09.君だから
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「そこまでにしときんしゃい」
聞き慣れた声に、閉じていた目を開く。
顔を上げると、振り上げられた女子の手首を仁王がつかんでいた。
いつもはきれいに流れている銀色の髪が、わずかに乱れている。
肩も小さく上下していて、呼吸を整えようとしているのが分かった。
ここまで走ってきたのだろうか。
けれど仁王は、そんなことなど悟らせまいとするように一度だけ息を吐く。
普段のような、ふざけた笑みは一切ない。
「仁王、くん……」
女子の顔から、一気に血の気が引いていく。
仁王はその手を乱暴にならない程度に振りほどくと、私の前に立った。
「ここで、何をしてたんじゃ」
低い声だった。
怒鳴っているわけでもないのに、その場にいた全員が黙り込む。
「ち、違うの。私たちはただ、この子に――」
「何が違うんじゃ」
仁王が振り返る。
その視線が、私の頬で止まった。
触れて確かめようとしたのか、伸びかけた手が途中で止まる。
「……叩かれたんか」
「え、あ、これは気合を入れるために自分でやったんだけど、力はいりすぎちゃってーー」
「今は黙っとき」
怒られた。そして、絶対嘘もバレた。
助けに来てくれた人に怒られるとは、解せない。
仁王はもう一度、女子たちへ視線を戻した。
「謝れ」
「でも、この子が馬鹿にしてきたから!」
「セクシー大根の話はしたけど、馬鹿にはしてないよ」
「お前はほんまに黙っとれ!」
二度目の注意を受け、私は今度こそ固く口を閉じた。
セクシー大根に罪はないのに。
「この子、仁王くんたちをたぶらかして――」
「たぶらかされとらん」
仁王は即座に言い切った。
「こいつに近づいとるんは、俺らのほうじゃ」
女子たちが息を呑む。
「だったら……なんで?」
先ほどまで私を責めていた女子が、震える声で尋ねる。
「なんで、その子なの?」
仁王が、こちらを見る。
いつものようにからかうでも、面白がるでもない。
まっすぐ向けられた瞳から逃げるように、私は俯きかけた。
「こいつだからじゃ」
あまりにも迷いのない声に、動きを止める。
「理由なんぞ、それで十分じゃろ」
胸の奥が、熱とは違う理由で大きく鳴った。
どういう意味。
そう尋ねたかったけれど、口を開いた途端、足元が大きく揺れた。
「あれ……」
膝から力が抜ける。
床へ倒れるよりも先に、仁王の腕が私の体を支えた。
「おい!」
さっきまで静かだった声が、初めて大きくなる。
「平気、平気。ちょっと床が揺れただけ」
「床は揺れとらん!」
額に手を当てられる。
昼休みには避けた手を、今度は振り払うことができなかった。
仁王の手はひんやりとしていて気持ちよかった。
「熱い」
「仁王の手が冷たいだけじゃない?」
「それで誤魔化せると思っとるんか」
仁王の声は呆れていたけれど、私を支える腕には痛いほど力が入っていた。
ごめんごめん、すぐに退くからさ。
そう言いたいのに、体どころか、口も動かない。
そんな私の肩に、仁王は何も言わず、自分のブレザーをかけた。
「仁王……?」
私の前に背を向け、その場へしゃがみ込む。
何をするのかとぼんやり眺めているうちに、腕を引かれ、体がふわりと地面から離れた。
どうやら私は、仁王におんぶされているらしい。
「に、仁王…いいよ、自分で歩けるから」
さすがにこれで校内を歩かれるのは恥ずかしすぎる!
残っている力を振り絞り、どうにか背中から下りようとする。
「暴れんな。落ちるぜよ」
「だったら下ろしてよ!」
「駄目じゃ」
「歩けるってば!」
肩越しに振り返った仁王の顔を見て、私は動きを止めた。
先ほどまで女子たちに向けていた険しい表情が、こちらを見た瞬間だけ、ふっとほどける。
今まで見たことがないくらい、優しい顔だった。
「いいから、今は甘えとき」
耳元で、小さく囁かれる。
普段聞いたこともないような甘ったるい声で、心臓が止まるかと思った。
瞬時に言葉が出てこなかった私は、大人しく背負われることを選んだ。
制服の上からは細く見えるけれど、触れた背中は思っていたよりもずっと逞しい。
私一人くらい何でもないように、軽々と背負って歩いていく。
柔軟剤の優しい香りと、背中から伝わってくる温かな体温。
仁王の背中は、驚くほど居心地がよかった。
さっきまであれほど寒かったのに、背中から伝わってくる体温に包まれていると、少しずつ体の力が抜けていく。
「……重くない?」
「軽すぎて心配になるくらいじゃ」
「また、ちんちくりんって言いたいんでしょ」
「今は言わん」
今は、ということは、元気になったら言うつもりらしい。
文句を言ってやろうと口を開いたけれど、出てきたのは小さな吐息だけだった。
仁王が歩くたび、体がゆっくりと揺れる。
廊下を行き交う生徒たちの声も、周囲のざわめきも、だんだんと遠くなっていった。
「名前?」
名前を呼ばれた気がする。
返事をしなければ。
そう思うのに、まぶたが重くて開かない。
「……仁王」
「なんじゃ」
すぐそばから返ってきた声に、なぜだかひどく安心した。
「ありがとね」
「…プリッ」
短い返事とともに、私の足を抱える腕に少しだけ力がこもる。
どうしてあの場に仁王がいたのか。
なぜ、こんなに優しくしてくれるのか。
分からないことだらけだけれど、今はこの温かさに身を委ねていたい。
そう思った途端、まぶたがゆっくりと落ちていく。
私はとうとう、意識を手放した。
聞き慣れた声に、閉じていた目を開く。
顔を上げると、振り上げられた女子の手首を仁王がつかんでいた。
いつもはきれいに流れている銀色の髪が、わずかに乱れている。
肩も小さく上下していて、呼吸を整えようとしているのが分かった。
ここまで走ってきたのだろうか。
けれど仁王は、そんなことなど悟らせまいとするように一度だけ息を吐く。
普段のような、ふざけた笑みは一切ない。
「仁王、くん……」
女子の顔から、一気に血の気が引いていく。
仁王はその手を乱暴にならない程度に振りほどくと、私の前に立った。
「ここで、何をしてたんじゃ」
低い声だった。
怒鳴っているわけでもないのに、その場にいた全員が黙り込む。
「ち、違うの。私たちはただ、この子に――」
「何が違うんじゃ」
仁王が振り返る。
その視線が、私の頬で止まった。
触れて確かめようとしたのか、伸びかけた手が途中で止まる。
「……叩かれたんか」
「え、あ、これは気合を入れるために自分でやったんだけど、力はいりすぎちゃってーー」
「今は黙っとき」
怒られた。そして、絶対嘘もバレた。
助けに来てくれた人に怒られるとは、解せない。
仁王はもう一度、女子たちへ視線を戻した。
「謝れ」
「でも、この子が馬鹿にしてきたから!」
「セクシー大根の話はしたけど、馬鹿にはしてないよ」
「お前はほんまに黙っとれ!」
二度目の注意を受け、私は今度こそ固く口を閉じた。
セクシー大根に罪はないのに。
「この子、仁王くんたちをたぶらかして――」
「たぶらかされとらん」
仁王は即座に言い切った。
「こいつに近づいとるんは、俺らのほうじゃ」
女子たちが息を呑む。
「だったら……なんで?」
先ほどまで私を責めていた女子が、震える声で尋ねる。
「なんで、その子なの?」
仁王が、こちらを見る。
いつものようにからかうでも、面白がるでもない。
まっすぐ向けられた瞳から逃げるように、私は俯きかけた。
「こいつだからじゃ」
あまりにも迷いのない声に、動きを止める。
「理由なんぞ、それで十分じゃろ」
胸の奥が、熱とは違う理由で大きく鳴った。
どういう意味。
そう尋ねたかったけれど、口を開いた途端、足元が大きく揺れた。
「あれ……」
膝から力が抜ける。
床へ倒れるよりも先に、仁王の腕が私の体を支えた。
「おい!」
さっきまで静かだった声が、初めて大きくなる。
「平気、平気。ちょっと床が揺れただけ」
「床は揺れとらん!」
額に手を当てられる。
昼休みには避けた手を、今度は振り払うことができなかった。
仁王の手はひんやりとしていて気持ちよかった。
「熱い」
「仁王の手が冷たいだけじゃない?」
「それで誤魔化せると思っとるんか」
仁王の声は呆れていたけれど、私を支える腕には痛いほど力が入っていた。
ごめんごめん、すぐに退くからさ。
そう言いたいのに、体どころか、口も動かない。
そんな私の肩に、仁王は何も言わず、自分のブレザーをかけた。
「仁王……?」
私の前に背を向け、その場へしゃがみ込む。
何をするのかとぼんやり眺めているうちに、腕を引かれ、体がふわりと地面から離れた。
どうやら私は、仁王におんぶされているらしい。
「に、仁王…いいよ、自分で歩けるから」
さすがにこれで校内を歩かれるのは恥ずかしすぎる!
残っている力を振り絞り、どうにか背中から下りようとする。
「暴れんな。落ちるぜよ」
「だったら下ろしてよ!」
「駄目じゃ」
「歩けるってば!」
肩越しに振り返った仁王の顔を見て、私は動きを止めた。
先ほどまで女子たちに向けていた険しい表情が、こちらを見た瞬間だけ、ふっとほどける。
今まで見たことがないくらい、優しい顔だった。
「いいから、今は甘えとき」
耳元で、小さく囁かれる。
普段聞いたこともないような甘ったるい声で、心臓が止まるかと思った。
瞬時に言葉が出てこなかった私は、大人しく背負われることを選んだ。
制服の上からは細く見えるけれど、触れた背中は思っていたよりもずっと逞しい。
私一人くらい何でもないように、軽々と背負って歩いていく。
柔軟剤の優しい香りと、背中から伝わってくる温かな体温。
仁王の背中は、驚くほど居心地がよかった。
さっきまであれほど寒かったのに、背中から伝わってくる体温に包まれていると、少しずつ体の力が抜けていく。
「……重くない?」
「軽すぎて心配になるくらいじゃ」
「また、ちんちくりんって言いたいんでしょ」
「今は言わん」
今は、ということは、元気になったら言うつもりらしい。
文句を言ってやろうと口を開いたけれど、出てきたのは小さな吐息だけだった。
仁王が歩くたび、体がゆっくりと揺れる。
廊下を行き交う生徒たちの声も、周囲のざわめきも、だんだんと遠くなっていった。
「名前?」
名前を呼ばれた気がする。
返事をしなければ。
そう思うのに、まぶたが重くて開かない。
「……仁王」
「なんじゃ」
すぐそばから返ってきた声に、なぜだかひどく安心した。
「ありがとね」
「…プリッ」
短い返事とともに、私の足を抱える腕に少しだけ力がこもる。
どうしてあの場に仁王がいたのか。
なぜ、こんなに優しくしてくれるのか。
分からないことだらけだけれど、今はこの温かさに身を委ねていたい。
そう思った途端、まぶたがゆっくりと落ちていく。
私はとうとう、意識を手放した。
