01.その部長、制御不能につき
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「名前!」
そのとき、コートの方から椿の声が飛んできた。
「そろそろ戻ってきて。新入生に練習メニュー見せるわよ」
「はーい!」
返事をしてから、私はもう一度仁王を見る。
「というわけで、部長は仕事に戻ります」
「転ばんように気ぃつけんしゃい」
「転ばないし!」
「さっきは転びそうになっとったのに?」
「それは…ちょっと油断しただけ!」
「油断も隙も多い部長じゃのう」
「うるさいなぁ!」
フェンス越しに言い返すと、仁王は楽しそうに片手をひらひら振った。
「頑張りんしゃい、部長さん」
その言い方が、少しだけ柔らかかった気がして。
私は一瞬、言い返す言葉をなくした。
けれどすぐに、胸を張って笑ってみせる。
「任せて!立海女子テニス部の未来は、この私にかかってるからね!」
「それはそれで心配じゃ」
「そこは応援してよ!」
仁王の笑い声を背中に聞きながら、私はコートへ戻った。
一本下駄が、からん、と鳴る。
フェンスの向こうにいる仁王。
コートの中で待っている椿。
そして、不安と期待に満ちた新入生たち。
よし。
ここからが、部長の見せどころだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
部活見学が終わる頃には、新入生たちの表情から最初の不安はすっかり消えていた。
「ありがとうございました!」
「楽しかったです!」
「また見に来てもいいですか?」
そう言って頭を下げる子たちに、私は満面の笑みで手を振った。
「もちろん!いつでも大歓迎!」
よかった。今日という日を無事に終えることができた。
大成功と言っても差し支えないのではないか?
私は小さくガッツポーズをした。
「名前」
新入生たちの姿が校舎の方へ消えていったあと、椿が静かに私の名前を呼んだ。
「ん?」
「……大丈夫?」
その言葉に、私は一瞬だけ黙った。
反射的に、右腕へ視線が落ちる。
今はもう、普通にラケットを振れる。
日常生活にも支障はない。
それでも、彼女は時々こうして確認する。
まるで、あの日の私をまだどこかに置いてきたままみたいに。
「大丈夫だよ」
私は笑った。
「ほら、この通り!」
そう言って、ラケットをぶんぶん振ってみせる。
「危ない」
「はい」
椿に一言で止められ、私は素直にラケットを下ろした。
彼女は呆れたようにため息をつく。
けれど、その目は少しだけ心配そうだった。
私は、その視線が少し苦手だ。
心配してくれるのは嬉しい。
でも、ずっと心配されるほど、私は弱いままではない。
「本当に大丈夫。もう痛くないし、ちゃんと打てるし、部長もやってるし」
「……そう」
「だから、そんな顔しないでよ。美人が台無しだよ」
「茶化さない」
「はーい」
椿は少しだけ眉を寄せたあと、ふいと視線をフェンスの向こうへ向けた。
そこにはもう、仁王くんの姿はなかった。
けれど、彼女の表情がわずかに硬くなるのを、私は見逃さなかった。
「椿」
「何?」
「仁王のこと、まだ苦手?」
聞いた瞬間、風が一つ、コートを抜けた。
副部長はすぐには答えなかった。
ただ、長い黒髪を耳にかけ、静かに目を伏せる。
「……好きになる理由がないだけ」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
彼女が仁王をよく思っていない理由を、私は知っている。
たぶん、仁王も知っている。
そして、その真ん中にいるのが私だということも。
私は一本下駄の歯で、こつんとコートを鳴らした。
「でも、私は大丈夫だから」
何度目か分からない言葉を、今日も口にする。
副部長は私を見る。
信じたいのに、信じきれないような目で。
それが少しだけ痛くて、私はいつものように笑った。
「だって私は、部長だからね!」
「それ、理由になってない」
「なるよ。部長は強いんです」
「さっき転びそうになってたけどね」
「あれは親しみやすさ」
「便利な言葉ね」
そう言って、椿がようやく少し笑った。
その笑顔を見て、私はほっとする。
大丈夫。
ちゃんと笑えている。
私も、彼女も。
全部、もう過ぎたことだ。
そう思うことにして、私はコートの向こうへ目を向けた。
夕方の光が、フェンスを金色に染めている。
その向こうで、男子テニス部の声が小さく響いていた。
仁王の笑い声が聞こえた気がした。
気のせいかもしれない。
だけど、私はなぜかその方を見てしまう。
去年の春。
始業式の日。
あの日、私が仁王雅治と出会わなければ、何かが違っていたのだろうか。
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎって、私はすぐに首を振った。
違っていたとしても、今さら戻れない。
それに、戻るつもりもない。
「名前、片付けるわよ」
「今行く!」
私は返事をして、ラケットを握り直した。
一本下駄が、からん、と鳴る。
今日も立海女子テニス部は平和だ。
たぶん。
少なくとも、今のところは。
そのとき、コートの方から椿の声が飛んできた。
「そろそろ戻ってきて。新入生に練習メニュー見せるわよ」
「はーい!」
返事をしてから、私はもう一度仁王を見る。
「というわけで、部長は仕事に戻ります」
「転ばんように気ぃつけんしゃい」
「転ばないし!」
「さっきは転びそうになっとったのに?」
「それは…ちょっと油断しただけ!」
「油断も隙も多い部長じゃのう」
「うるさいなぁ!」
フェンス越しに言い返すと、仁王は楽しそうに片手をひらひら振った。
「頑張りんしゃい、部長さん」
その言い方が、少しだけ柔らかかった気がして。
私は一瞬、言い返す言葉をなくした。
けれどすぐに、胸を張って笑ってみせる。
「任せて!立海女子テニス部の未来は、この私にかかってるからね!」
「それはそれで心配じゃ」
「そこは応援してよ!」
仁王の笑い声を背中に聞きながら、私はコートへ戻った。
一本下駄が、からん、と鳴る。
フェンスの向こうにいる仁王。
コートの中で待っている椿。
そして、不安と期待に満ちた新入生たち。
よし。
ここからが、部長の見せどころだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
部活見学が終わる頃には、新入生たちの表情から最初の不安はすっかり消えていた。
「ありがとうございました!」
「楽しかったです!」
「また見に来てもいいですか?」
そう言って頭を下げる子たちに、私は満面の笑みで手を振った。
「もちろん!いつでも大歓迎!」
よかった。今日という日を無事に終えることができた。
大成功と言っても差し支えないのではないか?
私は小さくガッツポーズをした。
「名前」
新入生たちの姿が校舎の方へ消えていったあと、椿が静かに私の名前を呼んだ。
「ん?」
「……大丈夫?」
その言葉に、私は一瞬だけ黙った。
反射的に、右腕へ視線が落ちる。
今はもう、普通にラケットを振れる。
日常生活にも支障はない。
それでも、彼女は時々こうして確認する。
まるで、あの日の私をまだどこかに置いてきたままみたいに。
「大丈夫だよ」
私は笑った。
「ほら、この通り!」
そう言って、ラケットをぶんぶん振ってみせる。
「危ない」
「はい」
椿に一言で止められ、私は素直にラケットを下ろした。
彼女は呆れたようにため息をつく。
けれど、その目は少しだけ心配そうだった。
私は、その視線が少し苦手だ。
心配してくれるのは嬉しい。
でも、ずっと心配されるほど、私は弱いままではない。
「本当に大丈夫。もう痛くないし、ちゃんと打てるし、部長もやってるし」
「……そう」
「だから、そんな顔しないでよ。美人が台無しだよ」
「茶化さない」
「はーい」
椿は少しだけ眉を寄せたあと、ふいと視線をフェンスの向こうへ向けた。
そこにはもう、仁王くんの姿はなかった。
けれど、彼女の表情がわずかに硬くなるのを、私は見逃さなかった。
「椿」
「何?」
「仁王のこと、まだ苦手?」
聞いた瞬間、風が一つ、コートを抜けた。
副部長はすぐには答えなかった。
ただ、長い黒髪を耳にかけ、静かに目を伏せる。
「……好きになる理由がないだけ」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
彼女が仁王をよく思っていない理由を、私は知っている。
たぶん、仁王も知っている。
そして、その真ん中にいるのが私だということも。
私は一本下駄の歯で、こつんとコートを鳴らした。
「でも、私は大丈夫だから」
何度目か分からない言葉を、今日も口にする。
副部長は私を見る。
信じたいのに、信じきれないような目で。
それが少しだけ痛くて、私はいつものように笑った。
「だって私は、部長だからね!」
「それ、理由になってない」
「なるよ。部長は強いんです」
「さっき転びそうになってたけどね」
「あれは親しみやすさ」
「便利な言葉ね」
そう言って、椿がようやく少し笑った。
その笑顔を見て、私はほっとする。
大丈夫。
ちゃんと笑えている。
私も、彼女も。
全部、もう過ぎたことだ。
そう思うことにして、私はコートの向こうへ目を向けた。
夕方の光が、フェンスを金色に染めている。
その向こうで、男子テニス部の声が小さく響いていた。
仁王の笑い声が聞こえた気がした。
気のせいかもしれない。
だけど、私はなぜかその方を見てしまう。
去年の春。
始業式の日。
あの日、私が仁王雅治と出会わなければ、何かが違っていたのだろうか。
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎって、私はすぐに首を振った。
違っていたとしても、今さら戻れない。
それに、戻るつもりもない。
「名前、片付けるわよ」
「今行く!」
私は返事をして、ラケットを握り直した。
一本下駄が、からん、と鳴る。
今日も立海女子テニス部は平和だ。
たぶん。
少なくとも、今のところは。
