゃあこの長い夜は乗り切れないだろう。