【掌編】桃色腕時計
腕時計の示す時間は、桃色の思い出の時で止まったまま。桜並木に染まる晴空を、アパートの窓から見つめているのは、一人の青年。
時が止まったままの腕時計を手にしながら、じっと。ただじっと見上げる。その目は少し赤くなっていた。
あの頃も、満開の桜の花片が空に舞い上がって綺麗だったな……。
ユウキは、ニーナと知り合った春の日のことを思い返す。
5年前の4月中旬。隅田川公園で、ユウキは友人たちと花見に来ていた。
レジャーシートを広げ、皆で持ち寄ったお酒や弁当を出して、準備をしていたとき。
植木側にいた友人たちの反対側の通路沿いで自分の靴をシートの近くに揃えて置き、シートの隅に重石を乗せた時――。
風に舞う桜の花片のなかを、やわらかな笑みを浮かべて花見を楽しむ一人の乙女とすれ違う。
その瞬間、ユウキは彼女から目が離せなかった。
「おい、ユウキ! 記念に写真撮ろうぜ」
同じレジャーシートの上で、準備を既に済ませた友人の一人の声に、ユウキは漸く我にかえった。
「あぁ、そうだね。撮ろう、撮ろう……」
写真を撮った後も、ユウキは通路に時折視線を向ける。
しかし、彼女が通ったのは、ただの一度だけだった。どこに視線を向けても、彼女は居なかった。
花見を楽しみに来たはずが、気付けば彼女の姿を探してばかりで、本来の目的と逸れたことばかりしていた。
帰り道。
友人たちと別れて一人になったユウキの目の前に、彼女は居た。
信号を待っているようだった。
ユウキはたじろいだが、この機会を失えば、次いつ彼女に会えるかわからないのだ。
(ひょっとすれば、この先ずっと、彼女に会えることはないかもしれない……)
ユウキは信号が青になった瞬間、走り出す。
驚いた顔をした彼女の前で立ち止まり、声をかける。
「あの……!」
私――? と、女性は自分を指しながらたずねる。
「えぇ、貴女とお話がしたくて。――今、お時間を頂いても良いですか?」
「えぇ。私、友達も居ないし、今日だって一人で来たので。お話し相手が出来て、寧ろ嬉しいぐらいですよ」
近くの公園で、ベンチに座って暫く談笑した。
話していると、彼女は名前が《陣川 里絵》といい、九州出身で、上京してきたのは大学進学の為だったとか、
最近、寮でペット同居の許可が下りたので兎を飼い始めたとか、美大生であるとか、
新学期始まったら二年生になるとか、
そんな情報を得ることが出来た。
ユウキも、自分が音大生で、フルート科在学中で、
新学期が始まれば4年生になることや、
アパート暮らしであること、家でコーギーを飼っていること、
休日や放課後は主に近くのジャズクラブでフルートの演奏やコンビニでアルバイトをしていることを話した。
帰り際、お互いのペットを連れてこの公園でまた会う約束と、連絡先の交換をして、その日は別れた。
10月頃。漸くお互いの都合が合って会えることに。
ユウキは朝早くにコーギーに起こされ、いつもより少し早い時間に散歩に出かけた。
ユウキ家ではいつも一日2回は散歩に出かけるのがルールになっている。
今日は午後2時に里絵と会う予定だ。
ユウキは自分の左手首にしている腕時計をちらと見る。
いつも以上に、ユウキは2回目の散歩をコーギーと楽しみにしていた。
待ち合わせの時間になる10分前。ユウキは愛犬のコーギーを連れて、あの春の日に里絵と話した公園に到着。まだ里絵は来ていなかった。
里絵が来たのはちょうど時間になる頃だった。
「お久しぶりです、陣川さん!」
「お久しぶりです、ユウキくん! お待たせしていたようで申し訳ないです……」
こちらに気付いた瞬間、里絵はユウキの座っているベンチめがけて走ってきた。
一緒に連れてこられた兎も若干リードを引っ張られ気味でこちらにやってくる。
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。僕も今着いたばかりなんで」
ユウキは自分の足元近くまで来た兎を見る。ウサギの名は《キューティー》で、性別はメスで、種類はロップイヤーなのだと、先日メッセージアプリPINEで教えてもらっていた。
「おっ、キューティーちゃんもこんにちは!こっちは僕のパートナーの《タロウ》。宜しくね」
ユウキはタロウにキューティーを紹介してやった。タロウは目をキラキラさせながら優しく吠えた。
するとキューティーが「ぷぅ」、と小さく鳴いた。キューティーも「宜しくね」と言ったようだ。
fin.
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