Valentine Episode.1
狡猾アディクティド
「……チョコレート?」
例の「約束」をして暫くの某日、校舎外れにある木の下に呼び出された私は突然手渡された一枚のチョコレートに目をシパシパさせた。大体の予想通りそれを私に突き出しているのはブロンドの髪が麗しいディオ・ブランドーだ。
「昼食のデザートにでも、と持たされたんだがぼくはあまり甘いものが好きではなくてね」
まさか、あのディオが善意でチョコをくれるとでもいうのかーーと、一瞬だけ感動してしまった私は顔を上げた先にある蜂蜜色の瞳が酷く歪められているのが分かってすぐにその感情を打ち消した。いいや、期待なんかはせずに初めから分かってはいたのだけれどと視線を再び落とす。
「だが折角のメイドの好意を無下には出来ないだろう?そこでナマエ、きみに頼みがある」
「頼みって、何を?」
何となく、只事ではないと分かってしまっていて。今回は一体どんな荒事を要求されてしまうのだろうかと私は頭を抱える。目の前の男は突拍子のないことをーー私には思いつかないようなことをさんざ唱えてきた男なのだ。今回もろくでもないことを言うに決まっている。
「明日の昼休憩の時間、そのチョコレートで作った菓子をこのディオの元へ届けに来い」
「……え?」
「フン、二度は言わないぜ」
予想外の方向の要求に困惑しーーまあ、どんな要求を想像していたのかは敢えて伏せておくーー理解が追いついていない私を他所に強引にチョコレートを押し付けたディオはそのまま校舎の方へ向かっていってしまう。人肌でもすぐに溶けてしまう薄っぺらなそれを見下ろした私は盛大なため息を漏らした。
菓子作りを任命された上で何よりも幸いだったのは我が家がパン屋を営んでいた事だろう。
家にはバターも小麦も卵だってある。そして職人とも言える専門家だってついている。
ディオがそれを見越した上で菓子作りを頼んできたのかは分からないがーー彼のことだから知ってはいるのだろうけれどーー材料とレシピの心配はひとまず要らないといえるだろう。
「けど……突然お菓子作りがしたいだなんて、言えるわけないじゃない」
将来両親の後を継ぎパン屋を続けていきたいという話は何度かしているが、作業場はおろか、自宅の調理場にすらあまり入ることの無い私が突然お菓子作りだなんて、両親はなんて言うだろうか。
「それも、こんな高価なものを持って……?」
スクールバッグに偲ばせたそれを横目で見つめた私はさらに眉間のシワを深くする。これさえ無ければ友達の誕生日だから、なんて嘘がつけたかもしれないがこのチョコレートの存在がバレれば必ず出処を追求されることになる。
「ジョナサンから……って言ってもジョースター邸への出荷の時に世間話でもされちゃあ瞬く間に嘘がバレちゃうし」
うんうんと唸りながら帰路についていた私はそのまま身体が覚えているかのように玄関扉を開けて自宅に戻った。そして自室に向かい、外着のままベッドに横たわった私は10分ほど目を瞑り……思考をまとめた。
「ただいま!お母さん!早速だけど聞いてちょうだい、私にチョコレートを使ったお菓子作りを教えて欲しいのっ!」
髪をまとめ、エプロンに袖を通した私は一切の質問の隙も与えずに捲し立てるとYESもNOの答えも聞かずにキッチンに母を連れていく。そして間髪入れずに差し出したのは幼い頃に買い与えられた色んなお菓子が出てくる絵本だ。
「これ!このカップケーキが作りたいわ」
大きなナッツの乗った一口サイズのケーキを指さしながら急かすように母の袖を引けば
「いい加減にしなさい」と流石に叱咤が飛んでくる。うう、と口淀んだ私がバツが悪そうに目の前のお母様を見上げると彼女はようやくにこりと笑ってゆっくりと要件を言うようにと催促した。
「事情は結構複雑なんだけど……とにかくチョコレートを使ったお菓子が食べたいって子がいてね、私でよければ作ってあげたくて」
ーー嘘は言っていない。
私はずる賢くも心の内で言い訳を並べると追撃するように「だからお願い!」と頭を下げる。
あらかたの予想通り了承の言葉を口にする母にニコリと笑顔をうかべた私は早速指示通り冷暗所へとバターと卵を取りに走った。
❍
翌日、バッグに例のお菓子をしのばせ登校した私は靴箱を覗いてドキリとした。あまりの出来事に硬直する私を見て異変を感じたのだろう友人が代わりに靴箱に手を伸ばす。
「メッセージカードじゃないの!やるわね、ナマエ!」
からかうようにそう言った友人からボルドーカラーのカードを取り返し裏面を覗き込めば顕になる『Be my Valentine』の文字。簡単に和訳するならば「特別な人になって下さい」というメッセージだ。
「今日って、バレンタインだったのね……」
そんな可愛らしいメッセージカードを貰っばかりとほ思えぬ程げっそり、といった様子の私のぼやきに
「まさか、忘れてたの!?」と信じられないといった感じの友人はたまげる。
バレンタイン、チョコレート、そして昼休みに彼へ直接届けなければならないという条件……これら全てが偶然のわけが無い。ディオは全て分かったうえでやっている。私はいよいよ目眩すらも覚えて、力なく笑う他ない。
「ううん、準備バッチリよ。逆に、してやられたって感じかも」
このメッセージカードだって、余っ程の好き者でもいない限りは恐らくディオからの時報だろう。今日がバレンタインデーだってことも知らずに、今日という日に手渡すチョコレートが特別な意味を持つとも知らずにノコノコと言われるがまま菓子を作ってしまった私への最高の種明かしなのだ。人目につくところで大嫌いな相手に愛のプレゼントを送るなんていうある種の拷問を楽しもうというのだ。
相変わらず嫌な人!頭に浮かぶ意地悪な笑みのディオ・ブランドーに悪態をつくと共に、
「別に好きな訳では無いのだから適当にさらりと渡してしまえばいい」という考えが脳裏をよぎる。
しかし、そんな頭とは裏腹に鞄に潜むカップケーキをちらりと盗み見て思うのは「お口に合うといいけれど」なんていう全く見当違いな事だけだった。